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2010年8月18日水曜日

何でタイ人はタイ語が話せる外人が好きでないか (mixi05-u459989-201008180420)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
何でタイ人はタイ語が話せる外人が好きでないか
2010年08月18日04:20
Wed, 18 Aug 2010 00:17:32 +0700

何でタイ人はタイ語が話せる外人が好きでないか

前からタイ人ってタイ語が話せる人が好きでないよな、と感じていた。 確かにタイ語がへたくそなうちは、タイ語が話せると「上手ねー」とか言って褒めてくれるので、僕も喜んでいたけど、タイ語が上達するにつれ「上手ねー」と褒められるどころか、タイ語を話した途端、顔に氷がはったように態度が変わったり、何となく敬遠されたり、無視されたりして、嫌な思いをたくさんしてきた。

だけど、最近、更にタイ語が上達して、何でタイ人がタイ語を話す人をあまり好きでないかも判る様になってきた。

要するに鬱陶しいのだ。 いくら外人がタイ語が上手だといっても、本当にタイ人と同じようにタイ語が話せるような人は極々稀だ。 加えて、タイの色々な複雑な事情まできちんと理解出来る人は、皆無と言って良い。 事情というのは、つまり「あなた芸能界でもう10年以上働いているんだから、ジャニーズという物がどういう物か言わなくても判ってるよね?(だからそういうことしないで頂戴)」 みたいな事情のことだ。 こういう「事情」がツーカーで通じない人は、面倒くさいのであまり仲良くしたくないのだ。

何故、僕がこの事に気がついたのか。 何か変な話だが、僕自身、タイ語が上手な外人を見ると「あぁ何か面倒臭いなぁ」と思って遠ざけている事に気がついたからだ。 タイの複雑な事情を説明するのはものすごく難しい。 そういう事情を判らない人は、延々と的を外した批判を続ける習性があるし、そういうのを聴き続けるのも面倒くさい。

一方、そういう「ワカラン人」を面倒臭がらずに丁寧に面倒を見る習慣があるのは、イサーンの人だ。 イサーンの人は親切だと思う。 一方、細かいことは「まぁまぁ」と適当に流して衝突を避けるところもある。 細かい(達成不能な)要求を飲ませようとすると、適当にバカな事を言ってごまかして「タイ人ってバカだからしょうがない」と思わせる事で、相手を傷つけずになだめるスキルがある。 「外人が無理を言うバカ」だという事を外人に知らせずして、外人が道を外さないように上手にコントロールしてくれる。

一方、華僑系の人は、かなり頭が良く、日本人と似ているところがある。 彼らはやさしくない。 彼らはイサーン系の人とゴチャマゼにされることを激しく嫌う。 かといって、イサーン系と華僑がまったく違う人種なのだという事を説明する事も嫌う。 自分たちは皆タイ人である、というタイの建前を固く信じているからだ。 その辺の矛盾を深く追求するとタイに居る事は難しい。 あまり極端に批判を繰り広げると、チットプーミサックみたいに弾劾されて殺されてしまう事だってある。



これがまさに外人がイサーン人をタイ人だと勘違いする理由だ。 華僑系・タイ系は日本人なんか相手にしていない。 当然おべんちゃらも言わない。 日本人がタイだと思って見ているのはラオだ。 実際のタイ民族はかなりシビアな人種だと思う。 ラオ系とタイ系は顔も違う。 性格も違う。 タイ系は、口も悪いし、回転が速い。 損得勘定がものすごくはっきりしている。ズケズケ物を言うし、かなり排他的だ。日本人をほとんど相手にしないところもある。 華僑も、顔つきはかなり違うけど、そういうところある。


更に言うと、ラオ系の人も実はものすごく排他的だ。 ラオ系の住む村というのは、本来外人が入れる世界ではない。 ただ、ラオ系には「外人好き」という人種がいる。 真面目に働くのは嫌だが、かと言ってお金がないのも好きじゃないというタイプだ。 こういう人の中に、外人狙いという連中が居る。 こいつらが、僕等が見ているラオ人だ。 この人たちは、外人が、タイ人とラオ人の差を知らないこと、タイ人をバカだと思っていること、だまされやすいこと、金払いは案外良い事などをテコにして生活費を稼ぐ。

でも、こういうラオ人もものすごく少数派で、他の人は、こんなことしない。 すごく排他的で、日本人とまったく変わらない。 バカな事もしない。 金遣いも荒くない。 バカな事をしたり、妙に金遣い荒かったりするのは、実はラオ人も相手にしていない様な「愚か者」だったりするのだと思う。ラオ人は、自分が相手を嫌っているということをさとらせないで敬遠するプロである。 外人が見てもそういう駆け引きを見抜く事はまず無理だ。

そういう適当でいい加減な人が、人生の一発逆転ホームランを夢見て「外人狙い」に変貌する。 だから外人が見る「タイ人」は適当でいい加減なのだ。



こういう事を書くと「タイ通」が続々やって来て、あぁだこぉだ文句を言うんだろうな。
でも、まぁしかたがないかと思う。
自分が夢を見ているということなんか、誰も認めたくない物だし。
僕も含めて。

色々な物を見てきたが、夢がないというのも、またつまらない物だし。




しかしラオ人が恐ろしいのは、ラオ人は、相手が「自分はこんな感じだ」と思っている事が、さもその通りであるかの様に振る舞うことが出来ることだ。 丸で鏡だ。 自己認識がすっかり狂ってしまう。これは、ラオ人同士でも起こる。 外人なら尚更だ。

例えば、僕みたいに語学に興味があると、それを見抜いて、年がら年中「この人はタイ語も上手だ、ラオ語が上手だ、よくわかっている」と言い続ける。(ただし本人が居る時だけだけど。) おべんちゃらに慣れていても、長い間いわれ続けることにより、自分は本当にすごい達人なのだと錯覚し始める。 でも本当はそんなことないのだ。

この地域に居ると「楽しい」という感覚は狂っている事がある。 一方「辛い」という感覚にはまったく狂いがない。 だから本当の事を知るためには「辛い」という感覚だけを信じて進む以外にない。 一方、不思議なことだけど、この地域では、その「楽しい」=「狂っている」感覚を信じつづけても、それを許してくれる土壌がある。 それがラオ人の気持ちの文化の真髄であるような気がする。 僕の様に「辛い」という感覚だけを信じる人間は奇特ですらある。

ところで、僕が今、この話を一番すっきりと間違いなく理解してくれる、と感じている人は、実は語学マニアでも、タイ在住ン十年の日本人でもない。 ある京都人だ。 どういう訳か、京都人は、この話をストレートに理解する能力を持っているらしい。

この話って、何年タイに住んでも理解できない人は理解できない。 一方、判る人は一言で理解出来る。 この「本音」と「建前」の恐ろしさ。 京都人はどういう訳か、生まれつき、この刃物の様な「本音」と「建前」の世界の恐ろしさを知っている様だ。


また、一方、人が幸せだと感じる瞬間は、往々にして現実から乖離している物だと思う。 本当の幸せと言う物は、実は現実の世界で実現する事はないのかもしれない。 本当の幸せを現実の世界で実現できる人は、何十年も修練を積み重ねたごく限られた達人と呼ばれる人だけで、それ以外の人は、実は現実から乖離したところで、幸せを感じるのだと思う。

実は、人は、本当の幸せを必要としていないのかもしれない。

コメント一覧
カオソーイ   2010年08月18日 06:24
外人を疎ましく思いつつ、持ち上げたふりをしているタイ人は、確かに京都人のよそ者に対する態度に似てるかも。ぶぶ漬けでも召し上がっておくれやす=そろそろ帰っていただけませんか みたいな感じかな?
ダヌパット   2010年08月18日 12:34
ミアファランは絶対に夫にタイ語を教えません。
何故なら
自分たちの会話を理解させたくないのです。
様々な過去を知られたくないのです。
(前に旦那が3人いた。本当は子供がいる・・・etc)

タイ人は少しタイ語が話せる外国人に
「プー(ト)パーサータイゲーンナ!」と、お世辞を言います。

会話がスムーズに出来ると
「プー(ト)パーサータイチャッ(ト)チャッ(ト)ナ!」と、
褒めてくれます。

が、それ以上のレベルになると

「マイキィャオカップクン」(貴方に関係ない)
「ヤーマーユングカップチャン」(私のジャマをするな!)と、
確かに
うっとうしがられます。

おそらく、
日本人的発想のアドバイスが彼らには苦痛なんでしょうね・・・
おかあつ   2010年08月18日 17:34
カオソーイさん
> ぶぶ漬けでも召し上がっておくれやす=そろそろ帰っていただけませんか みたいな感じかな?

本当にそういう言い方あります。 すごく遠回しに色々言います。



ダヌパットさん
>「マイキィャオカップクン」(貴方に関係ない)
>「ヤーマーユングカップチャン」(私のジャマをするな!)と、
>確かにうっとうしがられます。

つまり、本来、きちんとタイの文化を学んでさえ居れば、そういう事を言われないのです。 厳しいことを言う様ですが、そうやって言われてしまうという事実をきちんと謙虚に受け止めて学びつづける事は大切だと思います。

例えば「マイキィャオカップクン」「ヤーマーユングカップチャン」ってタイ人同士で言ったら100%ケンカになります。 だから絶対に言いません。(この言葉、ドラマの中ぐらいでしか使わないっていう説あります。) それを言われてしまうということは、これも外人扱いされている証拠です。
 
出展 2010年08月18日04:20 『何でタイ人はタイ語が話せる外人が好きでないか』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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