日本で英語などの外国語を勉強してると、だんだん修行僧みたいな気分になってくる。周囲の誰もその言語を理解する人がいないので、通じることを諦めて、ひたすら訓練に集中するだけになる。 その点だけを考えると、音楽も同じなのかも知れない。どこにも音楽という言語が通じる人がいない。
バンコクでしがないバケツドラマーと仲良くしてた。彼はバケツを叩いて生計を立てている。バケツドラマーだが、他のどのライブハウスのドラマーより素晴らしい演奏をした。 ある日、彼にバケツを叩かされたことがあった。私が叩いていたら、白人の子供が20バーツくれた。聴いてたのか、と思った。
なんで日本人は、こういう純粋さを好んで破壊しようとする人ばかりなのだろうか。
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日本の外では、当たり前のように通じることが、何故か、何故か、日本では通じない。通じないことを当然と決めつけ、通じないことに疑問すら持たず、そのことに意義を唱える人をエキセントリックというレッテルを貼った上で排除しようとする...そんな見えない力が生まれる。
私は、2005年ごろから、タイ・ラオス・中国南部にかけて放浪しながら、方言の研究をしたり、バンコクで閉じこもって考え事をしたり、疲れるとバンコク郊外の古い街をうろついたり、そんなことをしながら、10年くらい過ごして、2016年後半に日本に帰ってきた ─── 戻ってきたばかりのころは、日本とは何と人々が丁寧で、礼儀正しく、約束をよく守る国なのか、と感動したものだが、帰ってきてそろそろ1年たち、だんだんと色々なことに疑問を感じるようになってきた。