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2010年12月17日金曜日

地方で学ぶ標準語 (mixi05-u459989-201012171415)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
地方で学ぶ標準語
2010年12月17日14:15
現在僕は中国で中国語を学んでいるのだが、次の学期どこで普通語を学ぼうか迷っている。 色々調べて見たのだが、西安という街が良さそうだということがわかった。 西安というのは唐の国があった事で知られる古都だ。

今僕が居る昆明という街は、決して普通話を学ぶのに適した街ではない。 普通話があまり通じないからだ。 みんな普段は昆明話と呼ばれる独特な言葉を話しているし、無数の少数民族が住んでいてそれぞれ違った言語を話してもいる。話す普通語もそれぞれ出身の民族によってまったくちがう訛りがある。 僕は方言が好きなので、こういう言語的に複雑な環境が嫌いではない。 ただし、こういう環境に適応する為には方言を学ぶ必要がある。 今回僕は普通話を学ぶというはっきりした目的を持って中国に来たので、ここで方言を学ぶというのは本末転倒である。方言を学ぶということはとても時間がかかる上、方言というものは一般的に言ってごく一部でしか通じないのである。 この点タイと大きく事情が異なる。 僕はタイで方言を研究していたが、タイは方言の方が重要と言う点でとても特殊な国だ。 タイでは、実は標準語を話す人よりも方言を話す人の方がはるかに多数派で、方言の方が標準語よりもずっと通じ易い。 標準タイ語とは実はタイ語バンコク方言のことだ。 この言葉をネイティブで話す人は実は非常に少ない。 タイ語を学んでもせいぜいバンコク人と話せるようになるだけである。 しかしタイ語とラオ語を学ぶと、タイ周辺地域に住むラオ語・タイ語の亜型言語を話す人のほとんどコミュニケーションを取ることが出来る。 タイでは方言の威力を無視できない。 ところが、中国は状況がまったく異なる。 中国は巨大で、無数の少数民族が住んでいる。 同じ方言でも地方によって表現や発音に大きな違いがあり、意思疎通に大きな障害を伴う。 方言が話せるようになっても、まさにごく一部の地方に住む人としか意思疎通が出来ない。 これはとても不便なことだ。 中国では標準語が持つ重要性が格段に高い。

方言の中で標準語を学ぶということは、大きく精神力を消耗する作業でもある。 僕は中国語を学ぶに当たってもうこの様な消耗は絶対に避けたいと考えている。 僕はウドンタニーでタイ語を勉強していたので、地方で標準語を学ぶ苦労を嫌というほど知っている。 地方では、自分が話す標準語が通じないからといって、標準語を学ぶ努力を重ねると、余計に通じなくなるのだ。 これは外人に取って非常に混乱することだが、現地の人は決してこの混乱を理解しない。 正しく発音しても通じないし、発音を直してくれてもその発音がそもそも正しくないので、結局通じない。 何を言っても「外人は発音が悪いから何を言っているかわからない」と言われる。 それを毎日の様に言われる。 たまに都心に行くと魔法をかけたように標準語が通じる。 標準語の上達したことのはっきりした手応えを実感する。 長い間の苦労の末の上達を喜ぶ。 ところが地方に戻ると何を言っても通じない事、相変わらずだ。 標準語で話すと圧倒的に理解が遅い。 つまり、標準語が通じていないのである。 なのに、みんな標準語を話したがるし、外人に標準語を話させたがる。 しかし標準語だと意思疎通に大変な障害を伴う。 発音の悪さを指摘しても絶対に認めない。 標準語の学習は遅々として進まない。 僕はもう、そういう遠回りをしたくない。

だからこそ、僕はラオイサーン語を学び始めた。 ラオイサーン語を学ぶことは極めて難しい。 外人がラオ語を話すと正しいラオ語でなく間違ったタイ語に修正しようとする。 これがラオ語の学習を非常に困難にする。 ラオイサーン語を学び始めて5年たちようやっと少しだけ話せる様になった程度であるが、ラオイサーン語を話すと「いやぁ君はタイ語が上手だなぁ」と言われる。 僕が話しているのはタイ語ではないというのにタイ語が上達したと言うのだ。 標準語が話せないということを決して認めないばかりか、自分は標準語を話しているつもりでいるのだ。 そういう矛盾を柔らかく受け入れるデリカシーが求められる。

僕は昆明に来て、僕がウドンタニーで体験したこの悪夢が、再度始まっている事を感じている。 ここで、昆明語を勉強するというのもとても興味深い事なのだが、僕はここでは敢えて、もう少し普通話をネイティブとして話す人たちが住む地域に行って勉強したいと考えている。 少なくとも、zhi chi shi をネイティブの言語として発音する地域に行きたい。 昆明・広州・四川で話す言語は、zhi:ジ chi:チ shi:シ の発音を持っていないようだ。 これらが それぞれ zi:ズ ci:ツ si:ス に変化する。 そして ci は 多くの場合 si に変化する。 だが、人によって異なるらしい。 見ていると「是不是」を シープーシーと読む人、シェープーシェーと読む人、スープースーと読む人、千差万別である。 これが、そもそも発音を持っていないから変化してしまっているのか、それともそういう言い方が方言なのか、頑張って普通話を話そうとして間違ってしまっているのか、さっぱり判別がつかない。 それがウドンタニーの様に、人の往来が少なくその地域にいる人に一定の傾向が存在するなら、発音変化が起こる理由をはっきりと判別することが可能なのだが、雲南省は省だけでタイと同じくらいの大きさがある上、僕がすんでいる昆明は人の往来がものすごく激しいので、区別のつけようがない。

僕は日本人がラオイサーン語を話したら、おもしろい事だと思っていた。 だけど、時としてあまりよいことではないことがわかってきた。 僕はタイ人からよくタイ人であると間違えられるのだが、何故か、セレブ日本人好きで日本人ぶっているタイ人と間違えられているらしいのだ。 ウソ付きと思われているのである。 確かにそういうタイプのタイ人はいる。 僕は日本人で日本には32年住んだし16年働いた。 この僕をどう捉えようが勝手であるが、僕は少なくともウソはいっていない。 だが僕は絶対に外人が知らないような事を知っていて、絶対に外人が言わない様な事を言うということで、これが日本人として褒められるどころか、逆にタイ人として怪しまれる。 ウソツキの多いタイにあって、僕もウソツキと思われる。 生兵法は怪我の元というが、語学も中途半端に極めるとこういう危なさがある。

日本人の僕が昆明語を話したらどうなるか。 僕は今、中国語が話せない事がはっきりと明らかになっているにも関わらず、しょっちゅう中国人と間違えられる。 中国の超多民族環境の中では、日本人の顔が巨大な中国のどこかの民族であってもまったくおかしくないのだ。 そんな僕が昆明語を話したら、どうなるか。 昆明人と同じように田舎者として蔑まれて多くの人から相手にされなくなるだけである。 これはおもしろいどころか、非常に危険なことだ。

(ところで、これを昆明に住んでいる日本人が読んだら「そんなことないよ」とか言いそうだ。 それは勉強の仕方が足りないだけである。 ここで想定しているレベルは彼らの想定するレベルとまったく違う。 自分が無意識のうちに昆明の発音を拾ってしまっているのに気がついていない日本人もいる。こういう人は、他の地域に行くと初めて自分が訛っていることに気がつくのであるが、やはり同様に極め方が甘いので自分が訛っている事に気がついていない。 いずれにしても大学周辺の外人街に住んでいるだけでは本当のことはわからない。本当に語学を極めようとするなら外人街から出なければいけない。)

昆明にいて、ある日僕がヘタクソな中国語で話しかけたら、狐につままれた様な顔で僕をジッと見る人がいた。 昆明人で通じていないのかも...と一瞬不安がよぎったが、突如ものすごい流暢な中国語で話し始めた。 僕が言っている事は全部通じていて、しかも間違っているところも全部修正されていた。 多分北部の人だ。 普通語がネイティブなのだ。 どんなにボロボロに間違っていても相手がネイティブだと通じてしまう。 しかもきちんと修正されている。 歯車がガッチリと噛み合って言葉が通じているのを感じる。 これがネイティブの威力である。 昆明の人だとこの現象が起こらない。 「この人、何いってんの?」で終了である。 ウドンタニーでタイ語を話しているのと同じである。 四国で東京弁を話しているのと同じである。 通じている様で通じていない。 僕は、外人と日本語で喋る時、外人の日本語がいかにボロボロに訛っていても、たちどころに何を言おうとしているのか理解出来る。 ネイティブだからだ。 これと同じである。 この感覚が無いと言葉を学習することは難しい。

僕は小学生の頃少林拳が大好きだった。リーリンチェイが大好きで、本当に中国に行って少林拳を習いたいとすら思っていた。 実際に日本の少林寺拳法を習っていたこともある。 これはよく考えたら、漢民族の誇る一大文化だ。 漢民族というのもひとつのマイノリティーだ。 真っ赤な部屋に真っ赤な提灯真っ赤なテーブル、人民服、太極拳、マオタイ、バクチク、チャイナシンバル、というあのコテコテのリアル中国人に会いたいのである。

西安は、古都でもあり非常に大きい街で、北部・東北部の人も集まるそうだ。 中国の各地から人が集まるからこそ、みんなきちんと普通話を話すという。
コメント一覧
みゃう   2010年12月17日 15:06
それなら<広州外語外貿大学もお薦めできる一つの学校です。
校舎の環境抜群にいいし。食べ物うまいし、当然。
だって、かの佛山も近いし・・>
広東にあるからこそ、ばりばり標準正宗人民中国の老師た
揃いです。主に北方から。
もちろん西安もいいけど、ちょっと色々要素ありすぎ?
それに四川系方言も厳しいですよ。私はなり無いせいか
殆ど聞き取れません。
まあ向こうでどんな友達できるかにかなりよりますが。
昆明も(割合は別にして今時はどの中国の都市でも)アカデミー
に居る人は標準語きっちりはなします。
 
出展 2010年12月17日14:15 『地方で学ぶ標準語』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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