何故日本人(特に知識層や権力層)は権威主義なのかを真剣に考えてみると、何が良いもので何が悪いものなのか判別する能力を持っていないからなのではないか…と思うのです。
日本人は、誰も評価していないものを拾い上げて「これはよい」と言う勇気がないだけでなく、そこに隠れている複雑な要素をきちんと判別して見出すことが出来ません。
海外で評価されているものは、必ずそれが評価されている文脈があり、そこに隠れている文法があって、それを理解することで、次に評価されるものを予想することができます。
しかし日本人は、あるものが評価されている理由=つまり文法・文脈をはっきりと判別できないからこそ、それを裏付ける『権威』を必要とするのではないでしょうか。
日本人の『権威は大好きだけど権力は大嫌い』という不思議な性質も、上で説明したことと関連しているのではないでしょうか。
私がいつも「こいつらは馬鹿だ」と言ってる人々は、ほとんどの場合で日本で一番上手と言われている人々なのです。
彼らは知識が豊富で高い技量を持っていますが、盲目なのです。
彼らにこそ、きちんとそこにある文脈を教え、そこにある文法を教える必要があるのではないか。
そこにある「人」を視る方法を教える必要があるのではないか。
気遣いに疎く他人に気を使わせてばかりいる「ふんぞりかえっている」彼らといっしょに演奏して楽しい訳がないのですが、まだミュージシャンとしての精神的成熟が得られていない彼らは、まだ「これから大人になる」青春期の子どもの様でもあります。
彼らにこそ、音楽的知識ばかり追い求めていてはいけない、という事を理論的に説明する必要があるのではないか…。