バンコクに戻ってきた
2009年12月19日20:26
ずっとラオスのすぐそば、タイの辺境の様なところにいた。 二ヶ月くらいじっと何もしないでそこに住んでいた。 インターネットはおろか、電話もない、下手すると電気もないという場所で、ずっと文化から遠ざかって生活してた。 最新の情報に触れない、広告に触れない、文化に触れないというのは(僕みたいなずっと都心に住んでいたような人間にとっては)ひとつの神秘的な経験だだと思う。 しかし、実は、それは神秘的なのではなく、むしろそちらの方が現実だと思う。
コマーシャルやプロパガンダ、会社の規則とか、社会の規則とか、そういうも本当は相手にとって不利益な物をまるで相手にとってとても利益のあるものだと勘違いさせるための物なのだと思う。こういう機械にずっと触れていると、人が生まれてご飯を食べて子供を育てて死ぬっていう、ごく当たり前な現実間がなくなっていく。
そういう物を遮断する生活っていうのは、僕みたいなどっぷりとそういう毒に使ってきた人間にとっては、ひとつの神秘的な経験として成り立つ。
この辺のひとというのは、本当に自然体で、目的に向かって直線的に歩くような生活をする。 やりたいことしかしない。 そこには「夢」とか「希望」とか「将来」とかそういう現実から目を逸らすような物はない。 自分が感じたとおり、自分がやりたいと思うとおりに、迷わず直線的にあるく。
◇
2005年に日本語しか話せなかった僕。 今気がつけば、日本語に英語、タイ語が話せるようになった。 そして、今回ラオスに行って気がついたのだけど、ラオス語も話せる様になった。
国境でラオス語を話したとき、何か変だなと思った。 お店や食堂でラオス語を話したときも変だなと感じた。 気がつけば普通に通じていた。 気がつけば普通に聞き取れていた。 シアンイサーンやニターンコム(ラオス語の方言のひとつであるイサーン語のコメディーのVCD収録)をひたすら研究した成果が突然現れた。
話せるようになってから、思ったのだけど、僕は、今までまるで、一番難しいことを一番先に勉強していたということに気がついた。
いろいろな本を読んでいろいろなことを勉強したけど、僕が今知っていることは、書いてある本がない。 タイ語でかかれた本であってもなかなか本格的な本は見つからない。 日本にはそもそおラオス語についてかかれている本がほとんどない。 あってもごく初歩的な基礎会話程度のことしかかかれておらず、中級~上級の人が満足にテキストとして利用できる物はない。 英語の本もあるけど、これもあまり正しいことがかかれてない。 得に発音に関しては英語の本はどれも正しくない。 ラオス語には声調が7つあるのだけど、このことがはっきりと明示的に書かれている本は、皆無と言ってよい。
◇
ラオス周辺に居るのはある意味とても快適なのだけど、ある意味ではとても厳しい物がある。 特に日本人としては、不慣れなことをたくさんしなければいけないので、精神的に厳しい障壁を乗り越える必要がある。 そういうところで頑張っていくことによって得られる物は決して少なくない。 都会では決して得られない貴重な知識が得られる。
都会では決して得られない、人の性質に対する知識を得ることができる。
嫌な思いもたくさんしたけど、それでよかったのだと思う。
今はバンコクに居るけど、またしばらくしたら、そこに戻ろうと思う。
何といっても、格安の娯楽に事欠かないバンコクと違って、娯楽がない。 電話もネットもない。 のめりこむ物がない。何もすることがない。 コマーシャルがないから、悩まされることも、迷わされることもない。 だから考えることもない。悩むこともない。考えることがないから、仕事について考える。 何もすることがないから、仕事がはかどる。 この「ノイズ」の少なさは、貴重だと思う。
コマーシャルやプロパガンダ、会社の規則とか、社会の規則とか、そういうも本当は相手にとって不利益な物をまるで相手にとってとても利益のあるものだと勘違いさせるための物なのだと思う。こういう機械にずっと触れていると、人が生まれてご飯を食べて子供を育てて死ぬっていう、ごく当たり前な現実間がなくなっていく。
そういう物を遮断する生活っていうのは、僕みたいなどっぷりとそういう毒に使ってきた人間にとっては、ひとつの神秘的な経験として成り立つ。
この辺のひとというのは、本当に自然体で、目的に向かって直線的に歩くような生活をする。 やりたいことしかしない。 そこには「夢」とか「希望」とか「将来」とかそういう現実から目を逸らすような物はない。 自分が感じたとおり、自分がやりたいと思うとおりに、迷わず直線的にあるく。
◇
2005年に日本語しか話せなかった僕。 今気がつけば、日本語に英語、タイ語が話せるようになった。 そして、今回ラオスに行って気がついたのだけど、ラオス語も話せる様になった。
国境でラオス語を話したとき、何か変だなと思った。 お店や食堂でラオス語を話したときも変だなと感じた。 気がつけば普通に通じていた。 気がつけば普通に聞き取れていた。 シアンイサーンやニターンコム(ラオス語の方言のひとつであるイサーン語のコメディーのVCD収録)をひたすら研究した成果が突然現れた。
話せるようになってから、思ったのだけど、僕は、今までまるで、一番難しいことを一番先に勉強していたということに気がついた。
いろいろな本を読んでいろいろなことを勉強したけど、僕が今知っていることは、書いてある本がない。 タイ語でかかれた本であってもなかなか本格的な本は見つからない。 日本にはそもそおラオス語についてかかれている本がほとんどない。 あってもごく初歩的な基礎会話程度のことしかかかれておらず、中級~上級の人が満足にテキストとして利用できる物はない。 英語の本もあるけど、これもあまり正しいことがかかれてない。 得に発音に関しては英語の本はどれも正しくない。 ラオス語には声調が7つあるのだけど、このことがはっきりと明示的に書かれている本は、皆無と言ってよい。
◇
ラオス周辺に居るのはある意味とても快適なのだけど、ある意味ではとても厳しい物がある。 特に日本人としては、不慣れなことをたくさんしなければいけないので、精神的に厳しい障壁を乗り越える必要がある。 そういうところで頑張っていくことによって得られる物は決して少なくない。 都会では決して得られない貴重な知識が得られる。
都会では決して得られない、人の性質に対する知識を得ることができる。
嫌な思いもたくさんしたけど、それでよかったのだと思う。
今はバンコクに居るけど、またしばらくしたら、そこに戻ろうと思う。
何といっても、格安の娯楽に事欠かないバンコクと違って、娯楽がない。 電話もネットもない。 のめりこむ物がない。何もすることがない。 コマーシャルがないから、悩まされることも、迷わされることもない。 だから考えることもない。悩むこともない。考えることがないから、仕事について考える。 何もすることがないから、仕事がはかどる。 この「ノイズ」の少なさは、貴重だと思う。
コメント一覧
あび 2009年12月19日 20:57
元気なようでよかった。
かつお 2009年12月19日 22:38
お疲れ様です。僕も少数民族の文明から離れた生活を体験しましたが、何もない生活も案外いいのかもしれません。日本だと経験できませんからね。
ナム 2009年12月19日 23:56
ふだんと全く異なった意識の世界に浸って来られたご体験を、一種の神秘であると表現していらっしゃるのをなるほどと思い、とても興味深く考察を拝読しました。
ところで、そもそも、おかあつさんがラオスに魅せられるようになったきっかけは何なのですか?