昆明着いた
2011年03月25日02:58
昆明に着いた。23日の21:00に広州を出発して、27時間かかった。 寝台車だったので寝られたのはよかったが、さすがに疲れた。 中国の列車は一応禁煙なのだが、いつも喫煙所の扉が開けっ放しなので、いつも煙が客車の方に流れてくる。 僕もタバコは好きだが、空気のよい場所でたまに吸うからおいしいのであって、年がら年中副流煙にさらされるのはたまらない。 頭がクラクラする。
というわけで、3ヶ月ぶりに昆明に戻ってきた。 今まで北京・天津・上海・広州・深圳・昆明とやってきたが、昆明が一番最悪に感じるのは何故だろうか。 人は図々しいし、ボッタクリの呼び込みも一番うるさいし、クラクションはブーブー鳴らしっ放しだし、みんな妙に気が早いし、妙によそよそしくて人情味がないし、もうとにかくウザい。
列車の中でのこと。 隣の列車はガラガラなのに、僕の居る列車だけ妙にギューギューに混んでて息苦しい。 何でこんなことになるのだろう。 上海から来るときはもっとまんべんなく人が乗っていたのに。 それだけでも鬱陶しいというのに、列車で昆明に到着する30分ぐらい前からみんな早々と降りる準備を始めて、みんなドアの前にぞろぞろと並び始めた。 ドアの周辺は大混雑。 僕はドアのそばだったので、鬱陶しくて仕方がない。 昆明に到着したら、みんなが並んでいるドアは開かないという事が判明。みんなゾロゾロと戻っていく始末。もうウザい。 超ウザい。 ドアが開いてから移動すれば良いだろう、と思った。 何というか、リズムが僕と違う。
日本人が中国に行くとき、人によって地域に合う合わないがあると思う。 中国は各地それぞれ、まったく違う文化と民族がある。だから人によってこの地域は合うが、この地域は合わないという、感じ方の違いがあると思う。
タイから陸路で北上して来た関係上、昆明には三ヶ月住んだが、こうして他を見て戻ってきて、正直、昆明は一番合わないと感じた。どいつもこいつも、考えなしなのにせっかち。 ラオの人も確かに考えなしかもしれないが、僕は好きだ。 何故かというと、気持ちが落ち着いているからだ。 昆明の人は、とにかくせっかちで、鬱陶しい。
しかもみんなが何を言ってるかさっぱり聞き取れない。 今まで北京から南下してきたが、ここが一番聞き取りづらい。
ただ、人によって激しい差があるのも、昆明ならではかもと思う。 多分みんな出身の民族が違うのだと思う。 人によっては、妙にリズムがあう人も居るし、人によってはもう絶対に我慢ならない、という人も居る。
◇
北京は良かったなぁ...人のリズムが僕と似てて。 静かで。 天津も北京と似ているけど北京と比べてもっとファンキーさがあって好きだ。 上海は正直あまり面白くなかった。 広州は、もっと面白くなかった。 何か僕とちょっと違う様な気がする。 深圳もなぁ...。 広東の人は、みんな凄く考え方が合理的で仕事の仕方が凄く速くて良い。 そういう意味では一番話しやすかった。 だけど、何かが違う。
人によっては昆明が一番良いという。 だけど昆明は僕にはよそよそし過ぎる様に感じる。
今、僕はかなり中国語が話せる状態になった。 ボロボロだけど一応の意思疎通は出来る様になった。 中国語2ヶ月勉強してあとはブラブラしているだけにしては、相当な学習スピードだと思う。 だけどラオ語の下地があるのに加え、書き方は日本語と同じなので、学習スピードはもっと速くても良い筈だ。
僕に取って、昆明は違和感が多いのだが、中国語が上達した今、昆明に居たら、前よりももう少し馴染み易いということがあるだろうか。 いや、言葉が上達すればするほど、違和感が募るかもしれない。往々にして最初の直感というものは外れないものだ。 今まで5年間色々なところに住んだけど、最初に感じた直感と最後に判明した事実が違うということはあまりなかった。
全般的に言っても、僕に取って中国はどうもピンと来ない。 もっと深く知れば面白いと感じるのだろうか。 あまりそうも思えないんだよなぁ。
… 潮州には行くべきだったかもしれない。 バンコクのほとんどの華僑の故郷である潮州は、中国の中でも非常に特殊な地域であるらしい。 バンコクに居る時、僕は潮州の人と非常に話しやすいと感じていたこともある。今回、潮州へ行こうと思ったのだが、潮州は広東省のかなり上の方に位置しており、途中で戻る方向への乗り換えが必要だった為、今回は見送った。 あと、ハルピンにも行くべきだったかもしれない。 北京に行って直感的にハルピンは合いそうだ、という感覚を持った。 あのファンキーさが良い。 北京から中国に入国し、最終的にタイに抜ける予定であり、東北地方に行くと逆方向になってしまうため、今回は見送った。 あと、山東省も静かで良い場所だ、と聞く。 日本人に似ているという話も聞く。 山東省へ行くと、後半の予定が時間的にタイトになる事が予想されたので、見送った。
潮州・山東省・ハルピンは、次の課題だ。 広州・上海・昆明は、もういいや。
◇
何というか、タイが凄いところは、あれだけ近代化しているのに、気持ちの文化が失われていないところなのかもしれない、と思った。 中国は、中国の人自身が「失われた人間性の回復」とかそういう事を言っているくらいで、何かちょっとおかしなところがあるように思う。
しかし、一般的に日本で言われている様なことではない。 みんなを見ていると、日本人が言うような中国人の乱暴さや無神経さというのは、あまり当たっていない様に感じる。 中国の人は、ああ見えて、ものすごく他の人をよく見ていて、気をつかっている。 日本人は他者の観察力が欠落しているので、その点を見抜けないだけだ。
中国はあまりにも急速に近代化しすぎてしまって、文化が壊れてしまっている様に感じる。 みんな、人間臭さがあまり感じられない。
広州の駅前に居る時、天秤棒に料理用のずん胴とリュックサックを吊るして担いで、人民服を着て堂々と歩いているおじさんを見かけた。 「俺はずん胴があればどこでも食っていけるのだ」そんな雰囲気を携えていた。 何か非常に人間臭さを感じるタイプで、僕はこういう人を見ると凄く落ち着く。 だけど、こういう人は少ない。
何かどいつもこいつも、中途半端にファッショナブルで、中途半端に普通語を話して、中途半端に汚れていて、中途半端に清潔で、面白みがない。 街で売っているものも、量だけは半端じゃないのだが、どれもこれも個性がなくて面白くない。
だからこそ、チャンスがあるのだ、という向きもあるだろう。 だけど、何かが違うんだよな...。
で、北京と天津だけはその点ちょっと違う感じがするんだよな...。 昔の文化が生きて残っているんだよな...。
というわけで、3ヶ月ぶりに昆明に戻ってきた。 今まで北京・天津・上海・広州・深圳・昆明とやってきたが、昆明が一番最悪に感じるのは何故だろうか。 人は図々しいし、ボッタクリの呼び込みも一番うるさいし、クラクションはブーブー鳴らしっ放しだし、みんな妙に気が早いし、妙によそよそしくて人情味がないし、もうとにかくウザい。
列車の中でのこと。 隣の列車はガラガラなのに、僕の居る列車だけ妙にギューギューに混んでて息苦しい。 何でこんなことになるのだろう。 上海から来るときはもっとまんべんなく人が乗っていたのに。 それだけでも鬱陶しいというのに、列車で昆明に到着する30分ぐらい前からみんな早々と降りる準備を始めて、みんなドアの前にぞろぞろと並び始めた。 ドアの周辺は大混雑。 僕はドアのそばだったので、鬱陶しくて仕方がない。 昆明に到着したら、みんなが並んでいるドアは開かないという事が判明。みんなゾロゾロと戻っていく始末。もうウザい。 超ウザい。 ドアが開いてから移動すれば良いだろう、と思った。 何というか、リズムが僕と違う。
日本人が中国に行くとき、人によって地域に合う合わないがあると思う。 中国は各地それぞれ、まったく違う文化と民族がある。だから人によってこの地域は合うが、この地域は合わないという、感じ方の違いがあると思う。
タイから陸路で北上して来た関係上、昆明には三ヶ月住んだが、こうして他を見て戻ってきて、正直、昆明は一番合わないと感じた。どいつもこいつも、考えなしなのにせっかち。 ラオの人も確かに考えなしかもしれないが、僕は好きだ。 何故かというと、気持ちが落ち着いているからだ。 昆明の人は、とにかくせっかちで、鬱陶しい。
しかもみんなが何を言ってるかさっぱり聞き取れない。 今まで北京から南下してきたが、ここが一番聞き取りづらい。
ただ、人によって激しい差があるのも、昆明ならではかもと思う。 多分みんな出身の民族が違うのだと思う。 人によっては、妙にリズムがあう人も居るし、人によってはもう絶対に我慢ならない、という人も居る。
◇
北京は良かったなぁ...人のリズムが僕と似てて。 静かで。 天津も北京と似ているけど北京と比べてもっとファンキーさがあって好きだ。 上海は正直あまり面白くなかった。 広州は、もっと面白くなかった。 何か僕とちょっと違う様な気がする。 深圳もなぁ...。 広東の人は、みんな凄く考え方が合理的で仕事の仕方が凄く速くて良い。 そういう意味では一番話しやすかった。 だけど、何かが違う。
人によっては昆明が一番良いという。 だけど昆明は僕にはよそよそし過ぎる様に感じる。
今、僕はかなり中国語が話せる状態になった。 ボロボロだけど一応の意思疎通は出来る様になった。 中国語2ヶ月勉強してあとはブラブラしているだけにしては、相当な学習スピードだと思う。 だけどラオ語の下地があるのに加え、書き方は日本語と同じなので、学習スピードはもっと速くても良い筈だ。
僕に取って、昆明は違和感が多いのだが、中国語が上達した今、昆明に居たら、前よりももう少し馴染み易いということがあるだろうか。 いや、言葉が上達すればするほど、違和感が募るかもしれない。往々にして最初の直感というものは外れないものだ。 今まで5年間色々なところに住んだけど、最初に感じた直感と最後に判明した事実が違うということはあまりなかった。
全般的に言っても、僕に取って中国はどうもピンと来ない。 もっと深く知れば面白いと感じるのだろうか。 あまりそうも思えないんだよなぁ。
… 潮州には行くべきだったかもしれない。 バンコクのほとんどの華僑の故郷である潮州は、中国の中でも非常に特殊な地域であるらしい。 バンコクに居る時、僕は潮州の人と非常に話しやすいと感じていたこともある。今回、潮州へ行こうと思ったのだが、潮州は広東省のかなり上の方に位置しており、途中で戻る方向への乗り換えが必要だった為、今回は見送った。 あと、ハルピンにも行くべきだったかもしれない。 北京に行って直感的にハルピンは合いそうだ、という感覚を持った。 あのファンキーさが良い。 北京から中国に入国し、最終的にタイに抜ける予定であり、東北地方に行くと逆方向になってしまうため、今回は見送った。 あと、山東省も静かで良い場所だ、と聞く。 日本人に似ているという話も聞く。 山東省へ行くと、後半の予定が時間的にタイトになる事が予想されたので、見送った。
潮州・山東省・ハルピンは、次の課題だ。 広州・上海・昆明は、もういいや。
◇
何というか、タイが凄いところは、あれだけ近代化しているのに、気持ちの文化が失われていないところなのかもしれない、と思った。 中国は、中国の人自身が「失われた人間性の回復」とかそういう事を言っているくらいで、何かちょっとおかしなところがあるように思う。
しかし、一般的に日本で言われている様なことではない。 みんなを見ていると、日本人が言うような中国人の乱暴さや無神経さというのは、あまり当たっていない様に感じる。 中国の人は、ああ見えて、ものすごく他の人をよく見ていて、気をつかっている。 日本人は他者の観察力が欠落しているので、その点を見抜けないだけだ。
中国はあまりにも急速に近代化しすぎてしまって、文化が壊れてしまっている様に感じる。 みんな、人間臭さがあまり感じられない。
広州の駅前に居る時、天秤棒に料理用のずん胴とリュックサックを吊るして担いで、人民服を着て堂々と歩いているおじさんを見かけた。 「俺はずん胴があればどこでも食っていけるのだ」そんな雰囲気を携えていた。 何か非常に人間臭さを感じるタイプで、僕はこういう人を見ると凄く落ち着く。 だけど、こういう人は少ない。
何かどいつもこいつも、中途半端にファッショナブルで、中途半端に普通語を話して、中途半端に汚れていて、中途半端に清潔で、面白みがない。 街で売っているものも、量だけは半端じゃないのだが、どれもこれも個性がなくて面白くない。
だからこそ、チャンスがあるのだ、という向きもあるだろう。 だけど、何かが違うんだよな...。
で、北京と天津だけはその点ちょっと違う感じがするんだよな...。 昔の文化が生きて残っているんだよな...。
コメント一覧
小姐 2011年03月25日 08:04
おかえりなさい。昆明はいつまでいるんですか?
桃も恋しがっているんで、会いましょう。
来週はたっぷり時間がありますんで。
桃も恋しがっているんで、会いましょう。
来週はたっぷり時間がありますんで。
退会したユーザー 2011年03月25日 10:42
よい旅でしたね!
そに 2011年03月25日 20:29
おかあつしさんが北京天津を好きだとおっしゃるのがなんだかうれしい私です。
天津は一年住んでたことがあり、すごく好きな街なので特に!懐かしいな、また行きたいなあ~。私は遊んでただけですが(笑)
天津は一年住んでたことがあり、すごく好きな街なので特に!懐かしいな、また行きたいなあ~。私は遊んでただけですが(笑)