FLAGS

MENU

NOTICE

2016年1月23日土曜日

ぶつかる人々、及び自分を知るということ (oka01-qteueepnnvcgjyem)

「アジア系人種の坩堝(るつぼ)」といわれるバンコクの人混みのなかで、顔だけを見て日本人を見分けるのは、とても難しい。だが日本人は、歩き方が独特で、顔を見なくても歩き方だけで日本人と分かる程に特徴的だ。


その日ある用事があり、僕は大きな荷物を持って通勤ラッシュで混雑した電車に乗った。

僕は、大きな板のようなものを持っていた。これを持って電車に乗ろうとした時、車内は満員とは行かない迄も、既に多くの人が乗車していた。荷物を持って奥に入っていくのは難しい状況だったので、ドアの脇に場所を確保しようと思った。そこには小柄な、男性の格好をした女性(性同一性障害に理解があるタイでは珍しくない)が立っていた。

申し訳ないとは思ったが、他に場所がなかったので、そこに僕は板を置いた。するとその人は、板と壁に挟まれたような形になり、その場に閉じ込められてしまった。だが混雑した電車内の一時の事なので、やむを得ない。しかも僕は、その大きな図体をドアの前に晒す形となり、人々の通路を塞いでしまった。

隣の駅に到着した時、僕の後ろ側から混雑した人をかき分けながら数人が降りてくるのが見えた。僕は、その人たちの為に、道を空けるべく、その小柄な女性の方向に避けた。これでこの女性は、完全に板挟みになって身動き取れなくなった。

面白いと思ったのは、次の瞬間だ。 その後、その数人が人混みをかき分け下車し終わったところ、その小柄な女性が下車したのだ。僕は、それに気付いたので、その女性の為に通路を空けた。その女性は、何食わぬ顔で下車した。

つまりこの女性は、その数人が人混みをかき分けて下車することも認識しており、しかも僕がその数人を避ける為に体をひねって彼女側に寄っていることも理解しており、つまり、その数人が下車したあとならその女性もスムーズに下車できるということを、理解していたので、全てが終わるまで冷静に待っていたのだ。

この一件は、僕を驚かせるのに充分だった。何故なら僕は、東京の通勤列車の乗客のマナーの悪さを見ていたからだ。

東京の通勤車内で同じような状況になった時のことを思い起こしてみる ─── 東京の通勤者は、周囲の状況を把握せず、人を思いやらず、慌てるばかりで少しも前に進まず、『我先に』とばかりに下車に急ぎ、人を押しのけ、邪魔な人を罵り、周囲に配慮なく、自分を顧みない ─── そういう人が普通だ。

そういう「ぶつかる人々」と争い続けること10年以上経った身の上には、バンコクの「よく気がつく人」が際立って大人に見える。

この様な「よく気付く人」は、バンコクでは全く珍しくない。バンコクの歩行者は、この様に他人に対して気配りがあるのが当然だ。



僕は目的地に到着した。目的地は終点なので、大勢の人が全員下車した。大勢の人が同時に階段を降り始める。大勢の人が同時に改札を目指す。

僕は階段をおりた後、左手に進行したかった。だが僕は、通路の右側に押し込められてしまった。このまま僕が強引に左折すると、僕が手にしている巨大な板が人々に激突する恐れがある。

そこで僕は、徐行しながら左後ろを確認しつつ、少しずつ左に曲がろうとした。多くの人が僕が左に曲がろうとすることに気付いて、速足で僕の前を通り過ぎた。 だがこの時、僕の左後ろでグズグズしている女性がいた。この人がグズグズしている影響で僕は、曲がれない。

僕は「行くなら早くいけ! 行かないなら早く他の方向に行け!」と思った。 この瞬間、僕はハッとした。「この人は、ひょっとして日本人なのでは?」

前述の通り、「アジア系人種の坩堝(るつぼ)」と呼ばれるバンコクで、顔だけを見て日本人だと見分ける事は、物凄く難しい。その女性は、顔だけで日本人とは見分けがつかないタイプだった。だが観察していると、彼女は前方にいる日本風ファッションに身を固めた女性と待ち合わせをしている様だったので、聞き耳を立てたところ、彼女らは日本語で会話していた。予想通り日本人だったのだ。



その日も僕は、色々な人とすれ違った。バンコクの狭い歩道で、大きな荷物を抱えた僕が通る。だが人々は、どちらが先に狭い歩道を通過するか見極めつつ、道を譲ったり、道を譲られたり、さほど困ることもなく通り過ぎることができる。

こういう状況で、例えば、向かいの人とバッタリ鉢合わせ、右に避けたら向こうも右に避ける、そう思って左に避けると向こうも左に避ける、という実にタイミングの悪い避け方をする人を見掛けたとしたら、それは十中八九、日本人だ。

日本人と比較すると、中国人も、なかなか気付かない人が多い方だ。だが中国人は、日本人と違って、所謂『肩で風を切る歩き方』をする人が多い。人とぶつかりそうになっても、減速せずにどんどんと前に出て行く。 ぶつかりそうになるのだが、ギリギリでスッと肩を引いてぶつからない。 結果的に、人混みの中でも歩くが速い。



タイの歩道では、多くのバイクタクシーが歩道を日常的に猛スピードで走り抜けていることが珍しくない。歩道を歩いていると、向かい側から猛スピードでバイクが接近しブレーキを掛ける気配もないという事は、よくある。

そういう時、無闇にバイクを避けようとすると、避けた方向にバイクも避けてしまうことがあるので、黙って避けずにバイクの接近するままにしておいた方が良い。バイクは、既に避ける算段をしているので、ぶつからずにそのまま通過する。



人の性格は、それぞれだ。よく気付く人。あまり気付かない人。人によって全く違う。そういう中で、自分の特性を見極めて、自分が持っていない特性を練習によって補うことは、大切なことではないだろうか。

日本では、性格は、個人個人によってランダムに顕れるのが普通だが、日本外では、出身民族によって性格に強い傾向があるのが普通だ。これは日本人が、アジア中の多くの民族の混血だからではないか、というのが僕の説だ。

大陸では、誰もが自分の出身民族を知っている。つまり彼は、自分と性格が似ている人をたくさん見たことが有る。つまりは、彼は自分がどういう性格なのか、知っている。

ところが日本では、多くの人は、自分の出身民族を知らない。彼は自分と性格が似ている人を見たことがなく、自分がどういう性格なのか、知らない。

日本人にとって『自分を知る』ということは、生涯のテーマではないか。

(完)

参考資料:
おかあつ日記『ぶつかる人々』




更新記録:
・初稿 (Sat, 23 Jan 2016 13:17:13 +0700)
・公開 (Sat, 23 Jan 2016 14:44:45 +0700)
・追記「この一件は、僕を驚かせるのに充分だった」の段落を追加 (Sun, 24 Jan 2016 14:00:44 +0700)

・修正(Sat, 20 Aug 2016 14:42:06 +0700) 「このまま僕が強引に右折すると」→「このまま僕が強引に左折すると」 左折とすべきところを右折と書き間違えていた点を修正した。

・ 関連記事表示の自動化を行った(Tue, 11 Jul 2017 02:31:24 +0900)

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




おかあつ日記メニューバーをリセット


©2022 オカアツシ ALL RIGHT RESERVED