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2010年1月22日金曜日

「考えない方がいい」 (mixi05-u459989-201001221330)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
「考えない方がいい」
2010年01月22日13:30
2010/01/22 02:35:32 +0700

以前、コミュニティーで、コラート語について話が出たことがあった。 コラート語というのは、イサーン南部であるナコンラチャシマー県、通称コラートと呼ばれる街で話されるイサーン語の一つだ。 タイでイサーン語と言えば、通常ラオ語(ラオス語)の事を指す。 しかしイサーン語というのはイサーン地方で話される言葉という漠然とした言い方でしかなく、実際にはイサーン地方では色々な言葉が話されている。 だが、イサーン地方でもっともよくはなされている言葉はラオ語なので、便宜上、イサーン語というと一般的にはラオ語の事を指す。 とはいえ、実際にはイサーン地方で利用されている言葉は、僕が知っているだけでも7つもある。

僕が居るウドンタニーやノンカイでは、コラートで使われているこの言葉の事を「中央語=パーサーカーン」とか「コラート語=パーサーコラート」と呼ぶ。 僕はコラートに実際に降り立って歩いたことがないので、ひょっとしたら、このコラートでは違う呼び方がされているんじゃないか、という事を思っていた。

今日たまたま知り合ったコラートの人にこのことを聞いてみた。 そうしたら、大変な事を知った。 実はパーサーコラートにも3つ(またはそれ以上?)の種類があるんだそうだ。 そのみっつは、それぞれ、タイドゥン・クンウーイ・クンドゥンと呼ばれるらしい。

その内のひとつは「パーサーヤーモー」とも呼ばれるという。 (それがどれだったか忘れてしまった)

ヤーモーというのは、コラートで英雄とされている女性の名だ。 ヴィエンチャン王国がバンコックに侵攻した際、ヤーモーのたくみな戦術によって、ヴィエンチャン軍を壊滅させたという歴史がある。 こうしてヴィエンチャン王国は滅びて、ラオスはタイの属国となり、ヤーモーはタイでは英雄となった。 一方、ヤーモーはビエンチャンでは今なお裏切り者として忌み嫌われているらしい。

ヤーモーはイサーン人とされているのだが、僕はこのヤーモーという人があまりラオっぽくない、ということをかなり昔から思っていた。 有名な伝説を読んでみると、ヤーモーの行動は、普通のラオの人が取る行動とはてんでかけ離れているからだ。 とてもラオの人がする技とは思えなかった。 パーサーヤーモーと呼ばれるラオ語ともタイ語とも違う言葉の存在は、つまりヤーモーは実はラオ語を話さないということと同義でもあるのではないだろうか。 これはつまり、ヤーモーはイサーンだがラオじゃないのではないか、ということだ。

ちょっとその言葉のひとつを話してもらったら、何言ってるか、全然訳わからない。 かなり違う。 タイでとてもポピュラーな挨拶に「ご飯食べた?」という言い方がある。 タイ語だと「キンカーウルヤーン?」という。 ラオ語では「キンカーウパイ?」という。 パーサーコラートでは( それがみっつあるパーサーコラートの内のどれかを聞き忘れたのだけど)キンカウフヤンというらしい。 ラ行がハ行に変わるのはラオ語の特徴だけど、パーサーカーンでは、ラ行をハ行に変えているのに、単語はタイ語のままだということが、ここからわかる。 ちなみに「アライコ」とか「タウライコ」(語尾のコはラオ語だけど他はタイ語のまま)という、僕がパーサーカーンだと思っていた言い方について尋ねてみたら、それはパーサーカーンではないという。


イサーン語には、僕が知るかぎり、「パーサーラオ(ラオ語)」の他、プータイ族の「パーサープータイ」 「パーサーカメーン(クメール語)」「パーサースワイ(クメール語の一種?)」に加え「パーサータイドゥン」「パーサークンウーイ」「パーサークンドゥン」に加えもあるということが、ここで明かになった。 恐らく、僕が知らないだけで、他にもいっぱいあるのだろう。

もちろん、この国に住む人は必ずタイ語を話す。 だけど、みなタイ語がネイティブじゃない。 僕は外人なのに下手をするとタイ人よりもタイ語がうまい事があるが、だからなのだ。 (このことを知らずにいると大変な問題を引き起こす。 タイ人より外人の方がタイ語がうまいなんて、タイに住むタイ人にとっては到底認めがたい事柄だ。よって、全力で僕のタイ語のあら探しを始める。 これに反論しては絶対にいけない。反論しても余計エスカレートさせるだけだ。)



しかし、この国はムチャムチャだ。 こんなにいろいろな文化がゴチャゴチャにひとつの国にひしめいている国って、他にあるだろうか。 これだけたくさんの人がみんなで違う事を考えて、同じ国に住んでる。

何か困ったことがあると、タイの人はよく「マイキットディークワー(考えないほうがいい)」という。 これをある著名なタイ語の先生は「すべての思考を放棄してしまうすごい言葉だ」といってバカにしていたけど、こんなにたくさん文化があると、本当に考えてもしかたがない。 どんなにたくさん考えても、違う文化系の人とのあいだでは絶対に理解し合えない。 日常的に違う文化圏と激しくぶつかりあっているので、考えてばかりいると、本当に病気になってしまう。

僕等は当たり前の様に日本に住んでおり、少なくとも「お金を大切にしなきゃ」という考え方ぐらいは共通している。 日本では、江戸時代ぐらいから経済が発展してきているので、お金という物に対してある程度歴史の長さがある。 ところがタイはそうではないのだ。 今の今まで、お金と言うものを持たずに何百年も過ごしてきた人達がたくさんいるのだ。

このタイという国には「お金は大切じゃない」という風に考えている人が、たくさんいる。 タイには「お金より愛が大切」という内容の映画があるのだそうだが(僕は見たことがないのだけど、สตางค์ サタンという名前の映画がそういう内容なんだそうだ。) 僕はこの映画の存在を知ったとき、「あぁやっぱりお金より愛が大切だよな!」という感慨めいた印象は持たなかった。 どちらかというとちょっと怖かった。 何故か。 僕はこう考える。

お金は人を幸せにはしない。 幸せにする事はできないけど、お金の欠乏は人を不幸にする。 これはひとつの真実だ。 だから、少なくとも不幸にならないように、人生を「経営」しないといけない。完璧でなくても良い。 最低限でよいのだ。 ところが、そういう最低限のお金の管理の方法すら知らない人がこの国にはたくさんいる。 お金の使い方を知らないばかりに、自ら大変な不幸を作り出してしまい苦しんでいる人を、僕はこれまでたくさん見てきた。 そういう経済的に未分化な人が「お金は大切じゃない」という風に言っているのをみると、僕は正直、怖い。

コメント一覧
おかあつ   2010年01月22日 17:05
>ところが、そういう最低限のお金の管理の方法すら知らない人がこの国にはたくさんいる。

ここんところにちょっと説明が必要だけど、無駄遣いするならともかく、下手すると、持っているお金を理由なくみんな人にあげちゃったりする。 日本ではまったくお話にならない様なレベルなのだ。 それだけでなく、全然お金にならないことに投資したり、リスクや経費をまったく考えないで、持金全額投資したりしちゃう。 本当に問題外のレベルなんだよね...。

それがしかも、伝統や習慣や、体面・メンツと密接に絡み合っていて、止めることがとても難しい。

さてなぁ...。
 
出展 2010年01月22日13:30 『「考えない方がいい」』