ビエンチャンにて...(4~5) (おかあつ)
2010年09月24日 13:01
2010年09月23日15:55
4
ビエンチャンでビエンチャン語を聞いていると、頭がクラクラしてくる。 単語はみんなラオ語なのに、発音はものすごくタイ語に近くて、何語を話しているのか混乱してくる。 僕は一言でもタイ語を話すと、頭の中がみんなタイ語になってしまうので、我慢して我慢してラオ語(僕がウドンで聞き覚えた言葉)を話している。
ところが、ビエンチャンの人と話すと、発音がすごくタイ語と似ているのに、単語は全部ラオ語で、こっちに気を遣って多少タイ語の単語に置き換えて話したりすることもあって、外人のこっちは混乱してクラクラになりそうだ。
でも色々な人を見ていると、ウドンの人とすごく似ている話し方をする人も居る。 聞いたら、そういう人は、ラオス南部から来た人なんだそうだ。 つまり、ビエンチャンの人にしてみれば、そういう話し方を聞くと、田舎から出てきたっていうことが一発でわかるんだそうだ。 また、そういう話し方をする人は、必ず南部の人で、北部の人では無いんだそうだ。
へへーと思った。
南部の言葉と、都心の言葉を比べると、
丸で違う言葉みたいだ。 基本単語は同じだけど、発音はタイ語とイサーン語ぐらい違う。 一方、ウドンタニーの言葉と、ラオス南部の言葉は、ほとんど同じみたいに聞こえる。 (というか、ウボン・ローイエットとくっついているし、つまり国境が出来る前は一つの文化圏だったんじゃないだろうか。)
ビエンチャンとバンコクは遠くはなれているけど、どういう訳かかなり近い話し方をする。 で、イサーンとバンコク・ビエンチャンとバンコクは、くっつきあっているのにも関わらず、かなり違った話し方をする。 発音や単語ばかりか、語順すら違うことがある。 丸で違う言葉みたいだ。
そういえば、デンマークの人から、フィンランドの言葉とハンガリーの言葉が離れあっているのに、近い言葉を話しているんだ、という事を聞いたことを思い出した。
ま、色々あるわな。
◇
さっき、道を渡ろうとしたら、大型バイクが走ってきた。 バンコクでやるように、気にせず避けずに普通に道を渡った。 広い道を走っている訳なので、普通はバイクと人がちょっとずつ場所を譲り合って普通に通り過ぎる。
そうしたら、ヘルメットのシールドをあげて、でかい声で「ファックユー」ってがなり立てて走って行った。 西洋人だ。
西洋人って、ブッシュ大統領みたいに、目が前方にしかついてないので、タイ人やラオス人がやるように、ちょっとずつ譲り合ってお互い気持ちよく過ごすっていうような、融通が効かないのだろう。
「道を譲るのは、お前か、俺か。 それが問題だ。」みたいな。勝ち負けの世界。
ひたすら勝ち負けにこだわる。
「空気など読まぬ。 お前が引け。」みたいな。
でも、そういうところ、日本人にもあるよな。
集中力が分散せずに、一点だけ高いタイプなんだよな。
そういうタイプの人って、ある程度修練を積んだ人はすごい能力を発揮するけど、そうじゃない人って、タダのバカなんだよな。 困ったもんだ。
======================================
2010年09月24日12:56
5
Thu, 23 Sep 2010 21:21:46 +0700
今日はドンドーク大学の周辺に行った。 ビエンチャンの中心部、タラートサオ周辺は、外人がものすごく多いのでいいのだけど、ちょっと離れたドンドーク大学の周辺に行くと、ほとんど外人がいなくなる。 外人はいるにはいるのだけど、西洋人や日本人の留学生は少数だ。 その中でもラオス語が流暢な人というのは、皆無といってよい。 ここでは、留学生といえば、ほとんどがベトナム人らしい。 ベトナム人のラオス語はとても流暢だ。
そういう中に僕がいるというのは、大変な事態であるらしい。 僕はどうみても外人なので、そういう僕が現地語を話すと、看過できない混乱を巻き起こすのだ。 このことは、なかなか現地人にはわかってもらえないのだけど、かなりストレスが溜まる。
これは、タイでも起こる。 タイでも起こるけど、タイはかなり中華系の人がたくさん住んでいるので、僕みたいな顔の人は、とても少ないが居ることには居る。 だから、何とか対策を立てることは出来る。 例えば話す前に「こんにちは」ってできるだけ正確な発音で言うようにするとか、「えーっと」という言葉を出来るだけ普通な言い方で言うようにするとか、こういう風にすることで、僕がこれからタイ語を話すということを相手に覚悟させる事が出来るので、あまり混乱しない。 最初の2言~3言ぐらいまでは「あぁ、タイ人だったんですね、日本人だと思ってました」とか言う風な感じで話を進めることが出来る。 しかしこれは、タイ国の住民には、北方系アジア人が混ざっているからこそ、出来る技だと思う。 タイでは、日本人がタイ人であっても、おかしくない。
しかし、ラオスは、この点、大きく違う。 ラオスもタイと同様、超多民族国家だけど、タイと違って移民が居ない。 だから華僑があまり居ない。 居ても(昨日書いた)「昆明中華飯店」みたいに、近年になって渡ってきた華僑が多く、極めて少数派だ。 僕のような顔をしたラオス人というのは、絶対に居ないと断言出来る。
そういう複雑な状況の中だった、ということを今日思い知った。
ドンドークについて、ブラブラしながら、食事でもしようかとお店に入った。 「ここ定食屋ですよね、何を売ってるんですか?」って聞こうと思って入ったけど、まったく通じなかった。 僕の発音はお世辞にも良くない。 それはわかってる。 わかってるけど、それくらい通じてもいいだろう、という位は簡単な言い方だ。
英語話せますか?って言われるので、話せませんって言った。 その質問だって、ラオス語で聞いていて、こっちだって理解しているのに、何で英語で話さなあかんねん。 それで、「僕はウドンタニーに住んでいる日本人で、タイ語とラオス語が少しだけ話せるんです」と説明したら「あー!」という事になって、以降、多少、会話がスムーズになった。
そこからが、驚いた。 実は、このお店のおばさん、ルワンパバーンから来たんだそうだ。 で「ご飯屋さん」ってラオス語で何て言うんですか?って聞いたら、「ハーンアーハーン」って言うのだが、その声調の付け方が、僕がこれまで一度も聞いたことが無い様な、天と地がひっくり返る様な不思議な声調だった。 " raan(1) aa(1)haan(5) " みたいな感じで、丸で外国語を聞いているみたいだった。
この「店 ร้าน 」は、低子音字+第二声調記号だ。 この組み合わせも、どうも、地域によって全然発音が違う部分らしいのだ。 「水 น้ำ 」 これも同様、低子音字+第二声調記号 だ。 そして、「これ นี้ 」も同様、低子音字+第二声調記号だ。これらの単語は、イサーンの人は第五声調(高低)で発音する。 僕がドンドーク大学の先生に習った標準ラオス語も、第五声調で発音する、と教わった。 ところがビエンチャンの人は、これを 第三声調(中高)で発音するのだ。 これは、つまり、タイ語の読み方と同じなのだ。
声調を聞いても、どちらの流儀で話しているのかによって、意味も変わってくるので、意味がはっきりしない。 だから、どっちの流儀で話しているのかを見分ける必要がある。 それをどうやって見分けるかというのが重要になってくるわけだが、どうも、ビエンチャンに住む人はこれを、顔を見て判別しているんではないか、という気がしている。 都会的な雰囲気を持った人は、ビエンチャン流・第三声調で、田舎っぽい人は、田舎流・第五声調で、みたいな。
だから、僕みたいに、どこから来たのかさっぱりわからない人間がラオス語を話すと、それだけで通じないらしかった。しかも、僕の発音はラオス南部流と近いウドン流の筈で、更に混乱を招く。 しかも、僕が発した「ハーンニーハーンアーハーンメンボー」という文章は、改めて考えてみると、前半の3つの単語すべて 低子音字+第二声調記号だ。 この極めて微妙な声調ばかりを通るので、余計に分かり辛い、ということらしかった。
一方、外人の僕は、向こうがラオス人で、当然ラオス語を話すだろう、と期待している。 これも混乱に拍車を掛けている訳だ。 このおばさんは、北部ルアンパバーンから来た人で、僕の知らない、標準とは大幅に違う声調区分を使って話しているらしい。 ラオス人だから、ラオス語を話すと思ったら、大間違いな訳である。
この様に、相手が誰でもラオス語を話すと期待することは、ひとつの傲慢さであり、とても失礼なことだ。こういう失礼はあってはいけない。 謙虚に気をつけなければいけない。
◇
そうしたら、これらの一連の出来事を見ていた人か、何だかよくわからない女の人がやって来た。 それで、僕に何だか、ねほりはほり、聞き始める。 僕がタイ語を話すと知って、タイ語でベラベラベラベラ話しかけてくるのだ。 で、どこから来たのか、とか、何してるのか、とか、待っている友達の名前は何だ、とか。 だいたい、こっちは必死でラオス語に変換しようと努力しているのに、タイ語で話しかけられると、それだけで、ムチャクチャ混乱する。 小さな親切、大きなお世話である。
それとも、なんだよ。 外人は、そんな個人的なことにでも、何でも答えないといけないのかよ。
僕は「友達の名前は言いたくないし、大体、この学校周辺にこれだけたくさん人が居るのに、あなた知ってる訳ないでしょ? 初対面の人間にそんなにたくさん個人的なことを聞くのは、普通か? 普通じゃないよね? 行儀がなってないよね?」と言った。 そうしたら「ラオ人はこういう風にするのが普通だ。」と言う。 「僕もラオ人・イサーン人に友達がたくさん居るけど、こういうことをいうのはあなただけだよ」と言い返した。
泊まる場所はあるのか、この辺は学生が多いんだとか、自分が泊まる場所を紹介しようかとか、言ってくる。 別に初めての場所ではないし、あなたが言っている事は僕だってよく知っている、以前住んでいたことすらある、自分で自分の世話ぐらいみれます、と言った。
非常に気分が悪かった。 ...こういう時にこういう言い返し方をすると、大体、すごく後味の悪い思いをする。 何なんだろう。 相手が外人だと思って、こういう見え透いたダマシを掛けてくる人って。 とはいえ、冷たく追い払うのも、結構、後味が悪い物だ。
◇
いつも、後になって思うのだけど、こういうとき、ウドンの人はこういういい方をする。
「どこから来たのか?」
「遠くからだよ」
「何してるの?」
「友達待ってんだよ」(これは何をしているか言いたくない時、非常に一般的な言い訳)
「友達の名前は?」
「えーっと、何だっけな。 思い出せないや。」
「ホテル紹介してあげようか」
「あぁ、もう見つかったよ!」(見つかってなくてもそう即答する。)
こういうことを、相手の肩を叩きながら笑顔で言う。 僕みたいに直接的に何でも言うと、非常に嫌な感じがするが、こういう柔らかい言い方は、あからさまな方便であるとは言え、決して嫌な感じはしない。 暖かい感じすら与える。
要するに、相手にしていない訳だけど、相手にしてないからと言って、コミュニケーションを拒絶しているわけではない。 例え相手がダマシに掛けてきていても、合気道の様に柔らかく受け止めて流してしまう事が出来る。
僕には、こういう言い方が必要だ。
まだまだ、修行が足りん。
Thu, 23 Sep 2010 22:24:59 +0700
4
ビエンチャンでビエンチャン語を聞いていると、頭がクラクラしてくる。 単語はみんなラオ語なのに、発音はものすごくタイ語に近くて、何語を話しているのか混乱してくる。 僕は一言でもタイ語を話すと、頭の中がみんなタイ語になってしまうので、我慢して我慢してラオ語(僕がウドンで聞き覚えた言葉)を話している。
ところが、ビエンチャンの人と話すと、発音がすごくタイ語と似ているのに、単語は全部ラオ語で、こっちに気を遣って多少タイ語の単語に置き換えて話したりすることもあって、外人のこっちは混乱してクラクラになりそうだ。
でも色々な人を見ていると、ウドンの人とすごく似ている話し方をする人も居る。 聞いたら、そういう人は、ラオス南部から来た人なんだそうだ。 つまり、ビエンチャンの人にしてみれば、そういう話し方を聞くと、田舎から出てきたっていうことが一発でわかるんだそうだ。 また、そういう話し方をする人は、必ず南部の人で、北部の人では無いんだそうだ。
へへーと思った。
南部の言葉と、都心の言葉を比べると、
丸で違う言葉みたいだ。 基本単語は同じだけど、発音はタイ語とイサーン語ぐらい違う。 一方、ウドンタニーの言葉と、ラオス南部の言葉は、ほとんど同じみたいに聞こえる。 (というか、ウボン・ローイエットとくっついているし、つまり国境が出来る前は一つの文化圏だったんじゃないだろうか。)
ビエンチャンとバンコクは遠くはなれているけど、どういう訳かかなり近い話し方をする。 で、イサーンとバンコク・ビエンチャンとバンコクは、くっつきあっているのにも関わらず、かなり違った話し方をする。 発音や単語ばかりか、語順すら違うことがある。 丸で違う言葉みたいだ。
そういえば、デンマークの人から、フィンランドの言葉とハンガリーの言葉が離れあっているのに、近い言葉を話しているんだ、という事を聞いたことを思い出した。
ま、色々あるわな。
◇
さっき、道を渡ろうとしたら、大型バイクが走ってきた。 バンコクでやるように、気にせず避けずに普通に道を渡った。 広い道を走っている訳なので、普通はバイクと人がちょっとずつ場所を譲り合って普通に通り過ぎる。
そうしたら、ヘルメットのシールドをあげて、でかい声で「ファックユー」ってがなり立てて走って行った。 西洋人だ。
西洋人って、ブッシュ大統領みたいに、目が前方にしかついてないので、タイ人やラオス人がやるように、ちょっとずつ譲り合ってお互い気持ちよく過ごすっていうような、融通が効かないのだろう。
「道を譲るのは、お前か、俺か。 それが問題だ。」みたいな。勝ち負けの世界。
ひたすら勝ち負けにこだわる。
「空気など読まぬ。 お前が引け。」みたいな。
でも、そういうところ、日本人にもあるよな。
集中力が分散せずに、一点だけ高いタイプなんだよな。
そういうタイプの人って、ある程度修練を積んだ人はすごい能力を発揮するけど、そうじゃない人って、タダのバカなんだよな。 困ったもんだ。
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2010年09月24日12:56
5
Thu, 23 Sep 2010 21:21:46 +0700
今日はドンドーク大学の周辺に行った。 ビエンチャンの中心部、タラートサオ周辺は、外人がものすごく多いのでいいのだけど、ちょっと離れたドンドーク大学の周辺に行くと、ほとんど外人がいなくなる。 外人はいるにはいるのだけど、西洋人や日本人の留学生は少数だ。 その中でもラオス語が流暢な人というのは、皆無といってよい。 ここでは、留学生といえば、ほとんどがベトナム人らしい。 ベトナム人のラオス語はとても流暢だ。
そういう中に僕がいるというのは、大変な事態であるらしい。 僕はどうみても外人なので、そういう僕が現地語を話すと、看過できない混乱を巻き起こすのだ。 このことは、なかなか現地人にはわかってもらえないのだけど、かなりストレスが溜まる。
これは、タイでも起こる。 タイでも起こるけど、タイはかなり中華系の人がたくさん住んでいるので、僕みたいな顔の人は、とても少ないが居ることには居る。 だから、何とか対策を立てることは出来る。 例えば話す前に「こんにちは」ってできるだけ正確な発音で言うようにするとか、「えーっと」という言葉を出来るだけ普通な言い方で言うようにするとか、こういう風にすることで、僕がこれからタイ語を話すということを相手に覚悟させる事が出来るので、あまり混乱しない。 最初の2言~3言ぐらいまでは「あぁ、タイ人だったんですね、日本人だと思ってました」とか言う風な感じで話を進めることが出来る。 しかしこれは、タイ国の住民には、北方系アジア人が混ざっているからこそ、出来る技だと思う。 タイでは、日本人がタイ人であっても、おかしくない。
しかし、ラオスは、この点、大きく違う。 ラオスもタイと同様、超多民族国家だけど、タイと違って移民が居ない。 だから華僑があまり居ない。 居ても(昨日書いた)「昆明中華飯店」みたいに、近年になって渡ってきた華僑が多く、極めて少数派だ。 僕のような顔をしたラオス人というのは、絶対に居ないと断言出来る。
そういう複雑な状況の中だった、ということを今日思い知った。
ドンドークについて、ブラブラしながら、食事でもしようかとお店に入った。 「ここ定食屋ですよね、何を売ってるんですか?」って聞こうと思って入ったけど、まったく通じなかった。 僕の発音はお世辞にも良くない。 それはわかってる。 わかってるけど、それくらい通じてもいいだろう、という位は簡単な言い方だ。
英語話せますか?って言われるので、話せませんって言った。 その質問だって、ラオス語で聞いていて、こっちだって理解しているのに、何で英語で話さなあかんねん。 それで、「僕はウドンタニーに住んでいる日本人で、タイ語とラオス語が少しだけ話せるんです」と説明したら「あー!」という事になって、以降、多少、会話がスムーズになった。
そこからが、驚いた。 実は、このお店のおばさん、ルワンパバーンから来たんだそうだ。 で「ご飯屋さん」ってラオス語で何て言うんですか?って聞いたら、「ハーンアーハーン」って言うのだが、その声調の付け方が、僕がこれまで一度も聞いたことが無い様な、天と地がひっくり返る様な不思議な声調だった。 " raan(1) aa(1)haan(5) " みたいな感じで、丸で外国語を聞いているみたいだった。
この「店 ร้าน 」は、低子音字+第二声調記号だ。 この組み合わせも、どうも、地域によって全然発音が違う部分らしいのだ。 「水 น้ำ 」 これも同様、低子音字+第二声調記号 だ。 そして、「これ นี้ 」も同様、低子音字+第二声調記号だ。これらの単語は、イサーンの人は第五声調(高低)で発音する。 僕がドンドーク大学の先生に習った標準ラオス語も、第五声調で発音する、と教わった。 ところがビエンチャンの人は、これを 第三声調(中高)で発音するのだ。 これは、つまり、タイ語の読み方と同じなのだ。
声調を聞いても、どちらの流儀で話しているのかによって、意味も変わってくるので、意味がはっきりしない。 だから、どっちの流儀で話しているのかを見分ける必要がある。 それをどうやって見分けるかというのが重要になってくるわけだが、どうも、ビエンチャンに住む人はこれを、顔を見て判別しているんではないか、という気がしている。 都会的な雰囲気を持った人は、ビエンチャン流・第三声調で、田舎っぽい人は、田舎流・第五声調で、みたいな。
だから、僕みたいに、どこから来たのかさっぱりわからない人間がラオス語を話すと、それだけで通じないらしかった。しかも、僕の発音はラオス南部流と近いウドン流の筈で、更に混乱を招く。 しかも、僕が発した「ハーンニーハーンアーハーンメンボー」という文章は、改めて考えてみると、前半の3つの単語すべて 低子音字+第二声調記号だ。 この極めて微妙な声調ばかりを通るので、余計に分かり辛い、ということらしかった。
一方、外人の僕は、向こうがラオス人で、当然ラオス語を話すだろう、と期待している。 これも混乱に拍車を掛けている訳だ。 このおばさんは、北部ルアンパバーンから来た人で、僕の知らない、標準とは大幅に違う声調区分を使って話しているらしい。 ラオス人だから、ラオス語を話すと思ったら、大間違いな訳である。
この様に、相手が誰でもラオス語を話すと期待することは、ひとつの傲慢さであり、とても失礼なことだ。こういう失礼はあってはいけない。 謙虚に気をつけなければいけない。
◇
そうしたら、これらの一連の出来事を見ていた人か、何だかよくわからない女の人がやって来た。 それで、僕に何だか、ねほりはほり、聞き始める。 僕がタイ語を話すと知って、タイ語でベラベラベラベラ話しかけてくるのだ。 で、どこから来たのか、とか、何してるのか、とか、待っている友達の名前は何だ、とか。 だいたい、こっちは必死でラオス語に変換しようと努力しているのに、タイ語で話しかけられると、それだけで、ムチャクチャ混乱する。 小さな親切、大きなお世話である。
それとも、なんだよ。 外人は、そんな個人的なことにでも、何でも答えないといけないのかよ。
僕は「友達の名前は言いたくないし、大体、この学校周辺にこれだけたくさん人が居るのに、あなた知ってる訳ないでしょ? 初対面の人間にそんなにたくさん個人的なことを聞くのは、普通か? 普通じゃないよね? 行儀がなってないよね?」と言った。 そうしたら「ラオ人はこういう風にするのが普通だ。」と言う。 「僕もラオ人・イサーン人に友達がたくさん居るけど、こういうことをいうのはあなただけだよ」と言い返した。
泊まる場所はあるのか、この辺は学生が多いんだとか、自分が泊まる場所を紹介しようかとか、言ってくる。 別に初めての場所ではないし、あなたが言っている事は僕だってよく知っている、以前住んでいたことすらある、自分で自分の世話ぐらいみれます、と言った。
非常に気分が悪かった。 ...こういう時にこういう言い返し方をすると、大体、すごく後味の悪い思いをする。 何なんだろう。 相手が外人だと思って、こういう見え透いたダマシを掛けてくる人って。 とはいえ、冷たく追い払うのも、結構、後味が悪い物だ。
◇
いつも、後になって思うのだけど、こういうとき、ウドンの人はこういういい方をする。
「どこから来たのか?」
「遠くからだよ」
「何してるの?」
「友達待ってんだよ」(これは何をしているか言いたくない時、非常に一般的な言い訳)
「友達の名前は?」
「えーっと、何だっけな。 思い出せないや。」
「ホテル紹介してあげようか」
「あぁ、もう見つかったよ!」(見つかってなくてもそう即答する。)
こういうことを、相手の肩を叩きながら笑顔で言う。 僕みたいに直接的に何でも言うと、非常に嫌な感じがするが、こういう柔らかい言い方は、あからさまな方便であるとは言え、決して嫌な感じはしない。 暖かい感じすら与える。
要するに、相手にしていない訳だけど、相手にしてないからと言って、コミュニケーションを拒絶しているわけではない。 例え相手がダマシに掛けてきていても、合気道の様に柔らかく受け止めて流してしまう事が出来る。
僕には、こういう言い方が必要だ。
まだまだ、修行が足りん。
Thu, 23 Sep 2010 22:24:59 +0700
コメント一覧
[1] おかあつ 2010年12月04日 22:02
今、こうして読み返してみると、ビエンチャンの定食屋のおばさんにラオス語を話したら通じなかった件について、少し思うことがある。 今、ルアンパバーンのラオ人の生徒が学校に居て一緒に生活しているのでわかるのだけど、ルアンパバーンの人の発音はビエンチャンと違うにせよ、そんなに極端に違う訳ではないと思う。 ラーンアーハーンの発音の声調が第1・第1・第5になるというのは、かなり極端だと思う。 今思えば、この定食屋のおばさんは、ラオ出身ではなくて他の少数民族出身だったんではないだろうか。 ラオ語がネイティブの人じゃなかったのかもしれない。 それなら話がわかる。
こうして中国に来て国境をまたぐと、国境のはかなさを思う。 国家の都合で色々に分断されてしまった土地。 そこには元々長年にわたってたくさんの民族が住んでいる。 分断されてしまった国境の付近で本音と建前をやりくりしながら、暮らしている。 自分が少数民族出身であっても、そのことを絶対に人に言わない。 そういう人たちと付き合うためには、高度なデリカシーが必要だ。 そして国境が海で守られている日本の幸運さを思う...と同時に、日本にも国境があってそこに色々な本音と建前がある事を知らなければいけない。 世界中どこにいっても、国境にまつわる話に本音などひとつも出てこない。 それは日本も例外ではない。
こうして中国に来て国境をまたぐと、国境のはかなさを思う。 国家の都合で色々に分断されてしまった土地。 そこには元々長年にわたってたくさんの民族が住んでいる。 分断されてしまった国境の付近で本音と建前をやりくりしながら、暮らしている。 自分が少数民族出身であっても、そのことを絶対に人に言わない。 そういう人たちと付き合うためには、高度なデリカシーが必要だ。 そして国境が海で守られている日本の幸運さを思う...と同時に、日本にも国境があってそこに色々な本音と建前がある事を知らなければいけない。 世界中どこにいっても、国境にまつわる話に本音などひとつも出てこない。 それは日本も例外ではない。