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2006年10月21日土曜日

誕生パーテー(注:酒入り長文例によって...(^-^;;) (mixi05-u459989-200610211753)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
誕生パーテー(注:酒入り長文例によって...(^-^;;)
2006年10月21日17:53
今日シャワーを浴びている時、ふと、天井を見上げてみたらそこに足の長いクモがいてちょうど虫を捕まえたところだった。 クモは、近くまで行って虫を取り上げて、前足を使ってしばらくぐるぐる回していた。 そのままがぶりと食べるのかと思ったら、そうではなくて、取り上げたまま歩いて、安全なところまで移動した。 そして、また、前足を使ってぐるぐる回していた。5分ぐらい見ていたけど、食べる様子が無いので、痺れを切らして風呂から上がってしまった。

今日は、酔っ払っている。 仲良くなったホテルで働いている友達の誕生日パーティーに呼ばれたのだ。 彼は、タイ人だけど、かなり異色な人だ。 イサーンで生まれ、イサーンで育ったのだが、3歳の時に家族の関係でギリシャに渡ったあと、紆余曲折を経て28歳の時にイサーンに単身戻ってきた。彼は、ギリシャ語はネイティブ、英語もかなりネイティブに近い英語を話すが、タイ語やイサーン語は話せなかった。その後、努力して、今はイサーン語もタイ語も話せる。 だが、ちゃんと教育を受けているわけではないので、ビジネスレベルの難しい話になると駄目なのだそうだ。 そんな彼の誕生日パーティーに行った。

この日記によく出てくるイギリス人のホテルの女性オーナーと、一緒に働いているやはりイギリス人のおじさんとその彼女、誕生パーティーのホストを買ってくれた、よく遊びに来るイギリス人の若い子とそのイサーン人の奥さん、奥さんは、チェコに5年以上いたことがあるという国際派で...その家族のイサーン人とそのいとこと...という感じだった。

イサーン人は一緒に集まればイサーン語しか話さないし、イギリス人も集まれば当然イギリス英語しか話さないし、その誕生日の友達は、ギリシャ語ネイティブでタイ語は苦手とはいえ、イサーン語は第二のネイティブみたいなものだし、タイ語を話すのは、僕だけという、奇妙な状況だったが、それはまあいつもの事だった。

僕はこんな事は、一言も言わないし、いえないけど、その誕生日の彼は、語学が結構ボロボロなのだ。発音も結構すごいことになってるし、僕でもよく英語を間違えているのに気が付くぐらいブロークンだ。 前聞いた話。 バイリンガルにあこがれて、海外で子育てする。 ところが、徐々に、これは、ものすごくお金がかかる事だと気が付く。 そのどちらの言語もネイティブレベルにするには、その両方の正式な教育を受けなければならない。 お金が足りなければ、子供は、どちらもネイティブレベルに到達しないという望まざる状況に陥る。 彼は、それを、望む望まざるに関わらず、地でいってた。 恐らく相当苦労していると思う。

しかし、僕は、非常に思うところがある。

僕は、英語に関しては、いろいろな教育を受けてきているし、タイ語もイサーン語も色々な教育を進んで受けてきている。 ところが、タイ語もイサーン語も英語もボロボロの彼のほうが、理解力も話題力もあるのだ。

彼は、基本的な「ノリ」をつかんでいるのだ。 この「ノリ」をつかんでいると言葉の細かなディテールが理解できていなくても会話にはいっていくことが出来る。 それはなんともうまく言う事ができない感覚なのだが、あえて言葉にしてみれば、その国の人の「ああいえばこういう」というクセを良く知っているというものだろうか。 「○○と言えば!」 「××でしょう!」 というものだ。

例えば、「大阪と言えば!」「お好み焼きでしょう!」 みたいな。 この単語の連想するもののイメージがちゃんとしてないと、どんなに勉強しても話せるようにならない。 また、これは、往々にして勉強してもちゃんと身に付かない。 その国に住んで文脈を共有していないと、どうしてもトンチンカンになってしまう。

ちょっと話はずれるけど、「UMA」とでっかく書かれたTシャツを着て歩いている人を見たことがある。 日本人の僕などは、どうしても「馬か!」と競馬方面の話題をイメージしてしまうのだが、これをみて即座にユマサーマンをイメージし、ついであの黄色いスーツをイメージしてしまう人もいるのだ。そう思ったことがある。

そういう思いではいっぱいある ... 横浜にいる時、スターバックスにすごい変な人がいたことがあった。 歩いていると突如、人の目の前で「いち!に!さん!し!」と 物を数え始める男性がいたのだ。 相当変な人だが、この人は、このスターバックスで変な人で有名だった。

ある日、これをみたアメリカ人が、突然教会の話を始めたときは、相当おどろいたし、驚くどころか、僕は全然話についていけなかった。 あとで、その話を聞いていた日本人の友達(アイスホッケーのキャプテン)に解説してもらった。 教会の頂上にライフルを持った人がいて、眼下を歩く人を一人、二人と殺していく有名な殺人鬼(映画?)がいたのだそうだ。 この人は、この殺人鬼になぞらえて、ギャグにしていたのだそうだ。

そういえば、僕の非常に尊敬する友達でもあり、一番ムカツク友達でもある、ツッキー氏にこういう話を聞いたことがあった。 彼はフランスにいるとき、テレビを見ていたらこんなショートアニメがあったのだそうだ。 なんという名前だったか... ツールドフランスの有名な選手が自転車で走っているところに、一匹の蚊が飛んでくる。 蚊は、選手の足に止まったら、ものすごい勢いで狂ったようにブーーウンと羽ばたき始めるや否や、飛んで行ってしまったのだそうだ。

これだけみれば、なんとなく、面白いアニメなのだが、どうにも、ひねりがなさ過ぎて、腑に落ちない。これは、実は、この選手は、かつて、ドーピング問題でスキャンダルになり、話題をさらった人だったのだそうだ。 この話を聞いたとき、僕は、なるほど、と思った。 こういう話題は、そこに住んで、その国の人たちと文脈を共有していないと、何の事だかさっぱりわからない。 たとえ、住んでいてもなかなかそこまで主観的にはなれないものだ。 このアニメがギャグだと気が付いただけでもツッキーはかなり鋭いと言える。

このような例は、日本では... 多分、一番沢山あるのではないか。 「××なんか飾りですよ。」 とくれば「お偉いさんにはそれがわからんのです」と続く人は少なくないであろう。 「親にも殴られた事がないのに」 と言われると、「それが甘えだと言うのだ」と思わず返事をする人も少なくないのではないだろうか。 特に30代男性だったりすると。 これについて詳しく説明したいと思う。 これは、80年代に非常に爆発的にヒットしたロボットアニメーション、ガンダムでの有名なワンシーンのセリフであり、現在30代前後の世代であれば、知らない人はいないと言い切れるぐらいの有名なセリフである。

これらが、どれくらい、外人に理解されるだろうか。 それどころか、日本人であっても、2006年現在30代ではない世代の人にだって理解されないかもしれない。

そういう意味では、僕は、イサーン語は、大分慣れたような感がある。 ほとんどわかってないのだけど、何の話題で何について話しているのかをつかめば、大体、次はこういう話題だろう的なパターンは大分みてきたような気がする。 少なくとも僕はそう思っていた。

話が大分それた感があるが、ここで、話は元に戻る。 その誕生日の友達は、この「××といえば」「○○でしょう」の感覚が、僕なんか比較にならないぐらい、ずば抜けてよくわかっているのだ。

単語比べや、文法テストをしたら、絶対僕が勝つ。 それは、間違いがない。 だけど、この会話力だけは、やはり、どう工夫しても、僕にはまねできない。 経験なのだ。 彼は、あくまでもネイティブなのだ。 育ってきた状況の困難さが全然違う。 僕が難しい!とか思っているこの状況が彼には日常だったのだ。 彼は、英語を話してもタイ語を話しても、しっかりしたこの感覚をつかんでいる。

というわけで、非常にうらやましくもある。 今日は僕は、かなり、ジェラシーを感じた。

だが、彼は、かなり酒好きでレイジーな奴でもあった。 ほとんど努力をしないのだ。

実にもったいない。

みていると、しょっちゅう文化相違でケンカをしているのだが、僕なんかが見ると、「ホンのちょっと努力すれば」解決する問題なのに、と思う。


ちょっとまえ、タイにいる日本人の話をタイ人から聞いたのだが、結構読み書きが出来る人は多いといっていた。 だが、ほとんど話さないし、話しかけないなぁ...と言われてしまった。

恐らく、日本人であれば、文法や単語力の強化など、そんな、デジタルな訓練には強いのだと思う。 だけど、僕のその友達の様な、洞察力は、やっぱり、経験や、観察力、究極的には、人間力が物を言うのだと思う。

だいたい、情報量というのは、多ければ多いほど、実は、迷うものなのだ。 物事というのは、意外と、勉強すればするほど、わからなくなっていくものだ...。

それをガバッとつかんで、大体こんなもん、と理解する洞察力は、実践の中でしか生まれないのではないかと思う。

実は、実践で得る情報量は、勉強で得る情報量なんか比較にならない情報量を含んでいるからかもしれない。



と言うわけで、僕は、今日パーティーのなかで、ほとんど話さなかった。


ところで、こういうパーティーの常なのだが、どうしても、イサーン語グループ・英語グループに分かれてしまう。 いつもは、イサーン語グループに混じっているのだけど、今日は、英語グループに混じって話をした。

その時話題になっている事が何で、何がどうなっているのかは、「大体」わかるんだけど、細かい言葉尻が聞き取れてない(または知らない)ので、どうしても、話に入っていけない。 僕みたいな理論好きな奴の悪いところなんだけど、話が難しくなればなるほど、有利になってしまうのだが、そういう話は、こういうところでは、ふさわしくない。

思えば、昔、僕は、そうだったな、 と思った。 話の流れを読むのが苦手で、すぐ難しい話をして、「いまはそういうはなしはよそう」と言われてしまう小学生だった。 そのことで随分悩んだ事を思い出した。 だいたい、話についていけているなら、この日記にだって、その話の内容を書くだろう。

でも、まあ、ホテルで問題になっている女の子の話をしたり、ゲイ差別の話があったり、黒沢監督のはなしがあったり、オーナーが大好きなロビーウィリアムスの話があったり、色々あったか。 でも、そこで、面白いチャチャを入れて、盛り上げたり... 出来ないんだよなぁ...。

これをやるためには、どうしても、言葉断食をしないとやっぱり駄目だな...。 普段から話してないと。

今、僕は、どうしても、タイ語を話してしまう。 これを、我慢して、イサーン語を話す。 英語を話すようにしないと。

今、最低限、日本語断食はしているのだけど、文章は、こうやって日本語で文章を書いているしな...。

文章を書く言葉を英語にするためには... これをタイ語にするためには... 。 英語で書くにしても、タイ語で書くにしても(イサーン語は書き言葉がない)、違う文化の事を違う言語で書き記すというのは、また別な難しさがあるし... 課題は山積だな...。 しかも、プログラミングしながらだしな...。

こうして日本語断食をしていると、逆に日本のことを説明できなくなって困る事は少なくない。もちろん、だから日本語断食はやめたほうがいい、と言うのは論外なのだけど、日本語も外国語も両方とも同じ比重で話すようにしないと、逆に現地に染まりすぎちゃっても面白くないんだよな。 その落差が人からみると面白いのであって、片方に染まりすぎちゃってても駄目なんだよな... 。( もちろん、染まる事自体ものすごい難しい事なので、染まる事に最大限の努力を払った上で、染まるのをぱたっとやめられるといい、というはなしだけど...)
コメント一覧
退会したユーザー   2006年10月21日 21:53
長いから3行までしか読んでないけど..

お友達お誕生日おめでと~☆
つっきー   2006年10月21日 22:30
アニメじゃなくて人形劇ね。リシャール・ビランクという自転車の人。探したらあったよ↓
http://www.zone-videos.net/video-519-richard-virenque.html

さい   2006年10月21日 22:30
言葉断食!
わたしは頭がやわだから、
そんなことしたら脳みそがぐちゃぐちゃになりそう。
みにまゆ   2006年10月22日 00:56
同感!!
私はキーキアットなのでおかあつさんみたいに勉強してませんが、でも同感です!!
語学力と言うより、言葉のセンスですよね。
タイの文化だからか?ほとんど言葉の通じない人とでも何故か自然と会話ができたりするのですよね~。フィーリング!センス!日本人の不得意分野って切ない・・・。
さい   2006年10月22日 07:40
>いも
長いのに読めたんだ!
おかあつ   2006年10月22日 23:44
>つっきー

フォローありがとう。 そっか...人形劇だったんだ。
ネットが回復したら見てみる。

>いも様
>語学力と言うより、言葉のセンスですよね。

ホントそうですね...。 そういう意味で、農村文化を持ってるタイは、すごく、日本と、ノリは近い物があるような気がします。

でも、やっぱり、難しいですが...。


>sachi
>長いから3行までしか読んでないけど..

ウガー (`曲´)
とと   2006年10月24日 10:53
またお邪魔しま~す。
いつ来ても興味深い話題ですね…。
タイに住んでた頃、誰とでも話題を盛り上げる若いカナダ人がいて、彼のタイ語の発音が、私には耳障りなほどめちゃくちゃだったことを思い出します。語彙も発音も私の方がマシなのに、私より彼のほうがタイ語が話せると周りのタイ人に思われてて(実際そうだけど)悔しかったものです。
もひとつ、タイ語学習では一番苦しんでいたはずの友人と、タイ人達と一緒にご飯食べてたときのこと。
誰かが財布を取り出したときにすかさずワイしてみせたり、ミニスカートのウエイトレスが通ったときにわざとハンカチ落とすまねをして、目配せで笑い合い、タイ語をほとんど話さずに彼が場の空気をつかむのを見て、唖然としました。
コミュニケーションは語学よりセンスなんでしょうか。

いや、昔話を長々と、失礼しました。
おかあつ   2006年10月24日 16:18
ととさま

僕は、実は、小さい頃から無口で一人で本を読んだりする事が多い子でした。 今ではこういうことを言うと、「お前がか !(`Д´メ」とツッコまれるぐらい、しゃべるようにはなったのですが、基本的にあまりしゃべるのが得意ではないんです。

これって... 実は、何語を話しても変わんないんですよね。 すると、あまり話さないので、何語を話しても上達が遅くなってしまうという...。

でも、持ち味って言うのが、あると思うんです。

自分ごとで申し訳ないのですが... 外国語に居ると、どうしても「なじまなきゃ」っていう意識が強くなってしまって、「もし、コイツが日本人だったら絶対 一緒に居ないだろうなぁ」という人とも頑張って一緒に過ごしてしまったりするような気がします。

やっぱり、相手が外人であっても、どうしても一緒に居てうまく話せる人と話せない人ってあるので、気負わないで自然に振舞ったほうがいいな、と思う事があります。

確かにツカミって大切ですよね。 僕もすごくそこが苦手です。 でも、ツカミはオッケーでもそこから仲良くなるのが難しかったりもしますし、僕個人的には、得意なコミュニケーションで勝負だ!と思うようにしてます。
ガクムラ   2006年10月31日 21:21
僕にはコミュニケーションの師匠がいます。

コミュニケーションについておもしろいことを語っていました。
ノンバーバルコミュニケーションを鍛えるには、猫や犬、赤ん坊などとコミュニケーションをしなさい、と。
直接、人と人が会った時、もっとも情報量が多いのが、ノンバーバルだから、言葉のコミュニケーション能力を補うにはもってこいだ、と。

実家にいた時、部屋が空いていたので、イギリス、オランダ、タイ、オーストラリアの人がホームステイしいきました。
その中で、今でも一番記憶に残っているのが、一番会話できなかった子です。

なぜか?って今思うと、その子はすごく気配りができて、むずかしいことは話せなかったけど、なぜかココロに残るコミュニケーションができた子でした。

僕はバーバルコミュニケーションがあまり得意じゃないので、うまく書けないのですが、おかあつさんが嫉妬した相手はいわゆるバーバル、ノンバーバルのダブルの能力が高かったということでしょうか?
おかあつ   2006年11月01日 18:08
今度は、僕のほうが文化相違で大喧嘩中なので、なんとも偉そうな事はいえなくなってしまったのですが、書いてみます。

多分その一番話せなかった子はタイの子じゃなかったかな、という気がします。 はずれたかな。

この間、NHKの視点論点で「泥の文化」という言葉を説明していた先生が印象に残ったんだ。

泥の文化って何ぞ...って言う事だけど、要するに「石の文化」「砂の文化」&「泥の文化」っていうことなんだよね。タイは、日本とおんなじ泥の文化で、すごくコミュニケーションし易いとおもう。日本人的には...。


日記を書こう書こうと、思ってまだ書いてないんだけど、僕が住んでいるあたりは、タイなんだけど、いろいろな事情があって結構西洋人が多くてね。

最近たまたまよく一緒に出歩く機会があったんだ。

良く思うんだけど、もう本当に、すごく対照的なんだよね。

日本人⇔西洋人 だと、色々バイアスが入ってしまってよく見えないんだけど、タイ人⇔西洋人だと、自分は関係ないので(^-^)とーてもよく見える。

タイ(というかアジア全体的に)の人は、まず相手を尊重することを第一に考える。思った事を言う前にまず様子を見る。 西洋人は「言わない事は考えていない事」って言う言葉に代表されるように、何にも考えないで何でもヅケヅケ物をいう。 相手が聴いていてもいなくても、まず言う。

この2つは、どうもかみ合わないんだよね。


実際、英語とタイ語を切り替えるのは日本語から英語に切り替える以上にしんどい。 なんというか、文法が...とかを超えて、ノリが違いすぎて変えきれないんだよね...。 もちろん、話しなれてない経験が足りない、勉強が足りないという問題も大有りなんだけど...。

じゃぁどうすればいいのか。

それが今の僕のテーマなんだけど...難しくてわからない。 とにかく今は練習している。

大体、タイ語を話していると西洋人からは「アジア人なんだから当然話せるだろう」って言われちゃうので、まず、ここから説明しないと。

(これを責める事は出来ない。僕だってアメリカにいるとき、西洋人なんだから英語が話せて当然だろう、という意見がどれぐらい失礼な事なのか知らなかったわけだし。)

#(但しドイツ人を除く。あいつら何もワカットラン)

##って言うときに、「ちょーっとごめんね。ドイツ人はすぐに英語が話せるかもしれないけど、アジアでは言語の流派が多いので、すぐに話せるわけではないのよ」って英語で突っ込まないのは、正に、僕がアジア人だからなんだけど...。
おかあつ   2006年11月01日 18:19
# おかあつさんが嫉妬した相手はいわゆるバーバル、ノンバーバルのダブルの能力が高かったということでしょうか?

色々考えてみたんだけど、口下手だけど色々な言葉を話す人はいるし、良く話すけど、日本語しか話せない人もいるから、バーバル・ノンバーバルっていうのとは、また違った切り口なのかもしれない。

言葉が変わると良く話すようになる人もいると思うし、こればっかりは本当にわからないな...。

言葉が変わっても、話し方はなぁ...んも(^-^変わらない人もいるし、これは、本当にわからないや。


それよりは、そこにいる人たちの中で「おい!浮きまくっているぞ!」と自分で気がつく能力なような気がする。

例えば、タイ人って表立っては批判しないから、なにもきにしてないと「実はウラで超有名人」になってしまう可能性があって、これは非常にキケン。

とはいえ、日本みたいに「浮かないようにすることが極めて困難かつ命題」で、浮く勇気を持つことこそが大切な国もあるし... なんともいえないや...。
ガクムラ   2006年11月02日 00:35
>それよりは、そこにいる人たちの中で「おい!浮きまくっているぞ!」と自分で気がつく能力なような気がする。

そうかあ。
それはむずかしいね。
僕は浮きまくっているからなあ(笑)。

>多分その一番話せなかった子はタイの子じゃなかったかな、という気がします。
そうなんです。タイの人でした。
そうかぁ、泥の文化っていうのかあ。
主張を表立ってしなかった。
おとなしいようなんだけど、買物に付き合ったら、すごく真剣に「これで妥協したら?」って提案するんだけど、「フッフフ…」って感じで笑ってするりとかわす。
その時に「う~ん、日本とかなり近い」と思った(笑)。
黙って主張するというか、言わずに否定するというか…(わからないけど僕にはそう感じた)。

>タイ(というかアジア全体的に)の人は、まず相手を尊重することを第一に考える。思った事を言う前にまず様子を見る。西洋人は相手が聴いていてもいなくても、まず言う。
この2つは、どうもかみ合わないんだよね。

うん、僕は、時折、知り合いの日系アメリカ人と会うけど、日本語の世界でアメリカ式主張っていうのが混じっていて、これはちょっとむずかしい。
向こうが僕のレベルに合わせて日本語にしてくれるんだけど、向こうも日本語の「あうん」ができないから、すごく困るコミュニケーションになって疲れるところがあります。
今も、これはむずかしい(僕が英語が話せるといいだけなんだけど)。

ホームステイしていたオランダとオーストラリア人にはかなり馬鹿にされた。
うまく意見を言えないで、ニコニコしていると「何も考えていない」と処理される。
でも、当時、僕は今よりも英語ができなかった。
もう、お手上げだった。

でも、ちょっとおもしろかったのが、イギリス人の人でちょっとなんか違ったような気がした。
「間」というか、「あうん」というかそんなものを持っていたように感じたんだ(たまたまそんな人なのかもしれないけど)。

おちがあって、仕舞いには、僕はオーストラレアの小学三年生に「お前は幼稚園レベルからやり直した方が良い」といわれた(笑)。

それは英語のことなのか、人生のことだったのか?
やれやれ、どちらにしても「やれやれ」って感じです(笑)。


おかあつ   2006年11月02日 01:22
>そうかあ。
>それはむずかしいね。
>僕は浮きまくっているからなあ(笑)。

それなんだけど、

>とはいえ、日本みたいに「浮かないようにすることが極めて困難かつ命題」で、浮く勇気を持つことこそが大切な国もあるし... なんともいえないや...。

日本の場合は、そこの状況がかなり変わっているような気がする。 日本人って極めて人目を気にする民族なんだと思う。 そういう中で、浮くのは現実的にすごく難しい。

でも、日本人には時折非常に変わった人がいて突然なにもないところから偉業を成し遂げたりする。そういう人は、非常に浮いている人がとても多いように思う。 浮くのは日本では一つの才能なんだと僕は思う。



>>タイ(というかアジア全体的に)の人は、まず相手を尊重することを第一に考える。思った事を言う前にまず様子を見る。西洋人は相手が聴いていてもいなくても、まず言う。
この2つは、どうもかみ合わないんだよね。

>うん、僕は、時折、知り合いの日系アメリカ人と会うけど、日本語の世界でアメリカ式主張っていうのが混じっていて、これはちょっとむずかしい。向こうが僕のレベルに合わせて日本語にしてくれるんだけど、向こうも日本語の「あうん」ができないから、すごく困るコミュニケーションになって疲れるところがあります。

これもすごく感覚的にわかるし、僕も苦手なので良くわかる。


>ホームステイしていたオランダとオーストラリア人にはかなり馬鹿にされた。うまく意見を言えないで、ニコニコしていると「何も考えていない」と処理される。

これに関しては、西洋人は外国語を学ぶという事自体わかってないことが非常に多いので、ガツンと言うしかないんだと思う。 さらに、やったことがないと絶対理解できないので、ガツンといってすっきりするだけで、理解させる事は出来ないんだな、と良く思う。

タイにいると、日本人向けの風俗街があるんだよ。 そういうところにいる日本人は、日本でブラブラしている西洋人と何も変わんない。 当然タイ語もわからない。 彼らに「それじゃイカン」っていったところで温度差がすごすぎて理解されない。 それとおんなじじゃないか...って思う。

時間がなくなってしまった... パソコンルームがしまってしまうので、明日続きを書きます。
oxoofo   2006年11月09日 04:02
>「○○と言えば!」 「××でしょう!」 というものだ。
今日は、ここまで読みました。で、
でもそれもすごくいいよね。ぼくはその吸収のスピードがハタで見ていてすごく好きですけれども。
いや、ハタに居てくれなくて、あなたは旅に出ちゃったんですけれども。

「お兄ちゃん、いったい今頃何処ほっつき歩いてるんだか。」
                    さくら
「なーに、ほっときゃそのうち帰ってくんだろ」
                    おいちゃん
 
出展 2006年10月21日17:53 『誕生パーテー(注:酒入り長文例によって...(^-^;;)』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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