言った言わない
2009年06月08日12:11
「言った言わない」という言葉がある。 何か誰かと一緒に仕事なんかをしているとき、「あれ、昨日と言ってることが違うよ」みたいになることがある。 言っていることにお金が絡んでいなければ、まぁいいや、で過ぎるわけだけど、言っていることが変わったおかげで何万円も損害が出る、なんていうときは、「言っただろ!」 「いや言ってない!」 という風に終わりのないケンカが始まってしまう。 何故こういうことになるのか。
タイと比べてみる。
タイの場合、こちらが、言っていようが、言っていまいが、関係なく、相手は勝手に決めてしまう。 そしてその決まってしまった(往々にして要求とはかけ離れた)結果の責任は、依頼者が取らなければいけない。 あとから文句を言ってもまさに「後の祭り」で、損害がいくら発生しようが絶対に責任など取ってくれない。
だから、タイ人と仕事をするときは、必ず監督を置かないといけない。
アメリカ人と比べてみる。
アメリカ人は、こういうことをするとき、(たぶん)必ず文章を作って仕事をする。 まるで法律辞典のように網羅的に細かく動作が指定される。 一緒に仕事をする人は、出身はおろか人種も言葉も違うような人である場合がほとんどで、こういう人と仕事をするときは、「いわなくてもわかるだろ!」みたいなコミュニケーションは100%不可能だ。
誰が見ても作業が明らかになるような文章というのは、いざ作ってみると、かなりの分量になる。 作るのにも大変な時間がかかる。 また意外と「思った形と違っていた」ということも少なくない。
で、日本人。
理想的な形、というのは、思ったよりもずっと複雑な形をしている。 これをいちどで言い当てることが出来る人など、存在しない。 だけど、日本人は、これを口頭で話し合うことだけで、作り上げて、文章にすることなく、相手に伝えようとしている。 タイ人のように現場監督を置いたりもしない。 アメリカ人のように文章も作らない。 これでコミュニケーションが成り立つ方が、奇跡であって、普通は絶対にうまく行かない。
これを「空気を読む」だけで行おうとしている。
聞くほうもぜんぶ覚えてるのは大変だろうが、言う方も大変だ。 24時間一度も間違った発言をしないなんて、無理だ。 それに、特に日本人はそうだけど、記憶というのは、自分に都合のいい様に変わってしまうところがある。 (この辺のおめでたさは日本人とタイ人で何も変わらないと僕は思う。)
「言った、言わない」 という討論は的外れだ。 加えて「議事録を取る」というようなことも、実は的外れなのではないだろうか。 言っていることが常に正しい人などいない。 間違っていようが、間違っていまいが、言ったことをすべて記録されて、それをネタに後から責任を突きつけられるとしたら、依頼しているほうはたまった物ではない。 これでは、うかつに物も言えなくなってしまう。 そんなことをしても、根本的な問題の解決にはならない。
常に依頼者の意思を100%理解している現場監督を置く、というのもひとつの方法だろう。 だけど、人件費が高く時間が限られている日本ではあまり向いている方法ではないかもしれない。
では文章で書こう、ということになるわけだけど、日本語って、意味が明瞭じゃないことが多いような気がする。 出来るだけ大和言葉だけで簡単に書く、とか、誰が見ても意味が明瞭な形で文章にする、ということが日本語は意外と苦手だ。 厳密に書かれた日本語の文章っていうのは、実に難しい言葉が多く、意味不明なことが多くないか。
本当は誰が見てもわかるような簡単な言葉だけで説明しなければいけない。 あるいは、その文章だけで独立して理解できるように glossary がついていることも必要だろう。 (日本語は glossary がない。これはよくないことだ。 とても難しい用語をあちらこちらから引用してしまい、それを知らないと「勉強不足」と怒られてしまう。)
このようなものは比較的シンプルな方法論として定義できる。 だから簡単な教育法も考えればあるはずだ。 だけど方法論は確立していないし、教育も確立していない。 こういう文章術というのは、東大出だろうが、ヘボ大出だろうが、ソロバンのように誰もがキチンと学ばないといけないスキルのはずだけど、そうなってない。
「言った、言わない」
http://www.google.com/search?hl=en&q=%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84
タイと比べてみる。
タイの場合、こちらが、言っていようが、言っていまいが、関係なく、相手は勝手に決めてしまう。 そしてその決まってしまった(往々にして要求とはかけ離れた)結果の責任は、依頼者が取らなければいけない。 あとから文句を言ってもまさに「後の祭り」で、損害がいくら発生しようが絶対に責任など取ってくれない。
だから、タイ人と仕事をするときは、必ず監督を置かないといけない。
アメリカ人と比べてみる。
アメリカ人は、こういうことをするとき、(たぶん)必ず文章を作って仕事をする。 まるで法律辞典のように網羅的に細かく動作が指定される。 一緒に仕事をする人は、出身はおろか人種も言葉も違うような人である場合がほとんどで、こういう人と仕事をするときは、「いわなくてもわかるだろ!」みたいなコミュニケーションは100%不可能だ。
誰が見ても作業が明らかになるような文章というのは、いざ作ってみると、かなりの分量になる。 作るのにも大変な時間がかかる。 また意外と「思った形と違っていた」ということも少なくない。
で、日本人。
理想的な形、というのは、思ったよりもずっと複雑な形をしている。 これをいちどで言い当てることが出来る人など、存在しない。 だけど、日本人は、これを口頭で話し合うことだけで、作り上げて、文章にすることなく、相手に伝えようとしている。 タイ人のように現場監督を置いたりもしない。 アメリカ人のように文章も作らない。 これでコミュニケーションが成り立つ方が、奇跡であって、普通は絶対にうまく行かない。
これを「空気を読む」だけで行おうとしている。
聞くほうもぜんぶ覚えてるのは大変だろうが、言う方も大変だ。 24時間一度も間違った発言をしないなんて、無理だ。 それに、特に日本人はそうだけど、記憶というのは、自分に都合のいい様に変わってしまうところがある。 (この辺のおめでたさは日本人とタイ人で何も変わらないと僕は思う。)
「言った、言わない」 という討論は的外れだ。 加えて「議事録を取る」というようなことも、実は的外れなのではないだろうか。 言っていることが常に正しい人などいない。 間違っていようが、間違っていまいが、言ったことをすべて記録されて、それをネタに後から責任を突きつけられるとしたら、依頼しているほうはたまった物ではない。 これでは、うかつに物も言えなくなってしまう。 そんなことをしても、根本的な問題の解決にはならない。
常に依頼者の意思を100%理解している現場監督を置く、というのもひとつの方法だろう。 だけど、人件費が高く時間が限られている日本ではあまり向いている方法ではないかもしれない。
では文章で書こう、ということになるわけだけど、日本語って、意味が明瞭じゃないことが多いような気がする。 出来るだけ大和言葉だけで簡単に書く、とか、誰が見ても意味が明瞭な形で文章にする、ということが日本語は意外と苦手だ。 厳密に書かれた日本語の文章っていうのは、実に難しい言葉が多く、意味不明なことが多くないか。
本当は誰が見てもわかるような簡単な言葉だけで説明しなければいけない。 あるいは、その文章だけで独立して理解できるように glossary がついていることも必要だろう。 (日本語は glossary がない。これはよくないことだ。 とても難しい用語をあちらこちらから引用してしまい、それを知らないと「勉強不足」と怒られてしまう。)
このようなものは比較的シンプルな方法論として定義できる。 だから簡単な教育法も考えればあるはずだ。 だけど方法論は確立していないし、教育も確立していない。 こういう文章術というのは、東大出だろうが、ヘボ大出だろうが、ソロバンのように誰もがキチンと学ばないといけないスキルのはずだけど、そうなってない。
「言った、言わない」
http://www.google.com/search?hl=en&q=%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84
コメント一覧
ねこ☆ミ。 2009年06月08日 15:06
英語は厳密に定義しやすい言語だが、その気になれば曖昧にも書けるようだ。
システム構築の失敗例でいくつか読んだが、政治的に定義すると問題がある場合に起こりやすいらしい。
分厚い仕様書に細かい記述がいっぱいあるけれども、インターフェースすらイメージできない文章となるようだ。
◇
>「言った、言わない」 という討論は的外れだ。 加えて「議事録を取る」というようなことも、実は的外れなのではないだろうか。言っていることが常に正しい人などいない。間違っていようが、間違っていまいが、言ったことをすべて記録されて、それをネタに後から責任を突きつけられるとしたら、依頼しているほうはたまった物ではない。 これでは、うかつに物も言えなくなってしまう。 そんなことをしても、根本的な問題の解決にはならない。
よくありがちな、嫌なやりとりですね。
根本的には信頼(Trust)の問題だと思う。
難しいが結局はお互いの信頼がなければ解決しない。
上の例は「お客様は神様である。」であると考えれば、「神様」の言葉を根拠に反対する嫌なやりとりなのだろうか?
>日本語って、意味が明瞭じゃないことが多いような気がする。出来るだけ大和言葉だけで簡単に書く、とか、誰が見ても意味が明瞭な形で文章にする、ということが日本語は意外と苦手だ。厳密に書かれた日本語の文章っていうのは、実に難しい言葉が多く、意味不明なことが多くないか。
日本語自体の問題もあるけど、意識と訓練の問題が大きいと思う。
意識を持って訓練すれば、一つの単語は一つの意味のみをもって、より明確に、漏れなく、抜けなく書けると思う。
自分もまだまだ、訓練中ですが。
この地に持ってきた数少ない本の一つに
「コミュニケーション技術 -実用文章の書き方-」 篠田義明著
という本があって、ビジネス文章や技術文章の書き方については、この本を他人に勧めてた。
システム構築の失敗例でいくつか読んだが、政治的に定義すると問題がある場合に起こりやすいらしい。
分厚い仕様書に細かい記述がいっぱいあるけれども、インターフェースすらイメージできない文章となるようだ。
◇
>「言った、言わない」 という討論は的外れだ。 加えて「議事録を取る」というようなことも、実は的外れなのではないだろうか。言っていることが常に正しい人などいない。間違っていようが、間違っていまいが、言ったことをすべて記録されて、それをネタに後から責任を突きつけられるとしたら、依頼しているほうはたまった物ではない。 これでは、うかつに物も言えなくなってしまう。 そんなことをしても、根本的な問題の解決にはならない。
よくありがちな、嫌なやりとりですね。
根本的には信頼(Trust)の問題だと思う。
難しいが結局はお互いの信頼がなければ解決しない。
上の例は「お客様は神様である。」であると考えれば、「神様」の言葉を根拠に反対する嫌なやりとりなのだろうか?
>日本語って、意味が明瞭じゃないことが多いような気がする。出来るだけ大和言葉だけで簡単に書く、とか、誰が見ても意味が明瞭な形で文章にする、ということが日本語は意外と苦手だ。厳密に書かれた日本語の文章っていうのは、実に難しい言葉が多く、意味不明なことが多くないか。
日本語自体の問題もあるけど、意識と訓練の問題が大きいと思う。
意識を持って訓練すれば、一つの単語は一つの意味のみをもって、より明確に、漏れなく、抜けなく書けると思う。
自分もまだまだ、訓練中ですが。
この地に持ってきた数少ない本の一つに
「コミュニケーション技術 -実用文章の書き方-」 篠田義明著
という本があって、ビジネス文章や技術文章の書き方については、この本を他人に勧めてた。
おかあつ 2009年06月08日 15:20
>分厚い仕様書に細かい記述がいっぱいあるけれども、インターフェースすらイメージできない文章となるようだ。
要するにJ2EEだよね。 でも、僕思うけど、あれ、確信犯だと思う。 ゴスリングは多分、開発期間も開発費もぜんぜん足りてないことを知ってて、ああやってやたらと複雑な仕様書をばら撒くことで、投資家を煙に巻いたんだと思う。
おかげで、バグが少なくて動作が高速、しかも無料で利用できるという夢のような開発環境とJVM = J2SE6 update 14 と JVM がこうして われわれの手元に残ったのだから、J2EEをむげに否定するのはよくないと思う。
要するにJ2EEだよね。 でも、僕思うけど、あれ、確信犯だと思う。 ゴスリングは多分、開発期間も開発費もぜんぜん足りてないことを知ってて、ああやってやたらと複雑な仕様書をばら撒くことで、投資家を煙に巻いたんだと思う。
おかげで、バグが少なくて動作が高速、しかも無料で利用できるという夢のような開発環境とJVM = J2SE6 update 14 と JVM がこうして われわれの手元に残ったのだから、J2EEをむげに否定するのはよくないと思う。
おかあつ 2009年06月08日 15:28
> 意識を持って訓練すれば、一つの単語は一つの意味のみをもって、より明確に、漏れなく、抜けなく書けると思う。
要するに、どんなに難しい言葉を使ったとしても、どんなに難しい外来語を使ったとしても、その言葉の使い方がいくら間違っていても、どんなに一般的でなかったとしても、なんでもいいから、とにかく、その言葉の意味がその文章内にはっきりと書いてあれば、合格なんだと思う。
「... ここで大切なのはコンプライアンスであって、管理者は明確なプロトコルを定義すると共に作業者に対するディスクロージャーの義務を負う」とか、悪文の典型のように、バカスカ専門用語を使ってかいてあったとしても、きちんと、前後に
「ここでいうコンプライアンスとは ... プロトコルに対する作業手順の明確化、そのなんとかかんとか... プロトコルとは、二つのグループ間の取り決め等々...」 みたいに 書いてあればいいんだと思うのね。
要するに、どんなに難しい言葉を使ったとしても、どんなに難しい外来語を使ったとしても、その言葉の使い方がいくら間違っていても、どんなに一般的でなかったとしても、なんでもいいから、とにかく、その言葉の意味がその文章内にはっきりと書いてあれば、合格なんだと思う。
「... ここで大切なのはコンプライアンスであって、管理者は明確なプロトコルを定義すると共に作業者に対するディスクロージャーの義務を負う」とか、悪文の典型のように、バカスカ専門用語を使ってかいてあったとしても、きちんと、前後に
「ここでいうコンプライアンスとは ... プロトコルに対する作業手順の明確化、そのなんとかかんとか... プロトコルとは、二つのグループ間の取り決め等々...」 みたいに 書いてあればいいんだと思うのね。
おかあつ 2009年06月08日 15:42
> この地に持ってきた数少ない本の一つに
何かいつもいつも出鼻をくじくようなことばかり言って申し訳ないのだけど、多分、こういう奴っていうのは十中八九アメリカのビジネス文章術の輸入なんだと思う。 アメリカだと、こういうことは、日本で言うところの「柔道」とか「剣道」みたいに、すごく長い期間にわたって、規格化して洗練されてきているし、当然 学校でも教えられている。
で、きちんとした型になっている。 アメリカで手に入れられるような「文章本」は、どれもこれも、ものすごく網羅的で、必ず同じことが書いてある。
日本だとこういう本はあくまでも個人の意見として、輸入される。 結局、根付くことなく、たくさん出版されては消えていく本の中で海の藻屑と消えていく。
何かいつもいつも出鼻をくじくようなことばかり言って申し訳ないのだけど、多分、こういう奴っていうのは十中八九アメリカのビジネス文章術の輸入なんだと思う。 アメリカだと、こういうことは、日本で言うところの「柔道」とか「剣道」みたいに、すごく長い期間にわたって、規格化して洗練されてきているし、当然 学校でも教えられている。
で、きちんとした型になっている。 アメリカで手に入れられるような「文章本」は、どれもこれも、ものすごく網羅的で、必ず同じことが書いてある。
日本だとこういう本はあくまでも個人の意見として、輸入される。 結局、根付くことなく、たくさん出版されては消えていく本の中で海の藻屑と消えていく。
おかあつ 2009年06月08日 15:54
http://www.amazon.com/s/ref=nb_ss_b?url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=english+practical+writing+&x=0&y=0
http://www.amazon.com/s/ref=nb_ss_b?url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=english+writing+theory&x=0&y=0
ちょっとみただけでも、やっぱりいっぱいあるね。
この本とかよさそう
http://www.amazon.com/Global-English-Style-Guide-Documentation/dp/1599946572/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1244443833&sr=1-1
Google
http://www.google.com/webhp?hl=en#hl=en&q=english+writing+theory&btnG=Google+Search&aq=f&oq=english+writing+theory&aqi=&fp=1mZ_-PL2Zjc
こっちもいっぱいある。
http://www.google.com/webhp?hl=en#hl=en&q=english+practical+writing+&aq=f&oq=english+practical+writing+&aqi=g10&fp=1mZ_-PL2Zjc
いやー 改めてみると、 やっぱ いっぱいあるね~
http://www.amazon.com/s/ref=nb_ss_b?url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=english+writing+theory&x=0&y=0
ちょっとみただけでも、やっぱりいっぱいあるね。
この本とかよさそう
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http://www.google.com/webhp?hl=en#hl=en&q=english+writing+theory&btnG=Google+Search&aq=f&oq=english+writing+theory&aqi=&fp=1mZ_-PL2Zjc
こっちもいっぱいある。
http://www.google.com/webhp?hl=en#hl=en&q=english+practical+writing+&aq=f&oq=english+practical+writing+&aqi=g10&fp=1mZ_-PL2Zjc
いやー 改めてみると、 やっぱ いっぱいあるね~
おかあつ 2009年06月08日 15:57
日本の文章術って、必ずビジネスと関連して語られるよね。
これってひょっとしたら、西洋の人から見たら、ヘンなのかもね。
それは、西洋人が柔道をビジネスと捉えて関連して語りたがるのと、ちょっと似ているかもね。
これってひょっとしたら、西洋の人から見たら、ヘンなのかもね。
それは、西洋人が柔道をビジネスと捉えて関連して語りたがるのと、ちょっと似ているかもね。
ねこ☆ミ。 2009年06月08日 16:08
>要するにJ2EEだよね。 でも、僕思うけど、あれ、確信犯だと思う。 ゴスリングは多分、開発期間も開発費もぜんぜん足りてないことを知ってて、ああやってやたらと複雑な仕様書をばら撒くことで、投資家を煙に巻いたんだと思う。
そんな可能性もあるのか。ゴスリングも頭いいな。
J2EEを使わなければいいだけだし。
ねこ☆ミ。 2009年06月08日 16:09
近所の本屋にいったら、この手の本が全然なくて、、、
結構大きい本屋なのだが。
近所の本屋よりアマゾンだな。
少し立ち読みしてから買いたいけど。
結構大きい本屋なのだが。
近所の本屋よりアマゾンだな。
少し立ち読みしてから買いたいけど。
おかあつ 2009年06月08日 16:23
そっちに居るうちにたくさん本屋とか図書館とか行って立ち読みした方がいいと思う。
でも、本なんかは別にこっちでも読めるから、とにかくひたすら色々な人と飲みに行くほうがいいかもしれないけど。 そっちの方がいいか...
とにかくしゃべる。 それで自分が思っていることが通じない、っていうことをたくさん経験して、で、何故通じないのか、考えることだと思う。
そういえば、英語って、 あまり比ゆを使わないよね。 (小説とかは別だけど) 物事に対する印象って人によってぜんぜんちがうものだよね。
でも、本なんかは別にこっちでも読めるから、とにかくひたすら色々な人と飲みに行くほうがいいかもしれないけど。 そっちの方がいいか...
とにかくしゃべる。 それで自分が思っていることが通じない、っていうことをたくさん経験して、で、何故通じないのか、考えることだと思う。
そういえば、英語って、 あまり比ゆを使わないよね。 (小説とかは別だけど) 物事に対する印象って人によってぜんぜんちがうものだよね。
おかあつ 2009年06月08日 16:30
僕らは、「今日はいい天気です」って言って、晴れをイメージするけど、国によっては「いい天気」って雨だって、いう国もある。
エヴァンゲリオンで ある夏の日、みたいなかんじで「ミーンミーン」ってセミがないているシーンがあるんだそうだけど、真顔で「あの音、良く出てくるけど、何?」って言う人もいる。 その国には蝉が居ないのか、あるいは夏がないんだと思う。 蝉の音をいい音って感じるのは、日本人で共通だけど、騒々しい迷惑な虫だ、って考えている国も少なくない。
NHKで「世界の天気予報」とか毎日やってるけど、あれも、日本人の偏見だ。
バンコクなんて、毎日晴れだし、バンコクに限らず、多くの地域では、天気はだいたい毎日同じだ。
天気っていう考え方自体、中緯度で季節がある国独特の概念だ。 雨が降れば一日雨、晴れれば一日晴れ、という風に一日単位で気象が変化する中緯度に位置する国、独特の考え方で、他の地域に住む人はそういう感覚があるわけがない。 日本人は小学生の頃から、○月○日 (晴れのち曇り) とか書かされて、天気という概念が、内面に刷り込まれている。 だから「天気」というのがひとつの偏見で、世界の非常識だ、って言うことに気がつかないんだよね。
エヴァンゲリオンで ある夏の日、みたいなかんじで「ミーンミーン」ってセミがないているシーンがあるんだそうだけど、真顔で「あの音、良く出てくるけど、何?」って言う人もいる。 その国には蝉が居ないのか、あるいは夏がないんだと思う。 蝉の音をいい音って感じるのは、日本人で共通だけど、騒々しい迷惑な虫だ、って考えている国も少なくない。
NHKで「世界の天気予報」とか毎日やってるけど、あれも、日本人の偏見だ。
バンコクなんて、毎日晴れだし、バンコクに限らず、多くの地域では、天気はだいたい毎日同じだ。
天気っていう考え方自体、中緯度で季節がある国独特の概念だ。 雨が降れば一日雨、晴れれば一日晴れ、という風に一日単位で気象が変化する中緯度に位置する国、独特の考え方で、他の地域に住む人はそういう感覚があるわけがない。 日本人は小学生の頃から、○月○日 (晴れのち曇り) とか書かされて、天気という概念が、内面に刷り込まれている。 だから「天気」というのがひとつの偏見で、世界の非常識だ、って言うことに気がつかないんだよね。