日本で英語などの外国語を勉強してると、だんだん修行僧みたいな気分になってくる。周囲の誰もその言語を理解する人がいないので、通じることを諦めて、ひたすら訓練に集中するだけになる。 その点だけを考えると、音楽も同じなのかも知れない。どこにも音楽という言語が通じる人がいない。
バンコクでしがないバケツドラマーと仲良くしてた。彼はバケツを叩いて生計を立てている。バケツドラマーだが、他のどのライブハウスのドラマーより素晴らしい演奏をした。 ある日、彼にバケツを叩かされたことがあった。私が叩いていたら、白人の子供が20バーツくれた。聴いてたのか、と思った。
なんで日本人は、こういう純粋さを好んで破壊しようとする人ばかりなのだろうか。
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日本の外では、当たり前のように通じることが、何故か、何故か、日本では通じない。通じないことを当然と決めつけ、通じないことに疑問すら持たず、そのことに意義を唱える人をエキセントリックというレッテルを貼った上で排除しようとする...そんな見えない力が生まれる。
私は、2005年ごろから、タイ・ラオス・中国南部にかけて放浪しながら、方言の研究をしたり、バンコクで閉じこもって考え事をしたり、疲れるとバンコク郊外の古い街をうろついたり、そんなことをしながら、10年くらい過ごして、2016年後半に日本に帰ってきた ─── 戻ってきたばかりのころは、日本とは何と人々が丁寧で、礼儀正しく、約束をよく守る国なのか、と感動したものだが、帰ってきてそろそろ1年たち、だんだんと色々なことに疑問を感じるようになってきた。
私は、ジャズギターを演奏する。もう20年以上のあいだ弾いている。私は、知る人ぞ知る孤高のギタリスト・東海林由考の弟子だ ─── 私の演奏は、師匠ほど卓越して素晴らしいとは言い難い。だが、それなりには弾けるのではないか、とは思う。
それで、前述のバケツドラマーと出会った時、私はギターを持っていなかった。だが彼は、私が何も言わなくても、私が音楽を演る人間だということに、当たり前のように気付いていた。
ある日、彼は私にバケツを叩かせた。 彼が演奏している場所は、サイアムとよばれるタイ一番の目抜き通りで、その中でも最も人が集まる大きなバス停の前で叩いているのだが、そこで私はバケツを叩いた。
私が叩いている間、彼はせわしなく腕時計を見ていた。私が叩き終わると彼は、腕時計を見ながら「お前は、10分叩いた。大したものだ。」と言った。
彼は1日4〜5時間ここでバケツを叩いてる。実は、その4〜5時間を音で埋め尽くす...というのは、並大抵の創造力では済まされないのだ。実際にやってみればわかるが、普通は1〜2分でネタ切れになってしまい、間が持たなくなる。
彼は、私がバケツを10分叩いたというところだけを見て、私のキャリアを見抜いた。彼は、私が、あるレベルに到達したミュージシャンだ、という事を見抜いた。
彼はしばしば、通りすがりの外人にスティックを渡してバケツを叩かせている。私もそういう光景を何度か目撃した。そういう大勢の人間がいるなかで、彼は、私が私だ、と見抜いたのだ。
彼に限らず、音楽屋は、必ず、こういう感性を持っている。それは、相手の会話内容を見て判断する…というような単純なものではない。 それは何と言うか、その人が誰かから何かを言われた時に、その人から出てくるリアクションを見た時に、感じる『何か』から判断するのだ。その『何か』とは具体的に何なのか... それは言葉ではとても言い表しづらいが、強いて言えば、リアクションの速さや、的確さ、意外性、優しさ...などが挙げられる。
人間があるできごとに対して起こした反応 ─── 応答 ─── これが音楽の全てだ。
悲しいできごと、嬉しいできごと、或いは、ある人が起こしたある特定のできごとに対して、その人が起こした応答。 その応答に対して、また別な人が起こした応答。即興演奏とは、そういう応答の連鎖で作られていく。
私は、東京に帰ってきた。10年以上ぶりに、あちこちのジャムセッションに顔を出すようになった。
私も自分で性格がいやらしいな、と思うが、私は最近、最初に顔を出すセッションで楽器を持って行かない癖がついた。一定のレベルに達しているミュージシャンなら、私が楽器を弾かなくても、私がミュージシャンだ、という事くらいは気付くからだ。楽器を弾かない状態の私を見て、その人がどういう反応をするのか、まず見る ─── この段階で私がミュージシャンだと気付かない人は、大抵、一緒に演奏してもうまくいかない。
ミュージシャンとしての成熟度は、楽器力とは全く別なところに存在する。年齢を重ねれば、体力は落ちていく。体力が落ちれば、楽器力も落ちていくのは必然だ。だが最小限の音で最大限の表現をするというミュージシャンとしての成熟度は、にも関わらず上がっていく。 その人間が持っている応答は、磨かれていく。
良い即興演奏を演奏する能力は、楽器力とは全く別なところに存在する。
ここに気付かないといけない。そうしないと、楽器は物凄く上手なのに、演奏はまったく面白くない...という非常に残念なミュージシャンが量産される日本のジャズシーンは永遠に変わらない。
更新記録:
(Sun, 08 May 2022 02:04:10 +0900) タイトルを『聞く耳』から『演奏者の資質について2/耳利き』へ変更しました。