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2008年1月19日土曜日

2年前 (mixi05-u459989-200801190127)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
2年前
2008年01月19日01:27
FaceBookでフォトアルバムを作ってやろうと思って、昔の写真を引っ張り出してみた。 みているうちに何か色々思い出して考えてしまった。 しかも日記も出てきて、昔の自分が何を考えていたのかを見た。 別人のようで愕然とした。 たった2年前なのに。

僕が始めてタイに行ったのは2004年で、そのときは夏休みに一週間だけ滞在しただけだった。 2004年末にショッキングな大事件があってそれまでトラブルだらけで何一つ自由にならない人生から、一気に自由な人間になったのだ。 2005年4月会社を辞めて、6月からタイに住むようになった。 何かたったの2年前のことなのだけど、まったく別人の様だ。

まず大きな違いはタイ語を話せるようになったことだ。 この違いは大変なものがある。 2年前の自分の写真を見る。 この頃の僕はタイ語が話せない、という事がものすごく奇妙に感じる。 昔の日記を見ると、僕は本当に何も知らない。 何も知らないところで必死に考えていることがわかる、そのことが、ものすごいショックだった。

自由じゃないというのは、恐ろしい事だ。 明らかにおかしい間違っていると感じている事を、間違っているといえない、おかしいことをおかしいといえない、無理やりな理由を付けて、無理やりに納得させられている状態に長く居ると、自分の中の論理がおかしくなっていく。 そういう状況に長く居ると、どんどんと考える力を奪われていく。

僕は、人間というのは時間をかけて考えてそれを蓄積していく事で大人になっていくものだと思う。 しかし、僕はずっと思考を束縛されたままだったので、正しい思考を蓄積する事ができなかった。 ようやく自分を蓄積できるようになったのが、ついこのあいだの2年前なのだと思う。 僕はその時初めて自分で考えて、自分で覚えはじめた。 僕はこの20年間とても自由でなく、その間正しく物事を考える事が出来なかった。 僕はそのことがものすごく悔しい。 なんとしてでも僕はその20年間を取り戻したいと思う。

だから僕はなんと言うか、自分がまだ子供だと感じる。 僕は本当は十代のときに タイ語や英語やロシア語を勉強してマスターしたかった。 でもそれはかなわなかったので、出来る限り頭を大人にしないようにしてきたのだと思う。 その間、色々な経験に頼らない勉強をしてきた。 本当は経験するのが一番いいのだけど、それは出来ないので経験を補助するような勉強の仕方だけをしてきた。 つまり知識だけを伸ばしてきたのだ。

経験せずに知識だけを伸ばすというのは、すごくバランスの悪いことだと僕は思う。 知っていることはどんどん増えるのに全然使えるようにならないからだ。 こうして努力に努力を重ねて、努力の割りに結果が出ない三流スポーツ選手のような人間が出来上がる。 僕は決して望んでそうなったわけではないけども、そうなるのは必然的だった。

そういうウダツの上がらない万年ベンチウォーマーの様な僕が自由になってタイに行って、全く何の知識も無い状態から実践を半年つんだだけでタイ語が話せるようになった。 2年後にはスラスラ話せるようになった。 もっと早くから実践を積んでいれば... と思う。 自分のアビリティーを100%生かしきれていない自分が物凄く悔しい。 これが20年前だったら、もっとたくさんの事が出来たのにと思う。

今、今まで出来なかった事を目いっぱいやっている。 だけどもう30代も半ばを超える。 体力もピークを超えている。 悪状況との闘いが終わったと思ったら、今度は自分の人生の時間との闘いになってしまった。 何度考えても悔しい。 でもやるしかない。


コメント一覧
ジャコビ   2008年01月19日 02:31
おかあつさんの言ってる事、凄く良く分かります。わたしも似たような道を通って来たから。アメリカに来て解放されて、勤め人生活を止めてさらに解放されました(笑)。自分では年をとるごとに自由になって来ているような気がします。

今わたしは、経済的に決して満ち足りた状況にある訳ではありませんが、それでも大変満足しています。やりたい事をやっているので、ストレスがたまらないんです。でも、こういうある意味でリスクの高い生き方をする人は少数派だと思います。

今まで無駄に過ごして来たと思われるような若い頃の年月も、それなりの意味があるものだと私は思います。言い換えれば、全ての過去が今の自分を形作っていると思います。

これからも頑張って下さい。
おかあつ   2008年01月19日 22:34
>おかあつさんの言ってる事、凄く良く分かります。わたしも似たような道を通って来たから。
ジャコビさん、会ったことは無いですが、話を聞いていると、匂いでどことなく近いものを感じます。
年齢と共に自由になる、そうありたいですね...。 年齢と共に若くなるみたいな...。
僕もがんばろう。

muri   2008年01月21日 00:47
言葉を知ることは、大きいですよね。自分もタイに住み始めた頃を今思い返すと、道を歩くだけで無茶な冒険をしていたように感じます。それが今じゃ初めていく他県のド田舎でも、ラオスでも、まったく冒険にならない(笑)。その辺は面白くなくなった反面、だからこそ束の間の冒険以上の目的や欲求を持てるようになったと思いますね。
年齢は、初対面の人に「おじいちゃん」と呼ばれるようになるまでは大した問題じゃないと思ってます。その頃にはまた別の生き方も有るでしょうし。
自分もかつては専業プログラマだったから、若者と呼べる頃には延々とタコ部屋でコード書きつづけるだけの生活だったし(昔は酷いもんで、二日貫徹の後36時間眠れた記録も有ります、バカみたいだけど)、もちろんその時の経験は今も非常に大事なんですが、今はその時よりは遥かに実感を伴った行動をするようになってるかなぁ、とか思ったりして。
とはいえ、どっちが良い悪いという話じゃないですけどね。人間は結局このまま「進化」してってこういう実感とかはどうでもよくなるんでしょうし。ってなんか要点が違いますね、すんません。
 
出展 2008年01月19日01:27 『2年前』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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