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2012年7月16日月曜日

ぶつかる人々 (oka01-hjwimyprnftkbwha)

東京で暮らしていると、よく人とぶつかる人の多さに驚くのだが、タイに居ると逆に全く人とぶつからない人の多さに驚く。その違いは一体どこから生まれるのだろうか。

ぶつからない女の子

僕は現在、タイ東北地方のウドンタニー県の市内に滞在している。今日は、夕方まで珈琲屋でコーヒーを飲みながら仕事の作業をして、疲れたので市場にある行きつけの店に行って食事をした。食事が終わって通りをブラブラしていたら、8歳くらいの小さな女の子と道でばったりはち合わせになった。

というのも、タイの市場の脇の歩道などというものは、どこも出店でごった返しており、通路が狭い。僕は、大きなPCかばんを持って歩いているので、歩く時にどうしても幅を取る。その女の子とはち合わせになった場所も丁度、左に寒天屋、右に飲み物屋が出ており、道幅が狭かった。反対側から女の子が歩いてくるのが見えた時、僕は「これはすれ違うことは出来無いな」と思ったのだった。そこで僕は、左に避けて女の子を先に行かせようと思った。その時、その女の子と目があった。目が大きくてとても可愛らしい女の子だった。僕に向かってニッコリ微笑んだ笑顔が眩しかった。ふと見れば彼女は、僕よりも先に我々が通り過ぎる事が出来無い事に気がついており、僕が左に寄るよりも前に、右に避けて、僕が通りすぎるのを待っていたのだった。

僕はその子を見て非常に感銘を受けた。何故か。 その理由は、説明の必要があるだろう。

僕は、東京生まれ、東京育ちである。生まれてからずっと東京で育ったのも東京、学校に行ったのも東京であり、仕事をしたのも東京だった※。だから東京以外を全く知らない。これだけ東京に縁が深いにも関わらず、東京人には常に違和感を覚える。

(※ 正確には、僕が生まれたのは東京からわずかに外れた神奈川県の病院で、生まれてからしばらくの間神奈川に住んでいた。東京に越してからもしばらく自転車で神奈川と東京を行ったり来たりする生活をしていたが、複雑なので大まかに「東京生まれ」と言う事にしている。)

僕は職業柄、キャスター付き旅行かばんをゴロゴロと引っ張りながら駅構内を歩くことが多い。こういう場面で人とぶつかると危険なので、細心の注意を払って駅を通過する。細心の注意を払っているにも関わらず、いつも人とぶつかるのである。何故ぶつかるのか。それは歩く人が周りを全く見ていないからだ。

勿論僕は、細心の注意を払い、周囲に対する目配せを怠らず、ぶつかりそうになる人を、予め回避している。こちらに接近する人を発見したならば、直ちに警戒態勢を取る。2輪走行中のキャスター付きカバンを手元にたぐり寄せ、立てて4輪走行モードに切り替える。こうすることで床専有面積を減らし、歩行者にぶつかる確率を下げることが出来る。そして通路の脇に寄る。人は多くの場合通路の真ん中を通ろうとするもので、脇に寄ることで衝突の確率を下げる事が出来る。更に、体を半身にする。こうする事で前方投影面積を下げて、ぶつかる確率を下げる。更に歩行速度を減速し、可能ならば立ち止まる。大きなかばんを持っていると、飛びすさって回避したり、素早く方向転換したりすることは難しい。よって上述の様に、前もって回避行動をすることで、歩行者との衝突を未然に防ぐのである。

ところが往々にして衝突というものは、先方がこちらに飛び込むような形でぶつかる。既に僕は立ち止まって半身で脇に避けているにも関わらず、彼はまっすぐこちらの方向に歩いてくる。そして僕と僕のかばんを蹴飛ばす。

衝突するだけなら構わないのだが、大抵足元から頭までジロリと睨まれ「なんだこいつは」という不愉快な表情をして立ち去る。「気をつけろバカ」と言葉をかけていく人も居る。僕は、これ以上何を反省すればよいか。既に衝突回避の為のあらゆる手段を講じてる。向こうからぶつかってくる以上、回避のしようがない。 こちらは、半身になり、更につま先立ちになり、精神的にゆとりのない苦しい体勢に追い込まれ「もうこれ以上かわせましぇん」という体勢になって避けているのに、何食わぬ顔で、一方的に接近し、衝突し、僕に罵声を浴びせ、立ち去ってゆくのである。

何故衝突するのか。それは端的に言って、歩いている人が、周りを見ていないからだ。ぶつかる人は必ず全く周囲の人とアイコンタクトがない。それが正にぶつかる原因だ。それ以外に原因は無い。だが僕としては、原因を相手に求めている限り、決して問題を未然に防ぐことは出来無い。周りを見ていない人と衝突しない為にはどうすればよいのだろうか。僕は色々と考えた。

この問題を防ぐために僕がよくやるのは、手を振る事だ。僕が歩いている時、僕と先方の歩く方角などから判定し、このまま行くと衝突すると予知した場合、まず僕は、その接近しつつある歩行者の目を見る。相手は大抵の場合、目を伏せて全くアイコンタクトがない。当然僕が接近しつつあることにも気が付かない。僕が立ち止まって彼をやり過ごそうとしていることにも気が付かない。これでは衝突するのも当然である。

そこで、顔を覗き込むようにして、手を振る。 こうする事で相手の注意をこちらに振り向けて衝突を回避するという作戦である。読者の方々は、ここまでやれば衝突は回避されると思うだろうか。実際にはそれでも衝突するのである。覗き込んで手を振る僕と目を合わせない様にして、無視する。そしてカバンと衝突する。 そして僕に罵声を浴びせ、或いは冷たい視線を送り去っていく。

つまり、手を振るだけでは不充分であろう。そこで僕は究極の手段として声を掛けるという事もしばしば行う。「済みません!」「かばんが通ります!」「ご迷惑おかけ致します!」「失礼します!」 だが9割程度の人は「ナニお前は俺に話しかけんだ?」「知らない奴に声かけんな」という顔をして非常に不愉快な顔をする。そして、不愉快な顔をした後、ここまでしているにも関わらず、依然カバンに気が付かず、それと衝突する。そういう人が少なくないのである。 手を振り、声を掛けてもなお、他者を認識できない。これが東京人と衝突しないことは不可能だと僕が思う根拠である。

僕は東京に居て、この様ないくら避けてもぶつかる人々と格闘し疲れ果てている為、タイに来ると、子供からお年寄りまで非常に周りをよく見ており、何も言わなくてもきちんと避けてくれる事に、感動に近い感情を覚える。


避けない人々 

僕は歩くのが比較的速い。階段を昇り降りするのも比較的速い方だ。駅構内のエスカレーターに乗るときも、大抵は右側を歩く。ところがエスカレーターの右側を ノロノロ歩いたり、立ち止まったりする人が多いのである。 人の体力はそれぞれである。右側で、立ち止まるな、ノロノロ歩くな、という訳ではない。だが後ろから人が来たら、避けて欲しい。そう思うだけである。もちろんデパートなど人の往来がゆっくりな場所なら構わないのだが、人間の往来が激しい駅などでは、避けて欲しいと思うことは少なくない。

ところが、ノロノロ歩く人に限って避けない。恐らくだが周囲に注意を払っていないので、後ろから人が近付いて来る事に気が付かないのだろう。 ここは東京である。周囲に注意が行き届く人、周囲に注意が行き届かない人、世の中色々なタイプの人が居るものである。タイプの違いを責めることは出来無い。 さり気なく咳払いなどして、人が近づいている事を知らせる。 ところが、そういう人の中に、後ろから人が近付いて来ると知っても、尚の事、意地になってその場を守り通そうとする人が居る。

エスカレーター上で意地になって右のポジションを死守するオジサン、後ろにピッタリついて歩く僕。それでも絶対に避けないオジサン。

しかし仕事に向かう通勤ラッシュで遅刻ギリギリだったりすると、精神的にゆとりがない。20メートル位登る程度の小さないエスカレーターならまだしも、東京駅の中央線ホームに登るエスカレーターの様に非常に長いエスカレーターだと、歩くのと立ち止まるのでは所要時間に大きな差が生まれる。この時間差で快速を逃してしまったりすると、ダメージが大きい。

ある非常に切羽詰っている朝、タイミング悪く、意地になって右のポジションを死守するオジサンとぶつかった事があった。その時僕は、勢い良くエスカレーターを登った勢い余って、意固地になった前方のオジサンのお尻に膝蹴りを入れてしまった事があった。オジサンは「なんだね君は!」と怒ったが、それでも避けてくれなかった。

オジサンは、後ろから来る人に道を譲るという、たったそれだけの事にどれ位大きな屈辱を感じているというのであろうか。この「周りを見ない」「絶対負けたくない」傾向は、どこから来るのだろうか。


ぶつかる人々

以前、日本で銭湯に行った時の話だ。風呂から上り、僕は体を拭いて服を着ようと思った。僕は、脱衣所のロッカーの左上の区画を使っていた。丁度若干強面のお兄さんが僕のロッカーの下の区画を利用しており、体を拭いたり耳掃除したりと風呂上りの準備をやっていた。

僕は、鍵を開けてロッカーの扉を開いた。 扉を開いた下で、強面のお兄さんがゴソゴソとズボンを履いていた。 僕はふと「これはズボンを履き終わってお兄さんが頭を上げたら頭をぶつけて怪我をするな」と直感したので、僕の衣類を取り出した後、ロッカーの扉を閉じておいた。そしてお兄さんはズボンを履き終わった。

強面のお兄さんは、ズボンを履き終わった後、僕がロッカーの扉を開けた事を目撃していないにも関わらず、あたかもロッカーの扉が開け放してある事を想定したかの様に、 ロッカー扉が仮に開いていたらそこに有ったであろう位置を避けつつ、頭をあげた。それを見た瞬間「あぁ必ずしも日本人は周りを見ない人ばかりではないのだ」と思ったのだった。

だが東京で出会う人は、こういうシチュエーションでしたたかに頭を打ち付けるタイプが明らかに多い。何故にここまで周囲を見ない人が多いのだろうか。

上記の話しを、ある関西人にしたところ「そんなのに頭ぶつけるヤツはアホや。いるか?そんな奴。」と言った。そんなのに頭をぶつけるなど、明らかなアホの仕業であり、吉本新喜劇のギャグの世界しかありえない、という。関西には周りを見ている人が多いのだろうか。

だが東京で暮らす上で、こういう場面で思いっきり頭を上げてしまい、したたかに頭を打ち付けてしまう人は多い。よって東京で暮らしていく上では、こういう他人に対する気遣いは大切である。上記の強面の兄さんの様に、周囲の気配りが行き届いている人は少数派だ。 少数派なだけでなく、この頭をぶつける「アホな人」は吉本新喜劇の芸人とは異なった対応をする。大抵の場合、自分の不注意を棚上げし、逆ギレして激怒し、ロッカーの扉を開け放した人に責任を問うのである。「アホ」を「アホ」として看過できない状況がそこにはある。


ぶつからない人々

僕もタイで車を運転する様になって久しい。日本人はよく、タイ人の運転は危険だというが、僕個人的にはあまり危険という印象を持っていない。むしろタイは運転しやすいと感じる。何故なら、運転上のコミュニケーションが活発で、他者の運転に対する反応が良いからだ。動体視力と立体認識力が優れている人が多く、一緒に運転していて安心出来るところがある。

僕は運転していて、タイ人の頭には、後ろ向きに目が付いているのではないか、という様な印象を持つことがある。 例えばスピードを出して飛ばしている時、前方に大型車が居り追いついてしまったとする。9割方の運転手は、追いつかれた事に気がついて、左側に避けて追い抜かさせてくれる。 トレーラーなどの長い車両の運転手など、追越車線に対抗車が居るときは、右ウィンカーを出して、危険を知らせてくれたりする。追越車線に車がいなくなると、右ウィンカーを出して、安全を知らせてくれる。

タイの人の運転には反応がある。こちらが右から抜かそうと動くと、タイミングを合わせたように左に寄ってくれたりする。左から抜かそうと動くと、タイミングを合わせたように右に寄ってくれる。

僕は日本でバイクに乗っていて、バックミラーを確認せずに不用意に左に寄ったり左折したりする車に巻き込まれそうになった数多くの経験がある。その点、後方の注意が行き届いているタイ人の運転には、安心感がある。

タイでは、十字路ではち合わせになれば、必ず相手の運転手の目を見る。タイ人は、非常によく相手を見ている。コミュニケーションがある。不用意な左折を遂行する日本の運転手には、アイコンタクトが全くない。

後ろから車が来てもいつまでも気が付かない、気付いてもいつまでも避けてくれない、抜かそうとすると妨害しようとする、その癖いつまでもゆっくり走り続ける人が多い日本人。



最近日本国内でドライビングレコーダーし、家庭用自動車にドライビングレコーダーを搭載する人が増えた。これにより、豊富に事故の決定的瞬間を見る事が出来るようになった。事故の起こるケースを分析する材料には事欠かなくなった。今日たまたま見た走行記録を見て、思ったことがあった。

YouTube : 女の子とおっさん、接触の瞬間!!!

このビデオを見てびっくりした。 まず女の子が恐ろしい。車の切れ目というのは、非常に危険な場所で、影から追い越しの車が来たり、すり抜けのオカモチ付きバイクがすっ飛んで来たりしないという保証は何もない。だから車の切れ目を見たら、一旦停止するのが当然だ。にも関わらず、女の子が連続して2〜3人と飛び出している。しかも2人目が大衝突をしているのを目撃しているにも関わらず、3人目も何食わぬ顔で飛び出している。

バイクのオッサンも同様に恐ろしい。前方に既に一人女の子が飛び出しているのを見ている筈である。それにも気が付かず直進する。車の切れ目を見たらまず徐行、一時停止するのが当然である。

そしてこのビデオを撮った人が恐ろしい。こんな横断歩道の直前に停車するのは、殺人行為である。自分がバイクと自転車に対して大きな死角を作っているという認識が全くない。横断歩道から距離を開けて止めるべきだ。 また、如何にそこが横断歩道であろうと、その死角から自転車が跳び出そうとしたら、軽くクラクションを鳴らすなどして注意を促す気遣いがほしい。

僕がこのタイ東北の地で、バイクを運転していて思うのだが、この地の運転手は以上の様な気遣いは、誰にも教わらなくても当たり前の様にする。この日本人の運転上の気遣いのなさが恐ろしい。

タイの人の運転も実際のところは色々だが、この様に3者が3者ともに、全く気が付かないという事はあまり見かけない。



何故日本人は、他者を見ないのであろうか。

もしタイ人の様に、言語によらず文脈を使った「空気コミュニケーション」をするならば、タイ人と同じように、他者をよく観察しなければいけない。 だが日本人は、他者を見ない。

何故日本人は、語り合わないのであろうか。

もし西洋人の様に、文脈を一切使わず言語に寄るコミュニケーションをするならば、西洋人と同じように、何でも屈託なく話し合わなければならない。だが日本人は、物事を直接的に表現する事を好まず、話しあう事も好まない。

日本人は、どこに行きたいのだろうか。





更新記録:
・ 関連記事表示の自動化を行った(Tue, 11 Jul 2017 02:31:24 +0900)
・関連記事のカテゴリ名を修正した。(Fri, 23 Aug 2019 13:55:04 +0900)

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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