昨日、高田馬場にあるミッキーハウス という外国語カフェにタイ語をしゃべりに行ってきたのだけど、そこで ได้ไป(dâi pai ダイパイ) と เคยไป(khə̂ːi pai クーイパイ)は何が違うのか、という話題が出た。どちらも意味は『行った』だ。常駐のタイ語の先生は非常に優秀な方で日本語も上手だった。しかしこの文法的な理由の説明にはとても苦労されている様だった。
ネイティブスピーカーがこういう文法的なことを外人に説明するのは、実は非常に難しい。日本人も「は」と「が」の使い分けはどうするのか質問されて、曖昧さなく答えることができる人はごく稀だ。外人に対して、自分の母語の文法を具体的に説明するというのは、実は非常に高度な訓練が必要なことだからだ。
僕は ได้ (dâi) と เคย (kə̌ːi) の使い分けを、ほぼネイティブの方々に違和感を与えないレベルで使い分けることはできている様だ。だが僕のタイ語(ラオ語)は、誰かがまとめた文法やボキャブラリから学習したわけではなく、実地で実際に街中の人が話していることをひとつひとつ拾い集めて、自分でまとめながら身につけたものだ。だから例え僕自身が正しく使いわけることができていたとしても、何故そうなるのかまでははっきりわかっていない。
昨日その会話に参加してから、自分でも気になったいたのでいろいろと考えてまとめてみたので、ここで書いてみたい。
この文章は、タイ語についての学習が一通り終わった人向けの説明になる。発音記号や基本的な単語の意味はここでは説明しないので、各自事前に学習していることを前提とする。
なお現在時刻 2019/06/23 22:22 +9:00 の時点で、この文章はまだ、タイ人のチェックを受けていない。この文章の中にはタイ語の間違いが多く含まれている筈だ。今後、知人友人に頼んでチェックしてもらおうと思っている。 更新した内容は記事末で報告したい。