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2009年3月15日日曜日

東京の孤独 (mixi05-u459989-200903150026)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
東京の孤独
2009年03月15日00:26
日本に帰って二週間たった。 今日は川崎に行って帰ってきた。 今、僕は、作っているプログラムの通信部分を設計していて、これをP2P的なアルゴリズムでまとめられないか考えているところで、川崎のスタバに行って、これの設計アイデアをいろいろ練って帰ってきた。

今日、ひとつ気がついたことがある。 僕が出かけてから帰ってくるまで一言もしゃべっていないということだ。 僕はバンコクに住んで、異国の地で孤独のはずだが、家を出ればいろいろしゃべる機会はある。 どうでもいいようなことだけど、どこいくの?とか、今日は何食った?とか、元気?とか、そういうような挨拶をする人ぐらいはいる。 これはタイに限らず、アメリカに居たときだって、ドイツに居たときだって、挨拶するぐらいの顔見知りは居た。 だけど だけど、この東京という街では本当に会話が少ない。 この会話の少なさってどこから来るんだろうか。

この間新宿に行った際、僕は渋谷行きの東横線に乗った。 となりにダボダボのズボンをずりおろしたような服装で金髪の青年が浅くねっころがるような姿勢で座った。 席はガラガラなのに、彼の妙な姿勢のおかげで僕の座る空間が圧迫された。 何でこのような若者のために僕が迷惑せねばならないのか、と思い、抗議のつもりで席をひとつ移動した。 すると、意外なことが起こった。 実は、彼は恋人連れであり、彼女がその席に移動したのだった。 彼は僕が席を譲ってくれたものと思い、彼女に「おい、きちんとありがとう、って言えよ」と指図した。 彼女は何も言わなかった。 僕は、思いがけない事件に若干戸惑ったのだったが、怒った表情も出さず、親切な表情も出さず、平静を保つことにした。

彼らは音楽好きだった。 彼もヘッドホンで音楽を聴いていたし、彼女もヘッドホンで音楽を聴いていた。 だから、彼の「ありがとうと言え」という指図は、彼女の耳に入っていなかった。 彼はまた、「この音楽、お前の好きな音楽だ」というようなことを言ったが、彼女の耳に彼の音楽は聞こえておらず、彼の発言もまた、彼女の耳には届いていなかった。

彼らはどうやってコミュニケーションをとっているんだろう、と僕は不思議になった。

いや、僕も音楽は好きで、いつも音楽を聴いているし、いつも耳にふたをしているような状況だ。 まったく人のことを批判する立場ではない。 でも、僕は人と一緒に居るときは、音楽を聴かないで、その人とコミュニケーションすることに専念する。 いや、しかし、それだから問題だというわけではないのだ。 一緒に居るとき、別々な音楽を聴くことは問題じゃない。 一緒に居るときそれぞれ別なことをしたって構わない。 聞いた話だけど、アメリカ人がパーティーをすると、酒を飲んでバカ騒ぎするやつもいれば、部屋の隅で音楽を聴いている人もいれば、誰とも話さず読書をする人もいる、ということを聞いたことがある。 それもありだと思う。

だが、何だろう。 この東京に居るときに感じる、この独特な孤独感って何なんだろうか。


コメント一覧
風我   2009年03月15日 07:59
一言もしゃべっとらんったってスタバで珈琲の注文ぐらいしたろ?(冗)
でも時と場合によっては群衆の中にいながら誰とも口聞かずにいるのが
返ってほっとすることもありません?
おかあつ   2009年03月15日 11:18
>一言もしゃべっとらんったってスタバで珈琲の注文ぐらいしたろ?(冗)
鋭い。(^-^) そのとおりです。

でも、僕の中でスタバは日本じゃないです。スタバの従業員って、きちんと挨拶するし、きちんと顔も覚えるし、きちんと目を見て話すし、きちんとスマイルするし。でも、あれって要するにそうしなさいと言われているから、仕事としてそうするわけで、そうされて、こちらも普通に接すると、なんか、スタバでだけ、妙にたくさんしゃべるようになってしまって、変な感じになってしまうので、僕は、若干距離を置くようにしてます。それに、たまに、妙に寂しげな人が、スタバで店員と妙にフレンドリーにしゃべってたりすると、見ていて余計わびしく、なんかあまり話したくないのです。

>でも時と場合によっては群衆の中にいながら誰とも口聞かずにいるのが 返ってほっとすることもありません?

これも確かにそういう点ある。 あるけど、なんか違う。 何でだろう。 日本だと、口をきかないのが、任意じゃなくて強制だからかな。 日本だと、みんな笑顔どころか目すら見ないもんな。 あれ、 笑顔はタイだけだったっけ。 でも他の国でも目を見たら笑顔ぐらい作らないだろうか。

何なのかは僕もよくわからないのですが、 あの、目すら見ない感じが僕は苦手です。
目を見ないから顔も覚えないし。
おかあつ   2009年03月15日 11:21
そう。 そういえば、目を見るのって、基本だよな... 目を見るから相手が何を考えているのかわかるし、だからこそ、ちょっと相手より先回りして面白いことをしたり出来るのに、そういう駆け引きが何も無いんだよな。 日本って。

風我   2009年03月15日 16:06
目を見ないのって非視線文化の影響もありましょうが
確かに目を見ないで話せませんね。
そういった意味で例えばおしゃべり電話は苦手だな。
ただ個人的に話すのが仕事だということもあるのか、
強制的に何か言わなきゃいけない方が今は苦手です。
あがった時ぐらい静かに過ごしたい、みたいなw
おかあつ   2009年03月15日 21:06
>そういった意味で例えばおしゃべり電話は苦手だな。

そういえば、僕には目が見えない友達が居まして、この人は僕のベストフレンドのひとりなんですが、彼とは、当然、アイコンタクトってありえないですし、ある意味、電話で話していても、直接会って話しても大差はないといえば、ないのですが、でもだからと言って、話しづらいとかないのです。

そういう点加味して、もっと具体的によく考えてみると、アイコンタクトというよりは、相手への関心というか、観察力というか...そういうものがある、という証拠がアイコンタクトなのかも知れません。

そういえば、昔は、「お出かけですか」っていうような古きよき日本的な挨拶がありました。 しかし、そういえば、僕はこれもあまり好きではなかったのです。 なぜかといえば、この挨拶に失敗すると近所で悪い評判が立って世間体が悪くなる、っていうことがあったからです。 そういえば、僕はこの日本的挨拶が苦手でした。

僕は、当時から、中卒だったり、バイクに乗っていたり、ギターを弾いていたりとか、そういうおばさんたちの格好の攻撃対象となってしまいがちな要素が多く、居心地が悪くて仕方なかったというか、だから、そういう日本的挨拶が嫌いでした。

>あがった時ぐらい静かに過ごしたい、みたいなw

僕は仕事が一切口をきかない仕事でして、あがったときぐらいしゃべらせろ、という面、あるかもしれません。 人と居るとしゃべりっぱなしで、声が枯れ相手がグロッキーになるまでしゃべって、辟易させてしまいがちです。

文も、こうして読んでお分かりのとおり、超長いです。 えぇ。


でも、本当は無口なんです。 無口だから人に言いたい放題言われちゃいがちで、よく「口から生まれてきた」とかひどい言い方されてしまうのです。 無口って損です。 えぇ。

 
出展 2009年03月15日00:26 『東京の孤独』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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