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2015年6月14日日曜日

分析はもう充分だ (oka01-kongkjmvexjgwajk)

日本は現在、原発事故による被害の拡大と直面している。

ツイッターを見ていると、近年の諸問題に関する分析が飛び交っている ─── なかには、公式な分析機関が出すレポートも顔負けな程に詳細に踏み込んだものもある。分析が専門でない方も、独自の視点から非常に興味深い分析をだしている。

僕はそんななかで「もう分析は充分だ」と言いたい。結論を出すために必要は分析は、もう充分過ぎるほど揃っている。にも関わらず、決断する人は皆無と言って良い惨状である。

往々にして、決断に必要な分析は、さほど詳細なものでなくても良い場合が多い。大まかな方向が分かれば、致命的な決断ミスは避けられる。詳細は決断した後で考えればよい。だが、みな分析に明け暮れ、誰も決断しない。

このままだと、大勢が死ぬ。もう分析は充分である。決断すべき時期が来ている。

以下、分析ばかりに興じる危険性について説明する。

政治は政治、科学は科学 ─── 科学的に検証することは大切だが、政治的な分析をする前に科学の検証に入るべきでない。

科学的な分析の検証を正確にやろうとすると、ものすごく時間がかかる。だが、決断する為に必要な科学的分析は、9割の精度は必要がない。せいぜい5割の精度で良い。細かな数字の間違を修正する事に血道を挙げなくても、大まかな指針だけつかめれば、充分事足りる。

正しい決断を行う為には、科学的な分析よりむしろ政治的な分析に重点を置くべきだ。政治分析で相手の意図を解析すれば、彼がどういう嘘をつく筈か検証出来る。政治の分析は比較的簡単に7割程度の精度が出る。


政治的な分析を行う時に大切なのは、詳細はわからなくてもよい、ということだ。詳細はわからないが、相手が利益を出すためには、少なくともこういう行動を取る筈だから、我々はこういう風に行動すれば良い…というように、最低限の対策が立てられれば良いからだ。

この考え方で防御策の7割はカバーできる。残りの3割をカバーする為に、初めて科学的に詳細な分析が必要になる。

科学は詩ではない。 難解かつ魅力的に輝く未知な文言の羅列は、不思議な魅力を持っており、いつまでも戯れていたくなる。 だが大抵の場合、最も正確な科学の分析は、しばしば、明快で誰にでもわかる実につまらない短い一文で説明されるものだ。

僕は、こうしてツイッターを見ていて、色々な頭の良い人が、色々な分析を立てているのを見て、物凄い強烈な違和感を感じる。分析に熱中するだけで、決断する人がどこにもいないからだ。決断に必要な分析は、既に揃っている。分析はもう充分だ。分析を出す人はいくらでもいるが、決断する人は皆無と言って良い。

分析は快楽だ。いくらでも戯れていることが出来る。

決断は、苦悩以外の何物でもない。