タイの東北地方からラオス国内にかけて一般的に話されているラオ語は、声調言語である。ラオ語は、事実上はっきりとした標準を持たない言語であり、地方・街・村・家族・個人によって異なる方言を話す。そして声調も、方言により違うものに変化する。これが外国人にとってラオ語の学習を非常に困難にしている。
一方、この方言による声調の変化は、全く不規則なものというわけではなく、よく観察してみると一定の法則を以って変化していることが判る。以下、ラオ語の声調の基礎と、この方言の変化について説明する。
以下の説明は、ラオ語の文字・タイ語の文字の読み方に対する基礎知識を前提とする。ラオ語・タイ語の文字の読み方の基礎はほぼ同じである。ラオ語の文字・タイ語の文字の読み方を知らない者は、以下の説明を理解することは困難であろう。
なお、ここでラオ語と言った場合、タイの東北方言とされるイサーン語を含む事をお断りする。筆者は、イサーン語を主に研究しており、ここでラオ語という場合、そのほとんどがイサーン語についてのものである。
17の声調クラス
タイ語・ラオ語の声調は、以下の4つの要素によって決定される。1. 文字:文字は全て基本的に子音を表す。文字の間に「サラ」という母音を表す記号を付ける事で、ひとつの音節を形成する。全ての文字は高子音字・中子音字・低子音字の3つのクラスにわかれており、この文字が属するクラスが、その音節の声調が変化する。
2. 声調記号:タイ語・ラオ語は、第1〜第4の4種類の声調記号を持っており、声調期号を文字の上に付ける事によって声調が変化する。
3. 母音の長さ:タイ語・ラオ語の母音は、長母音と短母音の二種類が存在し、音節の母音が長母音か短母音かによっても声調は変化する。
4. 末子音:音節がK/D/Bで終わる(促音節)か、それ以外で終わる(平音節)かによっても声調は変化する。
数学的に考えると48個のパターンが考えられるが、実際に使われるパターンはもっと少ない。
タイ語・ラオ語中のある音節が持っている声調は、必ず(高子音/中子音/低子音)✕(第一声調記号/第二声調記号/第三声調記号/第四声調記号/平音節/促音節【短母音】/促音節【長母音】)− (4種類) ※ の17種類の組み合わせの中のどれかに適応する。
※ 第三声調記号・第四声調記号が使われるのは中子音字だけなので21種類から4つ減って17種類になる。
この分類の事をここでは声調クラスと呼ぶ。上の表で見ると、それぞれのマス目がひとつの声調クラスを表している。誰かにとある声調の事を説明する時、「高子音+第一声調記号」「中子音+促音節【短母音】」という様に、この声調クラスの名前を言えば、どの声調か伝える事が出来る。
この規則がタイ語・ラオ語の声調規則の基礎である。 これはタイ語を含むラオ語の全ての方言に適応する。
3つの音程
次に声調の基礎を説明する。ラオ語の声調は、3つの音程を持ち、高中低の三つの音程にわかれている。この三音程をはっきり発音する事が肝要である。
ラオ人は普段、歌を歌うように激しく音程が上がったり下がったりしながら話している。その激しく上がり下がりする音程の中から三音程を認識するのは、至難の業といえる。
この様に単純であれば高中低を認識する事は難しくないであろう。
↓
だがこの様にはっきりした話し方をする人は皆無と言って良い。
次の例を見て頂きたい。
実践上の会話では、みなこの様に激しく気ままに上下する中で発音する。
この様な複雑な変化の中で音程を判別することは困難である。
理論上、ひとつの音を聞いただけでは、音程を判別することは出来無い。はっきりと三音程を曖昧さなく判別する為には、最低でも3つの音を聞かなければ結論を導き出すことが出来無い。
例えば、二つの音を聞いた時、そこにはっきりと三音程を認識することは出来無い。何故なら、基礎となる音の高さが激しく上下している以上、ふたつの音程を聴いた時、それが高中だったのか高低だったのかを判別することは不可能だからだ。
二つの音しかない時、その二つの音が属す音程は、次の内どれだろうか。
この様に、音が二つしかない場合、それが三つの音程のうち、どれに属すのか判断することは出来無い。三つ目の音が出現する事で、初めて前二つの音程が判定できる。
この様に、音が二つしかない場合、それが三つの音程のうち、どれに属すのか判断することは出来無い。三つ目の音が出現する事で、初めて前二つの音程が判定できる。
9つの声調
ラオ語の声調は、(高中)(低高)のように、三音程を二つ組み合わせることで出来る。また選ばれた音程が同じでも、それが長母音であるか短母音であるかによって、異なる声調と認識される。ここで考えられる音程の組み合わせを考えると、長母音(高・中・低)✕(高・中・低)+短母音(高・中・低)✕(高・中・低)で18種類だが、実際に使われるのは、その中の9つだけである。 その9つの声調を以下で説明する。上記の図は、線の上下の動きが、音節上の音程の上下を表している。
- 第一声調 低低
- 第二声調 中中
- 第三声調 中高
- 第四声調 低高
- 第五声調 高低
- 第六声調 中低
- 第七声調 単独で発音する場合は短く中高・連続する場合は高
- 第八声調 単独で発音する場合は短く低中・連続する場合は中
- 第〇声調 タイ語での無声調。漠然と伸ばす。前後の声調に寄り音程が変わる。後述。
声調区分表
上記の9種類の声調一式を、番号との対で一覧にしたものを、ここでは声調区分表と呼ぶ。声調表
全ての声調クラスに対して、それぞれどの声調が割り当てられるのか、声調クラスをマス目で、声調を番号で表し、マス目と番号の対応で一覧にしたものをここでは声調表と呼ぶ。次に、ラオ語の最も標準的な声調表を示す。例1) ラオ語で ຫາ / タイ語で หา (haa)という単語の声調を知りたいとする。ຫ/หは、高子音字である。そしてこの音節は、k/d/b で終わらない平音節である。 つまりこの音節の声調クラスは「高子音字+平音節」である。この表から「高子音字+平音節」の欄を見てみると、第四声調=低高 である事が判る。
例2) ラオ語で ເຮັດ /タイ語(イサーン表記)でเฮ็ด (het) という単語の声調を知りたいとする。ຮ/ฮは低子音字である。そして短母音であり、音節の末尾がk/d/bのいずれかで終わる促音節である。つまり ເຮັດ は、低子音字+促音節(短母音)である。この表から低子音字+促音節(短母音)の欄を見てみると、第七声調=中高である事が判る。
方言
さて、これ迄声調区分表・声調表について述べてきた。この声調区分表・声調表を書き換える事でラオ語の全ての方言のイントネーションを表現することができる。大抵の方言であれば声調表は変更する必要が無く、声調区分表を書き換えるのみで表現できる。これこそが、この方式の優れているところである。以下、実例を交えながら説明したい。・ラオ語・イサーンオッサン方言
次にラオのド田舎のオッサン喋りの声調区分表を示す。変更点を赤で示した。ポイントは:
- 第三声調が第五声調と同じになる。
- 第六声調が第一声調と同じになる。
以下、この声調区分表を適用した声調表を示す。
イサーンの人が必ずしもこのアグレッシブ・オヤヂ方言を話す訳ではなく、イサーンの多くの人(特に女性)は第三声調や第六声調を、省略せず丁寧に発音する。
・ラオ語・ルワンパバーン方言
筆者はルワンパバーンに合計して二週間程度しか滞在したことがない。よってルワンパバーン方言については全く無知と言って良い。だが少ない体験の中から、いくつかのルワンパバーン方言の特徴を拾うことが出来た。以下の声調区分表と声調表は、正確さに欠けるが、飽くまでもこれまで述べて来た方法論で、ラオ語の各方言をどの様に表現するかの見本として提示してみたい。筆者にとってルワンパバーン方言は、まだ謎が多い存在である。筆者が知っているいくつかの実例をあげる。
- ຄືເກົ່າ は通常 ( khew5 kao2 )だが kao2 が 上がって下がって中音に戻る変な声調になる。
- ໂອກາດ は通常 ( ao:1 ka:t6 ) だがka:t6 を ka:t4 と発音するらしい。
- 高子音+第二声調記号が通常第六声調のところ、第五声調に変わる。これはタイ語と同じで、一瞬タイ語と聞き間違える。
- 高子音+平音節が5に変わる。ສອງພັນກີບ soe:ng4 phan3 ki:p6 が soe:ng5 phan3 ki:p4 に変わる。
・タイ語
タイ語もラオ語の方言として表現することが出来る。- 高子音平音節・促音節長母音がかろうじて同じである以外、全部違う。だが「高子音平音節」と「促音節長母音」の声調が同じだという事を覚えておくことは、タイ語とラオ語を素早く切り替えながら喋る時の重要なコツとなる。
※ このタイ語/ラオ語の高速切り替えは、ギャグとして絶大な効果を発揮する。 - タイ語には声調無しがある。
- タイ語には第六声調が無い。
タイ語の「声調無し」声調について
タイ語には「特に声調は無い」と考えられてる声調がある。これを無声調と呼ぶ。稀に、この無声調を中くらいの音程で長く伸ばす発音であり、ラオ語の第二声調と同じであると考える人が居る。これは筆者は誤りであると考えている。「声調無し」は、はっきりした音の高さの無い、ラオ語には存在しない声調である。この違いを理解することは、タイ語とラオ語をはっきりと切り替えながら話す必要があるイサーン語を話す時、非常に重要である。 以下、声調無しの音の高さについて説明する。もし仮に、タイ語の無声調が中音であったなら、次の発音が成り立つ筈である。
- タイ語で「おじいちゃんがいいました」
→ ตาบอก = ta:(中中) boe:k(低低) - タイ語で「おじいちゃんにいいました」
→ บอกตา = boe:k(低低) ta:(中中)
- タイ語で「おじいちゃんがいいました」
→ ตาบอก = ta:(中中) boe:k(低低)
- タイ語で「おじいちゃんにいいました」
→ บอกตา = boe:k(低低) ta:(低低)
- タイ語で「おじいちゃんがいいました」
→ ตาบอก = ta:(低低) boe:k(低低)
- タイ語で「おじいちゃんにいいました」
→ บอกตา = boe:k(低低) ta:(低低)
この理論は、筆者おかあつのオリジナルである。これまでの既存の文献・英語・タイ語・ラオ語・日本語を含め、どの様な本にも、上記の発音変化について触れているものはない。だがこれはタイ語とラオ語の最も大きな違いであり、タイ語とラオ語を混ぜて話すイサーン語※を学ぶ時、この事を理解することは必要である。
※ イサーン語と言った場合、基本的にラオ語の方言の事だが、バンコクでイサーン語と言った場合、イントネーションだけラオ語、残りをタイ語に置き換えた話し方の事を差す事が多い。バンコクのルークトゥンモーラムなどで使われているいわゆるイサーン語は、こちらの意味で言うところのイサーン語である。 この意味で言うイサーン語は、状況や丁寧さ・ニュアンスに合わせ、ラオ語とタイ語を激しく切り替えながら話す。この意味で言うところのイサーン語を知る為には、ラオ新喜劇・シアンイサーンを見ると良い。
低→中/中→低・共にラオ語でははっきり発音する必要がある。タイ語話者にとってこの低→中・中→低の流れは、ラオ風(田舎風)な発音であると考えられているのではないか、だから田舎風な発音を好まないバンコク住民はこの発音を避けるのではないか、と筆者は推測している。
この様に、ラオ語の声調にはっきりと三音程が存在するのに対して、タイ語の声調には二音程しかない。タイ語よりラオ語の方が声調にまつわる事情がずっと複雑である。
例えば、前述の通りラオ語では、二つの音程を聞いただけでは、高→中・高→低のどちらなのか判別する事が出来無い。だが、タイ語は高低の二音程しか存在しないため、二つの音を聞いた時、容易に高→低・低→高のどちらなのか判別が付く。一方音程が少ない為に音の重複が増える。ふたつの同じ音程を聴いた時、高→高 なのか、低→低なのか見分けが付かない為、高か低かはっきりしない曖昧な音程が増える。 だからこそ、無声調の様な音程が曖昧な声調が出来上がったのではないだろうか。
ラオ語の声調の区分分けについては、諸説入り乱れ色々な人が色々な説を思い思いに唱えているので、筆者のこの説は一概に同意を得られない物であろう。だが少なくとも、タイ語よりラオ語の方がずっと発音が難しいという事が言えないだろうか。タイ語を先に学ぶと、後からいくらラオ語を学んでも一向に話せるようにならないのは、これが理由ではないだろうか。
※ しばしば、タニヤ・パッポンを徘徊するスケベ親父共は、スタイル抜群なカワイコチャンとコミュニケーションを取るべくタイ語習得を志し、数カ月間のタイ語教科書との悪戦苦闘の後に、どうもタイ語ではなくイサーン語を学ぶべきだったと気付くのだが、学習の重点をタイ語からイサーン語に軸足を移すも、時既に遅し、いくら学んでも一向に身につかないという憂き目にあう。それは彼の語学センスのなさによるものではなく、この様な複雑な言語背景によるものであろう。
最後に
理屈は、飽くまでも理屈である。 車の運転を学ぶ際、いくらハンドルの構造について理論的考察を怠らず、熱意を持ってクラッチの何たるかを常に分析し、世界に存在するブレーキの分類について深い考察をしたところで、実際に運転しなければ、運転できるようにならないのは道理である。幸運なことに、車の教習所で教科書にかじりついて一向に運転をしない生徒というものは、ほとんど見かけないものだが、こと語学に関しては、理論の勉強ばかり一生懸命で、運転しない・運転には興味すら持たないという奇特な人達が後をたたないのである。幸いな事に、近年のインターネットの発達により、ラオ語の生きた発音を知るための素材は、豊富に入手する事が可能である。但しその多くは、ラオよりも経済的に発展したタイで、ラオ語という名前ではなく、イサーン語という名前で流通している。イサーン語は、タイ語ではない。ラオ語である。よってイサーン語の素材は、ラオ語の素材としてそのまま流用できる。ラオ語もイサーン語も基本は何も変わらない。
この様なタイ側のラオ語の素材を語る上で、次の人物は外せないものである。
シーコンソー
彼は、タイのイサーン地方は愚かラオ国内ですらも知らぬ物は居ない超有名人物で、ミュージシャンであり、ラオ喜劇VCDの監督であり、レーベルの社長である。 彼が作る喜劇は、どれもこれも端的にラオ文化の良さを表現しており秀逸である。彼は、これまでに作った喜劇をインターネットで無料で公開している。 これはラオ語を学習するに当たってこの上ない素材となる。
彼の作品で最も有名なものは ニターンコム(นิทานก้อม) であろう。ニターンコムとは、ラオに古くから伝わる口頭伝承の事である。シーコンソーは、この口頭伝承を実写化し、VCD喜劇としてタイの東北地方からラオ国内で販売している。ラオの口頭伝承を実写化したのはシーコンソーだけではないが、ニターンコムといえばシーコンソー・シーコンソーといえばニターンコムという程、シーコンソーのニターンコムは有名である。
シーコンソーのニターンコムは、活きたラオ語に親しむのにこの上ない良い素材であるが、語り弁士の話すラオ語表現は、なかなか複雑で決して簡単ではない。その様な場合、同じシーコンソーによる作品「バクウェー」(บักแว้=ウェーおじさん)が良いだろう。バクウェーの話すラオ語は、短く簡単でわかりやすく、かつごく一般的な言い回しばかりだ。
この様な生きた実例に日頃から慣れ親しむ事が、ラオ語上達の王道である。王道は厳しい。だが王道以外の道は、更に厳しい獣道である。
(完)
更新記録:
・更新・題目を「ラオ語の方言の声調について」から「ラオ語方言の声調変化について」に変更した。(Tue, 11 Jun 2013 01:17:08 +0900)
・リンク切れを修正した (Mon, 25 Jan 2016 12:46:33 +0700)
・関連記事表示の自動化を行った。(Wed, 27 Jan 2016 00:23:29 +0700)