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2019年7月13日土曜日

既に老害になってしまった30代 (oka01-fpjonnkwqealgcxq)

僕は、日本を出た2005年以降外国を放浪し『世捨て人』の様な生活を送ってきた。日本に帰ってきたのが2016年。その間に起こった大変化といえば2011年のスマホの爆発的普及だ。スマホの普及によりそれまで一部のマニアが使うだけだったネットが、爆発的な勢いで一般社会に普及した。結果として世の中は過酷な変化を迎えた。

特にユーチューブの普及は世の中に残酷な変化を起こした。 

『百聞は一見にしかず』という。ユーチューブがない状態で10年かかった学習が、ユーチューブがある状態だと1年位で終わってしまう。

1年で10年分の知識に追いつく。

2年で20年分の知識に追いつく。

3年で30年分の知識に追いつく。

これははっきりいって残酷だ。

 ─── 中年にとって。



今の10代〜20代のミュージシャンを見ていると、とにかく知識・技術のレベルが高い。知識の量が豊富なだけでなく知識の質も良くなっている。それは30代以降のミュージシャンとは比較にならない程に高い。誰が見ても明らかなほどの落差がある。

これがユーチューブの影響だ。百聞は一見にしかずというが、ユーチューブをつかうと海外で起こっていることがあたかもその場にいるような臨場感で見ることができる。お茶の間にいながらにして世界中の音楽を無尽蔵に見ることができる。これは非常にインパクトの大きいことだ。それは誰かが本やDVDなどに小奇麗にまとめた『面白くてためになる知識』とは比較にならないほどに有用だ。

人生の勉強の期間をユーチューブがある状態で過ごした人と、ユーチューブがない状態で過ごした人には格差と言って差し支えがないほどの明らかなギャップがある。否、人生の勉強期間をユーチューブ無しで過ごしたことは、もはやハンデである。

次の表を見て欲しい。


生まれた年2011年の年齢2019年の年齢
2009年生まれ2歳10歳
1999年生まれ12歳20歳
1989年生まれ22歳30歳
1979年生まれ32歳40歳
1969年生まれ42歳50歳

スマホが普及した2011年に小学6年だった世代が、2019年の今ちょうど20歳だ。つまり2019年の今は、青春をユーチューブ有りで過ごした世代が世の中に出てきている時代なのだ。

向学心が高い人なら20代を超えても勉強を続けるだろう。ユーチューブが普及した2011年に22歳だった世代が2019年に30歳を迎えている。30歳前後が平均的な学習限界年齢※ではないか。どんなに向学心が高い人でも30代を超えても勉強を続ける人は一般的に言って稀だ ─── その2011年に32歳だった世代が今40歳を迎えている。

※ 僕がラオ語をマスターしたのは40代に入ってからだ。学習限界年齢はその人の気持ちの持ちようでいくらでも延長可能だ。

10年後を考えると更に恐ろしい地獄絵巻が浮かんでくる。

生まれた年2019年の年齢2029年の年齢
2009年生まれ10歳20歳
1999年生まれ20歳30歳
1989年生まれ30歳40歳
1979年生まれ40歳50歳
1969年生まれ50歳60歳

人生の大半をユーチューブ有りで過ごした世代2009年生まれが世の中に出てくる。また10代をユーチューブ有りで過ごした世代1999年生まれが30代になり世の中で中堅の立ち位置にシフトしてくる時期とも重なる。そして人生の勉強期間をユーチューブなしで過ごした哀れな世代1979年生まれが50代を迎える。

今の30代は、なだらかな下り坂を下っている。40代〜50代の人々も同様だ。能力が高ければ今の社会的地位を持続できるだろうし、40代〜50代になっても20代と同じ学習意欲を維持できたなら、この学習効率差を乗り越えることもできるだろう。だが、新しい学習に割ける時間的コスト経済的コストが限られている40代〜50代にとって、現実はやや厳しい状況にありそうだ。

この様に、ユーチューブの出現により、桁違いの学習効率差が生じて、結果として青春ユーチューブあり世代と青春ユーチューブなし世代の間には赤ん坊と大人並の大きな能力差が存在する。

少子化でマイノリティーになり圧倒的な政治的弱者である今の10代〜20代は、30代との実力差の存在について沈黙を守っているだけなのだ。

つまりユーチューブがない状態で10代を過ごした世代は、現時点で既に老害化している。

2019年の30代以降は既に死んでいる。



陳腐化とは

陳腐化とは、何か効率の良い低コストな道具が導入されることにより、それまで利用されていた道具の価値が下がってコストが見合わなくなってしまうことをいう。

例えば、ある村に住む人々がわらを編んで作る『わらじ』を履いていたとする。そこにビニール製のビーチサンダル製造機を持ってきた人がいたとする。わらじを編むのは材料費も時間も掛かるが、そのビーチサンダル製造機を使えば一瞬で作れる。材料費もワラの半額以下で作れたとする。... するとわらじはコストが見合わなくなってしまい、誰も使わなくなってしまう ─── このことを陳腐化する、という。

コンピューターの世界に骨董価値はないということを言った人がいる。靴や手袋などの道具であれば、古くなることで珍しさという付加価値=骨董価値が生じることもある。だがコンピューターの価値は、単純に数値で測れるものばかりだ。コンピューターの世界では常により高速でより小型で軽量な方が価値が高い。5年前の容量が小さいUSBメモリスティックを欲しがる人はいない。またコンピューターの世界では独特さが特有の価値を生むことは一切ない。高度に標準化されて独特さが少ないもののほうが常に価値が高い。差し込みコネクタ形状がバラバラなUSBメモリスティックを欲しがる人は一切いない。

どんなに古いレトロなゲームであろうと、最新のパソコンを使えば必ず遊ぶことができる。どんなに古く希少なハードウェアであっても、最新のハードウェアを使えばその機能をシミュレートすることができるからだ。

だからコンピューターの世界には骨董価値というものがありえない。常に新しいものが古いものを駆逐していく・・・それがコンピューターの世界の常だ。

月面着陸に成功したアポロ11号に搭載されていたコンピューターのメモリは64キロバイトだったという。(参考)これはつまり現在で言えば、gifフォーマット低解像度の写真をたった1枚保存するだけで満杯になるという意味だ。2019年の今、いくら骨董が趣味だとしても、アポロ11号のメモリをスマホに入れて実用することはできない。


宇宙船に乗せるには少々大きすぎる
5MBのハードディスク(1956年)

人間を陳腐化してしまったインターネット

ネットの情報処理能力は非常に高い。それ以前の情報処理能力とは比較にならないほど高い。ネットは、それまで使っていた道具を陳腐化しただけでなく、人間の知識すらも陳腐化してしまった。

ネットを使って勉強すると恐ろしく勉強が捗る。ネットを使わずに勉強するのと比較にならない程に捗るようになってしまった。そしてネットを使わないで勉強した知識を一気に陳腐化してしまった。今30代以上の中年が、何十年もかけて苦労して身につけた知識を、今の20代は数年で身につけてしまう。

これは事実上、人間自体を陳腐化してしまったのだ。

かつて如何に世界一の超高性能を誇ったアポロ11号のメモリであろうが、2019年の現在それを使う人はいないということと全く同じことだ。

ネットは、ネットを使わない人間を残酷なまでに陳腐化してしまったのだ。


現代日本の状況分析

僕は、日本を出た2005年以降『世捨て人』の様な生活を送ってきた。日本に帰ってきたのが2016年。

帰ってきてから古い知人友人と再会を重ねていくるうちに『虚勢をはる人が増えたな』 という漠然とした印象を持ってはいた。だがそれが何故なのかよくわからなかった。

僕は世捨て人なので、何の社会的地位もない。社会的キャリアもない。学歴も資産も家族も何もない。僕には胸を張って威張れるものが何一つないのである。40代後半を迎え社会的地位が上がって貫禄が出てきた人が増えている僕の知人友人。一方、完全に取り残された形になっている僕。

だが世の中はやや、僕が思っていたよりも残酷だった様だ。

ネットが人々の予想を大きく上回る速度で普及したからだ。

世の中はみんなが想像していたよりもずっと速くずっと高く効率化してしまった。効率化された社会のなかで差別が排除され雇用の機会が均等になっていく。結果として桁違いに厳しい実力社会へと世の中がシフトしてしまった。

能力があっても活躍するチャンスがなかった人達が世の中に大勢進出してくるようになった─── 結果的に今まで元気だった人が、あまり元気でなくなってきている面があるのではないか。

平等が進んだ結果として、今までは人が羨む恵まれた社会地位にいた人が相対的に落ち込んでしまった ─── それが『妙に虚勢を張っている偉い人(僕が見ている妙に虚勢を張っている著名ミュージシャン)』として観察されているのではないか。

そもそもだが、本当にうまく行っている人は、自分がうまく行っていることをあまり言いたがらない傾向があるのではないか、と思う。『能ある鷹は爪を隠す』というが、僕が知る限り、本当に金を持っている人は自分をできるだけ過小に言いたがる傾向がある。有り余るほどに金を持っているくせに地味な身なりをしており、見かけ上は全く金を持っている様に見えない人ばかりだ。

金を持っていることを悟られるとトラブルの種になる。また金を持っていることを悟られると、何をやっても「あいつは金を持ってるから何でもできる」と言われてしまい、等身大に扱ってもらえなくなって、逆に寂しい思いをするというのも事実なのだ。

真の実力者は常にチャレンジャーでありたいのだ。

そういう地味な実力者を見ていると、自分を殊更よく見せようとしている段階でやや『臭う』のだ。 そもそも実力者とは大抵の場合、恐ろしく勤勉で恐ろしく地味で大抵は非常に謙虚で飾らない人が多い。実力以外の物が見え隠れする人は、自分を激しく飾る傾向がある。

最後に

ではどうすれば良いのか ─── これまで長々と書いたが、その結論は実にありきたりなところにでてくるのではないだろうか。年齢に関わらず謙虚に学ぶ。年上にも謙虚に学び、年下にも謙虚に学ぶ。謙虚に新しいものを取り入れ、謙虚に努力を続ける。簡単なようでなかなかできないことだ。だがこういう大きな時代変化が起こった時にこそ、そんな基本姿勢に立ちかえることが必要なのではないか。

2019年。今20代の日本人ミュージシャンと、今30代以降の日本人ミュージシャンには、想像を絶するギャップがある。この2つの世代は、音楽的にも技術的にも『格差』といってよい残酷な違いがある。知識を得るために血を流す様な思いをしてきた30代以降。ユーチューブで知識は無尽蔵に得られた20代。

ユーチューブの出現により、苦労せず軽やかに成長できた20代のミュージシャン。 対する、苦労して得た現在の地位を手放したくない30歳以上のミュージシャン。だが苦労した割にあまり成果がでていないのもこの世代の特徴だ。時代の変化によって、技術的にも音楽的にも遅れを取って若くして老害化してしまった不幸な世代だ。

現在ミュージシャンになるという行為は、こういう『老害ミュージシャン』にひとつひとつ引導を渡していく作業なのだ。

 青春とは心の若さである
 信念と希望にあふれ
 勇気にみちて日に新たな
 活動をつづけるかぎり
 青春は永遠にその人のものである


著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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