(超個人的メモ) 違法
2007年03月07日06:27
発端:illegal のスペルが判らなくて違法と入力してALCで検索した。
結果:僕は ALCで検索したつもりで、GOOGLEで検索してしまった。 そうしたら、2ch に違法板という物がある事を知った。
⇒ 最初、こういう場所で違法の話しが公然と行われているということに、新鮮な感動を持った。
⇒ ところが、中身を見ようとしたら「人大杉」という旨が書かれており、見れなかった。
⇒ しばし考える。 ... 大人すぎ? 杉大人? ... あぁ 人多過ぎか... と思った。
⇒ この人大杉のスレを見るためには、2ch専用ブラウザが必要とあった。
⇒ 僕は、そこまでして読みたいとは思っていなかったので、結局読まなかった。
⇒ しばし考える。 恐らく、この「人大杉」の隠語を理解できるか・出来ないか、また「2chブラウザ」という物を使いこなす事が出来るか出来ないか、という障壁が、結果的に「おじさんファイアーウォール」の役割を果たしているのではないか、と考えられた。
⇒ このような『おじさんファイアーウォール』の向こう側、しかも匿名であるという空間に来る事で初めて『わかもの』はノビノビと自由に意見を述べる事が許されるのではないか、と思った。
仮説1: 今の「わかもの」は「おじさん」よりもずっと複雑な精神構造を持っているはずである。
なぜならば、おじさん世代が作った今の世の中というのは、例外に対してあまり良い顔を向けてくれないからだ。
今の日本は、俗に言うところの多様化の時代に来ている。 日本は、『欧米』という名前のアメリカ文化に習って、離婚の自由化を行った。 結果、子供にとってはとても都合の悪い世の中に変りつつある。
だが、子供というのは、親が無くても育つものだ。 それなりに苦労して、それなりにたくましく育つ。
ところが、こうして育った現代子供の精神構造を、親の精神開放自由化前の「子供にとって都合の良い時代」でのびのび育った「おじさん」世代は、理解できない。
そういう「片親が居ない」「母子家庭」「経済的な困難」「複雑な家庭」と呼ばれるような状況下にいる「育ちの悪い」子供は、のびのび子供時代をすごした「おじさん」の作った社会からは歓迎されないのだ。
しかも悪いことに、少子化の時代である。 子供たちの本音は、多数決の原理で押し殺されていくだろう。
そういう中で、子供は、おじさんの価値観と、自分たちの本音のを切り替えるという、ダブルスタンダードを身につけている筈だ。
仮説2:だからこそ、子供は、「違法」に走るのではないか。
元々、日本を含むアジアというのは、比較的「法」という考え方が弱い。 法というのは、空気を読む習慣が全くない西洋の考え方だからだ。
日本を含むアジアでは、法がない代わりに、漠然とした空気感からかもし出される「暗黙の了解」「義理人情」「一本とおった筋」「世間体」「人目」等と呼ばれる、漠然とした、しかし、確固としてそこに存在する、アジア的な秩序を守る仕組みが、西洋から「法」が輸入されるずっと以前から存在したのである。
例えば、日本には、法は法として存在するにも関わらず、それとはまた違う次元の「日本的商慣行」と呼ばれるルールがある。 どんなに合理的な言動をもっても日本のマーケットに食い込む事は出来ない、などと西洋諸国から言われるのは、だからではないかと思われる。
そういうことから、次のようなことを考えた。
子供が違法に走ったら、全くの無秩序、無法地帯になるのだろうか。 そうはならないはずである。 そこには、漠然とした「新しい日本の若者らしい独自のルール」が築かれるはずである。
違法というのは、恐らくは、「わかもの」の複雑な精神構造を理解する事ができない「おじさん」の一方的な評価である可能性がある。 違法、と呼ばれているものが、実は、複雑な「わかもの」の事情を理解しない「おじさん」をすっ飛ばして、抜き差しならない切羽詰った問題を解決するための、最後の手段なのかもしれない。
よって、時間がたてばそれは、違法ではなくなるのではないだろうか。
この仮説は、極端だろうか。
結果:僕は ALCで検索したつもりで、GOOGLEで検索してしまった。 そうしたら、2ch に違法板という物がある事を知った。
⇒ 最初、こういう場所で違法の話しが公然と行われているということに、新鮮な感動を持った。
⇒ ところが、中身を見ようとしたら「人大杉」という旨が書かれており、見れなかった。
⇒ しばし考える。 ... 大人すぎ? 杉大人? ... あぁ 人多過ぎか... と思った。
⇒ この人大杉のスレを見るためには、2ch専用ブラウザが必要とあった。
⇒ 僕は、そこまでして読みたいとは思っていなかったので、結局読まなかった。
⇒ しばし考える。 恐らく、この「人大杉」の隠語を理解できるか・出来ないか、また「2chブラウザ」という物を使いこなす事が出来るか出来ないか、という障壁が、結果的に「おじさんファイアーウォール」の役割を果たしているのではないか、と考えられた。
⇒ このような『おじさんファイアーウォール』の向こう側、しかも匿名であるという空間に来る事で初めて『わかもの』はノビノビと自由に意見を述べる事が許されるのではないか、と思った。
仮説1: 今の「わかもの」は「おじさん」よりもずっと複雑な精神構造を持っているはずである。
なぜならば、おじさん世代が作った今の世の中というのは、例外に対してあまり良い顔を向けてくれないからだ。
今の日本は、俗に言うところの多様化の時代に来ている。 日本は、『欧米』という名前のアメリカ文化に習って、離婚の自由化を行った。 結果、子供にとってはとても都合の悪い世の中に変りつつある。
だが、子供というのは、親が無くても育つものだ。 それなりに苦労して、それなりにたくましく育つ。
ところが、こうして育った現代子供の精神構造を、親の精神開放自由化前の「子供にとって都合の良い時代」でのびのび育った「おじさん」世代は、理解できない。
そういう「片親が居ない」「母子家庭」「経済的な困難」「複雑な家庭」と呼ばれるような状況下にいる「育ちの悪い」子供は、のびのび子供時代をすごした「おじさん」の作った社会からは歓迎されないのだ。
しかも悪いことに、少子化の時代である。 子供たちの本音は、多数決の原理で押し殺されていくだろう。
そういう中で、子供は、おじさんの価値観と、自分たちの本音のを切り替えるという、ダブルスタンダードを身につけている筈だ。
仮説2:だからこそ、子供は、「違法」に走るのではないか。
元々、日本を含むアジアというのは、比較的「法」という考え方が弱い。 法というのは、空気を読む習慣が全くない西洋の考え方だからだ。
日本を含むアジアでは、法がない代わりに、漠然とした空気感からかもし出される「暗黙の了解」「義理人情」「一本とおった筋」「世間体」「人目」等と呼ばれる、漠然とした、しかし、確固としてそこに存在する、アジア的な秩序を守る仕組みが、西洋から「法」が輸入されるずっと以前から存在したのである。
例えば、日本には、法は法として存在するにも関わらず、それとはまた違う次元の「日本的商慣行」と呼ばれるルールがある。 どんなに合理的な言動をもっても日本のマーケットに食い込む事は出来ない、などと西洋諸国から言われるのは、だからではないかと思われる。
そういうことから、次のようなことを考えた。
子供が違法に走ったら、全くの無秩序、無法地帯になるのだろうか。 そうはならないはずである。 そこには、漠然とした「新しい日本の若者らしい独自のルール」が築かれるはずである。
違法というのは、恐らくは、「わかもの」の複雑な精神構造を理解する事ができない「おじさん」の一方的な評価である可能性がある。 違法、と呼ばれているものが、実は、複雑な「わかもの」の事情を理解しない「おじさん」をすっ飛ばして、抜き差しならない切羽詰った問題を解決するための、最後の手段なのかもしれない。
よって、時間がたてばそれは、違法ではなくなるのではないだろうか。
この仮説は、極端だろうか。
コメント一覧