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2010年8月19日木曜日

雑記 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」 など (isaan05-c987254-201008190241)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
雑記 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」 など (おかあつ)
2010年08月19日 02:41
目次
「タイに居て、僕が「これぞ日本人だ!」って思う瞬間」
「オヌシなかなかやるな!?」の世界
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
「そんなに中国人はバカか。」

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「タイに居て、僕が「これぞ日本人だ!」って思う瞬間」

★ そもそも編

タイ語が話せない。語学にまったく興味がない。
というか、そもそも他人に興味がない。
まったくまわりを見ていない。(人によくぶつかる。)
相手の目を見ない。
だから空気が読めない。
やたらと高圧的。
声がでかい。
目立ちまくっているのに気がつかない。
挨拶しない。
民族の区別がつかない。
「自分もひとつの民族だ」という認識がない。
顔を覚えない。
上記のことを指摘すると怒る。

★ タイ語が話せる人編

・敬語が使えない( ครับ คะ が無い)
↑ これ、すごい恥ずかしいことだけど、一番多い。
・声調がメチャクチャ。
・โอ/ออ แอ/เอ อู/อือ ข/ก ต/ท 等 の発音の区別がムチャクチャ。
・声がでかい。 地声で話す。
・ラオとタイの区別がまったくつかない。
・タイ人はみんなタイ語を話すと勘違いしている。
・言葉が通じないとイサーン人のせいにして怒る。
・言葉が通じればコミュニケーションは完璧、と思い込んでいる。
・言葉以上のコミュニケーションには興味すら示さない。
・世界中の人が英語を話す、あるいは話せなければいけないと思っている。
・知識は無限に持っているのに、話せない。
・文字に異様に強いが、コミュニケーションには異様に弱い。
・相手の言うことをまったく疑わない。

※ かなり僕も含まれている...^^;

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「オヌシなかなかやるな!?」の世界

今、バンコクに居る。 この間日本食屋に行った。 そこには相当数のマンガが揃えてある。 ラーメンを待つ間、久しぶりにゴルゴ13なんて読んでみた。 ゴルゴ13、昔はものすごく好きだったが、今読むと結構滑稽なことも多い。 世界中の国の人が出てくるが、みんなどこか和風な雰囲気を携えている。 アイルランド解放戦線の本部なのに、ヤクザの事務所よろしく、壁に額縁に入れた訓示がはってあったりして。 壁に額縁に入れた言葉を貼り付けるのは、日本のならではの習慣だと思う。 しかもその訓示が WHO DARES WINS とか書いてあったりして、英語も何だか間違ってる。 (それともこれはアイルランド独特の英語の方言だろうか。)

そういえば、ゴルゴ13に出てきたアメリカ人が、一度前例を作ってしまえば 二度 三度と繰り返し要求を飲ませることは簡単だという事の例えとして「これは娘の操と同じ物、一度無理やり奪ってしまえば、二度・三度目はズルズルと... ウハハ」とかいっているシーンがあった。 実にアメリカ人っぽくない発言である。 お前は江戸時代の悪代官か、とツッコミを入れたかった。

イギリスを妙にひどい描きかたをするのもゴルゴ13の特徴だよな、と思う。 マンガの中で、「イギリス料理は世界に稀に見るおいしくない料理だ」とかいわれていたけど、ウドンタニーで腕利きのイギリス料理人と一緒にしばらく仕事をしていた経験から言って、とてもそんなことは無いと思う。 イギリスは独特なパブ文化があって料理はなかなかうまい。


ゴルゴ13には、しばしば高度に訓練された人同士ならではの、研ぎ澄まされたコミュニケーションが描かれる事がある。 「...この道を歩く時、慣れた物は必ず左側を歩く物だ。 それは右側から吹く海風が狙撃する者を撹乱する事を知っているからだ...云々」 「この道の左側を歩くお前は只者ではないな」みたいな。 「実はこのカバンを開ける時の音がP38のトリガーを引くときの音にそっくりなんだ。 あいつはそれを聞いて本能的に危険を察知した。 俺は銃のマニアだから判る。 あいつはプロだ。」 みたいな。 そんな「オヌシなかなかやるな」の世界。 日本人ってそういう「オヌシなかなかやるな」の世界が好きだと思う。


でも、現実はそんな物ではないと思う。 本当に何かの「本場」に行くとそこでは自分が「俺は銃のマニアだから判る...その違い。」 みたいな物を口に出すことはまず出来ない。 そこでそんな事を言うと、尊敬されるどころか、バカにされてしまう。 「お前、今更何いってんの?」みたいな事になる。 粋がって「俺は判る...」なんて言っている事自体が恥ずかしくなるほど、その場所ではそのことが当たり前なのだ。

「実はこのカバンを開ける時の音がP38のトリガーを引くときの音にそっくりなんだ...」 「だから、みんなそのカバン使わないんだよ。 知らねぇのかよ! いちいちそんなことでビックリしてんなよ、タコ!」 みたいな。 「おめぇ、いちいちそういう事を粋がって口に出すと、本当にバカだと思われるから、言わない方がいいよ、マジで。」みたいな。

そういう場所では色々な「重要な事実」=「そのカバンを開ける音がP38のトリガーを引く音と同じだ、的な些細だが重要な鍵を担う事実」がごく一般的によく知られており、そのことを鍵として色々な駆け引きをしたり、応用を考えたりして人を驚かせたりする事が一般的なので、いちいちそれを口に出すとバカだと思われてしまう、という世界。

むしろそういう世界の方が普通だと僕は思う。

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「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

この間、道を渡ろうとしたときの話。 スクンビット通りはものすごい車の量だし、横断歩道がほとんど整備されてないので、気合で渡るしかない。 だけど、横断歩道がきちんと整備されている真面目な国というのも、案外日本だけなのかもしれない。 というのも、色々な国の人を見てみると、みんな怒涛のごとく車が行き交う道をサッサと危なげなく渡っているからだ。

そういえば、僕がアメリカのボストンに居た時もそういう感じだった。 ボストンの歩行者のたちの悪さはアメリカでも有名なのだそうだけど、とにかく誰もが交通ルールをまったく守らない。 横断歩道だろうが歩道でなかろうがバンバン渡る。 ひょっとしたらボストンが特殊なのかもしれないが、全般的に見て日本ほどきちんと交通ルールが設定されて守られている国の方が少数派であることは間違いなさそうだ。

横断歩道のない道を渡るということは、コツがいる。 コツというのは、一種のコミュニケーションだ。 車を運転している人に、「自分がこれから道を渡ろうとしているんだ」という事をアピールする必要がある。 アピールするために、わざと車にひかれそうな場所まで出て行く。 運転手プレッシャーをかけにいくのだ。 こうすると、親切な人は止まってくれるし親切でない人も、止まらないで済む範囲で、多少距離を取ってくれる。 そうするとそこに渡れそうな場所が出来る。 こうやって駆け引きしながら渡れそうな場所を組み立てていく。そうやってちょっとずつ渡っていく。 こうやらないと、いっこうに車が途切れないので渡れないのだ。

というわけで、いつもの様にこの要領を使って道を渡ろうとしていた時のことだ。 僕が走ってくる車にプレッシャーをかけるべく道に出た瞬間、隣に居た人が同時に渡り始めたのだ。 ものすごくビックリした。 顔を見た。 日本人だった。 僕が道を渡り始めたので、まわりをみることなく、一緒に道に出たのだ。 車が走ってきてることに気がついていない。 これははっきり言って、ムチャムチャ危ない。 この日本人、まったくまわりを見ていないぞ、と思った。

一方、車の方は、ふたりが同時に道に出たのをみるなり、ビックリして止まった。 こっちはちゃんと見ている。

何だろう。 日本にいると、ひとりが信号無視すると次々と信号無視する人が現れるのをよく見かける。 ひとりでは決してルール違反をしないのだが、誰か他にルール違反をする人を見かけると、自分もルール違反をする。 これは日本独特な一種の集団心理なのだろう。

だけど、この集団心理は、危険ではないか。 最初に道に出た人がまわりを見ていなかったら、どうするのだろう。 みな車に轢き殺されてしまうではないか。 いや、案外危険ではないのかもしれない。 一方、あまり大勢の人が出てくると、車も気合負けして、止まるしかなくなる。

むかしビートたけしが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」って言っていたのを思い出す。 こういう日本人独特の心理を上手に言い表したギャグだと思う。

それはともあれ、何だろうなぁ。 僕は大嫌いなのだ。 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」 これって、とてもいやらしい集団心理だと思う。 何でだろうか。

何でかといえば、そこに「自分の力で考える」っていう要素がかけらも感じられないからだろうか。 「自分で状況を見て、自分で判断する。 ひかれる・ひかれないは自己責任である」という自立した人間像がそこに微塵も感じられないからだろうか。



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「そんなに中国人はバカか。」

最近始まったことではないが、最近の日本の反中国傾向はすごいと思う。 報道の反中国プロパガンダもすさまじい。 親中国的な政治家を潰そうとするスキャンダルもすさまじい物がある。 ここまであからさまにプロパガンダが発動されているのに、日本人は誰も気がつかない。 これは滑稽を通り越して、マヌケである。

ちょっと考えればおかしいことくらいすぐわかる。


中国人の人口は20億人くらいいるそうだ。 すごい人数だと思う。 タイで5000万人位、日本が1億人ぐらいだろう。 そんな中で20億というのはすごい人数だ。

すこし考えればわかることだが、これだけたくさんの人という事象は「バカ」というたった一言で片付けられる程、均一な事象では絶対にありえない。

タイを考える。 タイは5000万人の人口が居るが、その中が大体5つの地域に分かれていてそれぞれ違う民族が住んでいる。 それぞれ違うお祭りをして、違う言葉も持っている。 タイ人をバカだという人は少なくないが、少なくともバンコク出身の人はその日本人が言う「バカ」という特徴を共有していない。

日本を考える。 日本などもっと極端だ。 県毎にまったく違う方言があり、文化も違う。 大きな平地を持つタイと異なり山がちな日本では、各県の行き来は決して便利ではない。 山を越えるごとに違う文化を持つと行っても過言ではない。 「県民性」などという言葉があるくらいで、県によって住む人の顔つきも違う、性格気質も違う、お祭りも違う。 実は言葉もかなり違ったりする。


中国も同じである。 インチキくさいまがい物を作る中国人もいるが、それはけっして全体の特徴ではない。 声が大きくて乱暴な中国人も居るだろうが、それもまた決して全体の特徴ではない。

しかし、往々にして、ある特定の地域の特徴である、という場合はあるだろう。 「日本人はバカだ」という意見は少し乱暴かもしれないが、もう少し特定的に「茨城県民はバカだ」という意見であれば多少の合理性が与えられるかもしれない。

中国も同様である。 日本の様に、無数の細かい地域に分かれており、文化も民族も言葉もお祭りも違う。 それは、一言で「バカ」と片付けられる程、単純ではない。
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出展 2010年08月19日 02:41 『雑記 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」 など』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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