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2015年6月18日木曜日

ドランダックで学ぶ英語マスター必勝法 (oka01-uhigmktvuxhaoyxw)


ドラン・ダック【Dolan Duck】= 英語圏で流行しているテンプレというか、モナーみたいなAAの様な存在のキャラクターだが、見てわかるように、ドナルドダックのパクリだ。頭が悪く滑舌が悪いので、ドナルドと発音出来ず、「ドラン」と訛っている。

なかなか可愛らしい。だが残念なことに、日本でドランダックの知名度は非常に低い。

以下、このちょっと可愛らしいドランダックについて紹介してみたい。


ドランダックとは

ドラン・ダック【Dolan Duck】というのは、英語圏で流行しているマンガだ。これは日本で言うところの『テンプレ』の様な存在で、2chのアスキーアートの様に、誰か特定の作者がいるわけではなく、それを見た人が次々に書き加えたり変更したりすることで伝播的に広まっているマンガだ。

ドランダックは、見ればすぐにわかるように、ドナルドダックのパクリだ。頭が悪く滑舌が悪いので、「ドナルド」と発音出来ず、「ドラン」と訛っている。

ドランダックのスペルはグチャグチャだ。だがネイティブはここになんと書いてあるか理解出来る。ネイティブだけでなく筆者も大半は、理解することが可能だ。

英語が得意なあなたは、ここに何と書いてあるか、わかるだろうか。



理解出来ただろうか。




全く理解出来ない? どうしてもわからなかったら、読み飛ばして次の節へ・・・



サッパリ意味不明? どうしてもわからなかったら、読み飛ばして次の節へ・・・




どうしてもわからなかったら、読み飛ばして次の節へ・・・



ギブアップ? 次の節へ・・・


なかなか頑張ってますね…?  次の節へ・・・




もう限界ですか? 次の節へ・・・



辛かったら我慢しなくてもいいですよ!  次の節へ・・・


結構やってますね! 次の節へ・・・




あと少しですが、我慢できなかったら 次の節へ・・・





ちょっと休憩! この動画を見ても我慢できなかったら 次の節へ・・・




もうひと頑張り! ・・・ムリっぽかったら 次の節へ・・・





あとちょっと! ・・・ムリっぽかったら 次の節へ・・・





最後のがんばり! ・・・ムリっぽかったら 次の節へ・・・





一休み ・・・どうしても我慢できなくなったら 次の節へ・・・




最後です ・・・どうしても我慢できなくなったら 次の節へ・・・






よくがんばりました!



このドランダックの英文を解釈していくと、日本の英語教育の根本的な間違いが色々と浮き彫りになる。語学を学習する上であるべき姿とはどの様なものだろうか。

日本の英語教育の根本的な間違い

日本人の英語の勉強法は、単語丸暗記一本槍だ。だが、この勉強方法は、使えない。何故なら、世界中の多くの国の言語は、日本語のような表意文字ではなく、アルファベットの様な表音文字だからだ。

  1. 表音文字をつかう言語をしゃべる人は、みなまず音声が念頭にある。よって、スペル上多少の表記ブレがあっても、特に支障なく読み書きすることが出来る。もちろん表音文字にも正しい綴りのルール「正書法」が定められており、人によって異なる表記ブレが発生した場合に、どちらの表記を標準とするか決定する為の公式な取り決めは存在する。 だがこれは飽くまでも取り決めに過ぎず、実際にコミュニケーションをするにあたっては、日本人のようにまずスペルが念頭にある、というわけではない。

    詳しいことに関しては おかあつ日記『ホモフォンと語学オンチ』に書いた。
  2. 音声には必ず訛りがある。その訛りに応じてスペルも変化する。単語丸暗記式だと、訛りに対応出来ない。
  3. 日本語の訛りの規則は、その他の言語の訛りの規則と全く異なる。日本語は、世界中の多くのメジャーな言語 ─── 英語・スペイン語・ポルトガル語・イタリア語・フランス語・ドイツ語・中国語・タイ語・ラオ語・ベトナム語 等々 ────での訛り方と全く違う規則で訛るので、日本人は、外国語の訛りを見た時にそれを直感的に理解し、修正することが出来ない。日本語は世界的に見て非常に特殊な言語だ。よって、語学を志す日本人は、何語を勉強するかに関わらず、常に訛りを意識して勉強する必要がある。

    世界中のどこであろうが、標準語を正しく話す人というのは、この世に存在しない。誰もがそれぞれ、発音にクセを持っている。よって「正しい発音を覚える」のではなく、間違った発音がどの様にして導き出されるのかを理解し、訛りを聞き分ける能力が重要になってくる。

    例えば、英語で、n / l / t が、しばしば訛って入れ替わるのだが、これは実は中国語でもタイ語でもラオ語でも起きる。だが、日本語の訛りは、文字の表記上の問題から、訛り方に対する認識が中国語・ラオ語・英語と全く違う。まずこの違いを理解する必要がある。

この日本の英語教育の使えなさが、ドランダックを読むことで露呈する。

単語を読み解く方法

上で見てきた様に、ドランダックの英語は正しくない。正しくなくても、大多数の人はそれを理解することが出来る。何故だろうか。そこには「文章を読み解く」という行為に対する、根本的な考え方の違いがある。彼らには、日本人の様に、単語を暗記することで理解する、という考え方が最初からない。では、彼らは、一体文章をどの様に理解しているのだろうか。

実は、この記事は、ツイッターでのアトランダムなつぶやきを後からまとめて加筆訂正したものだが、ツイートしている時の大勢の反応を見ていると、言葉の意味がわからなくても、絵を見て意味を察して面白いと思うタイプと、言葉の意味がわからないので、絵を見てもサッパリ理解出来ずに、全く面白さが理解出来ないタイプと、真っ二つに分かれる様に見えたのが、興味深かった。

理解出来るタイプは、この様な間違いの多い情報から、どの様に的確な意味を読み解いているのだろうか。

1.発音を知る

ドランダックでは、ほとんどの単語にスペル間違いが見つかる。スペル間違いに関わらず、その意図を的確に理解するために最も大切なことは、その単語の自然な発音を知ることだ。

ドランダックに現れる単語間違いは、その大半が、正書法を無視し、実際の発音に合わせて適当にアルファベットを並べたものだ。字面を見てサッパリ意味がわからなくても、実際に口に出して読んでみると、日常生活上よく耳にする発音変化(訛り)である場合が多い。よって、その単語が実際にどの様に発音されるのかを経験していないと、全く理解出来ない。

例えば、この『ドランダック』という名前が正にその訛りによってスペリングが変わってしまった例となっている。日本人で『ドランダック』という名称を見て即座に『ドナルドダック』を思い浮かべる人は居ないだろう。だが、ネイティブの人間が目にすると、即座に「ドナルド・ダック」が訛って出来た名前だと理解する。何故かというと、日常生活上で、その様な訛りを言ったり聞いたりした経験があるからだ。

N の発音は、早口でしゃべるときなどにしばしば Lの発音に変化する。Lの発音は語尾でしばしばNの発音に変わる。そして、文末の破裂音(K/D/B等々)は、しばしば発音されない。この訛りの法則を「ドナルド」に適用すると、D O N A L D がそれぞれ D O L A N に変わる。よってドナルドはドランなのだ。

ところが日本語は、これとは全く違う法則で訛る。例えば、日本語の女性器を表す名称に「マンコ」という単語があるが、これを「マムコ」「マヌコ」などと表記しても、日本人ならそれが即座に「マンコ」を表す隠語的表現だと気付くだろう。これは「語中のン・ム・ヌは発音上はっきり区別しない」という発音変化法則があるからだ。この発音変化は、世界的に見ても、日本語だけにしかない非常に珍しい発音変化で、非日本語圏の人間にとっては、まったく馴染みがない、理解しがたい訛り変化と認識される。

逆に、ドランダック内で頻出する、語尾の破裂音 K/D/B が発音されない変化や、DがLやNに変化する訛り変化は、日本語ではほとんど馴染みがない為、日本人に取っては全く理解しがたい訛り変化として認識されることになる。

ドナルドをドランと読むのは明らかに間違った発音で、当然教科書にも載っていない。だが日本外では、生活上しばしば経験する発音変化なので、ごく一般的に知られている。つまり、外国語を学ぶ時は、この様な日本語は持っていないが、日本語以外の言語はしばしば持っている訛り発音変化を学ぶことが、非常に重要になる

そして、この様な外国の発音変化を知るということは、日本語だけが持っている特殊性を認識する事と全く等しい

更に、この様な訛り発音変化は、外国語を理解するにあたって極めて重要な知識であるにも関わらず、しばしば教科書には載っていない。 よって自分の耳でその変化を確認する必要がある。

日本人が外国の文化を理解しようとする時、日本語の特殊性を理解する事は、重要だ。それは、学習する言語の種類を問わない。日本人が語学を学習しようとする時、その学習しようとしている言語が、例えフランス語であろうと英語であろうと中国語であろうと、必要なことは、結局のところ、日本語の特殊性を知ることに他ならないのだ。

例1)sploshion

上記で、sploshionという表現が出てくる。 これは意味合い的に考えると explosion(爆発) の筈だが、何故こういう変化が起きたのだろうか。それは日常的なアメリカ英語で、しばしば、先頭の音節がはっきり発音されずに抜け落ちてしまうからだ。 例えば、photographer(写真家) でいうと、4つある 「ファ・ター・グラ・ファー」の音節の内、ファが抜け落ちて「ターグラファー」になってしまう。決して正しい発音ではないが、日常生活上しばしば耳にする、よくある間違った発音といえる。

本来「OK」の筈なのだが、Oが消えてKだけになってしまった例。

例2)wif

他にも、th が f に変わっている例がいくつか見られる。ヨーロッパ圏の英語があまり上手でない人らや、場合によってはネイティブですらも、th が正しく発音できずに f に訛ってしまう人がしばしばいる。この訛りは間違った発音だが、しばしば耳にする非常にポピュラーなもので、みな聞き慣れている。聞き慣れていれば、この様なスペル間違いに関わらず読むことが出来る。この訛りのことを th-fronting と呼ぶ。

この発音変化を聞いたことがあれば、上記のマンガ内で出てくる wif という表現が、with のことだと判明する。

ThがFに訛っているTシャツの例
I FINK U FREEKY
日本では全く知られていないがディー・アントウッドの代表曲
FINK の F を TH に読み替えると THINK の訛りだとわかる。

訛り発音変化を知る方法

発音を知るためにはどの様にすればよいだろうか。かつて、英語の自然な発音を知るためには、高価な英語の教材を購入したり、お金を払って映画を購入したりする必要があった。それらはしばしば発音が自然でなく、悩みの多い点でもあった。

だが現在では、YouTube上にたくさんの外国語のビデオがアップロードされており、これらは発音もとても自然で、一般的な人たちが普段どの様な話し方をしているのか、垣間見るチャンスを与えてくれる。また日本国内では入手困難な、ローカルコメディーなども近年はYouTubeにアップロードされる機会が増えており、非常によい素材となる。

これらのビデオを、『多読』ならぬ『多聴』し、 頭のなかに出来る限り多くの発音変化を入れておくことが重要になってくる。


2.前後の流れをよく観察する

ドランダックでは、ほとんどの単語にスペル間違いが見つかり、あまり一般的でない略語なども乱発される為、その単語がどういう意味なのかを、前後の文脈から推論する必要がある。

例えば、上記でよくJK という表現が出てくる。筆者はJK と見た時、即座に「常識的に考えて(JK)」しか思いつかなかったが、当然だがこれでは意味が通らない。 だが前後の文脈を見て色々と考えると「(i'm) just kidding 」である筈だ…とわかる。

他にも、uncel というのもあった。 筆者は実はこれを最初に見た時、 until かな と思ったが、それだとどうにも意味が通らない。だが後で、 uncol というのも出てきた。これはどう考えても呼びかけの筈なので、つまりこれは uncle の筈だ、とわかる。

筆者はラオ語を流暢に話すことができるが、ラオ語を勉強する時に辞書を使わなかった。何故ならきちんとまとめられた辞書が存在しなかったからだ。こういう風に、前後の文脈からそこにふさわしい単語の意味を考えていく作業は、筆者が、辞書なしで新しい言語を勉強する時にやっていることそのものだ。

なお、グーグル検索のスペルチェック機能は、こういう小さなスペル間違いを修正する際に、絶大な威力を発揮することも、覚えておくと良い。

3.文脈を知る

またその言語でしばしば話題となるテーマを知っていることも非常に重要なポイントとなる。
 
例えば、上記のマンガの中には「ポップコーントリック」というネタが出てくる。ポップコーントリックというのは、英語圏で古典的なデート時のギャグらしい。デートで一緒に映画を見に行った時、ポップコーンのXLバッグを購入、バッグの下部に丸く穴を開け、そこに(可能ならば勃起した)性器を挿入、デートの相手にポップコーンを取らせてハプニングを期待するというものだ。

※ ポップコーントリックに関しては、次のサイトを参照:
http://th.urbandictionary.com/define.php?term=popcorn+trick

次のビデオも参考になる。
https://www.youtube.com/watch?v=_ZQrIqAc_OA&list=RD_ZQrIqAc_OA



このビデオの中で、ポップコーントリックが発明された経緯や発明したパイオニアー達の歴史について解説されている。

筆者は以前、このビデオのフルバージョンを見たことがあるのだが、画質のよいバージョンは削除されてしまったらしい。最初にこのビデオ見たのは、2〜3年前だったろうか。意味がサッパリわからなかった。


発音重視の学習法

ドランダックと日本語で検索すると、日本では極めて知名度が低いことがわかる。ざっとみても2件以上は存在しない様に見える。理解出来ないのだろう。

日本人の英語学習方法は根本的に間違っている。TOEICで950点取ろうが取るまいが、ドランダックを読んでもさっぱり理解出来ないという現実に、何ら変化はない。(TOEICは日本人が考案したテストだ。)

要点は:英語だけでなく、タイ語も、ラオス語も、ベトナム語も、中国語もそうだが、多くの言語では、表記システムが、表音文字なので、正しいスペルがわからなくても、それがどう発音されるか知っていれば、どうにか文章を書くことは出来る=スペルが間違っていても、読んで理解することくらいは出来る…という点だ。(中国語ですら、漢字と発音は必ず一致しており、日本語と比較すると比較にならない程に表音文字的な要素が高い。)


むしろ、正しい発音もスペルも知らない人のほうがずっと普通ではないか、と筆者は思う。究極の「正しい発音もスペルも知らない」は、筆者がもっとも力を入れて勉強している言語「ラオス語」だ。正しい発音・正しいスペルを誰も知らないだけでなく、正しいスペルを決めている人が気分でコロコロとスペルを変えるので、正しいスペル自体が存在しない究極言語と言える。だが理解に困ることは大抵ない。(ネイティブでも、多少の慣れが必要な場合は多いが。)

ネイティブは、正しいスペルが決まってなくても、それを読むと即座に意味を理解することができる。そこにネイティブの人らだけが知っている音声上の暗黙の了解がある。例えば、T は しばしば Lに変わるとか、M と B はしばしば入れ替わるとか、 そういうネイティブの人たちが当然のように知っている暗黙の了解を知ることが、外国人学習者にとっては重要な筈なのだ。

この様に言語は常に激しく揺れている。揺れているなかで、その発音がどちらの単語を指し示しているのかが紛らわしくなり、判別がつかなくなってしまうことがある為、その揺れを調停する為に、正しいスペルが必要になる・・・ただそれだけの話なのだ。正しいスペルは、言語が機能する為に、必ずしも必須なものではない。

タイ語は、きちんと王室が正書法を決めていて非常に厳格に運用されているので、文章の文化が発達している。だがフェースブックの日記や、その辺のブログでのスペルは、もはやグチャグチャで、意図的に間違ったスペルを多用したり、ファッション目的で崩したスペルがそのまま暗黙の了解となって通用していたり、する。だが意味が理解出来ないという人はいない。

そんなグチャグチャスペルの世界に外人が入って「わかりにくいから、正しいスペルで書いてくれ!」と懇願しても、無視されるだけだ。それどころか、そういえばいうほど、面白がって悪乗りし、もっとわかりにくく書くのが人情ではないか。

漢字の生まれ故郷・中国でも全く同じ状況だ。漢字の本場ですら、漢字を正しく書ける人の方がずっと珍しく、今でも地域差が残っているらしい。そんななかで「俺は! 正しい漢字を書いているんだから!お前はそれをわからなければいけないのだ!」なんて喚いても、意味がない。通じないものは通じない。

中国の人らもよく書き間違えるが、書き間違える時、発音を知っていれば何が言いたいのかわかる、という面もある。同音異字で書き間違えるケースが多いからだ。

英語も同じような要素がある。スペル上違う単語として認識されていても、意図的にそれらを入れ替えて文章を書くことがある。この時、その単語の一般的な発音を知らないと、当然だが、それが何を意図したものなのか理解出来ない結果になる。



英語力は点数化出来るのか

語学力は数値化出来ない。何故なら、語学力とは知識量に比例しないからだ。

日本人では「語学力は、点数化することで比較できる」という考え方が一般的だ。だが筆者が見る限り、この考え方を持っている人は、しばしば、その人自身が、まともな語学力を持っていない。

日本の語学のプロは、他国の語学のプロと比較して、極端に語学力が低い場合が多い。何故だろうか。それは、彼らは語学力を、相手に対する知識量と錯覚しているからだ。本当に必要なのは、知識がない状態で相手を観察して知識を獲得するスキルだ。この2つは全く違う能力だ。 観察力が高ければ結果的に知識量が増えるが、訓練して知識量を増やしても決して観察力は上がらない。

語学力の本質は、飽くまでも観察力であり、知識量ではない。

語学力を測るには、知識がなければないほどよい ── そういう発想がない人は、何を考えても、ずれている。  固定化して変化しない知識量偏重な人間などゴミなのだ。 どんどんと新しい発見を積みかさねて、どんどんと間違いが修正されていく、観察力偏重の人間が重要なのだ。

もしアフリカ未開の地から少数民族出身の黒人を連れてきたとする。どんな言葉を話すか誰も知らない。もし、この人と話すのがテストだったら、どうなるだろうか。こういう時、知識量=語学力モデルの人は、全くコミュニケーションが取れない。だが知識獲得力を重視する人は、翌朝まで一緒に酒を飲んで、翌日には友達になっている。2〜3日後には片言を話すようになっているだろう。

英語も同じだ。英語を話す人だって、実際にはみんな話す英語は同じでない。みんなかなり癖がある。しかもそれは地域差が強く反映されてている。実は、この英語の地域差は、実は完全に解明されていない分野だ。実体験に基づいて学習する以外に知る方法はない。

これらの問題は、知識量では決して対処できない。目の前にいる「人」を見る力が必要となる。

アジアを知ることは、世界を知ることと等しい

地域差の多い世界の言語 ─── しかし日本語は、英語などとは違って、北海道から九州まで、標準化がきちんと行き届いており、人々の日本語の話し方はとても美しく、完全に均一で、実に理解が容易な言語だったのだろうか ─── とんでも無い。

外国の民族背景を学ぶにあたって、母国の民族背景を理解することは大切だ。 

英語を学ぶ前に、福岡県宗像市あたりで、3ヶ月くらい生活するとよいのではないか、と思うことがある。宗像市は国境の街だ。日本の国境周辺に住んでいれば、民族の違いを理解できないことが原因となって、人間関係トラブルが起こる事は少なくない。そういう場所に住んでトラブルに3〜4回巻き込まれた後に、英語の勉強を始めたら、それだけで見違える程、成長が早くなるのではないだろうか。


外国語を学ぶにあたって、母国語を大切にすることは、大切だ。

もし、英語圏で一般的な社交スキルが求められている場面に遭遇し、自分がそのスキルを持っていないことで問題に直面していたとする。仕事を完成させる為に、そのスキルは必須だとする。そのスキルをマスターしようとして悪戦苦闘する…。だが、英語をつかってそのスキルをマスターしようとしてもなかなかできない。何故か。母国語=日本語で出来ないスキルは、英語でも出来ないからだ。

日本人は、どうしても西洋に対する憧れが強く、ドイツやイタリアの研究に夢中になるばかりで、足元の中国や朝鮮のことを全く鼻にかけない場合が多い。だが例えば、日本と朝鮮の間で起きている事は、必ず、ドイツとオランダの間でも起きている。逆に言うと、ドイツとオランダの間で起きている問題は、必ず日本と朝鮮でも起きている。 ヨーロッパを読み解くには、まず足元のアジアを知ることが大切ではないだろうか。


日本人が外国で直面する問題は、必ず、日本でも起きている。

日本語検定一級の外人を、道頓堀辺りに連れて行って、ラーメン屋に飛び込みで野菜販売の営業をやらせてみる ─── 誰がどう考えても、ムリだ。恐らくだが、ラーメン屋の主人が話す内容を聞き取ることからして、不可能ではないだろうか。日本語検定一級という能力は、早口で関西弁をまくし立てるラーメン屋の主人に対応できな ─── これと同じことは、英語でも起きているのだ。

一方、全く同じことを、例え日本語検定三級に落ちてしまったとしても、簡単にこなせるタイプがいる。このタイプの人間は、言語の揺れという問題に対処することが出来る。

英語が聞き取れないのは何故か。それは発音の揺れ=言葉の揺れに対処する能力がないからだ。 日本語が聴き取れない人間に、毎日NHKニュースを見せたら聞き取れる様になるだろうか。絶対にならない。何故なら、NHKニュースの様な標準的な話し方をする日本人は、皆無だからだ。

だが何故か、日本の英語教育関係者は、同じ過ちを犯す。英語の教育として、ごく標準的な発音のみを聞き取らせ、文脈とは全く無関係に、何の脈絡もなく例文を聞かせ、それを聞き取る為のテストを行う。これでは、前後の文脈から言わんとしていることを推測する能力が身につかない。

日本の英語教育携わっている人間自体が、英語の方言の存在に気付いていない。 当たり前だ。日本語の方言の存在にすら気付いていない訳で。 日本の多民族性にすら気付いていない人間が、外国で外国の多民族性に気付くわけがあるだろうか。

オーストラリアの白人は、多く、アングロサクソン系ではない。見た目は似ていても、その民族性に大きな違いがある。オーストラリアにいる時、今、目の前で話しているその人が、アイリッシュ系なのか、スコットランド系なのか、知ることは大切だ。だが、直接尋ねるわけにはいかない。これは民族問題は敏感な問題であり、聞いてもやんわりとそれとなくごまかされたり、或いは、怒られることすら稀でない。

こういう誰もが知っている暗黙の了解に気付かない「観察力を持たない日本人」が、日本で英語を教えている。観察力を持たない日本人が、観察力を持たない日本人を量産する。観察力を持たない人間が、観察力を持つ日本人を試験によって排除している。日本の英語教育は、一体、何をしているのだろうか。

単語に関する知識は、なければない程、よい。その方が、その時の文脈にあった単語の意味を推測する能力を鍛えることが出来る。単語の丸暗記テストは、まるで逆の訓練方法だ。

単語の丸暗記は、語学を下手にする王道だ。

単語を丸暗記させる日本の英語教育は、日本人をバカにする洗脳と言って良い。それ位に酷い。


観察力偏重の人間は、知識を得る過程で、常に知識の修正がはいるので、騙しにくい。 だが、知識量偏重の人間は、修正の作業がないので、騙しやすい。筆者は時折、それが日本の教育を、敢えて知識量偏重型にした理由なのではないか、と疑っている。日本の教育がバカなのは、教育者がバカだからではなく、意図的にバカにする様にしているのではないか。

知っている量ではなく、知る能力をつける

  • 単語の意味を知っている
  • 単語の意味を文脈から理解する。

この2つは、全く必要な能力が違う。必要なのは後者の方だ。

  • 文法を知っている。
  • 文法を導き出す。
この2つは、全く必要な能力が違う。必要なのは後者の方だ。


  • 一連の話の意味を知っている。
  • 一連の話の意味がわかる。
この2つは、全く必要な能力が違う。必要なのは後者の方だ。



知識とはお金みたいなものではないか。子が可愛いからといって、知識を与えてばかりいると、子は無駄遣いばかりして、有意義なものを残さない。もし本当に我が子の事を思うなら、知識を与えるのではなくて、知識を自分で得る能力を教えこむべきだ。


こうして考えると、英語能力テストなど、「銀行口座の残高自慢大会」と同じようなものだ。残高の多さは重要ではない。残高ゼロから、残高を増やす能力が重要なのだ。






おわり

更新記録

(Mon, 22 Jun 2015 16:11:45 +0700)
Th-Fronting の件を加筆した。

(Mon, 22 Jun 2015 23:36:10 +0700)
ドランダックの訛りに関する解説を追加した。
ディーアントワードのI FINK U FREEKY を例として追加した。
『ドランダックのケーキ』の写真を追加した。
その他、日本の英語教育の間違いの条文1を若干改定した。

(Tue, 23 Jun 2015 10:23:49 +0700)
その他、日本の英語教育の間違いの条文3を若干改定した。


(Tue, 23 Jun 2015 11:43:05 +0700)
「単語を読み解く方法、1.発音を知る」を大幅に加筆訂正した。

(Tue, 23 Jun 2015 23:19:38 +0700)
Kの画像を追加した。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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