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2010年2月9日火曜日

マクドナルドの仙人 (isaan05-c987254-201002090241)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
マクドナルドの仙人 (おかあつ)
2010年02月09日 02:41
先月は個人的に色々な事件がありたくさん日記を書きました。
その日記を若干時間をずらして再放送でお送りしています。

以下 おかあつ 2010年01月17日 04:04 の日記です。

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マクドナルドの仙人
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49924968&comm_id=987254

最近、マクドナルドに寝泊まりしているおじさんと知り合った。 僕もマクドナルドでコーヒーを飲みながら夜中じゅう入り浸っているので、顔見知りではあったのだけど、おじさんが偶然僕がタイ語を話しているところを目撃して、おお君はタイ語が話せるのかという話になった。それで、実はそのおじさんがタイ語だけでなく、極めて流暢な日本語と中国語と英語を話せる人だということを知った。 その人はタイ国籍だけど台湾人だ。 中国名も持っている。

おじさんだと思っていたら実は今年で70歳になるということを知った。 マクドナルドで寝泊まりするホームレスのはずなのに、目に光が宿っており、常に本を片手に歩いていて新聞を読み漁り、書き物をして、と勉強を怠らないことが見える。 ちょっと凡人ではないところが見える。

このおじさんと近日すごく仲良くなって、今日もシシャバー(水タバコレストラン)であってきた。 この人は(確かに年齢の違いもあるにしても) コミュニケーションスキルも国際知識もすべてにおいて、日本人には絶対ありえない超ハイレベルの人で、色々な事を教えて貰った。

しかもこのおじさんは、かつて僕と同じようにイサーンに居たのだそうだ。 僕がイサーンでする苦労を話すと、まるで一緒に居たのではないかというほど、スラスラと話が通じる。 普通、イサーンでする苦労というのは、他の地域に住んでいる人には極めて説明困難だ。 そういう理解が難しい話がスラスラ通じるということは、間違いなく、そのおじさん自身、そこに居て同じ事をしたことがあるということだ。 加えて、そのおじさんのする話は、僕にはまるでその場で映画を見ている様に、わかりやすかった。 僕もおじさんと同じように考え、同じ事をしているのだろう。

このおじさんは、今僕がしていることをかつてしていたことがある。 しかも僕よりもずっと年上だ。 このおじさんは、つまり、僕がこのままいけば、どうなるのか、答えを知っているのだ。 このおじさんの話は、僕に取って極めて貴重であり、かつ、タイ中探してもこういうおじさんとは早々は出会わない。

このおじさんの話の結末は苛烈だった。 その結果がこうしてマクドナルドで寝泊まりしている現実につながっている。

ただひとつだけ違うことがあった。 話を聞いているうちに、僕の方がよりイサーン文化に馴染んでいるのだ、ということに気が付いた。 だから、まったく同じ状況という訳ではすくなくともなさそうだ。



イサーンに住むということは、ふたつの決断が必要なのだと思う。 ひとつは、すべてを捨ててすべてをイサーン流に変えるという決断だ。 イサーン人は人あたりが良い。 人に親切にして人の心を癒すことに長けている。 一方、自分の本音や不満はあまり言わない。 言わないけど思っている。 そして、そういう不満が降り積もると、ニコニコしながら色々な不利を押し付けてくる様になる。 これはつまり、嫌われているのだ。 だから、そういう本音を言わずしてすくいとって、先読みして相手を親切にするというスキルが必要となる。 つまり、相手が言わずして不満を解消するような「空気読み」が必要だ。 気持ちは論理ではない。 理屈がどうであれ、相手の気持ちにそって行動する。 これには、これまでつちかってきた、すべての論理を捨てる思い切りのよさを必要とする。

しかしイサーンに居るともうひとつ別な決断が必要なんだと思う。

そうやって非論理の行動を取りつづけると同時に、心のどこかで論理を捨てずに自分を見つめるという難しい覚悟が必要だ。 ぼんやりと自分を見つめている。 色々な事に気が付く。 だけど、その気が付いたことに反応はしない。 気が付いたことも誰にも言わない。

そして、どうしても必要な事だけに、こっそりと反応する。 いつ反応すべきでいつ反応しないべきなのか判断は決して容易ではない。 しかしここぞという点で、まるでゴルゴ13の様に音をたてずにスピーディーかつ正確に反応する。 そして問題に反応したことがバレないように、あちこちを地ならしして足跡を消す必要もある。 色々とウソで地盤を固める必要もある。

論理と非論理の両方を満たす事は決して容易ではない。 だけど、これをやらないと、ここイサーンには居られない。

蝿が多い家に居ると蝿がしょっちゅうそばにやって来て暴れ始めるものだが、この時、蝿がいかに足の上を歩こうが鼻の頭に止まりジャンプし目の寸前で暴れていようが、一切反応しないということは大切だ。いわば、されるがままになる事が大切なのだ。 でないと一日中蝿叩きを片手に蝿に振り回されることになってしまう。 反応しないということは、とても難しい。

これと同じように、自分を見つめる、色々と気が付くが、気が付いたことには一切反応しない、と言うことは大切だ。 そして、とても難しいことだ。

イサーン人には絶対にできないことがいくつかある。 しかもそれをやりたがる。 これをやんわりと(時には極めて遠回しな嫌味とともに)とめる必要がある。ま、 大抵言っても聞かないので、政治的手腕とプロパガンダと甘いウソを使って何とか抑え込むのである。

そして、これはまさにイサーン人がやっている事でもある。
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出展 2010年02月09日 02:41 『マクドナルドの仙人』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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