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2014年8月19日火曜日

関西系バカについて (oka01-wiopspncpzkbvpbp)

関西にはバカがほとんどいない。何故ならば、そこに居るのは飽く迄も「アホ」だからだ。東北にはアホがいない。故にそこに居るのはバカのみである。

だが関西でも稀にバカは見かける。この関西系バカは、東北系バカと比較したとき、表面的に似ているが、その本質に大きな違いがある。その違いについて論じてみる。

※ ここでは特に断りがない限り『東北』とは広く静岡以東を差し『関西』とは広く静岡以西を差すこととする。

要約

東北系バカも関西系バカも、しばしば妬んで延々と他人の足を引っ張る。だがこの時、東北系バカは飽く迄も相手の能力を批判する形を建前としてとりつつ足を引っ張ることがおおく、一方関西系バカは相手の能力よりも社会的なステータスの低さを以ってバカにする事が多い。

東北系バカは、しばしば妬んで延々と他人の足を引っ張る。だがこの時、相手の社会的立場の低さをバカにする形で批判することは、まず無い。否、絶対にないと断言しても良い。東北バカは、どんなに妬みっぽい人間であっても、飽く迄も社会的な立場よりもその人間の実力の方が重要だと考える、案外と実直なところがある。どんなにその理由に無理があろうとも、飽く迄もその人間の甘さを探しだし(でっち上げ)てチクチクと攻撃する場合が多い。それは、どんなに陰険で妬みっぽく被害妄想が強く現実逃避性が強い軟弱な人間であっても、相手を間接的な社会的ステータスを以って批判することはない。

だが関西系バカの場合、相手の能力の如何よりも、社会的なステータスの低さを以ってバカにする事が多い。それは、東北系バカの様なきめ細かな論理の構築などが苦手なタイプが多く、かつこの苦手意識に対して劣等感を感じている場合が多いからだ。相手が提示する論理をひとつひとつ紐解いていく事が出来ず、その論理のどこに要点があるのか理解できない為、その提示された論理の甘さを探しだして攻撃することが苦手だ。ましてや、東北系バカが得意とするテクニック=ややこしい詭弁を考案して相手の論理を煙に巻くことなど、ほとんど不可能と言って良い。関西系バカは、論理が得意な東北系バカの言う事柄に対して、まともに論理的に反論しても勝ち目がない事を知っている。

だからこそ、関西系バカは、社会的ステータスを重視し、社会的なステータスの低さを以ってバカにする事が多いのではないだろうか。

    東北バカの典型
    「そんなに文章力が高くても、こんなに人格が劣悪だったら意味がないですよね。」

    関西バカの典型
    「どんなに文章力が高くても、社会的に認められなければ、持っていないのと一緒ですよ?」

このように、どちらも相手の文章力の高さを妬んでるだけなのだが、出てくる結論が微妙に異なる。

以下この違いを詳しく見ていく。

関西系バカにしばしば見られる特徴

実名を出している

もちろん実名を出したらバカという訳ではない。だが東北バカが決して自分の正体を明かそうとしない点と比較すると、非常に特徴的ではある。東北地方には根強い「村八分」の文化があり、自分の身元を隠した上でチクチクと陰湿な攻撃をする習慣があるため、自分の身元を明かすと不利に働く場合が多い。 関西地方の様に交友関係が広く他府県にも及び、不特定多数の人間と付き合う大陸系の人間関係文化と全く異なる。

 ロケーション情報をオンにしてツイートする

これは東京者に言わせれば、それだけで地方出身者と断定できる特徴である。極めて都会指向が強いが、都会に適応する事が案外と苦手で、実際に住み続ける能力を持たない。よって都会の生活をよく知らない場合が多い。だからこそ、都会に居るということに対して大きな社会的ステータスを感じており、それを他人に対してアピールしようとする。都会の暮らしのドスグロさ・陰湿さ・バカバカしさを知っている人間は決してやらない行為と言える。また、東北人は自分の身元を明かす事を好まないため、ロケーション情報をオンにしてツイートするということは絶対にない。よって、ロケーション情報をオンにしている人間は、高い確率で関西だと推測がつく。

方言を隠す

通常、関西人は東京に来ても方言を直さない傾向があるが、だが関西バカは関西人であるということを執拗に隠す傾向がある。往々にして標準語を話すことは得意でなく、よく言葉がつっかえる。

派手なパフォーマンスを好む

東北バカも自分を隠しているが、関西バカと比較するとその隠し方が違う。飽く迄も秘密主義で多くを語らず、ファッションや芸術などで自分を表現しようとする東北バカと異なり、関西バカは身元を隠して派手なパフォーマンスを打ち、そこに生まれる幻想と戯れる事を好む。あたかも「消火器のセールスマン」的な怪しさがそこには漂っており、非常にインチキ臭いバッタモン臭が溢れているが、だが日本にはその違和感が見抜けないタイプもいる為、その嘘が通じる相手とだけコミュニケーションを取ろうとする。そして、その嘘を暴露しようとする人間からは距離を取ろうとする。

自分が嘘をついている事を知っている

東北バカは、往々にして自分のついた嘘を固く信じて、自分が嘘をついていると気付いていない事が多い。その点、関西バカは自分が嘘をついてる事をはっきりと知っている事が多い。よって偶然にその嘘が暴露されてしまうような事があると、突如激情する傾向がある。東北バカが飽く迄も嘘の存在を否認し続けることと比較すると、特徴的だ。

他人の批判の仕方が感情的な侮辱にとどまる

現実問題として、相手が間違っているならば、それを指摘すればそれで充分だ。だがそこに感情的な侮辱が伴う場合が多い。

例)「◯◯は□□だというのは教科書を読めば最初のページに書いてある様な常識ですが、小学生からやり直した方がいいんじゃないですか?」

基本的に難しいことが苦手で、その言葉は多く教科書の丸覚えで、その内容を理解していないので、細かい討論が続くと不利になる。よって、自分の論が苦しくなってくると、実際の論理的な批判よりも、感情的な侮辱にウェイトが移動する。

価値観を乗り換えるのが得意

関西系バカの最も大きな特徴だ。東北バカは、バカでありながらも往々にして素直で実直で、変化球的な攻撃を好まず、飽く迄も正々堂々と闘う事を好む場合が多い。だが関西系バカは、幾つかの異なる価値観を理解しており、それを状況に合わせて乗り換える器用さを持っている。

例)
関西「◯◯は□□だというのは教科書を読めば最初のページに書いてある様な常識ですが、バカじゃないですか? 小学生からやり直した方がいいんじゃないですかね(爆笑)」

東北「ちょっと待ってください。◯◯は□□だというのは、後の△△という人によって間違っている事が証明されているんですよ。知らなかったんですか? バカじゃないですか?(爆笑)」

関西「遂に本性を表しましたね。そうやって人前で他人をバカにしてばかりいる下劣な人間だという事が。」

ここでの関西バカの言う下劣さの定義は、本人の価値観ではない。彼は東北人が実直な攻撃を好む事を知っており、変化球的な攻撃を加える事を下劣と認識している事を理解している。相手が自分に合わせて来た瞬間を狙い、相手の価値観で相手を断罪する。人間観察力が高い人間独特な、極めて関西的な戦法と言える。

相手の劣等感を攻撃して相手の足をぐらつかせるテクを好む

関西バカと東北バカを比べると、自分の理想と現実のギャップに対して、向き合う姿勢が異なる。東北バカの場合、理想と現実ギャップを目の当たりにした時、それは大抵、劣等感となって本人に向かうことが多い。だが関西バカは、ギャップを目の当たりにした時、それは大抵、誇大妄想となって他者に向かうことが多い。 関西バカは往々にして、理想と現実のギャップを埋め合わせる気はさらさらなく、大抵の場合、他人の目から理想通りに見えれば充分だ、と考える傾向がある。よって他者を強く卑下し、卑下しているところを他者にアピールしたり、社会的ステータスやロケーション情報などの他者から見える優位な情報をアピールしたりする傾向がある。

何でも真正面から取り組む東北バカは、大抵の場合、実践に於いて関西バカよりもはるかに優れたパフォーマンスを発揮する。関西バカは、東北バカと真正面から闘っても勝てない事を知っている。だが関西バカには、東北バカにはない人間観察力がある。関西バカは往々にして、東北バカが往々にして劣等感が強く劣等感を攻撃されるといとも簡単に崩れる事を知っており、そこを攻撃すれば、勝ち目のないまともな討論を回避できる事を知っている。

よって、東北人がしばしば劣等感として持っている文章力の欠如・コミュニケーション力の低さ・自己認識の甘さなどを、チクチクと攻撃する事で相手の劣等感を刺激して、腰砕けにして、正面から討論で勝負することを避ける傾向がある。

尚、東北バカは、こういう関西バカが持っているソーシャルスキル上の器用さを持たないケースが多い。

つまり相手の劣等感を攻撃するのは、関西バカに特徴的な行動とも言える。


考察

関西バカは関西地方に広く分布するわけではないらしい。ある特定の地方にだけ存在する様だ。だがそれがどこなのかはまだ明らかになっていない。それは福岡だという説もある。だが福岡の様な大都市の場合、多くの地域から人々が集まってくる筈で、関西バカの起源は必ずしも福岡ではない、という説もある。また福岡在住の福岡人にはほとんど見られないという説もある。 偶然にも、筆者がオフラインで知っている関西バカの実例は、全員が海外在住の福岡出身だ。

オンライン上で筆者が「関西バカ」と疑う代表例に、メイ口マ氏が挙げられる。上記の関西バカの条件を全て満たしていると考えられる。また藤原敏史監督は関西バカである濃厚な疑いを筆者は持っている。

筆者は思う。バカはお互い様である。お互いバカ同士、寛容に許し合って、楽しくすごそうではないか、と筆者は思う。だがここでいう「関西バカ」は、真のバカではない。バカにすら到達していない「バカ未満」だ。真のバカは無害だが、バカ未満は有害である。バカ未満の定義に関して詳しくは次で述べた。

おかあつ日記『バカを相手にするのは大バカだ』
おかあつ日記『翼の折れたコウモリ』

 更新記録:
 (Wed, 20 Aug 2014 13:02:58 +0700) 冒頭の要約を加筆訂正

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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