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2009年3月13日金曜日

捕り物 (mixi05-u459989-200903130347)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
捕り物
2009年03月13日03:47
今日用事から帰ってくるとき、K駅構内を歩いていたら、いきなり向うの方からすごい勢いで高校生くらいの子が走ってきた。 よく見たら後ろに警官が二人走っており追われていた。 夕方で駅は混雑していたので、その高校生はたくさん人にぶつかり、警官もたくさん人にぶつかった。 警官は高校生に追いついて高校生の服のすそをつかみ、力いっぱい引っ張ったら、その間にいた運の悪いおじさんがそのすその巻き添えとなり、警官・高校生・おじさんと三つ巴になり倒れこんだ。 高校生は取り押さえられた。 警官の応援が駆けつけた。 たかが高校生一人に六人ぐらいの屈強な警官が折り重なるように高校生に乗っかっていた。 そのころには異変に気がついた構内の人が大勢集まっており、あたりは騒然となっていた。 外は応援のパトカーや、覆面パトカーまでもが集まり、あたりいったいは戦々恐々とした感じになっていた。 僕は、この大騒ぎのビデオを撮ってやろうかと思ったけど、なんとなくそれを果たさず、外に出た。

これを見ていた僕は、なんとなく、レ・ミゼラブルのジャンバルジャンを思い出した。 貧しく腹が減りどうにもならなくなってパンを一個盗んだ、それだけで40年間の重労働刑についたジャンバルジャンと、この高校生が重なって見えたのだ。


前も書いたけど、貧困と格差は違う。 実は、貧困はたいした問題ではない。 もしもみんながみんな、貧困であれば、みんなで我慢すればいいだけの話だ。 母親が病弱だろうが、父親が飲んだくれだろうが、実際にそういう窮地に落ちれば、がんばるしかないわけで、そういう状況に何年も置かれていれば、誰もが慣れる。

で、みんなが大変なら、いくら大変でも、「貧乏はみんな一緒。 がんばろう!」ということが出来る。 問題は、みんなが貧乏、というわけではないときに起こる。 この 「みんなが貧乏というわけではない」というこの状況こそが、格差だ。 格差は貧困に見られるそういうやさしさが無い。 みんながお金を持っていなければ問題はおこらないのだが、お金を持っていないのが全員でないばあい貧乏人は大勢から踏みにじられる状況に落ちる。

今は、50年代~70年代生まれ>が社会で巨大なマジョリティーを形成している。この団塊~団塊ジュニアは、高学歴で就職難知らず、就職は「売り手市場」とまで言われ、大学を卒業さえすれば誰もがたやすく高い給料の地位を得ることが出来た世代であり、高度成長時代のうまみを味わいつくした世代であり、挫折や失敗を知らない世代である。


それに比べて、80年代~90年代生まれは何のうまみも知らない。 おいしいところはすべて50~70年代生まれに持っていかれてしまっている。 彼らは、就職は困難であり、よもや就職できたとしても、何故か重たい年金や保険料で縛り付けられ、何のうまみも無い世代である。 競争しても50~70年代生まれには絶対に勝てないことがわかりきっている。 また50~70年代生まれは、格差を理解出来ない。 80年代以降生まれは、自分たちはこのままでは絶対にマズい、このままでは絶対に生きていけない、ということを本能的に察知している。 だが、自分たちを管理する大人はそれを察知できないし理解もできない。 「ちゃんと受験勉強をしないといい就職が出来ない」といわれるが、受験勉強をしたところで就職などできないのはわかりきったことである。 だが、自分の意思で進む方向を決める自由が与えられない。 彼らは苦しむのである。

かつて、団塊世代は貧乏学生の時代だった。 貧乏自慢をネタにした漫才が流行した。 しかしである。 本当の貧困が問題になれば、ここには何のギャグも生まれない。 単純に行き場を完全に失った善良な人による犯罪が増加するだけである。 自分の行き場の無さを理解しない大人が憎らしい。 しかし、80~90年代生まれは、50~70年代生まれの半分程度しか人口がいない。 少数派なのである。 そういう苦しみは、多数決のなかでもみ消され、理解されずに鬱積していく。


たった一人の高校生が大勢の警官に押しつぶされている様子を見てそういうことを思った。

コメント一覧
沙羅   2009年03月13日 16:38
おっしゃること、よ~く分かります。

生きていくことの不条理、自分の無力感・・

人生がある程度で終わるように創られているのも
ある意味では天からのプレゼントなのでしょう。

それにしても、この捕り物は見苦しいですね~


以前、どこかの駅で女の子達を捕まえるのに
似たような光景がありました。その時も、情けなくて
呆れましたけど~ 

警官の質も、明らかにお粗末になっているんですよね。

でも、警官の家族の立場になったら、私だって人のことは
言えない・・かも

クレ   2009年03月14日 20:52
微妙なんですが・・・
まあ、人生トータルではプラスマイナス0になるという三輪さんの言葉を信じたいですねえ。それでなくても、不完全な人間がどうあがいたところで真に平等な社会など作れるはずもなく、生まれたときからそもそも能力も容姿も不平等なわけです。恵まれたままの人間がどれほど成長しないで醜いだけの老人になってしまうのかの実例を多々みるにつけ、だからといって辛い経験によってさらにひねくれるだけの人もいるわけですし。また不遇な若者の中の、はじめから逃避状態のままのらくら生きているのを見たり。
ちなみに、おかあつさんはどう考えても会社人間に向いているようには思えないので、大学に行っても、社会が豊かであっても、やはりタイにいるような気がしてなりません。
出展 2009年03月13日03:47 『捕り物』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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