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2015年8月25日火曜日

日本に居るとそれだけで音楽が下手になる (oka01-fvyhfosdkxjikyjm)


『日本に居るとそれだけで音楽が下手になる』

─── 日本人は多民族の寄せ集めなので、日本人の意見は、色々な民族の平均である場合が多い。それらの民族の中には、音楽が巧い民族もいれば、音楽が全く下手な民族も居る。日本人である以上、音楽が下手な人の意見もきちんと尊重する必要があり、結果として全体的に音楽が下手になる。

この現象は、音楽以外にも現れている。

『日本に居るとそれだけで音楽が下手になる』

───これは語学についても同じことがいえる。 『日本に居るとそれだけで語学が下手になる。』 日本人は勤勉だが、『語学で上達したければ熱心に勉強する必要がある』と言う人で、語学がまともに扱える人を、僕はついぞ見たことがない。否、正確を期していえば、語学が上手な人で勉強熱心な人もいるが、勉強を全くしないのに語学が上手な人も大勢居る。つまり「勉強熱心さ」は、必要必須条件ではない。

『日本に居るとそれだけで音楽が下手になる』

今、僕のことを「語学が苦手だ」という人は、いないだろう。しかしかつては、そうではなかった。僕が語学の勉強を始めた時、年齢は30をとうに過ぎていた。それ以前は、何も外国語が話せなかった。今の様に、ラオ語もタイ語も中国語も英語もイサーン語も話せなかった。

僕は、僕が何も外国語が話せなかった理由は、単に学ぶチャンスがなかっただけだと考えている。実際にこうして環境を得て、現在こうやって様々な言語が話せる様になった以上、話せなかった理由は単に学ぶチャンスがなかったからだと、はっきりと証明されている。だがかつて、僕が「学ぶチャンスがないだけで、僕は語学が得意だ」と言っても、狂人の戯言としか認識されなかった。

僕の『勉強しても語学は上達しない』とか『単語を丸暗記しても喋れるようにはならない』とか『語学には体験が必要』といった、現在の僕が持っている主な意見を、僕は、かつて僕が外国語が話せなかった時も、全く同じ様に持っていた。だが、他人からは単なる狂人の戯言と思われていた。

『日本に居るとそれだけで音楽が下手になる』

僕は、当時から、新しい言語の獲得に成功するかどうかは、環境によると考えていた。例え、新しい言語を話すためにどんなに努力したとしても、その言語を実際に使うことが出来る環境がなければ、身につかない。つまり「実際に外国に行かないと外国語は、話せるようにならない」ということだ。だが、そういうと必ず「外国に行けば外国語が話せるようになるなど、考えが甘い。」というスパルタ系の意見を申し付ける者が現れる ─── 勉強しろ、というのだ。

僕は今、5ヶ国語を話すことが出来る。そういう現状で僕が思うのは、むしろ逆の事だ。「勉強した程度で外国語が話せるようになるなど、考えが甘い。」というものだ。

新しい言語を獲得する為には、絶対に体験が必要だ。外国語が話せるということは、単語をよく知っているという知識以上の人間力が必要になる。考え方の違いを埋める柔軟性や、相手の立場に立って説明する思いやり、自分にとって意外なことが起こった時でも、感情を高ぶらせずに人間関係を丸く治める社交術などがなければ、きちんとコミュニケーションがとれない。

語学とは、勉強熱心になれば誰でもマスターできる様な、単純なものではない。大陸の多民族が激しくぶつかり合っている中で揉まれているなかで初めて身につく体験的な何かが必要だ。

『日本に居るとそれだけで音楽が下手になる』

僕がまだ何も外国語が話せなかった時、僕の周囲には僕が語学が苦手になるように強制したがる、無数の頑固者がいた ───
─── 外国語は子供の頃から学ばないと身につかない。─── 頑張って勉強しないといけない。─── 正しい発音を学ばないといけない。─── TOEICなどの資格勉強をしなければいけない。─── 辞書を読んで単語の意味を片端から覚えなければいけない。─── ニュースを見て正しい発音を身につけなければならない。─── 正しい文法を理解しなければいけない。─── 間違いは恥。絶対に間違ってはいけない。─── 我流で学んではいけない。 ─── 他人に勝たなければいけない。 ─── 楽しんではいけない。
これらの意見は、間違っている。 どれもこれも、やればやるほど語学が下手になる。

だが彼らの意見を尊重しなければ、彼らは怒り猛り、謀叛者を疎外し、迫害し、身勝手なわがまま者として糾弾し、生活を妨害し、仕事を妨害し、成長を妨害する。

この語学を下手にしたがるプレッシャーについて思いを巡らせる時、このことは、音楽に関しても同じことが言えるのではないか… と思い当たる。
─── 絶対音感がなければいけない。─── 子供の頃から音楽の訓練を受けなければればいけない。─── 有名な先生について習わなければいけない。 ─── 正しい指使いを学ばなければいけない。 ─── 正しい理論を学ばなければいけない。 ─── クラシックピアノの訓練を受けなければいけない。 ─── 毎日18時間以上練習しなければいけない ─── 間違いは恥。絶対に間違ってはいけない。───我流で練習してはいけない。 ─── 他人に勝たなければいけない。 ─── 楽しんではいけない。
これも語学同様、彼らの意見を尊重しなければ、彼らは怒り猛り、反逆者を疎外し、迫害し、周囲に彼の考えの安直さを吹聴し、演奏に必要な譜面を手に入れる事を妨害し、譜面を渡さずに舞台に上がる様にそそのかし、赤恥をかいた所で鬼の首を取ったように騒ぎたて、意図的に間違った練習法を強制して他人の成長を妨害し、悪い評判を立てて営業活動を妨害し、生活を妨害する。

果たして日本のこの強烈な同調圧力は、一体どこから来るのだろうか。

語学と音楽は非常に似ている。音を聴いて楽しむ。音を出して楽しむ。たったそれだけのことだ。果たして日本では、たったそれだけのことをする為に、どれ程、膨大な準備を要求されるのだろうか。


『日本に居るとそれだけで音楽が下手になる』

だがそんななか、大陸ではとうの昔に絶滅してしまった技術や文化が、いつの間にか日本に伝わっており、日本だけで生き残っていたりする。そういう不思議な国、日本の風土を思う。




更新記録

(Thu, 27 Aug 2015 22:46:11 +0700)
『語学が苦手になるように強制したがる、無数の頑固者がいた』以降の実例を追加した。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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