お金の矛盾
2010年01月29日21:01
お金=数学=論理
∵ お金はあくまでも数字で、だからお金という存在には、数学的で論理的な要素がある。
人間=非論理
∵ 一方、お金を使う人間は、あまり論理的な存在ではない。
人間はあまり論理的になりすぎると、あまり幸せになれない。
(お金がなくなる ⇒ 不幸になる)≠ ( お金がたくさんある ⇒ 幸せになる)
これは一つの事実だ。
ちなみに、上は四枚カード問題と呼ばれて人がよく間違える論理の一つでもある。
以上を持って、じゃぁどうやったら幸せになるのか、考えてみる。
ここには大きな矛盾がある。
∵ 論理=>不幸になる
∵ 非論理=>不幸になる
矛盾した結果が出てくる。
◇
ところで、僕は、論理が好きだ。 論理は面白い。 論理を勉強してきたのは、決してお金が欲しかった訳ではなく、面白かったからだ。
学歴が欲しいとか、色々言い訳はしてきたが、面白いから勉強したかった。 ま、もちろん、そうすることによって学歴が得られていい職業が得られる、という欲もあったが、それは実際あとになって、社会人になってから学歴を得ても得られる職業に大して変わりはないという、更に冷酷な事実とも直面することになる訳だが。
ともあれ、そういう論理好きという趣味は、あまり一般的な物ではない。 普通論理というものは、頭痛の種であり、人々を混乱と恐怖に陥れるものであり、ストレスの原因となる。
◇
ここに、大きな勘違いが生まれるような気がする。 「非論理的」であり「お金持ちである」というのは、現実的に、ありえない事だからだ。 たくさんの収入を得ようとする時、論理的であるということは、必要最低条件で避けられない。
もちろん、親からお金を相続した場合などは、その限りではないかもしれない。 だけど、お金というのは、ガソリンの様なものだ。 自動車を走らせることもできる便利なものだが、使い方を誤ると爆発してしまうこともある危険性も持つ。 労せず得たお金は、子供のナイフ遊びと同じような危うさを持っている。
◇
ひとつだけ例外がある。 普通、論理など無視して「バーーッ」とやると、実にすっきりするものだが、一般的に、結果は台無しになる。 ところが、結果など無視して、バーっとやった方が、実は結果が良くなることもある。 厳しい社会規範が矛盾の原因となっている時などが、それにあたる。 あとさき考えず、本能によって、怒りのちゃぶ台返しをすることにより、問題が意表をついて解決する事もある。 しかし、これもある意味ひとつの論理なのかもしれない。 論理的に考えて絶対に正しいと確信しているからこそ感じるストレスであって、論理的に考えていないまま爆発しても、物事は正しい方向に進まない。
◇
僕は日本とタイという二つの国をよく知るようになり、この二つの国は実に似ていることに愕然とする。 そして、まるで、陰と陽の様に、まったく逆の性質を持つということを、実に不思議な相似として感じる。
◇
以下の矛盾
∵ 論理=>不幸になる
∵ 非論理=>不幸になる
この矛盾は、日本、タイに、共通して現れる矛盾だ。
ただ、これの表出のしかたが逆なだけだ。
◇
この巨大な矛盾の突破点は、要するにオタク=「論理マニア」なのだと思う。 論理を頭痛の種と考えず、むしろそれで遊んでしまうという、発想だ。 実際、発展した国には、そういう論理マニアがたくさんいるし、そういう国では、そういう人は論理マニアとは呼ばれず、賢者と呼ばれる。
論理マニアをオタクと呼んで蔑む国に未来はない。
(実際、日本は、そういうマニアを賢者と見なす傾向を持つ人たちが存在する国だ。この傾向はアジアで唯一だと僕は思う。 だけど、日本が本当にいい国になる為には、まだまだ足りない。)
∵ お金はあくまでも数字で、だからお金という存在には、数学的で論理的な要素がある。
人間=非論理
∵ 一方、お金を使う人間は、あまり論理的な存在ではない。
人間はあまり論理的になりすぎると、あまり幸せになれない。
(お金がなくなる ⇒ 不幸になる)≠ ( お金がたくさんある ⇒ 幸せになる)
これは一つの事実だ。
ちなみに、上は四枚カード問題と呼ばれて人がよく間違える論理の一つでもある。
以上を持って、じゃぁどうやったら幸せになるのか、考えてみる。
ここには大きな矛盾がある。
∵ 論理=>不幸になる
∵ 非論理=>不幸になる
矛盾した結果が出てくる。
◇
ところで、僕は、論理が好きだ。 論理は面白い。 論理を勉強してきたのは、決してお金が欲しかった訳ではなく、面白かったからだ。
学歴が欲しいとか、色々言い訳はしてきたが、面白いから勉強したかった。 ま、もちろん、そうすることによって学歴が得られていい職業が得られる、という欲もあったが、それは実際あとになって、社会人になってから学歴を得ても得られる職業に大して変わりはないという、更に冷酷な事実とも直面することになる訳だが。
ともあれ、そういう論理好きという趣味は、あまり一般的な物ではない。 普通論理というものは、頭痛の種であり、人々を混乱と恐怖に陥れるものであり、ストレスの原因となる。
◇
ここに、大きな勘違いが生まれるような気がする。 「非論理的」であり「お金持ちである」というのは、現実的に、ありえない事だからだ。 たくさんの収入を得ようとする時、論理的であるということは、必要最低条件で避けられない。
もちろん、親からお金を相続した場合などは、その限りではないかもしれない。 だけど、お金というのは、ガソリンの様なものだ。 自動車を走らせることもできる便利なものだが、使い方を誤ると爆発してしまうこともある危険性も持つ。 労せず得たお金は、子供のナイフ遊びと同じような危うさを持っている。
◇
ひとつだけ例外がある。 普通、論理など無視して「バーーッ」とやると、実にすっきりするものだが、一般的に、結果は台無しになる。 ところが、結果など無視して、バーっとやった方が、実は結果が良くなることもある。 厳しい社会規範が矛盾の原因となっている時などが、それにあたる。 あとさき考えず、本能によって、怒りのちゃぶ台返しをすることにより、問題が意表をついて解決する事もある。 しかし、これもある意味ひとつの論理なのかもしれない。 論理的に考えて絶対に正しいと確信しているからこそ感じるストレスであって、論理的に考えていないまま爆発しても、物事は正しい方向に進まない。
◇
僕は日本とタイという二つの国をよく知るようになり、この二つの国は実に似ていることに愕然とする。 そして、まるで、陰と陽の様に、まったく逆の性質を持つということを、実に不思議な相似として感じる。
◇
以下の矛盾
∵ 論理=>不幸になる
∵ 非論理=>不幸になる
この矛盾は、日本、タイに、共通して現れる矛盾だ。
ただ、これの表出のしかたが逆なだけだ。
◇
この巨大な矛盾の突破点は、要するにオタク=「論理マニア」なのだと思う。 論理を頭痛の種と考えず、むしろそれで遊んでしまうという、発想だ。 実際、発展した国には、そういう論理マニアがたくさんいるし、そういう国では、そういう人は論理マニアとは呼ばれず、賢者と呼ばれる。
論理マニアをオタクと呼んで蔑む国に未来はない。
(実際、日本は、そういうマニアを賢者と見なす傾向を持つ人たちが存在する国だ。この傾向はアジアで唯一だと僕は思う。 だけど、日本が本当にいい国になる為には、まだまだ足りない。)
コメント一覧
おかあつ 2010年01月29日 21:34
この日記には、たくさんの裏話がある。
追って書いてみようと思う。
追って書いてみようと思う。
vlinder@りる☆ 2010年01月29日 21:43
今回も大変興味深く読ませていただきました。
裏話も期待して待ってます!
裏話も期待して待ってます!