(ニュース)貧困と格差の違い
2008年11月06日19:44
僕や(多分)2chの管理者は70年代生まれだ。 この世代は青春時代をバブル時代やバブル時代の残り香を感じながら過ごしている。 この世代は、確かに貧しかったけど頑張れば豊かな暮らしが出来る世代だった。
ところが80年代90年代生まれは青春時代を2000年台の不況の中で過ごしている。この世代は60年代、70年代生まれの人が知っているようなおいしい思いを一切したことが無い。 どんなに頑張っても絶対に勝てない苦しいレースを闘っている彼らの気持ちを70年代の連中は理解できない。
70年代生まれの連中は口をそろえて最近のヤツラは頑張りが足りない、という。 本当にそうだろうか。
現代は格差の時代と呼ばれる。 それに対して、70年代のヤツらは格差ではなく貧困の時代をすごしている。 これってどういうことか。 バイクレースに例えてみる。
貧困っていうのは、言ってみれば、みんなが中古の50cc省エネバイク「カブ」でレースをしているようなものだ。 乗り心地は最悪、スピードも遅いが、それはみんな同じ。 だから誰でも頑張れば勝てるチャンスがあった。
格差というのはそうじゃない。 みんなが最新のレーサーレプリカ... ZXRやRVFとかで走っているところを、1人でカブで走っているようなものなのだ。 1コーナーであっという間に抜き去られ、二度と追いつくことは無い。 周回遅れで邪魔に扱われ罵られながら、寡黙に孤独な勝利なきレースを闘わなければならない。
これは極めて精神的に辛い作業だ。
ところがまずいことに、70年代生まれは格差を経験したことが無いため、この貧困と格差の違いを理解できない。 だから、70年代生まれは、無神経に同じ考え方を80年代90年代生まれの人に押し付けるところがある。 勝てないとわかっているレースを必死でこらえながら闘っている人間に頑張れよ、という言葉をかけるのは非常に残酷だ。 この「激励」は何の問題解決にも結びつかない。 だが70年代生まれは、80~90年代生まれに、のんきにがんばれがんばれと声をかける。
僕はタイに住んでいる。 街には時給40円とか60円とかで働く貧乏人がたくさん居る。 彼らはかわいそうだろうか。 そんなことはない。 彼らはお金は持っていないが、安い家に住んで、安い服を着て、安いご飯を食べてすごしている。 だから給料が安くても衣食住に困ることは無い。 お金がなければないなりに、ゆとりのある時間をすごしている。
ところが、超絶ハイコスト体質の日本ではそうはいかない。 どんなにお金がなくとも高級な家に住み、高い服を着て、高いご飯を食べなければいけない。 (例えばドイツは物価が高いといわれるけど、それでも日本のセブンイレブンで最安値で売られている水よりも更に安い値段で、水を買うことができる。 日本ほど物価が高い国は世界的にみてもきわめて稀だ。)
だからどんなに貧乏人であっても、このハイコスト体質を支えるだけのために、血ヘドを吐くまでひたすら働き続けることになる。 誰がこの格差社会で働こうと思うだろう。
一番まずいのは、今日本社会で一番力を持っている50年代生まれ団塊世代の人が、この「貧困」と「格差」の違いを理解できないことだ。 これは学者クラスの頭のよい人ですら理解できていない。 これは非常に致命的な状態だと思える。
しかもこの「貧困」と「格差」の違いを理解している学者は、助教授はおろか講師の職すら見つけることも出来ず、街にあふれている。 (ポスドクなんて呼ばれて)
格差という見えない限界にあたりながら、その違いを説明できる言葉を持たず、ひたすら他の世代から「やる気がない」と責められ続ける今の80~90年代生まれって、まるで外国人の様に誰からも理解されない孤独な存在になってしまっている。
なんのうま味もない時代を生きているのに、少子化のおかげで、責任ばかりは他の世代よりもはるかに重くのしかけられているのが80~90年代生まれだ。
そんな状況で誰が社会に出たがるかって。
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2ちゃんねるの西村博之がニートにエール?「頑張ればそれなりに上にいけるはず」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=659410&media_id=14
インターネット上の掲示板サイト2ちゃんねるの管理人である西村博之が、公開中の映画『イーグル・アイ』で描かれている、国や政府がテクノロジーを通じて個人を監視する社会と現在の日本社会を比較し、フリーターやニートの問題について持論を展開した。
シャイア・ラブーフ演じる主人公のジェリーは、コピー屋の店員として働く、いわゆるフリーターで、月々の家賃も払うのがギリギリという生活を送っている。昨今の日本でもフリーターの生活や意識の向上などが取りざたされ、一種の社会問題になっている。そんな主人公と日本社会の現状について、西村は「政府の政策で個人の働く意欲を増やすことは無理だと思う。今のフリーターやニートの人は、働きたくないから働かないのだと思う」とばっさり。
では、フリーターやニートから抜け出すためにはどうすればいいのか? 西村なりの持論によると「やる気がある人がいくらやっても上にいけない世の中は良くない。でも今の日本では、頑張れる人はそれなりの生活が出来るようになっているので、まだまだ豊かなんだと思います」と現在の日本社会に対し楽観的な見方をしているようで、「失敗の中で切磋琢磨(せっさたくま)して頑張れば大丈夫!」とニートに向けてエールを送った。しかし最後に、「でも来年のアメリカと日本はやばいことになっているかもしれませんが……これって警告ですかね?」と含みのある発言で締めくくった。
『イーグル・アイ』は主人公のジェリーが突然謎の女から脅迫され、日常使われる携帯電話などのテクノロジーを使って、危険な状況へと追い詰められていく様を描く。冴えない男であった主人公が、さまざまな試練を乗り越えることで一人前の男になっていく成長ぶりも見どころだ。西村の言う通り、国の力より個人のやる気が大切だと痛感させられる。
映画『イーグル・アイ』は全国公開中
ところが80年代90年代生まれは青春時代を2000年台の不況の中で過ごしている。この世代は60年代、70年代生まれの人が知っているようなおいしい思いを一切したことが無い。 どんなに頑張っても絶対に勝てない苦しいレースを闘っている彼らの気持ちを70年代の連中は理解できない。
70年代生まれの連中は口をそろえて最近のヤツラは頑張りが足りない、という。 本当にそうだろうか。
現代は格差の時代と呼ばれる。 それに対して、70年代のヤツらは格差ではなく貧困の時代をすごしている。 これってどういうことか。 バイクレースに例えてみる。
貧困っていうのは、言ってみれば、みんなが中古の50cc省エネバイク「カブ」でレースをしているようなものだ。 乗り心地は最悪、スピードも遅いが、それはみんな同じ。 だから誰でも頑張れば勝てるチャンスがあった。
格差というのはそうじゃない。 みんなが最新のレーサーレプリカ... ZXRやRVFとかで走っているところを、1人でカブで走っているようなものなのだ。 1コーナーであっという間に抜き去られ、二度と追いつくことは無い。 周回遅れで邪魔に扱われ罵られながら、寡黙に孤独な勝利なきレースを闘わなければならない。
これは極めて精神的に辛い作業だ。
ところがまずいことに、70年代生まれは格差を経験したことが無いため、この貧困と格差の違いを理解できない。 だから、70年代生まれは、無神経に同じ考え方を80年代90年代生まれの人に押し付けるところがある。 勝てないとわかっているレースを必死でこらえながら闘っている人間に頑張れよ、という言葉をかけるのは非常に残酷だ。 この「激励」は何の問題解決にも結びつかない。 だが70年代生まれは、80~90年代生まれに、のんきにがんばれがんばれと声をかける。
僕はタイに住んでいる。 街には時給40円とか60円とかで働く貧乏人がたくさん居る。 彼らはかわいそうだろうか。 そんなことはない。 彼らはお金は持っていないが、安い家に住んで、安い服を着て、安いご飯を食べてすごしている。 だから給料が安くても衣食住に困ることは無い。 お金がなければないなりに、ゆとりのある時間をすごしている。
ところが、超絶ハイコスト体質の日本ではそうはいかない。 どんなにお金がなくとも高級な家に住み、高い服を着て、高いご飯を食べなければいけない。 (例えばドイツは物価が高いといわれるけど、それでも日本のセブンイレブンで最安値で売られている水よりも更に安い値段で、水を買うことができる。 日本ほど物価が高い国は世界的にみてもきわめて稀だ。)
だからどんなに貧乏人であっても、このハイコスト体質を支えるだけのために、血ヘドを吐くまでひたすら働き続けることになる。 誰がこの格差社会で働こうと思うだろう。
一番まずいのは、今日本社会で一番力を持っている50年代生まれ団塊世代の人が、この「貧困」と「格差」の違いを理解できないことだ。 これは学者クラスの頭のよい人ですら理解できていない。 これは非常に致命的な状態だと思える。
しかもこの「貧困」と「格差」の違いを理解している学者は、助教授はおろか講師の職すら見つけることも出来ず、街にあふれている。 (ポスドクなんて呼ばれて)
格差という見えない限界にあたりながら、その違いを説明できる言葉を持たず、ひたすら他の世代から「やる気がない」と責められ続ける今の80~90年代生まれって、まるで外国人の様に誰からも理解されない孤独な存在になってしまっている。
なんのうま味もない時代を生きているのに、少子化のおかげで、責任ばかりは他の世代よりもはるかに重くのしかけられているのが80~90年代生まれだ。
そんな状況で誰が社会に出たがるかって。
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2ちゃんねるの西村博之がニートにエール?「頑張ればそれなりに上にいけるはず」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=659410&media_id=14
インターネット上の掲示板サイト2ちゃんねるの管理人である西村博之が、公開中の映画『イーグル・アイ』で描かれている、国や政府がテクノロジーを通じて個人を監視する社会と現在の日本社会を比較し、フリーターやニートの問題について持論を展開した。
シャイア・ラブーフ演じる主人公のジェリーは、コピー屋の店員として働く、いわゆるフリーターで、月々の家賃も払うのがギリギリという生活を送っている。昨今の日本でもフリーターの生活や意識の向上などが取りざたされ、一種の社会問題になっている。そんな主人公と日本社会の現状について、西村は「政府の政策で個人の働く意欲を増やすことは無理だと思う。今のフリーターやニートの人は、働きたくないから働かないのだと思う」とばっさり。
では、フリーターやニートから抜け出すためにはどうすればいいのか? 西村なりの持論によると「やる気がある人がいくらやっても上にいけない世の中は良くない。でも今の日本では、頑張れる人はそれなりの生活が出来るようになっているので、まだまだ豊かなんだと思います」と現在の日本社会に対し楽観的な見方をしているようで、「失敗の中で切磋琢磨(せっさたくま)して頑張れば大丈夫!」とニートに向けてエールを送った。しかし最後に、「でも来年のアメリカと日本はやばいことになっているかもしれませんが……これって警告ですかね?」と含みのある発言で締めくくった。
『イーグル・アイ』は主人公のジェリーが突然謎の女から脅迫され、日常使われる携帯電話などのテクノロジーを使って、危険な状況へと追い詰められていく様を描く。冴えない男であった主人公が、さまざまな試練を乗り越えることで一人前の男になっていく成長ぶりも見どころだ。西村の言う通り、国の力より個人のやる気が大切だと痛感させられる。
映画『イーグル・アイ』は全国公開中
コメント一覧
退会したユーザー 2008年11月07日 11:19
ニュースから失礼します
このニュースに対する日記には鼻につく偉そうな語り口の批判日記が多い中ちがうアプローチでの意見で非常に新鮮です
なるほどそういう見方もあったのか、って思えました
やれ生産性がどうのとか税金云々とか脊髄反射な日記ばかりでうんざりしてました
このニュースに対する日記には鼻につく偉そうな語り口の批判日記が多い中ちがうアプローチでの意見で非常に新鮮です
なるほどそういう見方もあったのか、って思えました
やれ生産性がどうのとか税金云々とか脊髄反射な日記ばかりでうんざりしてました