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2010年8月18日水曜日

何でタイ人はタイ語が話せる外人が好きでないか (isaan05-c987254-201008180431)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
何でタイ人はタイ語が話せる外人が好きでないか (おかあつ)
2010年08月18日 04:31
前からタイ人ってタイ語が話せる人が好きでないよな、と感じていた。 確かにタイ語がへたくそなうちは、タイ語が話せると「上手ねー」とか言って褒めてくれるので、僕も喜んでいたけど、タイ語が上達するにつれ「上手ねー」と褒められるどころか、タイ語を話した途端、顔に氷がはったように態度が変わったり、何となく敬遠されたり、無視されたりして、嫌な思いをたくさんしてきた。

だけど、最近、更にタイ語が上達して、何でタイ人がタイ語を話す人をあまり好きでないかも判る様になってきた。

要するに鬱陶しいのだ。 いくら外人がタイ語が上手だといっても、本当にタイ人と同じようにタイ語が話せるような人は極々稀だ。 加えて、タイの色々な複雑な事情まできちんと理解出来る人は、皆無と言って良い。 事情というのは、つまり「あなた芸能界でもう10年以上働いているんだから、ジャニーズという物がどういう物か言わなくても判ってるよね?(だからそういうことしないで頂戴)」 みたいな事情のことだ。 こういう「事情」がツーカーで通じない人は、面倒くさいのであまり仲良くしたくないのだ。

何故、僕がこの事に気がついたのか。 何か変な話だが、僕自身、タイ語が上手な外人を見ると「あぁ何か面倒臭いなぁ」と思って遠ざけている事に気がついたからだ。 タイの複雑な事情を説明するのはものすごく難しい。 そういう事情を判らない人は、延々と的を外した批判を続ける習性があるし、そういうのを聴き続けるのも面倒くさい。

一方、そういう「ワカラン人」を面倒臭がらずに丁寧に面倒を見る習慣があるのは、イサーンの人だ。 イサーンの人は親切だと思う。 一方、細かいことは「まぁまぁ」と適当に流して衝突を避けるところもある。 細かい(達成不能な)要求を飲ませようとすると、適当にバカな事を言ってごまかして「タイ人ってバカだからしょうがない」と思わせる事で、相手を傷つけずになだめるスキルがある。 「外人が無理を言うバカ」だという事を外人に知らせずして、外人が道を外さないように上手にコントロールしてくれる。

一方、華僑系の人は、かなり頭が良く、日本人と似ているところがある。 彼らはやさしくない。 彼らはイサーン系の人とゴチャマゼにされることを激しく嫌う。 かといって、イサーン系と華僑がまったく違う人種なのだという事を説明する事も嫌う。 自分たちは皆タイ人である、というタイの建前を固く信じているからだ。 その辺の矛盾を深く追求するとタイに居る事は難しい。 あまり極端に批判を繰り広げると、チットプーミサックみたいに弾劾されて殺されてしまう事だってある。



これがまさに外人がイサーン人をタイ人だと勘違いする理由だ。 華僑系・タイ系は日本人なんか相手にしていない。 当然おべんちゃらも言わない。 日本人がタイだと思って見ているのはラオだ。 実際のタイ民族はかなりシビアな人種だと思う。 ラオ系とタイ系は顔も違う。 性格も違う。 タイ系は、口も悪いし、回転が速い。 損得勘定がものすごくはっきりしている。ズケズケ物を言うし、かなり排他的だ。日本人をほとんど相手にしないところもある。 華僑も、顔つきはかなり違うけど、そういうところある。


更に言うと、ラオ系の人も実はものすごく排他的だ。 ラオ系の住む村というのは、本来外人が入れる世界ではない。 ただ、ラオ系には「外人好き」という人種がいる。 真面目に働くのは嫌だが、かと言ってお金がないのも好きじゃないというタイプだ。 こういう人の中に、外人狙いという連中が居る。 こいつらが、僕等が見ているラオ人だ。 この人たちは、外人が、タイ人とラオ人の差を知らないこと、タイ人をバカだと思っていること、だまされやすいこと、金払いは案外良い事などをテコにして生活費を稼ぐ。

でも、こういうラオ人もものすごく少数派で、他の人は、こんなことしない。 すごく排他的で、日本人とまったく変わらない。 バカな事もしない。 金遣いも荒くない。 バカな事をしたり、妙に金遣い荒かったりするのは、実はラオ人も相手にしていない様な「愚か者」だったりするのだと思う。ラオ人は、自分が相手を嫌っているということをさとらせないで敬遠するプロである。 外人が見てもそういう駆け引きを見抜く事はまず無理だ。

そういう適当でいい加減な人が、人生の一発逆転ホームランを夢見て「外人狙い」に変貌する。 だから外人が見る「タイ人」は適当でいい加減なのだ。



こういう事を書くと「タイ通」が続々やって来て、あぁだこぉだ文句を言うんだろうな。
でも、まぁしかたがないかと思う。
自分が夢を見ているということなんか、誰も認めたくない物だし。
僕も含めて。

色々な物を見てきたが、夢がないというのも、またつまらない物だし。




しかしラオ人が恐ろしいのは、ラオ人は、相手が「自分はこんな感じだ」と思っている事が、さもその通りであるかの様に振る舞うことが出来ることだ。 丸で鏡だ。 自己認識がすっかり狂ってしまう。これは、ラオ人同士でも起こる。 外人なら尚更だ。

例えば、僕みたいに語学に興味があると、それを見抜いて、年がら年中「この人はタイ語も上手だ、ラオ語が上手だ、よくわかっている」と言い続ける。(ただし本人が居る時だけだけど。) おべんちゃらに慣れていても、長い間いわれ続けることにより、自分は本当にすごい達人なのだと錯覚し始める。 でも本当はそんなことないのだ。

この地域に居ると「楽しい」という感覚は狂っている事がある。 一方「辛い」という感覚にはまったく狂いがない。 だから本当の事を知るためには「辛い」という感覚だけを信じて進む以外にない。 一方、不思議なことだけど、この地域では、その「楽しい」=「狂っている」感覚を信じつづけても、それを許してくれる土壌がある。 それがラオ人の気持ちの文化の真髄であるような気がする。 僕の様に「辛い」という感覚だけを信じる人間は奇特ですらある。

ところで、僕が今、この話を一番すっきりと間違いなく理解してくれる、と感じている人は、実は語学マニアでも、タイ在住ン十年の日本人でもない。 ある京都人だ。 どういう訳か、京都人は、この話をストレートに理解する能力を持っているらしい。

この話って、何年タイに住んでも理解できない人は理解できない。 一方、判る人は一言で理解出来る。 この「本音」と「建前」の恐ろしさ。 京都人はどういう訳か、生まれつき、この刃物の様な「本音」と「建前」の世界の恐ろしさを知っている様だ。


また、一方、人が幸せだと感じる瞬間は、往々にして現実から乖離している物だと思う。 本当の幸せと言う物は、実は現実の世界で実現する事はないのかもしれない。 本当の幸せを現実の世界で実現できる人は、何十年も修練を積み重ねたごく限られた達人と呼ばれる人だけで、それ以外の人は、実は現実から乖離したところで、幸せを感じるのだと思う。

実は、人は、本当の幸せを必要としていないのかもしれない。
コメント一覧
[1]   Yuji,   2010年08月18日 21:49
いつも、興味深い記事を楽しく読ませていただいています。
ありがとうございます。

ひとつだけ、
コメントさせていただきます。

私は、京都生まれの京都育ちで、
大学を卒業するまでは京都に住んでいました。

母親は、
確かに、そういうタイプだったと思います。

父親は、
全く違うタイプで、表裏がなく、人から好かれるタイプでした。

私は、
その両方を受けていますから、
両面を持っています。

ただ、
あまり、表裏を持たないでフランクに物を言いすぎるので、
当然、ファンもいれば、敵もいます。

つまり、
京都人というくくりは、
血液型を、タッタ4種類に分けて類型化する以上に
アバウトだと言う気がしています。
[2]   ものぐさ太郎   2010年08月18日 22:15
タイ人て上っ面にものすごくこだわるので、タイ人やタイの裏面を覗き込めるレベルのタイ語をしゃべる外国人を煙ったがるのではないかな。
[3]   おかあつ   2010年08月19日 02:27
yuji さん、

コメントありがとうございます!

> つまり、京都人というくくりは、
> 血液型を、タッタ4種類に分けて類型化する以上に
> アバウトだと言う気がしています。

僕は京都初心者なので、本当に何も知らないのですが、碁盤の中の人と外の人でまったく違うとか、○○町出身と△△町出身が違うということに非常にこだわりを持って対抗しているとか、そういう話を聞いたことがあります。

> 京都人というくくりは、 血液型を、タッタ4種類に分けて類型化する以上に
> アバウトだと言う気がしています。

僕もそう思います。




ただ、こういう話が出来るという事自体が、京都っぽい、という言い方もきっと出来ると思うのです。 例えば、新潟の人って僕にも知り合いが何人か居ますが、他人に対する興味がまったくゼロと言ってよく、こういう話をしても、何だか話がかみあいません。(そうかなーそんなことないよ、とか言ってまったく譲らないとか。) 上手く言えないんですが、性質として人をあまり見てないんだと思います。

僕の知っている新潟人は、他人に対する興味0ですが、オタッキーというか、妙に執着的というか、ものすごい集中力で色々なことを調べる傾向あります。 一方、コミュニケーション力はあるようで無いというか、何考えているかあまり人に見せないというか、実は何も考えて無かったりとか、そういうところあると思います。

わからないですが、京都の人って、他人の観察力がものすごいような気がします。 (しかも直視しないで横目でそれを図っているし...) 確かに京都人とひとくくりにするのは、極端ではあるのですが、他の地域の人と比べると初めて浮かび上がるものもあるような気がしています。

僕は東京出身ですが、東京の人も似たような物です。 他人への関心ゼロという感じで、こういう話をしてもまったくかみあいません。



多分、日本ってタイと違って、交通網がエラい勢いで発達してしまったので、地域間の混血化がタイよりも進んでいるんだと思います。 (タイはよく見てみると混ざっている様で全然混ざっていないところ、あります。) だからこそ、日本はタイより複雑、という言い方もきっと出来ると思います。
[4]   おかあつ   2010年08月19日 02:33
> タイ人て上っ面にものすごくこだわるので、タイ人やタイの裏面を覗き込めるレベルのタイ語をしゃべる外国人を煙ったがるのではないかな。

そうかも知れません。




僕個人的な感想としてなのですが、タイ語も本当に上達すると、本当に色々な事情が見えてきて、実はそういう「事情」というのが、案外日本とあまり変わらないというか、そういう境地に達するような気がしています。

今日もラチャダーのデパートでブラブラしていたんですが、ホント東京みたいです。 あのよそよそしさといい、表面的さといい、ツンツン具合といい...。 仲良くなれないですよね。
 
出展 2010年08月18日 04:31 『何でタイ人はタイ語が話せる外人が好きでないか』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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