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2014年8月10日日曜日

だまさせる (oka01-CXSLOQQjXULzLUcR)

僕は、自分が日本の中でどういう立ち位置に居るのか、自分でもよく理解できない。とにかく僕は、そこにいるだけ、それも何もしていないのに、猛烈に反発するタイプの人が大勢いる事こと、それだけを知っている。

以前はそうやって非難されたりすることで、傷ついたりしたこともある。さらに、傷つくのは自分が悪いからだ、と非難されたこともある。それなりに努力して強さを身につけたところもあるかも知れない。だが強さを身につけた結果として、自分を非難する大勢の人たちを片端から虐殺する様な結果になっていることも事実だ。それも決して褒められたことではない、と感じている。

だが、相手を気遣って相手を勝たせれば、自分が殺される。それもまた事実だ。自分が勝たなければ、自分が殺される。自分が殺されない為には、相手を殺さなければいけない。僕は相手を殺したくない。僕は気付いている ── 客観的に、相手を殺そうとするから自分が殺される、という普遍的な法則に。 自分から殺そうとさえしなければ、相手から殺されることもない。当然だ。だが弱い人間ほど、安易に他人を殺そうとすることも、また事実だ。弱い人間ほど、安易に僕を殺そうとする。

相手を殺さなければ気がすまない『死ななきゃ直らないバカ』たちを、僕はどう対処すればよいのか。答えはない。だがこのことについて、僕はもう大分長らく悩んでいる。

以下は、その自己問答の記録である。



※ 以下「関西」という場合、静岡以西を指し四国九州を含む。「東北」という場合静岡以東を指し、関東北陸を含む。

僕にとって嘘つきが危険なのは何故かといえば、僕が騙されて問題に巻き込まれるからではなくて、飽く迄も僕には彼の言う嘘が通用しない事だ。

嘘つきは、必ず愚かだ。何故かといえば、完璧な嘘をつくことは、嘘をつかないで行動するよりもずっと難しいからだ。出来ないことを出来るといって、自分が嘘を言った相手ごとに言った嘘の内容を記憶して管理し、その人の前で自分が言った嘘が、さも本当であるかの如く完全に演じきることは、実際にそれを偽りなしに行動するよりも、はるかに困難だ。

完璧でない嘘は、いずれ必ずばれる。加えて、嘘を言った対価は大きい。嘘がばれることで失う信頼は、嘘を言わずに得られなかった信頼よりもはるかに大きい。 嘘は、問題を解決せず、むしろ問題を大きくする。にも関わらず嘘つきが嘘を言うのは何故ならば、嘘つきは、嘘を言った結果として、自分がどうなるか考えられない、短視点的な人間である、と言える。

否、もし本当に偽りなく、正々堂々と勝負して勝つ自身があるなら、わざわざこのような自分を窮状に陥れる様な嘘を言うことはないだろう。嘘を言った結果として、自分が窮状に陥るとわかっているが、嘘を言う以外に方法がない、そういう苦境から嘘を言うこともあるだろう。人間、誰しも完璧ではない。人間、完璧ではない人間を責めることは出来ない。人間は、間違いを犯す。その犯した間違いをお互いに許し合いながら、社会で生活していく。

完璧な嘘をつくことは恐ろしく難しい。完璧な嘘を言う能力があるのなら、嘘をつかずに偽りなく行動した方が簡単だ。つまり嘘をつく人間は、完璧な嘘をつく能力がない人間であり、その嘘は必ずばれる。

稀に完璧な嘘をつく人間も居る。僕は嘘つきが好きだ。自分が騙されたと気付いた時、僕は非常に愉快になる。見事な演技、嘘の構築力、凝った演出、そういう一連のものが全て彼の創作だと気がついた時、感じるものは怒りではなく、むしろ感動だ。まるで素晴らしい芸術を見て、壮大な幻想を見せつけられたような、そんな気分になる。 彼は、実際に偽りなく行動して勝負することも出来たであろうが、そこを敢えて勝負せずに嘘つきになった。本物の嘘つきだ。



前置きが長くなったが、僕はどうもあまり嘘が通用しない人間らしい。そして、僕自身は嘘を見抜いたという意識が全くない。僕が、飽く迄も相手を疲れさせない様に気遣って起こした言動が、相手に「嘘がバレた」という脅威を与えるという事があるらしい。

往々にして語学やコンピューターに関する内容である事が多いようだ。僕は語学とコンピューターが非常に得意だ。特にコンピューターに関してはプログラミング歴は延べ30年を超えており、日常生活上で、僕よりもプログラミングが得意な人間と出会うことは100%ない、と断言してもよい。

だが僕の外見は特殊らしい。僕の外見からは、語学とコンピューターが得意なようには全く見えないらしい。よって語学やコンピューターが苦手な人間として扱われる事が多い。ここに問題がある。

彼が僕に言ってくる様々なハッタリや嘘が僕には通用しない。30分も話しているとメッキが剥げてどちらが実力が上なのか誰の目にも明らかになる。だが相手は自分の方が実力が上として、周囲の人間にパフォーマンスを打っているので、これが僕の存在によって破壊され、メンツが保てなくなる。

自分もそう思うので、彼に気遣って、人前であまり極度に専門的な話題を出すことはない。だがこういうハッタリで世の中を渡るタイプの人間というものは、自分がハッタリで世の中を渡っているという事実を苦々しく眺めているのもまた事実らしい。またこのタイプは、コミュニケーション力が高い人間が多いので、僕が彼を気遣っていることも察する。これが彼の怒りの炎に火を点けるらしい。



僕はしばしば、普通に話し合っているだけなのに、相手が突如不条理な理由で激昂して怒り始める、という経験をするのだが、これは以前はあまり経験したことがなかったことだ。最近、徐々に経験する回数が増えた様に感じる。東京では、そういう現象を経験することは、まずない。僕が日本から出て日本外で生活するようになって以降、僕と同様に日本外で生活する日本人と出会った時に、頻繁に経験する。

ツイッターなどで衝突した場合は、ブロックして距離を取ればそれで終わりだ。だが、日常生活で所属する海外の日本人コミュニティーは、日本で経験する村社会よりも遙に狭い。 距離を取るということがほとんど不可能なので、これが非常に大きな問題となる。

僕と同じ様な経験をする日本人は少なくないらしい。この様な日本人が取る唯一の対策は、日本人コミュニティーから距離を取ることである。そもそも様々なコミュニティーが存在し、コミュニティーに多くの選択肢がある海外に居る訳で、わざわざ日本人コミュニティーに近づいて問題を招き入れる必要はない。

だが飽く迄も日本人コミュニティーに所属する事を前提にして、対策を考えるとすると、これは非常に難しい。問題の根源が自分でなく、飽く迄も相手にある以上、対策を取れない。

問題の根源は、彼の精神的な幼さだ。世の中、上には必ず、上がいる。人間誰しも、常に自分が一番、という状態ばかりでいられない。自分より上もいる。当然、自分より下も居る。そういう中で、他人に対して尊敬を払い、他人に対して傲慢になることなく、謙虚に他人と向き合うことは、広い社会で生活する人間として必須だ。だがそれまでに、広い社会を経験した事がない者は、これが出来ない。他人を知り、自分を知る。洋の東西を問わず、人間が人間の社会で生活する上で必要なことではないか。

日本人コミュニティーの中での虐めの話も耳にする。海外に出てきた日本人は苦労しなければいけない、と同調圧力をかけたり、或いは、海外経験が浅く生活上苦労している人間のに付け込んで、生活を助けて高額なサービス料をぼったくる悪徳日本人は多いらしい。

だが筆者は、このような悪徳日本人を否定しない。

僕自身、海外在住経験が長くなればなるにつれて、海外経験が浅い日本人と付き合うと、依存されて、手取り足取りべったり面倒をみる羽目になる、ということも頻繁に経験してきた。旅は道連れであり、人間助け合いである。僕も助けることはやぶさかではない。だが大抵の場合は、こちらを利用するだけ利用した挙句、去っていく。 散々面倒を見させられた挙句、慣れてきた頃、突如として自信をつけ「自分を見下している」と一方的に逆ギレして去っていく。 こういう人間も2人〜3人程度なら我慢するが、5人〜10人となってくると、生活に支障が出る。もう日本人は相手にしない、という非常に消極的な対策を取らざるを得なくなってくる。

海外経験が浅い日本人は、ある程度毅然とした態度を以って厳しく接し、様々な事を学習して頂かないことには、対等にすら付き合えない。 散々助けた挙句に逆ギレして去っていく日本人が多いなら、そこは割りきって、手取り足取りベッタリで助ける代わりに、多少高額な金を要求することは、ある程度やむを得ないことではないか。助け合いを金で解決するなど、人間としてあるまじき、と考える人間は、他人を糾弾する前に、自分の行動をチェックすべきである。 散々依存した挙句に、逆ギレして去ったことが一度もない、というならその限りではないが。



海外在住の日本人の9割が関西人だという説がある。根拠はないが、実際に海外で生活する上で、大抵の海外在住日本人が関西人だということは、実感としてある。自動車関連企業の駐在(多くが愛知県以西出身)が多い、ということもあるかも知れないが、理由は不明だ。

僕の経験から言って、東北人はあまり嘘を言わない。これは、粘り強く問題と向き合うことが出来る人間が多く、偽りなく勝負しても充分渡り合えるタイプの人間が多いからではないか、と僕は考えている。一方で東北人は、様々なタイプの人間に対して柔軟に対応することが苦手なタイプが多いらしく、これが海外で現地の人と衝突の原因となることが多いように、自分からは思える。また東北人は、故郷を離れたがらないタイプが多いことも理由しているかも知れない。

僕は、詳細は不明だが、東北気質が強い人間らしい。僕の祖先には複数の東北人がいる。だが一方で家柄は関西系であり、普通の東北人とは全く気質が違う。僕は東北人でもあり関西人でもある。これがどうも、東北人とも関西人とも衝突する原因となっているのではないか。

僕はかつて、コミュニケーション力が極度に低い東北人と激しく摩擦を起こし、ネット上でもしばしば論争を起こして来た。よってコミュニケーション力が高い関西人と一緒にいる事が多い。だが近年、コミュニケーション力が高いことを期待すること、それ自体が良くないことだと考える様になった。それは生まれ持った気質であり、東北人を辛くするだけで何のメリットもないことだ。人間の気質の違いは柔軟にゆるしあわなければいけない、と考える様になった。それ以降、摩擦を起こすことは少なくなった。

だが一方で、僕は東北レベルでの「普通」を関西人に期待して、関西人を辛くしていることがないか。何でも根気強く努力して成し遂げる傾向が強い東北気質の人間は、関西にはほとんどいない。細かい点は追求せず、適度にごまかしながら生活するのが、関西流ではないか。

だがそもそも、僕はこういう人間の「てきとうさ」にかなり寛容な人間だ。だが何故、僕は関西人から怒られるのか。

これは僕の推察だが、関西人も、歴史的な混血化により、かなり東北化が進んでいるからではないか。基本的に関西気質、だが多少東北気質が入っている人間は、物事に対して様々な裏技懐柔策をつかって柔軟に対応しつつも、柔軟に対応している自分が嫌いであり(そもそも自己嫌悪という感情が非常に東北的な感情ではないか、と筆者は思うのだが)出来れば東北人の様に全てを正々堂々と対決して粘り強く解決すべきと考えつつもも、粘り強い行動が得意でないというタイプが居るのではないだろうか。 よって、僕の東北気質の強さが、彼らの神経に当たるのだろう。



冒頭で「関西という場合、静岡以西を指し四国九州を含む、東北という場合静岡以東を指し、関東北陸を含む」と言及したが、言葉通り、静岡以西・静岡以東で日本人の気質は正反対になる。 無口/多弁・生真面目/お調子者・理屈に弱い/人付き合いが苦手・数え上げれば切りがない。

だがこういうステレオタイプ的な分類をすると多くの日本人が「そんなことあるか」と反感を持つことも事実だ。その理由は恐らく、日本人の混血化によるものだろう。

島国である日本は、大陸よりも遙に移動が容易い。大陸人は数百キロという距離を徒歩で、数百年という月日を掛けて移動する。だが日本人にとって数百キロなど、大阪〜東京である。日本人は江戸時代以前から、数百キロを一生の間に何往復も出来た。 北上する黒潮と南下する親潮にのって、動力のない船が大量の物資と共に日本中を駆け巡る。

関西の福井県では東北弁に近い方言を話す人たちがいるという。これは恐らく、数百年前に存在した「北前船」と呼ばれる航路の影響ではないか、といわれている。一方、東北の「宮古」という港では、関西弁に近い方言を話す人たちがいるらしい。恐らくだが日本には、こういった東西交流の歴史が無数にある筈だ。

つまり、日本にはこういう「無数の例外的な民族バックグラウンドを持った人の集合」なのではないか。

大航海時代に大陸から大陸へと移動した西洋人は、天文学などを駆使して高度な航行技術を持っていた。だがアジア人は、幸運なことに、マレーシアからウラジオストックまで、断続的に海岸が続いている為、何千キロという距離を海沿いに船を流すという初歩的な技術だけで移動する事が出来る。

よって日本には、太古の昔からマレーシア半島やユーラシア大陸から多くの「変な人」が流れこんで混血している筈だ。

日本人は「変な人」の集団だ。誰が普通とはいえない。



僕の家系図を紐解くと、九州から青森まで親戚が居る。僕は小さい頃から、東京の都会で揉まれるなかで「お前のここは悪い性格だ」「お前のここはいい性格だ」とあらゆる人から糾弾されてきた為、自分の中のあらゆる要素に対して「いい」「わるい」とかなりはっきりと分別しているところがある。だがこれらの「性格」は、見方を変えると、混血化の進んだ結果として出来た、部分的な県民性なのではないか。僕が僕の中で「わるい性格」と断罪している性格が、ある県の県民性だった場合、その県民から激しい反発を得る筈だ。こういう「断罪」をやめ、自分を受け入れることが僕にとって非常に大切なことなのではないか。

だが人間「理解されてもムカツク」というものがある。折角隠していたのに、バレバレになってしまえば、面目丸つぶれと考えて怒り始めるのが人の情けというものではないか。僕としては「上手に騙されたフリをし続ける」という、ウルトラD級の社交術を求められる場面となる。

だがしかし、気遣って相手に華を持たせれば、なめられて蹴落とされる。相手から華を奪い返せば、「おかあつは人間関係ですぐ揉め事を起こす」と言われる。しかしまぁ。よく口が回ること。結局の所、自分が勝たなければ納得しない訳で。

だが、それならそれで僕は構わない。口だけは負けへんで。


だが…しかし…。



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このことに関しては、もうかなり長い間、悩んでいるし、取り組みも続けているが、未だ解決の道が見えず ───

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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