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2006年10月19日木曜日

客観的 (mixi05-u459989-200610192241)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
客観的
2006年10月19日22:41
相変わらずネット不可期間中です。 ご迷惑おかけしております...。



ところで、最近良く思うのです。 自分に客観的になる事はいいことだ、と人は言いますが、本当にそうでしょうか。

僕は、何をやるのもあまり客観的にならないようにしています。

だって。

つまらないじゃないですか。

客観的になっちゃったら。

しばらく前、アイスホッケーに打ち込んでいたことがあったのですが、僕は、大体体育会系というものに縁遠い人種だったので、だいぶ引け目があったのです。 ですが、一念発起して社会人ホッケーチームに飛び込みました。

部員の方は全員、学生時代からアイスホッケーをやっていた人たちで、僕は、完全に部外者でした。 だから、完全に客観性を保っていました。

でも「そんなに頑張って何になるんですか?」とか「別にそんなに練習しなくても大会に出るわけじゃないからいいじゃないですか」とか、いっても、実に意味がないじゃないですか。

そこに、客観的になりきれないからこそ、みな、社会人になっても、それに打ち込んでいるわけで、そこに、『何か』を感じているのだと思うのです。

ここで、いかにして、途中から割り込んできた無名の自分が、同じような心境を作り出せるのか=モチベーションを維持するのか。

ここで、客観的になってしまったら、あっさり「別にやらなくてもいいじゃん」となってしまうじゃないですか。

もとより、子供の頃からやっている人には『100%』『絶対に』かないません。 そういうモチベーションが上がりづらい状況で、どこまで、自分のモチベーションをキープして、自分のペースをつくり、努力を続けられるのか、というのが、僕の中でテーマでした。

結局、残念ながら怪我が原因でやめてしまったのですが... その2年間はとても勉強になりました。 とてもよい友達にも恵まれましたし... チームワークという事に関して、すごく深い含蓄を目の当たりに出来た感があります。


この部のキャプテンは、相当凄い方で、しばらくカナダにいき、ちょっと普通ではありえないような経験をしてきた方でした。 この人は、ものすごい集中力とリーダーシップを発揮する人でしたが、決して客観的な人ではありませんでした。 あくまでも主観的に夢中になって、出来る努力を出来る範囲で続けていました。

こういう凄い人は、しばしば、そういう主観性を持っているように思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


とはいえ、誰もが、そんな、主観性を最低一つだけは持っているんだと、僕は思います。 それは「国民性」です。

主観性っていうのは、自分はすごいイイと思ってやっているんだけど、他人が見ると、バカみたいに見えることではないかとここでは敢えて乱暴に言い切ってみたいと思います。

だとすれば、これは、近い価値観を持った人のあつまり=国民で成立する「なにがいい」「なにがおかしい」といった常識感覚でもあるわけではないか、と思います。 当然、違う国に行くと、全く違う常識感覚があるのではないでしょうか。

他の国に来てしまえば、客観的であるのは、実に当たり前なのではないか、と僕は思います。( 実は、僕は、他の国を客観的に語る人が、いまいち好きになれんのです。)

そういう場所では、いかにしてその国の人たちがそのくだらないと思える事に関して夢中になっているのかを、自分も理解する=いかに主観的になれるのか、こ・そ・がものすごく大切な事なのだと思います。

難しい事です。

~~~~

ですが、この人の主観性を汲み取る感覚というのが、僕は、凄く好きです。

この感覚は、うまくいえないのですが、現代ジャズを聴くときの感覚と非常に近い物があります。

それと、語学を勉強する時の感覚とも凄く似ているといつも思っています。



ところで、僕は、別に努力したってへるもんじゃなし...という心境になることが、僕はよくあります。 別に、同じ時間を過ごすわけで、その時間を勉強に当てたって、減るもんじゃなし... いいじゃない。 ぼんやり過ごすより、よっぽど面白いじゃない... 的な。

そう思いながら、今日も、ぼんやりと、ディズニーチャンネルをつけてゴロゴロしています。

(^-^)

P.S.
このディズニーチャンネルですが、タイ版なので、タイ語と英語が半々ぐらい、字幕無しでひたすら流れているという「優れもの」です。
(^-^;;
最近ハマってます

# ハンナモンタナ最高

コメント一覧
JUN   2006年10月19日 23:57
自分の主観性を大切にできるから、相手の主観性にも興味を持ち、心を通じ合わせることができるのだと思います。
客観的に見つめていたら、お互いの距離感が縮まらないですよね。
海外旅行の楽しみは、その国の文化に浸ってみることだと思います。
「文化=人」ですので、客観的に見つめていては、クソ面白くもないですよね。
さい   2006年10月20日 05:25
おかくんはご存知の通り、究極的主観世界ともいうべき、ある信仰をかつてしていた。
大学で科学をやって初めて「客観」と出会い、とても困った。

その後信仰をやめるとき、全く別の宗教の集会に行った。
宗教ってみんな「自分だけオリジナル」といってるけど、
みんな同じだという当たり前のことが、ようやく分かった。

その宗教の中心者が虐待で逮捕されちゃったニュースを見たとき、「やっぱり」って思った。

こんな感じで、特殊な状況では、客観は非常に役に立つと思う。

ダンサー・イン・ザ・ダークは主観を無理やり引き出すのに、
客観を必要とさせるという精神暴力的な映画だと思う。

主観を引き出すのは、感情に訴えかけること、
客観を引き出すのは、現実が主観からずれたときのやむをえない事態

主観だけで事足りるうちは主観だけの方が全然楽しい。
主観が役立たずになったら客観に頼る。
おかあつ   2006年10月21日 17:27
JUN様
さい様

すごく対照的な書きこみが連続して感動してしまいました。

僕は個人的にはJUNさんの意見と同じような感覚を持っています。

>客観的に見つめていたら、お互いの距離感が縮まらないですよね。
本当にそのとおりだと思います。

でも、とはいえ、さいの意見が間違っているとも感じてないです。

(実はさいは自分の旧友なのですが)さいは、特殊な感受性があって、どこにいっても、さっと染まれる繊細さを持っているんだと思うのです。 そういう能力のある人は、自分にとって益のあるものでも害のあるものでも、「さっ」と染まってしまえるので、逆に、客観性は絶対不可欠だったのかな、と僕は感じました。

P.S.
客観性、っていうのは、主観性がないと持てないものでもあるかもしれないしね...。 自分の意見に対して、君はxxxだというのも客観性だしね...。


P.S.2
> おかくんはご存知の通り、究極的主観世界ともいうべき、ある信仰をかつてしていた。

信仰していたのは僕じゃないぞ! (`Д´)
JUN   2006年10月22日 05:15
いろいろな考え方があって当然だと思いますが、客観的な思考ばかりだと、評論家ばかりで実践する人がいなくなってしまって、世の中が困ったことになると思います。
客観という言葉の肯定的な観点は、自分が主観的に何かにトライするときに、他人ならどう思うかを今一度別の立場から考察してみるという安全策を施すことだと思います。

>ダンサー・イン・ザ・ダークは主観を無理やり引き出すのに、
>客観を必要とさせるという精神暴力的な映画だと思う。

もともと映画は、観ている者を登場人物の誰かに例えさせることで感動を狙うメディアだと思います。
ダンス・イン・ザ・ダークは非常に印象的な映画でした。自分が主人公だったら、きっと同じ事に陥っていたという恐怖を抱きました。
一方で、死刑から救いたいという衝動に駆られて、いても立ってもいられない心境になりました。
この心理ですが、前者を主観、後者を客観と言ってしまうと、映画の楽しみ方が半減してしまう気がします。
ちょっとアホみたいかもしれませんが、後者も主観的に捉えるから感動(この映画の場合悲しみややるせなさ)が倍増されるのだと思います。
さい   2006年10月22日 07:33
客観的だけになれる人はあんまりいないと思う。
生まれたときは主観しかないと思うし、
ある意味客観は努力しないともてないと思う。

私も客観不要論が語れるくらい大人になれればいいのに。

1つ1つのアドバイスは保険かもしれないけど、客観は「真実が見えるだろう場所」だと思う。

客観的思考ばかりの「客観地獄」は無味乾燥だと思うけど、
主観的思考ばかりの「主観地獄」は超こわかったよ。

ダンサー・・・の後半は客観で見るといいと言いたいのではなく、
私にとっては客観の必要性を感じさせたのであって、
客観で見ると楽しい、と言っているわけではありません。

(おかくんに、主人公に似ているから見たほうがいいと、ものすごい勢いで薦められて見る羽目になった)
おかあつ   2006年10月22日 23:24
>(おかくんに、主人公に似ているから見たほうがいいと、ものすごい勢いで薦められて見る羽目になった)

そーです。 そのとーりです。 僕が犯人です。

(^-^;;;;;;;;;;

# 色々な古い友達に10年以上前に進めた音楽や映画について苦情を受ける今日この頃...


>いろいろな考え方があって当然だと思いますが、客観的な思考ばかりだと、評論家ばかりで実践する人がいなくなってしまって、世の中が困ったことになると思います。

実践派のJUNさんにこんな事をいうのは、すごく恐縮なのですが、これは、僕がすごく感じている事と同じなのです。

そうなんです。 理論を立てて人に文句を言うだけなら、実に...実に、ものすごく簡単なのです。 じゃぁ、お前は自分の人生をかけてそれを実証できるのか、と問いたくなります。 ほとんどの人は、そこがかけているように感じます。

僕も、そう思って(まだまだですが)普段の仕事を積み重ねてます。 でも最終的に自分が間違っていたことを証明してしまうかもしれません。 そういう恐怖をいつも感じます。 そうならないように頑張りたいと思います。

>客観的思考ばかりの「客観地獄」は無味乾燥だと思うけど、
>主観的思考ばかりの「主観地獄」は超こわかったよ。

かなり、抽象的なところに踏み込んでしまう事を恐れずにいう必要があるのですが、彼女は、もともと、日本で最大手のS宗教団体(って隠すこともないかもしれないですが)に属していて、紆余曲折あってやめた経緯があるのです。

僕は、座禅に興味があるくらいで、基本的に無宗教ですが、基本的に宗教をやる人は、好きです。 宗教は人に謙虚さや忍耐や努力も与えるように思います。

ただ、時折...ですが、人の主観をいじくりまわして狂わしてしまうこともあるような気がするのです。

いじくりまわされてしまったあと、どうやって、自分の主観を取り戻すのか...っていうのは、とても難しい問題ではないか、と僕は思います。


タイにいると仏教がすごい盛んで、みな人生で一度くらいは座禅を組んだ事があるとか、すごく熱心です。もちろん、そういうものにはいささかの不健全さも感じません。

S宗教は遠めにみるとそういうものとも同じような...気もするのですが、やはり絶対に違う部分もあるような気がします。 これについては、なんとも言いがたいものがあります。

( 少なくともタイの仏教は、自分の宗教についての批判に対する最適な反論を暗記させて昇級テストに出したりしませんし...。)

僕は、Sを人がやっていることをとがめたりはしませんし、僕が大好きな某ジャズプレーヤーも属しているぐらいなので、そこには何かがあるのだろうと思います。しかし、自分はやらないだろうと感じます。



彼女は、会ってみると、非常にのめりやすい性格です。 しかも、彼女は、直面する問題が難しければ難しいほど、粘り強く問題にあたり、ちょっとしたことでは諦めません。 (彼女は最終的にやめはしましたが、N先端大で遺伝子を研究する院生だったのです。)

ところが、逆に、難しい問題を与えておけば、すぐ周りが見えなくなって、あっさり周囲の思い通りに動いてしまう人なので、結構危なっかしいのです。

彼女は、頑張って客観性を意識する程度のバランスが必要であるようにも思います。 それを知っている彼女はそのことを主張しているんだと、僕は思いました。


... なんちゃって(^-^;;;
さい   2006年10月22日 23:55
まあ、そんなところです~
JUN   2006年10月23日 17:02
日本は多神教であるところが、平和で大好きです。
仏さんにちぃーんと拝んで、神棚にぱんぱん、実に良いと思います。
私の場合は浄土真宗でありながら、キリスト教の教会へ行くと、とても神聖な気持ちになります。
カルトか宗教かのボーダーは、想念の深さにあると思います。
つまり判断には個人差がありますね。
芸能人は個人事業者が多く、社会保険等に入れないため皆不安です。
だからSに入る人が多いですね。不安から救っていると言う点では評価できると思います。でもD寺とのわだかまり後、I先生=神様となると、想念の浅さを否めません。
多神教の良さを上手く活かして世界平和に勤めることのできる国が、キリストvs.イスラムでは、キリストに突っ込みすぎですね。
 
出展 2006年10月19日22:41 『客観的』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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