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2008年2月15日金曜日

タイムマシンに乗りたいですか? (mixi05-u459989-200802150538)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
タイムマシンに乗りたいですか?
2008年02月15日05:38
昨日は夜中に起きてずっとプログラムを組んでいた。 朝になったら銭湯にでも行こうかな... と思っていたのだけど気がついたら夕方になってしまった。 そうしたら猛烈に眠くなってしまい、気がついたら寝ていた。 それで、今起きた。 僕は昔に戻る夢を見ていたようだ。

それで、おきてから、なんとなく昔の事を思い出して、昔の事を考えていた。 つまり80年代の事だ。 僕にとって80年代とは、テクノ爆発の時代だ。 YMO・パソコン・アーケードゲーム... そういうテクノロジーが一気に花開いた時代という認識がある。 僕はそういう時代を小学生として過ごした。 だからはっきりとせず漠然とした印象しかないのだが...。

今日、なんとなく思い出すまで、僕は80年代というのは漠然とすごく華やかな時代の様な気がしていたが、今考えてみると年単位で細かい動きがたくさんあった時代だった。 この話をする時、まずは1984年について説明しなければいけない。 かなり駆け足になるが、要約すると、1984年というのは、アーケードゲーム・ゼビウスがナムコから発表された年だ。 恐らく80’テクノ時代の頂点はここにあって、時代はここに向かって登り、ここから下っていったように思う。

1984年 僕は小学生五年生だった。 小学五年生で ナムコのゲームに明け暮れていたのは、僕ぐらいだった。 当時はファミコンが全盛期でみなファミコンに夢中だった。 86年ぐらいにナムコットというブランドで業務用アーケードゲームをファミコンに移植するという動きがあって、みなゼビウス面白い!とか言っていたが、そんな世間に対する僕の印象は「気づくのがおせーよ」だった。 僕は当時既にプログラミングをして既に3年ぐらい経っていた。



何か思い出しているうちに懐かしくなって、「もしタイムマシンがあったら80年代に戻りたいなぁ...」とか思った。 もし80年代に戻ったら何をするかな... もう一度ゲームセンターに行ってゼビウスをやりたいなぁ...。 当時は実にパソコンショップが充実した時代だった。 「駅の西口にあった○○○○というマニアックなパソコン屋... もう一度行きたいなぁ...」

しかしだ。



僕は夢中だったテクノロジーの世界から立ち去った。 それは88年ぐらいから始まるPC9801時代の到来がきっかけだった。 僕には、テクノ時代前半にあったような、インスピレーションの様なものを失って、堕落していったように見えた。 テクノがすごく面白くないものに見えてきたのだ。

それに PC-9801 は高かった。 僕の経済力では到底手が及ばない値段だった。(小学生だし) 恐らく、パソコンが売れる儲かる家電として普及したのだろうと思う。 凄まじい新機種の発表スピードで、高いお金を出して新機種を購入してもすぐに古くなってしまった。 これでは安心してお金を払うことが出来ない。

それに、当時はOSというものがなかったので、ゲームソフトなどのプログラムは機種間でほとんど互換性がなかったのだ。 一機種につきそれぞれカスタムの一種類を用意する必要があった。 つまり、ソフトもハードもべらぼうにお金がかかったのだ。 僕は、そういう状況下で、テクノの世界がバカらしく感じるようになって嫌になってしまったのだ。



とはいえ、僕はX1Dという 高性能かつ、超マイナー型遅れの安物パソコンを持っていたのだ。 そのマイナーさは、世間のゲーム業界から見向きもされないほどだった。 ほとんどのゲームには(X1D非対応)とわざわざ書かれているぐらいだった。 遊ぶには使えないパソコンだったのだ。 だから人気がなく、とても安かった。

でも、このパソコンは、性能が高くプログラミングをするにはとてもいい機種だった。安物にしては極めて珍しいことなのだが、この機種にはフロッピーディスクもついていた。 僕にとってはじめてのフロッピーディスクだった。 それ以前はプログラムはカセットテープに保存していたのだ。

僕はこの機種を使ってボツボツとプログラミングだけは続けていた。 これは流行とは関係なく、単に楽しかったからだ。 作っても発表する場所はないし、どうせ流行のパソコンでは動作しなかった。 しかし、ヒマがあるとなんとなく思いついたことをプログラミングして遊んでいた。 完全に趣味だった。 僕は中学生になっていたので、学校で方程式の基礎を習った。 そういう数学の知識がプログラミングに生かせるということも、実践で覚えていった。 その後も、MSXでアセンブラで動かしてみたりとか、気が向くとそういう遊びはしてはいた。

しかしこれはあくまで、時間つぶしだった。 僕は普段は、音楽をやったり バイクで峠を走ったりしていた。



僕が本格的にパソコンに復帰したのは94年ごろである。 マイミクにもいる旧友のあびる氏にWindows3.1を見せてもらったことがきっかけだった。

当時、DOS/V機というものが流行していたのだ。 DOS/V機というのは IBM互換機の事で、 内部のパーツが規格化されており、部品単位で購入し自分で組み立てる事ができるということが売りだった。 これが パーツひとつだけ変えただけで新機種として売り出していたNECをぶっ壊したのだ。

今でも覚えているけど、池袋の東口の階段に「パソコン 新型 DOS/V機 100,000円!」ってポスターが張ってあったのだ。 当時PC9801が30万以上の値段で売られている事を思うとこれは驚異的な値段でもあった。

これをみた時、僕は、「オレの時代が来た!」と思ったのを良く覚えている。 それぐらいから、僕はプログラマに戻ろうかな... という事を思い始めていた。



ともあれ、80年代はとても華やかな時代で、あの時代にパッと戻って、あのにぎやかなゲームセンターに戻って、あの平たいゲーム機に100円を投入するあの独特な興奮を楽しみたいなぁ... と思う。 しかしである。

ふと思ったのだけど、僕が戻りたい80年代は、今なのだ。
戻りたいあの時代は、常に戻られたいこの時代でもある。
どの時代にも必ず存在するもの、それが今だ。



思えば今もテクノ時代である。 時代はインターネット。言ってみれば第二テクノ時代みたいな感じだろうか。 そして、第二テクノ時代も、どうやら、80年代テクノ時代に負けず劣らず、腐りはじめているようだ。

1984年ごろ頂点を迎えたテクノ時代が、退廃したのが1988年ごろだった。 そしてDOS/Vが発売され退廃したテクノ時代に終止符が打たれたのが大体1994年だった。

今に置き換えてみる。 95年にWindows95が発表されてパソコンが広まり始めた。 インターネットは 2000年ごろにかけて爆発的に普及し始めた。

ここで、僕の独断と偏見で判定すると、第二テクノ時代の頂点は WEB2.0が言われ始めた2005年なような気がする。 ここから NECよろしく 囲い込み戦略による 閉鎖的なマーケットが生まれ始めた。 ここから、長い下り坂に入っているように思える。

80年テクノ時代が腐り始めたのが88年でDOS/V機が発表されるまで約6年かかっている。 誤差は ±1年ぐらいだろう。 とみると、 今の腐りつつあるテクノ時代に終止符が打たれるような事件が起こるのは、2012年ごろであるとみることができるかもしれない。 若干大胆な結論だが...。



2012年。 僕は タイムマシンに乗って今に戻りたいと考えているだろうか。 そこで、「あぁ このときこうしていればなぁ...」 と思うだろうか。 その時、僕は、「今何をしていればなぁ」と思うのだろうか。

その昔こそが、今だ。
それをイメージして今やればいいのである。
何もタイムマシンに乗る必要はない。
今がその昔なのだ。

今はまだ2008年だ。 僕が今構想している事は、おそらく「あって当然。ないのが不思議」ぐらいなものだと思う。 でもまだこの世に存在しないのだ。 それを先に作ることができれば、僕にも勝算はあるはずだ。 まだ時間はある。 やれる事はやろう。



コメント一覧
おかあつ   2008年02月15日 11:02
YMOが散開したのも 1984年なんだな... 。 何かシンクロしてるな。
bobcat   2008年02月15日 23:08
私が離婚したのも1984年…シンクロしてませんにゃσ(^◇^;)
しかし、あの時代がいちばんいい時代でしたね
どんどんいいアニメが出てくるわ、MTVは全盛時代だわで(金曜日と土曜日の夜中延々見ていて、日曜日はヘロヘロ)。
「メガゾーン23」ってアニメの中で「あの時代が一番いい時代だったから」ってセリフがありましたが
…それが今になってよ~くわかります。
コンピュータもゲームも全然さわりもしなかったです、みんながやってるから
あまのじゃくなのでしょうね。
ガクムラ   2008年02月15日 23:35
>「パソコン 新型 DOS/V機 100,000円!」

コンパックが格安DOS/V機を出した時の衝撃を憶えています。
それまでワープロ(NECの文豪ミニという名前の)を使っていました。

ショックでした。
その後、僕がPCを買ったのはウィンドウズ95搭載機でした。
あびさんにどの機種が良いかを教えてもらって買ったのを憶えています。

まだ、ネットの接続速度も遅く、HPにアクセスして画面が上から表示されるのに3分くらい待ったのを憶えています。

懐かしいなぁ。
クレ   2008年02月15日 23:58
1980年義理で買ったカシオのPCはまったく使い道がわかりませんでした。あれは何に使えたのでしょう・・・
001、002、と本そのままにプログラム写すだけでも死にそうで、自分でプログラムをして遊べるなどとは想像さえできませんでした。その後の富士通?PCにはゲームがたくさんあったので、それで遊びましたが、他に使えませんでした。小さなプリンターを買って、レジみたいな数字を打ち出して遊んだくらいです。使えない箱はほこりをかぶり、W95のコンパックを8万5千円で買った15年ぐらい後までただ放置されてました。同じ時代に生きていても、受け止め方はほんとさまざまで、使いこなす程度でアップアップの人間と、その上を行く人間とずいぶん違うものですねえ。
おかあつ   2008年02月16日 05:15
bobcat
>私が離婚したのも1984年…シンクロしてませんにゃσ(^◇^;)

え゛!( ̄ロ ̄;  そんな上だったんだ! 絶対年下だと思ってた... タメグチ聞いて申し訳ありません... つか若い!

...と 意表をついた点に驚いたところで(^_^; .... MTVは一番の娯楽でしたよね。 経済がメチャメチャ調子が良くていい音楽もたくさんあったし... ゲームもアニメもたくさんありました。 そして少子化とかそういう言葉もないわけで見る人もたくさん居ましたし。 最近ラジオで小林克也が昔風のDJをやってるのが結構好きです。


ガクムラ
>コンパックが格安DOS/V機を出した時の衝撃を憶えています。
>それまでワープロ(NECの文豪ミニという名前の)を使っていました。

ワープロって言うものがあったよね... 当時。 ショックだったよね。 95年。 ポケベルとか使ってたよね。みんな。 なつかしいなぁ...

僕は当時、プログラマだということを忘れていてね。 人からもバイクとギターしか能がないと思われていた。 そんなとき、パソコン大好きだったあび氏に誘われてね。 家に行ってプログラムを組んだら物凄く驚かれてその時初めて、プログラムを組むのって難しいのか... と知った。 思えば変だった。

クレさん、
>1980年義理で買ったカシオのPCはまったく使い道がわかりませんでした。あれは何に使えたのでしょう・・・

PB-100ですね。 (-_-;;;;;; なつかし!! 良く持ってましたね... あれはホントに非力でした。 でも当時のプログラマはあんな機械でフライトシュミレーターとか作ってたんですよね...。 ほとんどナゾですよね。

>001、002、と本そのままにプログラム写すだけでも死にそうで、
使ってたんですか?! すごいですね!

http://tshibuki.hp.infoseek.co.jp/pb/index.html
何か今は PB-100シミュレーターというものがあるんだそうです。
もういちど やってみてはいかがでしょうか....

って冗談です。 やらないですよね...。
おかあつ   2008年02月16日 05:26
> http://tshibuki.hp.infoseek.co.jp/pb/index.html

このホームページの中ほどにあるカセットレコーダーの写真... あれ 僕持ってました。 あれは1200ボー (大雑把に言って1200bps) のデータを早送りする事で倍のスピード2400ボーで読み込むという荒業が使える機種でした。 当時のテレコで2400ボーで読み書きすると、性能が足りないので十中八九読み込みに失敗するものでしたが、このアイワのテレコは特殊な回路を使うことで2400ボーでもチャンと読み書きできました。 なつかし!

PB100用のプログラムがたくさん公開されてる... 恐らくこの方もベーマガ投稿者だったんでしょうね...。

しかし思い出せば、あの当時のプログラマのイマジネーションって凄い。 たったアスキー文字8文字にあそこまでのストーリーを詰め込む創造性っていうのは、今のプログラマが忘れたクリエイティビティーの精神だよな...。
おかあつ   2008年02月16日 05:43
>あれは1200ボー (大雑把に言って1200bps) のデータを早送りする事で倍のスピード2400ボーで読み込むという荒業が使える機種でした。

これっていうのは、今では想像もつきませんが、20分かかるプログラムの読み込みが 10分で終わるという革命的な効率アップをもたらしてたんです。 プログラムのサイズは20kb程度です。 今となればメモ書きか! っていうサイズですが...。
 
出展 2008年02月15日05:38 『タイムマシンに乗りたいですか?』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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