何で最近インターネットが面白くないのか
2008年01月15日12:01
最近ネットが面白くない。 何故だろう。 最近、それが何故なのかなのかよく考える。
☆ レベルの高低というのは必ず生じる。
基本的に人間に上下などは存在しない。 しかし、ある特定の技術等々の物事に限って言う限り、その人自身のレベルの高い低いというものは必ず存在する。価値観を一つに特定している以上 「まぁ人それぞれだから... 」「その人の考え方だから...」というような個人の問題として片付ける事は出来ない。
☆ レベルの低い奴ほど良くしゃべる。
そういう意味でみたとき、レベルが低い人ほどよくホームページを作るような気がする。 インターネット以前では情報発信が手軽ではなかったため、情報を発信する時にはある程度の高さをもった気概というものが必要だったが、今は気概は必要なく手軽に情報を発信できるようになってしまった。 この手軽さが裏目に出て、レベルが低い人の発信する質の低い情報が氾濫してしまっている。
☆ そもそも レベルが高い人は少ない
そういう膨大な質の低い情報の大海の中で、レベルが高い人のつぶやきを探し出すのは、もはや大海の中の砂粒を探すがごとき極めて困難な作業と化している。 つまり、インターネットユーザー全員が「スターの卵発掘スカウト」と同じレベルの困難な作業を求められている。
☆ 住み分けが無い
レベルの高い人は、レベルの低い人に近づきたがらない。 レベルの低い人は、往々にしてとても暴力的なことが多く、折角正しいことを発言しても、大衆の原理によって無残にも踏みにじられてしまう危険性が高いからである。 往々にしてレベルの低い人は自分自身の問題を直視する能力に欠けるタイプが多く、周囲の人間に対して無差別に無責任な批判を繰り返すことで自我を保とうとする習性を持つ人が多い。 ( 自身の問題を直視する能力を持つ人は、往々にしてそれを直視することの難しさを良く知っているので人をむやみに批判したりはしないものである。 )
折角クリエイティブで微妙なニュアンスを持つ豊かな作品を作り上げる雰囲気を醸造していても、このタイプが一人でも居れば、場は荒れ、折角の雰囲気は破壊しつくされてしまう。 問題は、世の中で情報発信したがる人のほとんどが前述のタイプに相当することだ。
元々高い創造性を発揮できる人を2人以上集めるというのは、とても困難な作業なのだ。 インターネット以前ではその解決策として「サロン」等々というものが存在したものだが、今のインターネット時代、サロンに相当するような、その問題をはっきりと意識したソリューションを持ったシステムが存在しない。
☆ 報酬が低すぎる。
ある程度レベルの高い情報を発信するためには、やはりどうしても 費用というものがかかるものである。 特に芸術や文学、ジャーナリズムは、高いレベルを求めれば当然それ相応の費用がかかっていく。 この費用を償却できるような安定した収入を得られるビジネスモデルが確立していない。 クリエーターは、安心して創作活動に打ち込める状況とは程遠い状況に住んでいるというのが実情である。
☆ コラボレーションを行うためのシステムが皆無
一人で出来る事というのは限られている。 にも関わらず、 誰かが日記を書いてそれを誰かが校正する、もっとも単純なコラボレーションを含む作業を行うツールでさえ、世の中に無いのが現状である。 またあったとしても、データの互換性が低すぎて本格的な運用には到底耐えられない。
また、更に、プロデューサー的な作業を行うためのツールにいたっては、絶望的な状況である。 特に、クリエーターが極めてずば抜けた才能を持つ反面、口下手で社交的でないということは稀ではない。 こういう人達の足りない能力を補間して活躍できるためのお膳立てをするのがプロデューサーの役目だが、インターネットにはそんなシステムなどあるわけが無い。
レベルの高い人は、マイルスデイビスが自叙伝で語っているような 「クリエイティブな羞恥心」を持っている人が多く、もともとあまり自分を他人に見せたがらないものである。 また語り下手である場合も少なくない。 今のインターネットには、この人たちを保護するシステムが全くない。
◇ ◇ ◇
⇒ 結果的にしゃべるばかりでこれといった特筆するような能力を持たない人ばかりがインターネットに氾濫するのではないか。
僕も口が悪いかもしれないが、これはある程度事実じゃないだろうか。
皮肉なもんで、こういう文章を読んで「これ、自分のことだよ!やべぇな!」 とか思って自信を失って萎縮してしまいがちなタイプの方が実際にクリエイティブな素質を持っていることが多くて、「いや自分はそんなことねぇなぁ」とか思って聞く耳もたない人のほとんどが害悪を撒き散らしているタイプなんだよな...。
僕の友達の99%は前者だと思う。 頑張ってほしいんだよ、ホント。
☆ レベルの高低というのは必ず生じる。
基本的に人間に上下などは存在しない。 しかし、ある特定の技術等々の物事に限って言う限り、その人自身のレベルの高い低いというものは必ず存在する。価値観を一つに特定している以上 「まぁ人それぞれだから... 」「その人の考え方だから...」というような個人の問題として片付ける事は出来ない。
☆ レベルの低い奴ほど良くしゃべる。
そういう意味でみたとき、レベルが低い人ほどよくホームページを作るような気がする。 インターネット以前では情報発信が手軽ではなかったため、情報を発信する時にはある程度の高さをもった気概というものが必要だったが、今は気概は必要なく手軽に情報を発信できるようになってしまった。 この手軽さが裏目に出て、レベルが低い人の発信する質の低い情報が氾濫してしまっている。
☆ そもそも レベルが高い人は少ない
そういう膨大な質の低い情報の大海の中で、レベルが高い人のつぶやきを探し出すのは、もはや大海の中の砂粒を探すがごとき極めて困難な作業と化している。 つまり、インターネットユーザー全員が「スターの卵発掘スカウト」と同じレベルの困難な作業を求められている。
☆ 住み分けが無い
レベルの高い人は、レベルの低い人に近づきたがらない。 レベルの低い人は、往々にしてとても暴力的なことが多く、折角正しいことを発言しても、大衆の原理によって無残にも踏みにじられてしまう危険性が高いからである。 往々にしてレベルの低い人は自分自身の問題を直視する能力に欠けるタイプが多く、周囲の人間に対して無差別に無責任な批判を繰り返すことで自我を保とうとする習性を持つ人が多い。 ( 自身の問題を直視する能力を持つ人は、往々にしてそれを直視することの難しさを良く知っているので人をむやみに批判したりはしないものである。 )
折角クリエイティブで微妙なニュアンスを持つ豊かな作品を作り上げる雰囲気を醸造していても、このタイプが一人でも居れば、場は荒れ、折角の雰囲気は破壊しつくされてしまう。 問題は、世の中で情報発信したがる人のほとんどが前述のタイプに相当することだ。
元々高い創造性を発揮できる人を2人以上集めるというのは、とても困難な作業なのだ。 インターネット以前ではその解決策として「サロン」等々というものが存在したものだが、今のインターネット時代、サロンに相当するような、その問題をはっきりと意識したソリューションを持ったシステムが存在しない。
☆ 報酬が低すぎる。
ある程度レベルの高い情報を発信するためには、やはりどうしても 費用というものがかかるものである。 特に芸術や文学、ジャーナリズムは、高いレベルを求めれば当然それ相応の費用がかかっていく。 この費用を償却できるような安定した収入を得られるビジネスモデルが確立していない。 クリエーターは、安心して創作活動に打ち込める状況とは程遠い状況に住んでいるというのが実情である。
☆ コラボレーションを行うためのシステムが皆無
一人で出来る事というのは限られている。 にも関わらず、 誰かが日記を書いてそれを誰かが校正する、もっとも単純なコラボレーションを含む作業を行うツールでさえ、世の中に無いのが現状である。 またあったとしても、データの互換性が低すぎて本格的な運用には到底耐えられない。
また、更に、プロデューサー的な作業を行うためのツールにいたっては、絶望的な状況である。 特に、クリエーターが極めてずば抜けた才能を持つ反面、口下手で社交的でないということは稀ではない。 こういう人達の足りない能力を補間して活躍できるためのお膳立てをするのがプロデューサーの役目だが、インターネットにはそんなシステムなどあるわけが無い。
レベルの高い人は、マイルスデイビスが自叙伝で語っているような 「クリエイティブな羞恥心」を持っている人が多く、もともとあまり自分を他人に見せたがらないものである。 また語り下手である場合も少なくない。 今のインターネットには、この人たちを保護するシステムが全くない。
◇ ◇ ◇
⇒ 結果的にしゃべるばかりでこれといった特筆するような能力を持たない人ばかりがインターネットに氾濫するのではないか。
僕も口が悪いかもしれないが、これはある程度事実じゃないだろうか。
皮肉なもんで、こういう文章を読んで「これ、自分のことだよ!やべぇな!」 とか思って自信を失って萎縮してしまいがちなタイプの方が実際にクリエイティブな素質を持っていることが多くて、「いや自分はそんなことねぇなぁ」とか思って聞く耳もたない人のほとんどが害悪を撒き散らしているタイプなんだよな...。
僕の友達の99%は前者だと思う。 頑張ってほしいんだよ、ホント。
コメント一覧
クレ 2008年01月15日 23:11
>にしゃべるばかりでこれといった特筆するような能力を持たない人ばかりがインターネットに氾濫するのではないか。
作品を読む側のお客さんが、感想書いているとか、講義を受けた学生のレポートとか・・・そういう世界ってことではだめでしょうか。自分のことはそういうイメージで見ているんですが。
作品を読む側のお客さんが、感想書いているとか、講義を受けた学生のレポートとか・・・そういう世界ってことではだめでしょうか。自分のことはそういうイメージで見ているんですが。
bobcat 2008年01月16日 01:42
> 往々にしてレベルの低い人は自分自身の問題を直視する能力に欠けるタイプが多く、
> 周囲の人間に対して無差別に無責任な批判を繰り返すことで自我を保とうとする習性を持つ人が多い。
リアルではもっとそうですよ,「すべてが主観」って人,客観ってのがありえなくて「根拠のないプライド」ばっかり高いのヽ(`Д´)ノ
> 結果的にしゃべるばかりでこれといった特筆するような能力を持たない人ばかりがインターネットに氾濫するのではないか。
「何かを表現したい」「大声で発言したい」なんてことがないのでHPとかblogはやりませんにゃあ。
リアルで言いたいことははっきりゆーてるし。
> 周囲の人間に対して無差別に無責任な批判を繰り返すことで自我を保とうとする習性を持つ人が多い。
リアルではもっとそうですよ,「すべてが主観」って人,客観ってのがありえなくて「根拠のないプライド」ばっかり高いのヽ(`Д´)ノ
> 結果的にしゃべるばかりでこれといった特筆するような能力を持たない人ばかりがインターネットに氾濫するのではないか。
「何かを表現したい」「大声で発言したい」なんてことがないのでHPとかblogはやりませんにゃあ。
リアルで言いたいことははっきりゆーてるし。
おかあつ 2008年01月16日 10:50
昨日書いたコメントが消えてる... (-_-;;
何か友達が最近 mixiが不安定だって言ってたけど...
◇
クレさん、
>作品を読む側のお客さんが、感想書いているとか、講義を受けた学生のレポートとか・・・そういう世界ってことではだめでしょうか。
もちろんそれでいいのだと思います。 読書感想文を書くというのも一つの立派な使い方です。 学生のレポートもとても有意義な利用法です。 しかし、この文章はそれとはまた違ったことがらについて話しています。 元々この文章の発想は、雑誌・ラジオ・テレビで当たり前にやっているような作品を作って発表するという作業を、何故インターネットだけで自立して出来ないのだろうかという苛立ちから来ています。 インターネットって言うのは、現状では、一定以上の技術レベルを持つ人にはとても魅力がないメディアなのだと思うのです。 それが何故なのかを書いたのか上記の文章です。
今、インターネットで作品を公開している人は、玉石混在です。 僕はよくこういう言い方をするのですが、データって言うのは整理されてすぐに使える状態になっていなければ削除してしまったのとなんら変わらないと思うのです。 だからせっかっくインターネットで作品を公開しても、知っている人にしか見てもらえないという状況で、僕に言わせれば、これでは今のインターネットは正しく機能しているとはいえないと思っています。 それに対して無知なプログラマに対する苛立ちを表明した文章が上記の文章です。
◇
少し前まで、ネットで技術系のことを書いている人は、とてもレベルが高いものでした。 メーリングリストでの討論が盛んで、規律があってしまった議論が繰り返されていました。 規律にルーズな人が居ると、必ず説教ジジイみたいなユーザーが来て説教されたりしましたし...。 そういう人は嫌われてはいましたが、排除はされませんでした。 その場での必要性を認められていたからです。 そうやって建設的な話し合いをする場が醸造されていたように思うのです。
でも近頃、ネットで技術系の面白い事を書く人はごく稀になってしまいました。 それもある意味、そういう「ユーザー数の爆発的な増加に対応し切れていないシステムによる時代の流れ」 によるものなのかな、と思います。
◇
bobcatさん、
>リアルではもっとそうですよ,「すべてが主観」って人,客観ってのがありえなくて「根拠のないプライド」ばっかり高いのヽ(`Д´)ノ
そうですね(^-^) でも、リアルだったら、僕の場合、にらみつけたり、怒鳴りつけたり、きっつーい嫌味を言ったり、ハリ倒したりと色々便利な対処法(^-^;;;がありますので、それらを駆使して、どうにかしのいでいます。
でもネットだと相手は無数に居ますし、むかついても殴れません。 逆に逆ギレされて匿名集団が来て炎上してしまったりします。 殴るどころか説教も出来ません。 ある意味、建設的な行動が取りづらい状況じゃないか、と僕は思います。
僕は何かを表現したいとか、大声で発言したいと思う方ですが、BLOGはどうも好きになれません。 あの悪魔も天使も共存する暴力的なあの場がどうしても好きになれないのです。 建設的な雰囲気とはお世辞にもいえません。
またシステム的にも負荷が高く、遅く、データの互換性が低く、使う気になれないのです。
何か友達が最近 mixiが不安定だって言ってたけど...
◇
クレさん、
>作品を読む側のお客さんが、感想書いているとか、講義を受けた学生のレポートとか・・・そういう世界ってことではだめでしょうか。
もちろんそれでいいのだと思います。 読書感想文を書くというのも一つの立派な使い方です。 学生のレポートもとても有意義な利用法です。 しかし、この文章はそれとはまた違ったことがらについて話しています。 元々この文章の発想は、雑誌・ラジオ・テレビで当たり前にやっているような作品を作って発表するという作業を、何故インターネットだけで自立して出来ないのだろうかという苛立ちから来ています。 インターネットって言うのは、現状では、一定以上の技術レベルを持つ人にはとても魅力がないメディアなのだと思うのです。 それが何故なのかを書いたのか上記の文章です。
今、インターネットで作品を公開している人は、玉石混在です。 僕はよくこういう言い方をするのですが、データって言うのは整理されてすぐに使える状態になっていなければ削除してしまったのとなんら変わらないと思うのです。 だからせっかっくインターネットで作品を公開しても、知っている人にしか見てもらえないという状況で、僕に言わせれば、これでは今のインターネットは正しく機能しているとはいえないと思っています。 それに対して無知なプログラマに対する苛立ちを表明した文章が上記の文章です。
◇
少し前まで、ネットで技術系のことを書いている人は、とてもレベルが高いものでした。 メーリングリストでの討論が盛んで、規律があってしまった議論が繰り返されていました。 規律にルーズな人が居ると、必ず説教ジジイみたいなユーザーが来て説教されたりしましたし...。 そういう人は嫌われてはいましたが、排除はされませんでした。 その場での必要性を認められていたからです。 そうやって建設的な話し合いをする場が醸造されていたように思うのです。
でも近頃、ネットで技術系の面白い事を書く人はごく稀になってしまいました。 それもある意味、そういう「ユーザー数の爆発的な増加に対応し切れていないシステムによる時代の流れ」 によるものなのかな、と思います。
◇
bobcatさん、
>リアルではもっとそうですよ,「すべてが主観」って人,客観ってのがありえなくて「根拠のないプライド」ばっかり高いのヽ(`Д´)ノ
そうですね(^-^) でも、リアルだったら、僕の場合、にらみつけたり、怒鳴りつけたり、きっつーい嫌味を言ったり、ハリ倒したりと色々便利な対処法(^-^;;;がありますので、それらを駆使して、どうにかしのいでいます。
でもネットだと相手は無数に居ますし、むかついても殴れません。 逆に逆ギレされて匿名集団が来て炎上してしまったりします。 殴るどころか説教も出来ません。 ある意味、建設的な行動が取りづらい状況じゃないか、と僕は思います。
僕は何かを表現したいとか、大声で発言したいと思う方ですが、BLOGはどうも好きになれません。 あの悪魔も天使も共存する暴力的なあの場がどうしても好きになれないのです。 建設的な雰囲気とはお世辞にもいえません。
またシステム的にも負荷が高く、遅く、データの互換性が低く、使う気になれないのです。
クレ 2008年01月17日 00:36
まとはずれ覚悟でコメント書いてよかったです。
レス読んで多少おかあつさんの書いている内容を理解できたかもです。
レス読んで多少おかあつさんの書いている内容を理解できたかもです。
おかあつ 2008年01月17日 00:48
>まとはずれ覚悟でコメント書いてよかったです。
クレさんのような的確な「まとはずれ」コメントは、とてもありがたく感じています。 「まとはずれ」な事をいわれる、ということは、当然そこに僕が書き忘れている何かがあるわけで、その何を書き忘れたのかを見せつけられる思いで、いつもハッとさせられています。
是非また「まとはずれ」なコメントをお願いします。
クレさんのような的確な「まとはずれ」コメントは、とてもありがたく感じています。 「まとはずれ」な事をいわれる、ということは、当然そこに僕が書き忘れている何かがあるわけで、その何を書き忘れたのかを見せつけられる思いで、いつもハッとさせられています。
是非また「まとはずれ」なコメントをお願いします。