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検索キーワード「イサーン」に一致する投稿を日付順に表示しています。 関連性の高い順 すべての投稿を表示
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2021年4月1日木曜日

相手に伝わらないことに気付かない日本人 (oka01-thvpsrocwwlfirze)

僕はこのケヴィン氏が言っていることがとても重要だと思っている。ケヴィン氏は『この踊りは駄目だ!彼女は周りにフィーリングが伝わっていないのにその事に気付いていない!周囲の人々の目を見ていない。表情を見ていない!』

僕は日本人ジャズマンに全く同じことを思う。日本人ジャズマンは自分の音楽が相手に伝わっていないのにそのことに気が付かない。 

気付かない日本人

僕は外国でタイ語イサーン方言を勉強していて思うのだが、僕が今まで10年以上見ているなかで日本人がまともにタイ語を話しているのを見たことがない。勉強して喋るは喋るのだが、それが相手に伝わっていないということに気付かない。自分の思い込みで延々と喋るので、見ていて恥ずかしい。しかもタイ人は相手の思い込みをいちいち正さず放置する傾向があるので、日本人はいよいよ本当に気付かない。

タイに限らず、英語でもドイツ語でも僕はこの日本人の独りよがり傾向を思う。日本人の独りよがり傾向をきちんと戒めて正そうとする日本人は実はあまりいない。 

そういう日本人が、ジャズを演奏することが得意になる筈がない。

これを見ても気付かない

僕も前述のビデオを見ていて周囲の人の目に非常に強い違和感を持つ。奇特な目で見られているのに気付かない。それを見ているだけで恥ずかしい感じがする。

だが恐らくこのビデオを見てもその違和感に気付かないのだろう。これを読んでいる人自身が。

そこに気付かないと駄目だと思うのだ。

ミュージシャンなら。

気付かないならそこに自分の認知力の限界があると気付いて努力しなければいけない筈なのだ。

ミュージシャンとして。


更新記録:
てきとう日記から日本人ジャズ批判へ移動しました。 (Sun, 08 May 2022 04:17:33 +0900)

2020年12月30日水曜日

ラオス民謡とジャズの相似点について ─── 縦乗りを克服しようシリーズその33 (oka01-ckqlitezosjjemik)

はじめに

僕はタイに来た2005年に初めてタイ東北民謡『モーラム』を聞いた時に「モーラムはジャズと似ている」と漠然と感じました。僕はその段階で既にジャズギターを10年以上勉強したのですが、ジャズのリズムを習得することはとても難しく、悪戦苦闘していました。

そんなある日僕はタイ東北民謡モーラムと出会いました。そこでモーラムがタイ語の方言であるイサーン語によって歌われることを知りました。それで僕は「恐らくイサーン語を習得すればジャズのリズムも習得できるだろう」という漠然とした直感を感じました。

─── それから10年以上の月日が流れました。僕は大変な苦労ののちにタイ東北イサーン語が話せるようになりました。それからしばらくしたとき僕が実際にジャズのリズムを習得していることに気付きました。

それは案外とはっきりしたことで、フィーリング/感じ方の違いなどという曖昧なものではなくはっきりと譜面に書いて違いを指摘できるようなものでした。

その違いが弱起の存在です。

ところが日本では、この違いを実際に音で聴かせても誰も理解できない…という奇妙なことに徐々に気付くようになりました。 音で聞かせるだけでなく、図に描いて説明することもやりましたし、実際に体を使って体得するトレーニングを考えて実践していただくこともやってみました。それで徐々に僕が気付いたことは日本人がジャズのリズムを理解することは極めて難しいという非常に奇妙な事実でした。

弱起の発見

日本人は弱起を知らない ─── それだけでなく日本人は未だに弱起を発見してすらいません。僕は日本に帰国してからというもの、僕が海外放浪で身につけた弱起についてあちらこちらで説明してきたのですが、その結果は極めて驚くべきものでした。

どういうわけか、目の前で弱起を見せているのに弱起が見えないのです。弱起が何なのかを説明してもどうやっても理解できません。そもそもそこに弱起があること自体に気付きません。そこに弱起があると教えても、依然として弱起の存在に気付きません。その状態では当然、弱起とは何なのかを理解できる訳がありません。みな弱起が完全に見えないのです。

そこにある弱起を指差してそれについて語れば、それはもはやまるでそこに見えない幽霊がいて、見えない幽霊を指差して何やら訳のわからない説明をする人だと思われてしまう。つまり狂人と同じなのです。

しかしこれは幽霊ではありません ─── 日本人以外の人たちは弱起の存在に気付いています。そして日本人が弱起を認知することが出来ないことにもちゃんと気付いています。しかし日本人だけがその存在を知らず、その存在を知らないことにも気付かない。

日本人は弱起を認識できない ─── この現象が僕に与える違和感というものは、筆舌に尽くしがたいものがあります。

しかしまた同時に、弱起の存在に気付いている日本人も大勢います。僕があちらこちらでお話をして体感的に感じる比率でいえば、大体4割くらいの人はその弱起の存在に気付いています。しかし弱起の存在について語ると相手の自尊心を傷つけてしまうことが多く、それについて語ること自体が反社会的であると見做されることが多いようです。このことから、弱起の存在に気付く人はしばしば弱起の存在について気付いていないふりをしています。

弱起の存在をどうやったら日本人に教えることができるのでしょうか。この記事では、僕が漠然と感じていることを五月雨式に少しずつ書き加えてまとめていこうと思います。更新した経歴については記事末に記録していきますので適宜参照して頂けましたら幸いです。

2020年12月20日日曜日

ベッカム・イサーン ─── タイのコメディー (oka01-vfyszskgulnjtjyh)

この曲を知ってから何年も経った。10年近く、歌詞の意味が聞き取れるどころか読むことすら出来なかった。今ふと気付いたら、全部聞き取れるようになっていた。更に意味もわかるようになっていた。

ข่อยฟ้าวเว้าต่อตอบว่าแม่นอยู่
ฝรั่งฮ้อง Oh! Yes แมนยู
ทีมฟุตบอลแมนยู
เวรีก็ค
เวรีก็ค

僕がラオ語を話さなくなってもう2年近く経ったが、明らかに語学が上達している。これは恐らく僕が最近開発したリズムトレーニングシステムを続けた成果ではないかと僕は思っている。 日本語話者は2341と弱起付きで入るリズムが聞き取れない。だから2341の弱起つきリズムを練習すると、外国語(日本語以外)が聞き取れるようになる。

この曲はラムトゥーイというラオ民謡の形式に基づいており、リズムは3拍の弱起のついた2341という順番のリズムで構成されている。日本人はこの日本人は2341リズムが聞き取れない。

ここで「2341リズム」という説明をして理解できる日本人は誰もいないだろう。それだけでなく、今までの僕自身の経験からいっても、日本人の目の前で数時間に渡って目の前で2341リズムを実演しても、決してそれを聞き取ることができない。 だからビデオでこれを実演しても2341リズムを理解することはできないだろう。2341リズムを聞き取ること自体ができない。そもそも、それが2341リズムなのだと認識できない。それだけでなくそのリズムが聞き取れない…ということ自体に気付かない。そして2341リズムが聞き取れないということに興味がない。だから、この話題を出しても誰もそれが重要なことだと気付かない。このリズムを教えても、そこが重要なポイントと思ってないので、修正もできない。

大変に驚くべきことだが、この言語リズムの壁を乗り越えるのは、大変に難しいことだ。だが僕はこれを日本語の文脈に輸入することをライフワークとしてやっていこうと思っている。


 

 

2020年6月15日月曜日

桃太郎さん症候群と日本的自己否認 (oka01-vjzrxbxxasepbcha)

ジャズやってもロックやってもクラシックやってもヒップホップやっても日本人はいつも縦乗り『トントコトンのスットントン』と無意識にリズムを取ってしまう。彼は『トントコトンのスットントン』とリズムをとっているのに『トントコトンのスットントン』の存在を認識できない。僕はこの現象の事を【桃太郎さん現象 Momotaro-san Syndrome】と呼んでいる。


2019年7月23日火曜日

英語のオヤヂギャグ(oka01-vsoxieceqnwsgxrt)

語尾に呼びかけの名前をつけるのは、日本語以外の言語では一般的な文法だ。英語にもあるが、僕が学んでいるラーオ語にもある。それを目的格として考えるか呼びかけとして考えるかによって文全体の意味が変わるため、ジョーク(通称オヤジギャグ)の種としてよく使われる。

今回は、英語でのジョーク集を見つけたのでここで紹介してみたい。

2017年5月10日水曜日

東京者は東京をしらない (oka01-lsjtuqccasulyslg)


東京者なら、東京のことをよく知っている、と思われるだろうか ─── それはむしろ逆で、しばしば東京者は、東京のことを何もわかっていない。

2017年3月2日木曜日

東京のルール (oka01-ebfckdswjnxgmiie)

もはや誰にも理解出来ない、難解な東京のルール ───


最近、久しぶりに実家(東京)に戻ってきて、僕は、僕が人と話しているときに、ちょくちょく「えっ?」「えっ?」と聞き返していることに気付いた。恐らく以前もそうだったのだが、気付いていなかったのだ。僕はふと、この聞き返している自分自身に、ある法則があることに気付いた。

2016年10月27日木曜日

おかあつ日記・類似かきこみに注意! (oka01-fszqmbujlxaxclcg)

近年、当サイトおかあつ日記の筆者ペンネームであるおかあつを騙って、特定の実在人物についてバッシングを加えるなどの悪質ななりすまし行為をされる方々が増えています。

筆者おかあつの公式アカウントは、次の通りです。その他の書き込みは、筆者おかあつ以外の第三者によるなりすまし行為による書き込みです。ご注意頂けましたら幸いです。

なお近年、なりすまし行為を含むネット上のバッシング行為は、世界的に名誉毀損として違法行為とみなされつつあることに注意頂けましたら幸いです。近年では、日本国内外ともに徐々に取り締まりが厳しくなる傾向にあり、検挙例も出ている様です。

名誉毀損は、その言及された内容が事実でない場合はいわずもがな、事実である場合であっても適用されます。任意のネットユーザーの過去の書き込みログなどを遡ることで名誉毀損が立証された場合、そのユーザーは実社会上で刑事的に罰せられる可能性があります。

当サイト著者も、ネット関連の法律的な動向を踏まえつつ、悪質なネット上の言論の暴力に対して、徐々に法的な対抗処置を強めていく予定です。

(Thu, 27 Oct 2016 22:37:20 +0900)

2016年9月9日金曜日

タイ東北イサーン方言とビエンチャン方言の違い(oka01-kpmqxtwxzzmgflyo)

タイ東北イサーン地方(ラオ)で有名な新喜劇の老舗・シヤンイサーンの第25巻は、いつものタイ公演の収録ではなく、国境を超えてラオス側に渡ったところにある街・首都ビエンチャンでの公演を収録したものだ。

ここでなんと、普段イサーン語(タイ語まじりのラオ語)を話している、座長ノックノイ・ウライポンが、ラオス公用語(ラオス語≒ビエンチャン語)を話している。



イサーン語とビエンチャン語は、日本国内のラオ語研究者の間で、しばしば「ほとんど違いがない」と見做されているのだが、僕が見るところでは、少なくない違いが存在する。このビデオをみると、具体的にどこが違うのか研究することができる。今回は、この違いを研究してみたい。

2016年7月25日月曜日

何故ネットは炎上するのか───和製アナーキストの限界 (oka01-vnlsxxfjsxvkkuel)

はじめに

2016年3月、僕は5年ぶりに日本(東京)に帰国した。僕は、2011年3月に日本を出国して以来、丸5年間を海外で過ごした。

この5年間、僕はインターネットを通じて日本国内の社会を見てきた。2011年以降、スマホの急激な普及によりネットユーザー人口が劇的に増えたが、ネットユーザーのマナーの悪さは年々酷くなる一方だ。マナーの悪さにはできる限り寛容に対応する様に心がけていたが、2016年に入ってそれは、完全に『看過できないレベル』に到達した感がある。

また、この5年間に僕は、タイの日本人コミュニティーを見てきた。2011年以降、僕が主に滞在していたタイ国は、日系企業が多く進出する土地柄、大きな日本人コミュニティーが存在する。タイの日本人コミュニティーの規模は、世界的に見ても最大級だ。だが残念なことに、タイの日本人コミュニティーは、どう控えめに見ても、国内の日本社会に適応できない劣悪日本人の掃き溜めでしかなかった。日本人として当然持っているべきマナーの欠片も感じられない、不真面目で無神経で粗野な言動を見るたびに、とても残念な気持ちになった。

この5年間で、不勉強、且つ不真面目、且つ不誠実、且つ寛容性が低くすぐ怒る、且つ周囲の気配りが全く無い、且つマナーが悪い … そんな日本人ばかりを見てきた結果、僕は日本人とは何と知能レベルの低い民族なのか、と呆れ返った。

タイに住んでいて一番困る問題。それは言葉が通じないことでもない。食べ物が合わないことでもない。気候が合わないことでもない。それは他でもない、日本人との付き合いである。日本人との付き合いは異様に難しく、かつ非常に面倒くさい。 僕は原発事故が起きた2011年以降、日本に帰らない覚悟で過ごしていたので、そんな粗悪な日本人社会になんとか適応しようと、悪戦苦闘していたが、これは全くもって一筋縄でいかない難しい作業だった。

久しぶりに日本に帰って即座に気付いたことは、街中の人々が、僕がタイに来る前と何も変わっていないことだった ─── つまり以前と同じく、礼儀正しく、気配りがあり、勤勉で、真面目で、勉強熱心で、マナーがよいということだった。

そこでは、僕が『日本人として当たり前だ』と思うことは、全て当たり前だった。当たり前過ぎて、衝撃的だった。何故なら、僕がこの5年間過ごしたタイの日本人社会では、この『日本人としての当たり前』が一切通用しなかったからだ。

この衝撃は、僕の考え方の根本を覆した。

この考え方の変化は、大地震による地殻の大規模な変動の如く、僕の考え方の奥深くにある根本的な部分に大きな変化を与え、その上に成り立っていた僕の考え方を大きく破壊した。その破壊の衝撃力は、僕が日本を飛び出した2011年から2015年までにネット上で僕が主張していた見解を180度撤回するのに充分なものであり、僕の政治的な思想や、音楽的な思想、日本人に対する民族的な分析結果を完全に覆した。

以下の文章は、今回の僕自身の思考の変化について、僕自身がよく理解する為に、まとめてみたものだ。

だが恐らく、これを読む方は、炎上(ネットの匿名掲示板などで、特定の人物に関するバッシングや、その人物になりすましての醜悪な書き込みが盛んに行われること)という現象が、起こるその原理に関する考察を読むことになるのではないか、と思う。

この文章は間違いなく、それを読む大多数の人を不愉快にする。 だがもし、一部の、真面目に努力を続ける誠実で勤勉な、にも関わらず大勢から延々と理不尽な嫌がらせを受けて悩んでいる方に、少しでも明かりを届けることができたとしたら、幸いだ。


2016年2月10日水曜日

爽やかなラオのおじさんの話 (oka01-vayiwdjeyazdgiah)

今日見かけた爽やかなラオ(イサーン)のおじさんの話。

2016年1月11日月曜日

気高さ (oka01-szffxagxriuyxzul)

タイのネット界隈で見つけたマンガ。このマンガの意味は深い。それは恐らく、タイに興味がない人にとっても興味深いものがあると思う。

2015年12月28日月曜日

クズ人間は捨てろ (oka01-bfyvxldtprtwlrhm)

 ─── この文章は、僕の『昔の自分との決別』の宣誓だ。

2015年8月25日火曜日

日本に居るとそれだけで音楽が下手になる (oka01-fvyhfosdkxjikyjm)


『日本に居るとそれだけで音楽が下手になる』

─── 日本人は多民族の寄せ集めなので、日本人の意見は、色々な民族の平均である場合が多い。それらの民族の中には、音楽が巧い民族もいれば、音楽が全く下手な民族も居る。日本人である以上、音楽が下手な人の意見もきちんと尊重する必要があり、結果として全体的に音楽が下手になる。

この現象は、音楽以外にも現れている。

2014年8月19日火曜日

自分を隠さない(ドラフト) (oka01-coebgciirshnvkpi)

自分を隠さず、ありのままの自分をさらけ出して勝負することは、とても勇気の居る事だが、都会で生きていくにあたって必要な事でもある。 だが「等身大の自分」は、果たして日本社会の中でどの様な受け止められ方をするのだろうか。

僕の考えは、全くまとまっていない。 だが思いついたことを列記してみたいと思う。恐らく、これを読んだ全ての人から、この僕の思いが僕の思ったとおりに理解されることは、ありえないだろう ─── かつて同じことで激しく悩み苦しんだことがある人だけが適切に理解しうる。


そんな未だ見ぬ友の為に、ここに気付いたことに関するメモを残すものである。

2014年8月4日月曜日

日本の気持ちの文化について (oka01-nuSdbQOhMEGtmIkU)

タイのアラブ街でタクシーをひろおうと思った。その瞬間、思いついた事について書く。

2014年1月28日火曜日

普通2.0 (oka01-ibttqksktxlmhkti)

日本人には、言語を学ぶ上での大きな障害『民族の違いに対する盲目性』というものが存在する。日本人は、世界中のどの言語を勉強しても、民族と方言の違いを理解せず、その存在にすら気付かない。この『民族の違いに対する盲目性』は、日本人の最大の特徴だ。日本列島の外に住んでいる人達は、持っていない特徴だ。

以下、その盲目性がどういうものか、何故その盲目性が生まれるのか、そしてその盲目性を克服する為にはどうすればよいのかを考察すると同時に、日本独特な人間関係の面倒くささが生まれる理由・そして日本の人間関係の新しいありかたについて論じる。

この話題に興味を持つ人は少ない。だが、世界に飛び出す日本人にとっても、日本で過ごす日本人にとっても、有意義であるに違いない、と筆者は信じる。

2013年9月11日水曜日

俯瞰することに意義はない (oka01-wbivcehbujckxztu)

ひとつの物に対して徹底的に深く知る事が大切で、他は推して図るべし ───

2013年7月28日日曜日

日本人のリズムに対する認識の差 (oka01-vniucfvesnrsrvhz)

字幕を使った語学学習法の最終段落より ─── ところで余談だが、この曲は「ワッツアップドック・キャンウィーロック」と聞こえる。だから「ワッツアップドック・キャンウィーロック」と言っている様に聞こえるだろう。だがこれが違うのである。

字幕を使った外国語学習法 (oka01-bywdaychcyemkngp)

訛りと聴きとりが完了するプロセスについて気がついた事をメモする。 最近筆者がハマっている曲に「フワッツアップドック・キャンウィーロック (What's Up Doc, Can We Rock)」という曲がある。これはJiveレコードと呼ばれるレーベルの「フーシュニッケンズ・Fu-Schnickens」と呼ばれるグループの曲だ。1993年発売という事で、若干古いこの曲を、何故今更筆者が聴き始めたかについては、若干説明を要するであろう。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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