タイ東北・通称「イサーン地方」にある田舎町ウドンタニーにもタイの正月が来た。何故この時期に正月がと思われるかも知れない。タイという国は一年に三回新年のお祭りをする国である。一つ目の新年は1月1日の新年で、二つ目の新年は華僑の人達が祝う月齢の新年=日本で言う旧暦の正月であり、三つ目の新年は広義のタイ族(ダイ族・タイ族・ラオ族)の人達が伝統的に持っている正月=ソンクラーンである。ソンクラーンは正月であるがゆえ、バンコクなどへ出稼ぎに行っている人達は仕事を休んで帰郷するのが一般的である。
毎年毎年思うのだが、ソンクラーンの時期になると「ウドンタニーとは本来こんなに人口が多かったのか」と思うぐらい人が増える。ウドンタニーは、どこもかしこも帰郷した人達でごった返している。 ウドンタニーの若い人は、ほぼ全員バンコクに出稼ぎに行っていると断言して良い。村に残る人は子供とお年寄りだけだ。 ウドンタニー市内は小規模ながら都市の体裁を保っており、この地で就職する人もいるにはいるが、バンコクに出稼ぎに行く人に比べると少数派だ。ウドンタニーの雇用は少なく、例え雇用があっても求められる学歴やスキルも非常に高いので、就職が難しい。
バンコクやパタヤなどの大都市部は、イサーン・ラオにとって外国そのものである。 僕も日本人であり、タイに渡ってきた当初は大都市のバンコクに住んでいた。しかし、その後縁あって、八年の長きに渡ってイサーンの農村部に住み、イサーンの言葉を学び、イサーンの文化を見てきた。その中でイサーン文化が深くラオ文化に根ざしていること、否イサーン文化はラオ文化その物であること、などを学んで来た。ラオ文化は野生の文化だ。広大な大地を相手に土に根ざして生きる。ラオイサーン文化は、狩猟採集文化であり、深く農業や仏教に根ざしており、バンコクの文化とは決して小さくない文化的な違い・言語的な違いを持っており、タイ文化とは一線を画している事を、強烈な体験と共に体感してきた。そして強烈な体験も色あせて強烈とは感じなくなった。しまいにはイサーン語が話せるようにすらなったのである。だから体験的によくわかる。バンコクやパタヤなどの大都市部は、イサーン・ラオにとって外国そのものであるということが。
ドハデなおばさん達は、大抵そんなドハデなおばさんに全く不似合いな、ラオの伝統衣装を来たおばあちゃんとその孫を携えている。ドハデなおばさんの家族だ。息子にアイスクリームを買い与えているドハデなおばさん。田舎の暮らしは物々交換であり、アイスクリームなど滅多に食べられない。ニッコリ笑う子供。
こんなドハデなおばさんではあるが、こういう場面を見ると、イサーンで生まれバンコクやパタヤに出稼ぎに行き、僕がウドンタニーで体験した苦労を上回る苦労をしているのだ、という事を思う。
日本人は飛行機に乗ってタイにやって来て、パタヤなどの都市部に来る。そしてイサーンから来たこんなドハデおばさんダンサーと出会う訳である。我々日本人は、こういうドハデなおばさんの背後に、イサーンの広大な大地をイメージできるであろうか。