僕はタイ国の東北地方の辺境にあるウドンタニーという街に住んでいる。早いものでこの街に関わりあう様になって6年経った。僕は以前からこのウドンタニーという街の多くの人がタイ語があまり上手でない事を思っていたのだが、多くの日本人にこのことを話しても「タイ人なのだからタイ語が話せるに決まっているだろう」「それは思い込みだ」という様な一篇通りの返答が返ってくるのみで、まともに取り合ってもらう事はなかった。
僕はタイ語が通じにくいという事を感じてから6年間というもの、このウドンタニーという街でどの様な言葉が話されているのか、興味を持って研究し続けてきた。このウドンタニーで主に使われている言葉は、タイ語ではなく、タイ語で「イサーン語」と呼ばれる、かつイサーン語ではラオ語(※)と呼ばれている、実はラオ語の方言の一つであることに気がついたのである。
(※ ラオ語というのはラオス語の事。ラオスという国名は、フランスがつけた名称であり、ラオ語ではラオ国と呼ばれる。これはフランスが、ラオ民族の中にある複数の部族の総称として、ラオという固有名詞の語尾に複数形のス S を付け足した事により出来た造語。)
この事に気がついてから、ウドンタニーから100kmほど離れた、ラオス国内・首都ビエンチャンにあるドンドーク大学に行って、ラオス語の個人指導を受けたこともある。そこでわかったことは、「ラオス標準語」と「ラオ語の方言=イサーン語」は、似ているがかなり違う言葉だという事だ。 ウドンタニーのラオ語とビエンチャンのラオ語を比べると、大阪弁と東京弁くらい違う。
一方タイ語とラオ語は、単語上は似ているが、発音がかなり違う。ラオ語が話せる人の多くはタイ語を聞いて理解する事が出来るが、タイ語が話せる人がラオ語を聞いても必ずしも理解出来るとは限らない。 東北弁と博多弁くらいは違う。
イサーン語が話せるようになってわかったこと
近頃、僕はあるきっかけが元で、突如イサーン語が話せるようになった。実は長らく研究を続けていたにも関わらず、話せる様にならない苦しい期間が続いた。だがある日突如話せるようになった。 ラオスの標準語=ビエンチャン語ではなく、かつ、タイ語標準語=バンコク語でもない、ウドン式のラオ方言イサーン語が話せるようになった。 ウドンタニー市内で話しても、ビエンチャン市内で話しても「ウドン田舎弁を話すおかしな日本人」と言い当てられるレベルにも到達した。 つまり、発音はこのあたりのネイティブの人に肉薄していると自他共に認めるレベルに到達した。
ウドンタニーに来た外国人は、しばしばウドンタニーの人が普通にタイ語を話すことが出来ると信じて疑わない。しかしこれは誤りである。
ウドンタニーはタイ国の県であり、標準語はタイ語である。だから、公式な場所や大企業のサービスカウンターなどでは、必ずタイ語を話す約束となっている。だが、実は普段は、ほとんどタイ語を話しておらず、イサーン語と呼ばれる言葉を話している。
何故外人がこのことに気が付かないか。それは、ウドンタニー人は外地から来た人間にイサーン語を話しているところを見られることを極度に嫌うからである。 自分がイサーン語話者であることを絶対に他人に見せない。
外国人がイサーン語を学ぼうとする時、これが大きな障害となる。外国人が、必死にイサーン語を話しても、ウドン人は相手が外地人だと、常にタイ語を話し続けるので、こちらもつい、つられてタイ語にかわってしまうのである。
ならばタイ語で話せばよいではないか、と思われるかも知れないが、話はそんなに簡単ではない。 バンコクで話している時の様に速いテンポでタイ語を話すと、みな普段話しなれないタイ語を頑張って話しているだけなので、すぐにボロが出るのだ。聞き取れなかったり、聞き漏らしたり、勘違いしたりする。またタイ語を話す人が来ると、さり気なく距離を取って本当のことを言わないこともしばしばある。 これはウドンタニーに住むに当たって、外人に限らず、ウドン以外のタイ人にとっても、ぶつかる問題であり、大変にストレスが溜まる。
タイ語を話しても通じない、かといってラオ語も話させてもらえない。そういう複雑な状況下で、僕は6年間苦しみ続けたのである。しかし先日、僕は遂に勝利を収めたのだ。それは、大きな電話会社のカスタマーサポートに行って用事を済ませる時の話であった。当然受付の女性はタイ語を話していたのだが、僕はそのままラオ語でゴリ押した。 向こうも負けじとタイ語を話していた。いつもの僕なら、ここでタイ語に釣られてタイ語にかわってしまうところだった。 だが、この日の僕は違った。ラオ語で押し通す事に成功したのである。 受付の女性は、終いに僕のラオ語に釣られてうっかりラオ語を話し始めたのだ。「ついに勝った!」と、心の中で思った。 思えば2005年にウドンタニーにやって来てから6年。ようやく言葉の壁を突き破ったのである。 長い戦いであった。 僕は遂に真の田舎者になる事に成功したのである。
こうしてイサーン語が話せる様になって、色々な人を見ていて思うのだが、ウドンタニーの人の99%の人は、普段イサーン語を話している。 それは僕がイサーン語を学ぼうと思いたった時に感じた「これは恐らく半数位の人はイサーン語ネイティブでタイ語が話せない」と思っていた感覚を、遥かに上 回っていた。ラオ系住民だけならず、華僑系のおじさんおばさんに至るまで、ほぼ全員である。
この事は、ウドンに住む人なら誰もが知っている事なのに、 ウドンの外に住む人からは見えない。はっきりとラオイサーン語が話せないと見抜けない。ビエンチャンのラオ語を話しても、決して上記のような結果には決してならないのである。
イサーン語を話す難しさ
イサーン語を話す時、何が一番難しいかといえば、タイ語とラオ語を常に同時に話し続けなければいけないことである。外人として外国語で複数の言語を話す際、一番難しいのは、言語を切り替える事だ。ひとたび、ある言語Aを話し始めると、他の言語Bが話せなくなる。再び元の言語Bを話し始めると、それまで話していた言語Aが話せなくなる。この言語間の切り替えがとてもやっかいで、切り替えに当たっては精神力と多少の時間が必要になる。
イサーン語の話者は、多くの場合、タイ語とラオ語を混ぜながら話す。これが外人にとって非常にストレスになる。 ある瞬間100%ラオ語にしたり、ある瞬間は100%タイ語にしたり、時にはタイ語とラオ語を混ぜながら話したりする。ラオ語ならラオ語だけで、タイ語ならタイ語だけの方が、切り替える必要がない分、話しやすいのだが、実際には、そうはいかない。 外人にとって、どこからどこまでがタイ語で、どこからどこまでがラオ語なのか、判別することすら困難である。ましてや同時に切り替えながら話すことなどほぼ不可能と言って良い。
もっとも僕は、最近この問題に対するあるよい対処法を発見した。 これは高度なテクと言わざるを得ない。 タイ語を学習する外人でこのレベルに到達したのは、この筆者おかあつ、ただ一人であると、ここで断言しても構わない。 惜しげもなく、ここでその対処法を公開することにする。
その対処方法とはズバリ「常に100%ラオ語を話し、それをタイ語だとシラを切りとおす」である。「それタイ語じゃないでしょ?」と言われても、断固拒否し「タイ語である」と突っぱねる。このテクニックは、予想に反して極めて効果的である。バンコクに滞在すると、しばしばイサーン人が、このテクニックをヘビーユーズしているところを目にする。
「あなた、訛っていますよね?」「なまっでね。こんれがしょうじゅん語。」「でも、いまそうやって話している発音、標準語とはずいぶん違いますよね。」「んなごどね。しょうじゅん語と大差ねぇ。」「でも方言ですよね!」「いんやオラがしょうじゅん語」「うわー!このしとにしょうじゅんご教えたって!」
イサーン語を学ぶ意義
イサーン語が話せる様になってからというもの、ウドンタニー滞在はとても楽しい物に変わった。まるで街の人全員友達みたいな感覚だ。僕の顔は明らかな日本人顔で、誰がどう見ても外国人なのだが、そういう外人が突如街の言葉(いや、むしろ街の人が生まれた故郷である、村の言葉)を話すということで、みんな面白がって、かつ、すごく打ち解けてくれる。
タイ語しか話せなかった以前、アイスクリームを買っても、ゲストハウスに泊まっても、ご飯を食べても、村に行っても、いつも言葉の問題で悩まされて、苦しんでいたのだが、ラオ語が話せる様になった途端、まるでウソみたいに解決した。
多くの人に取ってラオ語の方が話しやすい。下らない些細な世間話をするのに、いちいち七面倒臭いタイ語や英語を話したくないのである。下らない話をする時は気軽なラオ語の方が良い。タイ語だとみな鬱陶しそうな顔をするウドンの人たち。 タイ語を話すのは疲れるが、ラオ語を話すのは疲れない。ラオ語が話せると本当に下らない話題でおしゃべり出来る。ウドンの人にとって、ラオ語にはタイ語では絶対に語れない敷居の低さがある。
バンコクに行ってもこのイサーン語パワーは通じる。バンコクで働くタイ人の多くは実はイサーン人だからだ。 現に筆者は、バンコクでタクシーにボラれた事は一度もない。そればかりか、割引してくれたりする事もしばしばである。ボッタクリの運ちゃんが「おーい、こいつはボルなよ!」と仲間に口を聞いてくれたりしたこともあった。
それだけではない。イサーン語が理解できると、タイ北部語も理解できるようになる。実はタイ北部語は「カムムアン」と呼ばれる、ラオ語の方言の一種だからだ。 チェンマイ周辺で話されている言葉も、かなりの割合が聴き取ることが出来るようになる。
ネイティブとしてタイ語を話す「本物」のタイ人も、多くの場合ラオ語を理解する事が出来る様だ。タイ語のスラングとしてラオ語の要素が残っているようで、ほとんどの人は、ラオ語が話せないものの聞けば理解出来る。 加えて、ネイティブタイ人の話すタイ語は、テレビで芸能人が話す標準のタイ語とは、かなりの聴感上の違いがある。
一方、バンコクに住む標準タイ語を第一言語として身につけた華僑の人々はラオ語が理解出来無い場合が多い。潮州華僑の人々が話すタイ語は、ネイティブタイ人とも標準タイ語とも違う。 潮州の人たち独特のアクセントがある。
つまり標準タイ語とは、 頑張って学べば学ぶほど、見えなくなる要素を抱えている言語と言える。日本人は、しばしばタイにやって来て、頑張って標準タイ語を学ぶが、標準タイ語とは、頑張って学べば学ぶほど、人々の気持ちから遠く離れていく、不思議な言語である。
しばしば、日本人はタイ人と結婚し、タイに移住する。 しかし、残念ながら日本人の多くは、彼の配偶者が、北部や東北部に住むラオ系住民だという事にも気が付きもせず、一生懸命タイ語を学び、大変な勢いでタイ語を話し、タイ人のくせにタイ語を理解しない彼の配偶者を、田舎者を馬鹿者と罵っている。その様な高圧な姿勢でどうやって幸せな家庭を築くというのであろうか。 筆者は大変疑問に思う次第である。
もっとも人によってはタイ語すら学ばないということも稀でなく、タイ語を学んでいるだけマシと言うべきだろうか。だが、言葉を知っている事は、時として言葉を知らぬより、酷い仕打ちを与えることがある。知らない方がずっとマシという状況も充分有り得るのである。
タイ人と違って、海の真ん中の島国に住む、外国文化に不慣れな日本人。
タイ語を話すタイ人など「居ない」と心するべきである。
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・関連記事表示の自動化を行った。(Tue, 26 Jan 2016 23:48:53 +0700)