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2021年4月23日金曜日

人のせいにしないバンドマン (oka01-mvxeumifgbmcjsgq)

「人のせいにする」の対極にあるのは「全部自分でやる」だ。 だけどバンドだけは、全部自分でやるわけにはいかない ─── ここに僕の人生最大の矛盾がある。


リズムセクションが駄目だから演奏が巧くいかない。 それは言い訳とも取れる。だが リズムセクションが駄目だと演奏は絶対に巧くいかない。 それは言い訳ではない。

今の僕の最強最悪の武器は、駄目な演奏の真似をすることだ。 誰が聞いてもおかしい。 誰が聞いてもダサい。 そういうリズムを僕はコピーできる。

ダサいを演奏しているその人の目の前で全く同じダサい演奏をして見せる ─── これ以上効果的な教え方は、この世に存在しない。だがこれでもわからない方々は多い。むしろほぼ全員そうだ。 

ダサい演奏をして見せて、これは格好良いか?と問いかける。誰もがそれだけは最低限やめたほうがよい、と答える。「…ならば話は早い。今すぐにそれをやめよう。」「わかった。」次の瞬間彼は、今ダサいと答えた演奏を寸分違わず再現してしまう。「またやってる」「あぁっ!」

「何で今やめると言ったことをやるの?」

「それは岡さんが、そうやって目の前で同じことをやるから、つられてしまうんじゃないですか!」

「僕はもうやってないよ!」

「それは岡さんがそうやってプレッシャーを掛けるから、できなくなるんじゃないですか!」

「岡さんは、なんでそうやって自分の意見を押し付けるんですか?」

「岡さんは自分がみえていない!」 

「なんでそうやって人の意見を聞いてくれないんですか?」

「岡さんは自分だけが正しいと思っている!」

僕は、僕がどんな悪人であろうが、どんな罪人であろうが、それを素直にそれを認めて反省する覚悟がある ───そうでなければ外国の僻地などに住めない。外国の僻地など、どこに行ったって偏屈な頑固人の集落でしかない。全ての不条理と理不尽を飲み込んで暮らしていく以外にない。

だが今、僕らはジャズをやっている訳で、演歌をやっている訳でも、音頭をやっている訳でもない。今僕らは、演歌村から足を踏み出して、「ジャズ」と呼ばれる外国の村の音楽を演奏している訳なので、もしジャズを演奏するのが不本意だというならば、演歌村に戻るべきなのだ。

「何故そうやって演歌を否定するんですか?!」

僕は演歌を否定していないし、むしろ好きだ。

好きだから「ジャズ風な演歌」などという軟弱なものは聴きたくない。

ジャズはジャズとして聞く。

演歌は演歌として聞く。

「今はジャズを演奏しているのだから、ジャズを演奏してくれ。」

それ以上でもそれ以下でもないのだ。

だが日本人はそれができない。

ジャズのリズムと演歌のリズムは全く真逆の要素を持っている。あまりにも共通点がなさすぎる。

「岡さんはそうやって、いつも感覚的な言葉ばかり使っていて、話に具体性がないんですよ!」

そういわれると思ったので、こういうのを書いた。

何故、日本人は縦乗りなのか

だがほとんどの人は読まない。よしんば読んだ所で理解すらできない。

「岡さんはそうやって、理屈ばかり言っているから理解者が少ないんですよ!」

僕もそれはそう思っているのだ。

「そう思うなら、実際に岡さんが行動で示して見せて下さいよ!」

僕はここではたと立ち止まる。

「人のせいにする」の対極にあるのは「全部自分でやる」だ。 だけどバンドだけは、全部自分でやるわけにはいかない。

言い訳せず自分でやろう ─── そう思うからこそ、こうして今やっているように、都内のあちこちにセッションに行ってバンドメンバーを探している訳なのだが…。

できる人がいない。どこにもいない。地平線の向こうまで探してもいない。

「じゃぁ一流のプロに頼めばいいじゃないですか!」

色々思う所はあるが、日本人は「プロ」と自称している人ほどリズムに問題を抱える人が多い。

「なら岡さんが教えて育てればいいじゃないですか!」 

僕は教えることが好きなのでいくらでも教えられるのだが…

だが教わりたいと思っている人がどこにもいない。

僕はリズムに関する理論だけで30本以上小論文のようなものを書いた。 

自分が忘れないように書いたのだ。

僕は練習メソッドもたくさん作った。 

僕自身出来なかったので自分で練習する為に作ったのだ。

だがあまりにも勉強/練習が面倒くさいので練習してくれない。

「僕はそうまでしてリズムを上達させたいとは思っていないんですよ!」

「だって教わりたいって言ったの自分じゃん」

「なんで岡さんはそうやって人を強制するんですか?!」 

「いや強制はしていない。辞めたければ辞めればいい。」

とにかく日本人は言い訳が多い。

「そう思うなら、実際に岡さんが行動で示して見せて下さいよ!」

僕自身はいくらでも自分の思い通りになる。だが他人だけはどうやっても自分の思い通りにはならない。

バンドだけはどうやっても自分1人ではできない。特にジャズのようにインタープレーが重要な音楽では独りオーバー・ダビングでは表現できないことがたくさんある。オーバー・ダビングのジャズなど独りでじゃんけんをしている人を見るのと同じくらい面白くない

 

独りでは何もできないバンドマン。

何もできないまま、時間もお金もどんどん減っていく。

焦り。不安。

このままだと確実に地獄に落ちる。

僕自身はどうにでもなるが、僕が地獄に落ちるかどうかは、全て他人任せ。

50目前。地獄に片足を突っ込んでいる。

この状態から這い上がれるかは、完全に人任せ。 

そういう状況で穏やかに笑顔で過ごす

人に何も期待せず

人を受け入れて

静かに破滅を待つ

そういうバンドマン人生。


2021年4月2日金曜日

『東京に来たら東京に合わせなければいけない』と思っているから東京に喰われてしまう(oka01-pijpnxjikexiqrpq)

 『東京に来たら東京に合わせなければいけない』と思っているから東京に喰われてしまう。

街には間違っている人がたくさんいる。そういう人は街に適応できず間もなく街から去る。だが常に一定数いる。

「東京に来たら東京にあわせなければいけない」と思っていると、東京にきてやられて不愉快だったことは全て、他人にやってもいいのだ、と勘違いする。

そこが東京だろうがそうでなかろうが、間違っていることには間違っているという。おかしいことにはおかしいとはっきりいう。

そうしないと自分が東京の嫌なやつになってしまう。

2021年4月1日木曜日

自己認識が狂っている (oka01-immmujatqbzwighr)

みんなは僕のことを「自己認識が狂っている人」だと思っている ─── 僕はその事自体が興味深い。僕は世界のあちこちで生活してあちこちでの異なる自己認識を持っている。つまり僕は比べる自己認識を複数持っている。 

日本人は自分の無責任さを直視する状況に落ちると巧妙に相手の自己認識を狂わせる事で自己正当化する。 「そういう事を1人で言っている事自体がおかしい」 「自分だけが正しいと思っている」 「お前は勝手すぎる」 等々等々 日本語は、そういう自己正当化のフレーズの宝庫だ。

リズムの足腰 (oka01-opvihvvvwozfpqku)

日本のベーシスト

日本人のベーシストは全員例外なく滓だ。そんなことはないだろうと思う所が既に甘い。日本から一歩でも出たら近辺の素人の子供やお年寄りですらもプロの日本人より良いグルーヴを出す。グルーヴがないベースは音楽ですらない。日本人のベーシストはまずその現実を直視する所から始めなければいけない。

海外で新鮮なリズムセクションを収穫しても日本に輸入するとすぐ腐ってしまう。

見渡す限り滓ベースしかいなければ、それが滓と気付くこともない。 

足腰の弱さ 

文明の利器が街中に配備されている街に長くいると生命力が落ちる。例えば、街にはどこにいってもエスカレータがあるので階段を登り降りしなくなり足腰が弱る。だから僕はいつもどこに行ってもエスカレータを使わない。

ベーシストにも同じことがいえる。ベーシストには需要があるので街に来ると金になりやすい。だがリズムの温い仕事ばかり受けていると足腰が弱りリズムが悪くなる。

ベーシストのお前らはリズム力を金で売っているのと同じだ。

生活のためだって?馬鹿言うな。生活を考えたらサラリーマンになったほうがよっぽど安定していただろ。

日本外にいるとリズムの足腰が弱いと普通に蹴落とされるので楽だ。

日本はリズムのエスカレータがあちこちに配備されているので、心を強く持たないとあっという間にリズム足腰が弱る。

ぬるま湯に浸かっている人に熱湯をぶっ掛けると怒る。

外国でしばらく活動していたミュージシャンが日本に帰ってきて鬼の様になるパターンを何例か知っているが、それはその人が鬼なのではなくて、実は日本のミュージックシーンにいる人全員が足萎えだということなのだが

海に囲まれて安全が無料な国のジャズミュージシャンには何を言っても聞くはずがない。

苦労は買ってでもしろ

リズム音痴という耳をつんざくばかりのブーイングは、日本人の耳には届かない。

竜宮城には上手なベーシストが大勢いて下手なベーシストがベースを弾くと恐ろしい鬼がやってきて喰われる  ─── 目の前に恐ろしい鬼がいて金棒でぶっ叩かれるなら理解するだろうが、僕が代わりにぶっ叩けば僕を恨んで僕を悪者にして排除するだけで、結局厳しさを理解しない。

日本は安全は無料だけど苦労は有料だ。

「苦労は買ってでもしろ」とはよく言ったもんだな…。

不思議なことに日本語には日本人を戒める言葉がたくさんある。

のに戒めない日本人。

2021年3月31日水曜日

江戸方言と逆さ言葉 (oka01-yoimhyahitibearv)

江戸方言と逆さ言葉

寿司に乗せる魚を「寿司ネタ」というけどもこれは元々「寿司種」から来た逆さ言葉だ。要するに手品の種と同じだけど、寿司ではネタという。

寿司は元々日本が起源ではなくて、東南アジアの魚発酵食品が元になっている。実は僕も、タイにいた時にそれに近いほとんど有名でない郷土料理を見た。だけど生の発酵していない魚を乗せる寿司は、実は江戸前寿司と呼ばれていて江戸が発祥なのだそうだ。

日本ではジャズマンが逆さ言葉を使うのだけども、これを使う人は今では絶滅危惧種として指定されておりほとんど誰も使っていない。逃げる→ゲルニー等々。もうほとんど誰も使わない逆さ言葉でも広く一般認知されているものもあって、そのひとつが「タモリ」だ。タモリ氏の本名は「モリタ・森田」さんで、モリタを逆さ言葉にしてタモリと逆さ言葉にした芸名が有名になった。

だけど実は寿司種の種も逆さ言葉としてタネではなくネタと逆に呼ばれた状態で定着していた。しかもジャズマンの逆さ言葉よりも起源が古い。

僕の生まれは東京の海沿いで育ったのも海沿いだ。海沿いの人々は極めて荒っぽく金遣いが荒く暴力的で馬鹿だ。僕はそういう中で育って大変に苦労しただけでなく人生をボロボロに滅ぼされてしまった。そういうボロボロにされる過程で、海沿いに極端に古い魚屋があることも知っていたし、極端に古い釣り船屋があることも知っていた。

江戸っ子というと浅草という印象があるが、実は浅草名物の浅草海苔を作っていたのは僕の出身である大森〜蒲田〜羽田の沿岸だったらしい。江戸っ子といえば一般的に浅草と考えるだろうが、実態は実は東京の海沿いの僕がいるあたりらしいのだ。

つまり僕が日頃見ている大馬鹿野郎がまさしく江戸っ子の正体であるらしい。元々発酵食品だった寿司に発酵していない新鮮な生の魚を乗せて食わせるという発想も、直情的で喧嘩っ早い漁師の多いこの近辺の大馬鹿野郎の考えそうなことである。 

ちなみに虎ノ門とかもう少し内陸の方にも江戸っ子は大勢いたらしい。ある江戸っ子のお年寄りの人に聞いた話を総合すると、あの辺の江戸っ子は恐らく1980年代に地上げに遭ってほぼ全員土地を追い出された様だ。ちなみに、そのお年寄りもまがいもなく後先考えない大馬鹿野郎だった。

僕が馬鹿なことばかりしているのは、恐らく僕にも大馬鹿野郎の血筋が入っていることによるようだ。道理で僕も荒っぽく金遣いが荒く喧嘩っ早いと思った。

逆さ言葉と江戸っ子というのは、何となくだが関係がある様に思う。僕が思うに江戸っ子の人はほとんど全員、縦乗りではない。江戸方言はそもそも相当に早口で何を言っているか判別がつかないほどに早い。 言葉のアクセント自体に頭合わせリズム がない。詳しくは 江戸言葉と関西弁の違い を読んで欲しい。だから江戸っ子が逆さ言葉を好むというのは僕の個人的な感覚として違和感がない。

僕は今なおリアル江戸っ子が生息している地域の出身であると同時に、西日本系九州系の出身でもあり、自分自身の性格が謎だ。全く真逆の事を同時に考えて同時に実行できる。

僕は全くの大馬鹿野郎だが、大馬鹿野郎の考えている事を理論的に分析して頭の良い方々にわかりやすく説明することもできる。

すると頭の良い方々に『お前らは何を馬鹿な事を言っているのか』ということを極めて論理だって説明する事になるらしい。自分を馬鹿と呼ばれることに慣れていない頭の良い方々にとって、その言葉はなかなか受け入れがたい様だ。

馬鹿の裏事情を熟知している僕が、頭がよいふりをしているだけの馬鹿の化けの皮をあっさり剥がしてしまうのだろう。

僕が怒られるのはそういう理由もある。

馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。

無責任な日本人 (oka01-mmbnmopvjlhglpnq)

日本人は責任感が強いという。だけど『自分がどこに行くか』に関しては全く真逆で無責任だ。 自分が何かをする理由は飽くまでも『言われたからやる』だ。そして失敗したら『言った通りやったのにどうしてくれる』になる。

日本は絶対に自力では変わらない。変えようとすると変えた人を徹底的に叩きのめして元に戻る。上手くいっても上手くいかなくても変えた人は殺される ─── だからこそ日本は、元寇とか黒船とか大戦とか原爆とかコロナとか、定期的にそういう外圧を受け入れることで体制を刷新してきた。

東京の最寄り空港は成田と羽田だ。このふたつは実はどちらも『民有地の土地取得』で建設された。成田は反対地元派による三里塚闘争が起きて長年揉めた。 ─── 実は僕の地元の羽田も同じなのだけど、成田とひとつ大きく違うところがある。

違いは、羽田を接収したのは日本政府ではなくてアメリカ政府という点だ。日本敗戦時に米国が暴力的に接収したあと、日本政府がその土地を引き継いで今もそのまま返還されていない。 それでも三里塚みたいに闘争が起きなかったのは、接収したのが日本ではなくて外国だったからではないか、と僕は思う。

羽田近郊を歩き回っていると、そういうアメリカ接収時の遺跡の様な場所があちこちにある。羽田に来て羽田空港外を歩き回る酔狂な人はいないだろうから、恐らくそういうことは地元民しか知らないだろう。

僕みたいにネイティブ地元人でありながら、同時によそ者でもあるというような人出ない限り、その事の意味を考えることもないだろう。地元人は大馬鹿野郎だし、よそ者はそこまで深い事情を知らない。 


2021年3月26日金曜日

高等教育を受けると見えるようになることと逆に見えなくなることがある (oka01-jjsuvqihjsvzlyqy)

僕が10年前にアイルランドバーの経営をやっていた時に客で来ていたかなり大きい在タイのイギリス人ゴルフクラブの連中がつい最近まで活動をしていたらしいことを知る。

…世界を全く知らない無垢な僕に痛烈に毒を盛ってくれた(詐欺まがいの騙しをやった)連中だったが、久しぶりに見ると懐かしい。

外国の生活は、勉強した通りにはならない。そこは相撲の様な駆け引きがあり、将棋の様にコミュニケーションがあり、築地市場のセリの様な闘いがある。

「高等教育を受けると見えるようになることと、逆に見えなくなることがある。」 全ての教育がそういう訳ではないと思うけど、日本の教育には確かにそういう一面がある様に思う。

2021年3月25日木曜日

人の面倒を見るというのは最終的にゲンコツであって金ではない (oka01-jafvejvrzxouqwlm)

親の金ばかりに興味を持って親の面倒も見ない仕方ない息子だといいいい、話を聞けば実は自分も親の面倒を見ていないことが透けて見えたり、見るのなんかまっぴらということも透けて見えたり、知らんけど。

子に金を残すなんてばからしいといいいい、自分もいざ親の面倒を見る段になれば金でどうにかすればよい、と思っている。

そういうところから、実はその人が地方出身者で親を田舎に捨ててきた人なのだ…ということが透けて見えたり

街者は街が田舎なので、親の面倒も見るし、親を捨てて上京したって田舎が東京なので親から逃げられもしないし、

違うなら違うと言えばいいのに、いいもしないし、実は結構色々言いたいことがあるのも見えるのに、言う勇気もない。 で

正直になんでも言うと角ばかり立つ超少数民族の東京モン

『なんでも金で解決できる』って思っているツケが、人生の最後の最後で、そういう形で舞い戻ってくるものなのかも知れないが

親族をやっとこさ全員墓場まで送って自分を墓場に入れる奴が誰もいない大変さも知らず、勝手なことばかり言う…と正直思う。 人の面倒を見るというのは

人の面倒を見るというのは、最終的にゲンコツであって、金ではない。

タイとかラオとかの人は、親族の為に子が死ぬのは当然と思ってる節があって、そのために命がけで子を育てるし、そのおかげで子が死んだり親が死んだり普通にしてるから、僕も奴らと付き合っていて『お前は死ぬ覚悟があるのか?』と問いかけられて答えられないことが何度もあり

そんな何でもかんでも命がけで、ちっとも金を使って解決しない大馬鹿者が、繁盛して金持ちになるかといえば、ちっともならない。それはちっとも発展性がない。

だから、子が親の面倒を見ないで、親のことなど忘れて街で活躍しているということは実に素晴らしいことだ…と親は思っていた筈で、親は辛くても子のためを思って何も言わずじっと耐えていた筈で、

そんなことも知らずにノホホンと街で働いていたわけだ、お前らは。

で、自分が死ぬ番になって、ふと気付く訳ですな。貴様の親が貴様にしてくれたことを。

人生の最後の最後で、弁護士という死神が来て銀行通帳を取り上げていく ─── 成年後見人という悪魔を連れて。

子に遺産を残すなんてばからしい…って本末転倒じゃないのか?

…て年齢が倍以上ある年寄りに説教しても意味がないが

金を持ってると色々と、見えなくなるものがあるんだとおもう。それは間違いない。

損な奴 (oka01-fhjvswsqwdcqvgxb)

『彼は損な奴だ。』 ─── だが彼が損得の為にやっているのでなかったとしたら、その発言は一体何が言いたいのだろうか。

  • 彼は能力が高い ─── だが性格で損をしている。
  • 彼は才能がある ─── だが営業下手で損をしている。

能力も才能も、別に徳をする為のものではない。

逆にしてみる。

  • 奴は能力もないが性格で徳をしている。 
  • 奴は性格は悪いが美貌で徳をしている。
  •  奴は才能はないが話術で徳をしている。 

そんなことを言ったらまるで虚しいだけではないか。

─── だから人は、無意識のうちに逆側の感想を述べる。

ここに気付かない限り、人は前向きに進めない。 


2021年3月24日水曜日

2021年Blender3Dの旅・2014年からこんにちは (oka01-vnifhzomdkuilojh)

僕がブレンダ3Dというグラフィックスソフトの勉強をしていたのは2014年頃なのですが、当時の僕はアジアの辺境を放浪中の身で非力なパソコンしか持っておらず作業は全くはかどりませんでした。当時は仕方がなかったので、使い方の学習とそれに伴う英語のリスニングの訓練に血道を挙げていました。(当時のブレンダの学習リソースは全て英語で大半がビデオでした。)

今は2021年。手元にはクロック数5Gオーバーのi9マシンがあります。2014年とは比較にならない恵まれた環境です ─── それで昨日1日作業して取り敢えず出来上がったのが、この『消しゴム人形』です。


2021年最新パソコンに2021年最新バージョンのブレンダ3Dをインストールして作業しても、僕の技術は相変わらず2014年のまま進化なしでした…。

しかしこれではあんまりだということで、更に7時間程度悪戦苦闘して出来上がったのが、次の『寝室で踊るお兄さん』です。これで何とか6年分キャッチアップできた感があります。

当時は街から街へと走り回って電気屋さんを隅から隅まで探し回って機材を探していましたが、全く見つからず。レンダリング時間は1枚あたり3時間以上掛かり、出来上がりの感じを確認して修正するという作業に膨大な時間が掛かりました。もはや不可能と言ってよいレベルでした。 ─── が、その分語学が伸びたので良しとしなければいけないな、と思いました。

当時街のあちこちでタイ語方言や英語などの言語を操ってややこしい技術話をして回ったことが今生きています。YouTubeでかなり訛った英語でも聞き取れますし、タイ語もラオ語もその方言も中国語も聞き取れるからです。日本にいながらにして世界中の情報がてにはいります。

自動翻訳も英語に訳すと日本語に訳すより遥かに読みやすい文章を出力しますので、フラ語・スペイン語・ポルトガル語・・・等々の情報も比較的入手しやすくなってきました。

当時は苦労した割に全く成果が出ずがっかりしていましたが、今こうしてかなり大きな時間差と共に苦労の成果を手にしている感があります。


2014年に作ったダンスビデオ


1週間以上掛けてこれしかできなかった2014年。 気に入ってはいるのですが、とにかく大変だった事を覚えています。如何にシェーダを省略してレンダリング時間を節約するかがポイントでした。

『寝室で踊るお兄さん』は何も考えずフルHDでレンダリングして1枚でたったの3分位程度なので、本当に簡単です。

 

2021年3月CG作成記録 (oka01-ozpkeryuxrcocrsy)

2021年3月、バンドのロゴを作ろうと思い久しぶりにCGアプリを開いた。6年以上ぶりにCG系のアプリの使い方を再学習した。そこで学習成果の記録を残そうと思う。

 

2021年2月7日日曜日

ラカガーモについてメモ (oka01-szqqewufbdjhnhed)

おっしゃ!見つけた!探せば見つかるものだ!

2021年1月14日木曜日

言いたいことを言わない人 (oka01-airgrpatkgassxwb)

言いたいことを言わない人がいる ─── だが僕にはよくわからない。僕は言いたいことを言ってしまう。だがどういう訳か僕は、言いたいことを言わない人と仲良くなりやすい傾向がある。僕の友達は言いたいことを言わない人が多い ─── そこに僕の特殊性がある。

言いたいことを言わない人は大抵、とても空気読みだ。空気を読む人は、相手の望みを察して忖度して言わなかったり、相手の聞きたい言葉に合わせていうことを変えてしまったりりする。だが言いたいことをいう人はしばしば空気が読めない。彼らは忖度しないしできない。 彼らは相手の意図に気が付かずにそのまま現実の問題を話してしまうし、それを話した結果その人がどういう反応を示すのかに気付かない。

僕はその点からみてとても特殊だ。僕は言いたいことを言ってしまうタイプであると同時に、僕は空気読みが出来ない人間ではない。僕が人と話す時は大抵、相手の言って欲しいこと言って欲しくないことに気付いている。だが僕は言いたいことをはっきりいうタイプなので、相手が言われたくないことがあると気付いた時に、僕はしばしば無視する。それどころか僕は意図的に、相手が嫌がることを言ったりしてしまうこともある。

僕は何故そのようなことをするのか。 

2021年1月8日金曜日

変わってると言われる不愉快 (oka01-ezgepjnhuqiecelp)


変わっている、というのは褒め言葉だろうか

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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