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2007年5月10日木曜日

サバイチャイに死す (mixi05-u459989-200705100812)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
サバイチャイに死す
2007年05月10日08:12
正直、精神的にキツイ。

イサーン人※1と仕事するのは、きついだろうとは思っていたが、どうにかなるだろうと思っていた僕が間違っていた。 実にキツい。

仕事とかそういう制約がなくイサーン地方で過ごすだけであれば、ものすごく快適な生活が出来る。 全てはあなた次第。 してはいけない事は無い。 それだけは、間違いが無い。

ところが、仕事をするとなると、実にストレスが溜まる。

だってさー、

見ていて、

「あなた、このまま行けば、絶対死ぬよ? それじゃ、困るでしょ?」
「大丈夫だから! 何も心配しないでね!」
「何で?」
「大丈夫だから! 心配しないで、遊んだりなんかおいしいもの食べたりしてリラックスしてよ!」
「何で大丈夫なの?」
「いいからいいから!」

僕は、タイ人じゃない。 日本人だ。 そういう風に言われると余計心配になる。 実際、そうやって言われて、本当に大丈夫な時と、全然大丈夫じゃない時とあるので、放っておけない。

だから、現実はどうなのかをきちんと見分ける必要がある。

ところが、ココで第二の壁に当たる。 イサーン人というのは「説明する」ということのなんたるかを知らないのだ。

もちろん、説明する=アティバイ という言葉はある。 だが、このアティバイというのは、「大丈夫だから、心配しないで!」といって気持ち的に納得させることであって、「今日の売り上げは9000バーツ、利益は2000バーツは出ているから、今月末の20000バーツの出費までは何とかなるよ」 と言ったような、具体性のある日本語でいうところの「説明」とは、随分と趣の異なるものみたいだ。

だから、現実をコントロールするのが、極めて困難になる。

ところが、今のこのホテル※の経済的状況は、結構、深刻な状況であるらしいことがわかっている。 深刻でないとしたらその理由が知りたいのだ。

※以前も書いたけど、こないだから僕は一年以上長期滞在していたホテルで経営を任されることになった




ところで、イサーン人同士であれば、この問題は起こっていないような気がする。 起こっているときもあるのだけど、僕が得ている情報よりももっと具体的な情報を持っているように見える。

これが、正にイサーン人が人を苛立たせる特徴的なところで、イサーン人以外は、カヤの外なのだ。

繰り返すけど、僕はタイ語を話している。 英語もイサーン語も話してない。

A:「ねーねー○○やってくれない?(タイ語)」
C:「ねーねー△△やろうよ!(イサーン語)」
B:「わかったー!△△ねー(イサーン語)」

という事になると、必ず僕の発言は無視される。

常に、優先順位は、英語<タイ語<イサーン語 なのだ。

これも、ものすごくストレスが溜まる。



タイ人でもイサーン人が嫌いな人は少なくない。タイ国内で、イサーン人は頭が悪い、というのが通説になっていて、イサーン人が何を言おうと、ほとんど取り合う人はいない。 それは、正に、今の僕の状況と同じだけでなく、タクシンを取り巻く政治状況とも等しい。 イサーン人というのは、タイで一番人口が多いグループなのだ。 選挙をすれば、当然、イサーン人が考えたとおりに政治は運営される。 ところが、イサーン人というのは、多分に今僕が言っているような性質があって、はっきりいって彼らと論理的な会話は成立しないのだ。 ここが、ちょー問題だ。 彼らに政治の運営といったミッションクリティカルなことを任せると、大変な事になる。


論理的じゃなくて構わなければ、非常に友好的で気持ちの良い人たちなんだけど、そういうなんと言うか、クリティカルなこと...例えば、

  「ねぇねぇ! このまま行くと、俺たち死ぬんだけど ... 」
  「いいからいいから」
  「でも、多分、良くないよ!」
  「まーのんびりいこーや」
  「まずいって、だって ×××は20%で △△△は20000、って事は、○○○が -3000 になるでしょ...云々... まずいって!」
  「大丈夫だよ。」

っていう感じのことになると、正に「死ぬまで」問題に真剣に取り組まないので、大変な事になる。



で、思うんだけど...

ここウドンタニーには、中国人が多い。 彼らは、そんな中にあって、ここで商売して繁盛している。

イサーン系と比べると、実にフレンドリーさに欠ける彼ら。非常に感じが悪い。 だが、彼らが何でああやって感じが悪くなるのか、僕は、なんだか最近理解できる様な気がしてきた。 イサーン人と約束を交わすのは、非常にメンドクサいからじゃないだろうか。



彼らイサーン人は、「問題の報告義務」という観点が無い。

僕は、いつもこういう。

「1+1は、2だ。 それは、どんなに頑張ろうと、どんなにいくつしもうと、どんなに愛しても、どんなに卑下しても、どんなにいじめても、どんなに放任しても、1+1は2だ。 だから、問題があったら頼むから率直に言ってくれ。」

と。

ところが、いつもいつも、問題が起こると、それを言わないでまず隠そうとする。 それで結果が出てしまった後で「こーんなにがんばったのに、こういう問題が起きちゃいました」というように過去形で説明する。 そして、どれだけその問題に対して頑張ったのかを説明する。 これが日本人的にはとても困る。

判断が正しければ任せてもいいのだけど、その頑張り方が、実に体育会系というか具体性を外したもので、「頑張ってもいいけど、その方向じゃないつーの」と突っ込みを入れたくなる。

例えば...

B:「昨日、ビールの在庫が切れて売り上げが落ちちゃいました。 凄く頑張ったのですが...。」
A:「ビールの在庫は、どんなに頑張っても切れるツーの。切れてもいいから先に言えよ。 お前は魔法使いか。」


でも、これは、ちょっと、理由があるようだ。 なんというか、これは、どうやら、中国人の商慣行の影響であるようなのだ。 日本人的には経営者の責任で行動したのであれば、どんな失敗が起こっても経営者が負うものだけど、ウドンの中国人はそうではないようだ。

ここウドンでは、イサーン人は一から十までお気楽主義なので、商売のトップになることはまずない。 だから、ほとんどの場合、中国人がトップを受け持つ事になる。

ところが、中国人というのは、ここがセコいというか、キツイというか、全ての責任を従業員に押し付けるところがあるのだ。

一番単純なところで行くと、客が食い逃げしたら、従業員が責任を持つことだ。 従業員の給料からてんびきされる。 これは、最初に見たとき、相当驚いた。 それは、普通対策を怠った経営者の責任になると思うんだけど、そうはならない。 ちゃんと働かなかった従業員に責任が転嫁される。 だから、中国人が経営する店の従業員は、往々にしてピリピリしていて非常に感じが悪い。

当然、経営者は、虫の様に嫌われる。

でも、ひょっとしたら、これこそが、イサーン人と仕事をする秘訣の一種なのかもしれない。 中国人は、この地に渡ってきて数百年たっていると思うんだけど、そういう中でつちかわれたバランスなのかもしれない。 そうでもしないと、イサーン人の従業員は仕事に真剣にならないからだ。

従業員からは嫌われるが、恐らく、仕事をする上だけであれば、そうしてしまうのが一番ラクだ。 気持ち的に。



まー...

僕もこのホテルに大枚150000バーツちょっと投資してしまった。 この額は、タイでは、ちょっとしたお金だ。 感覚的には200~300万円ぐらいな感じがする。 このお金で従業員10人分の給料を払い、光熱費を払い、全てを賄う。 僕もこの地で慣れて、何でそんな大金を投資したのかわからないような感じがしてくる。

...が、日本円にするとたったの40万円なんだよな...。

でも、それは確かに、物価から比べれば安いけど、でも日本で40万円貯金するのは、簡単じゃないよね。 この金銭感覚への責任感の違いが、しんどい。



とにかく、イサーン人を頭ごなしにしかりつけるのは、一番良くない。

日本人としては、禅や武士道の考え方を適用して、正に「死んでもサバイチャイ※2」を死守することが大切なのかもしれない。

「タイに住む日本人たるもの、死してもサバイチャイの精神を忘れる事勿れ」

うん、なんか、これが一番しっくり来るな。


「武士たるもの、サバイチャイの為に生き、サバイチャイのために死す。これこそ本望。」

(終わり)

※1イサーン人= タイ東北人。 実際には、タイ東北人というのは、歴史的にはタイ人ではなく1828年にあった政変以前はラオス人だった。 普段はラオス語を話し、文化的にも75%ぐらいはラオス人。 でもイサーン人はタイの影響が非常に強く、完璧にラオス人かというと、それはそうでもない。

※2サバイチャイ=心配事※3が無くリラックスしてのんびりして快適な精神状態でタイ人の一つの理想。(『理想』という言葉を使っていいのかわからないけど日本人的にはそう。)

※3 ここでいう「心配事が無い」というのは、必ずしも本当に心配事が無い必要は無くて、心配事があっても心配しない事を指す。らしい。

例えば、座禅で比べると、タイの座禅の目的は、日本の座禅と随分違うみたいだ。 日本の座禅文化=集中力を高めるとか武道に応用するとかいうすごく覚醒的な座禅とちがい、タイの座禅はとても麻酔的だ。 問題があっても気持ちを落ち着けて、問題がまるで無いかのように感じられることが目標の一つであるらしい。


しかし、似たような文化でも、ずいぶんちがうものだ。


コメント一覧
ねこ☆ミ。   2007年05月10日 22:34
イサーン人と仕事をするのは大変そうですね

心配しないというのは、体によさそうですが、
心配性の私としては、それだけで心配です。

イサーン人のプログラマーがいたら(いるのだろうか?)、
プログラムが完成しそうに無いですね
おかあつ   2007年05月11日 00:21
>イサーン人のプログラマーがいたら(いるのだろうか?)

これは、やっぱり、本当に居ないんです。 タイ全体としてもとても少ないです。 これは、能力が高い低い、という事とは全然別次元で、文化的に向いてないんだと思います。

生活コストが安くて、みんなヒマをもてあましているから、その点、超プログラマ向きなんですが...。

ガクムラ   2007年05月11日 22:54
イサーン人が向いている職業ってどのような職種なのでしょうか?
おかあつさんから見て、どのようなところに秀でているのか知りたいです。

ここ沖縄では製造業が食品加工業を抜くともうほとんどない状態です。
これは基本的に製造業に向いていない部分がどこかにあるからで、本土などの製造業がほとんど進出してこないのだと思います。

その点、穏やかな話し方などを見出した企業が最近はコールセンターをどしどし展開しています。

あうんの呼吸を読み取る感覚にすぐれているので、コールセンターが集まっているのだと思います。

コールセンターは沖縄の人の特徴を活用したうまい発想だなぁと僕は感じました。

おかあつさんはイサーン人の特徴からどのような分野が向いていると感じますか?
miy   2007年06月08日 04:00
> ところが、中国人というのは、ここがセコいというか、キツイというか、全ての責任を従業員に押し付けるところがあるのだ。

これは香港でもある。
ミスをすると給料から天引き、というのが常識みたい。
前職で日本では禁止されているという話をしたらカルチャーショックだった模様。
おかあつ   2007年06月09日 01:19
>これは香港でもある。
>ミスをすると給料から天引き、というのが常識みたい

この話、すごい面白い。 やっぱり、これって中国の風習だったんだね... というか、中国でも恐らく地方によるんだろうね。

場合にもよるけど、あれは結構疲れる。

前、一年以上前だけど、ギターの試奏をした。 そうしたら、ボロいギターで一発で弦が切れた。 そうしたら、20バーツ請求された。 たかが20バーツだけど、頭来たので払わないといってやった。 ケンカになった。

このやり取りの背後にも、実はその中国の風習があったようだ。

正直... ギスギスしてて、いい風習じゃないよね。
 
出展 2007年05月10日08:12 『サバイチャイに死す』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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