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2020年7月29日水曜日

遅い音符を恐れてはいけない ─── 縦乗りを克服しようシリーズその23(oka01-friubhzmuzypqtnv)


打点の早さ/遅さは飽くまでも善悪ではなく音楽的な表現の言語のひとつだ。通常、ベース音の打点はドラム音の打点よりも早い方がバンド全体が軽快に聞こえる。だが昨日のバンド練習で気付いたことは、バラードではベースの打点がドラムの打点よりも遅い方が穏やかさを表現しやすいということだった。打点の早さ/遅さは、オフビートや尻合わせ/頭合わせ区別とも関連しているが、つまりこれらは全て重い/軽いという表現手法と考えることができる。

縦乗りとは

ある基準となる打点(小節/拍の頭)がありそこに音符を配置しようとした時、日本人以外の人々は任意にその打点よりも前に入れたり後に入れたりすることが出来る。だが日本人はその打点よりも後に入れることしかできない。

基準打点より遅い音符しか打てない ─── これこそが日本語が持っている音素による制約がもたらす現象だ。日本語は(方言によって大きな違いがあるが主な方言では)単語の先頭にアクセントを置く言語でそのアクセントを基準に後ろに装飾音を配置する習慣がある。

冠詞や前置詞を多用するヨーロッパ/東南アジア/アフリカ各地の言語では、基準となる単語の先頭よりも前に冠詞や前置詞を配置する習慣がある。だから基準となる単語よりも前からメロディーが始まる。このことを音楽理論の用語で弱起と呼ぶ。彼らの言語の発音には弱起があり、同様に彼らの元来もっている民謡にも複雑な弱起パターンが現れる。

日本語には冠詞や前置詞がないため発音するとき基準となる単語の前に入る音素がない。つまり弱起がない。同様に日本人が演奏する音楽には(地域によって大きな違いがあるが主に)弱起が現れない。

日本人は音楽を演奏する上で基準となる打点よりも早く音を入れる能力を持たない ─── これが縦乗りという現象だ。 海外の音楽と比べると日本の音楽はとても重苦しい。重苦しい言語を話す人たち、つまりそれ以上に軽快な音楽を知らない国の人にとって、それが重苦しいということに気がつくことは、とても困難なことだ。日本の音楽は海外の人にはとても重苦しく聞こえる。それは何故かというと基準となる打点(小節/拍の頭)よりも前に音が入る弱起を一切持たないことによる。

日本語は日本以外では通じない ─── 同様に日本の音楽は日本以外では理解されない ─── それは人の気持ちをズタズタに引き裂く残忍な見解だがそれが現実だ。

演奏能力の一方向性

海外の音楽では、基準打点よりも音素を前に入れる/後に入れるということが任意の選択肢として存在する。だから海外のミュージシャンは日本の音楽を模倣することができる。ところが日本のミュージシャンは、基準打点よりも音素を前に入れるという能力を持たない為、海外の音楽を模倣することができない。

ここに日本人の演奏能力の一方向性を指摘できる。

基準打点よりも遅れる罪悪感

縦乗りを克服しようとしている日本人はとかく、基準打点よりも音素を後に入れることに対して罪悪感をもってそれを一切封じてしまう傾向がある。これはこれほど厳しく自分を戒めない限り、必ずこの縦乗りという悪癖がまるで怨霊のように蘇ってきて自分の音楽を重苦しく呪い殺してしまうからでもある。日本人の縦乗りという強固な悪癖を克服することには堅い決死の覚悟が必要だ。

だがこれによって逆縦乗りとでも言うべき現象が起こる。演奏者が縦乗りを恐れるあまり、音楽から基準打点より遅いタイミングの音符が全てなくなってしまい全てが基準打点より早いタイミングの音符に変わってしまう現象だ。遅い音符ばかりということも違和感があるが、早い音符ばかりというのもそれはそれで違和感がある。

縦乗りの本質

縦乗りの本質は、基準打点より遅いタイミングしかないことだ。本来基準打点より遅い音も早い音も両方ともに現れるのが音楽のあるべき姿なのに、基準打点よりも遅い音ばかりが偏って現れる違和感が縦乗りだ。

基準打点より早いタイミングで演奏されるべき音符が常に遅いタイミングに変化してしまう。まるで「ワタチニポンチンアルヨ!トキヨカラテンチャノテキタアルヨ!(私日本人あるよ!東京から電車乗って来たあるよ!)」的に、そこにあるべき濁点がなくなり、そこに不要な半濁点があらわれる。そしてそこにあるべき拗音が消えてしまう。そしてその間違った発音が定着してしまい修正されない。これと同じ様に、早い音符で演奏されるべきなのにそれが消えてしまい、そこに不要な遅い音符が現れる。そして音楽全体が遅い音符でうめつくされてしまう ─── この早さ/遅さの偏りこそがこの縦乗りという訛りの本質だ。

遅い音符を恐れてはいけない

発音タイミングはひとつの言語であり、それは表現手段のひとつでしかない。音楽には遅い音符もあってよいし早い音符もあってよい。単に遅い音符ばかりに偏っていると音楽全体がメリハリなく重苦しくなり過ぎてしまうというだけの話だ。

だからもし縦乗りを克服できたならば、むしろ積極的に遅い音符を使って表現力の多様性を増やしていくべきだ。遅い音符で重苦しくなった雰囲気をバネにして早い音符の鋭さを強調していこう。早い音符での疲れを遅い音符によって癒やしていこう。

遅い音符の難しさ

遅い音符をもっともっと使っていこう ─── だがこれは飽くまでも縦乗りを克服した後の話だ。縦乗りを克服することなく遅い音符を使うと、その瞬間から早い音符に復帰できなくなる。言語野の切り替えが上手くいかなくなり、永遠に脱出できない悪夢の縦乗り空間へ引きずり戻されることになる。

そう、重苦しいグルーヴしない音楽で人々に踊ることを強制し、踊らない人を次々に捉えては延々「お前はジャズがわからないからダメなのだ!」と憑依し続ける。成仏スイングできないジャズ亡霊に取り憑かれた彼は、リスナから理解されない悔恨を「ジャズは難解だから仕方ないのだ!」「ジャズは難解だから仕方ないのだ!」と念仏のように言いきかせる餓鬼畜生うだつのあがらないジャズマンとして転生することになる。

その恐ろしい縦乗り無間地獄から解脱をする為の法 ─── それが念仏声出しカウントである。

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著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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