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2008年4月29日火曜日

ベルリンで3 (mixi05-u459989-200804290805)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
ベルリンで3
2008年04月29日08:05
7:04 2008/04/29

もうたくさんのことがありすぎて書き切れない。 今日は授業の初日で、色々なことがあったし、さらに、毎週月曜日は新入生のためのパーティーのようなものもあった。たくさんの新しい友達に会って、驚くような事にたくさんめぐり合った。

寝不足だったのだけど、初日のプレースメントテストがあったので、8:30には決まった場所に行かないといけなかった。 本当は事務の女の子に「あなた、完全初心者なんでしょ? じゃ受ける必要ないわよ」って言われていたので、受ける必要は無かったのだが、そういわれると逆に受けたくなるのが僕の性で、受けに行った。

行ったら受付はもう結構混んでいて、人が待っていた。 前の人が英語で説明を受けていてそれを立ち聞きしながら待っていたら、僕の説明はちゃんとしてくれなかった。 ある意味、なんというか当たり前だけど、英語がわかることを期待されているわけだ。

でも、なんというか、ここでは英語がわかるということは極めて当たり前の事だ。 ここの人はみんな、必ず英語ドイツ語フランス語イタリア語スペイン語ポルトガル語というようなヨーロッパ言語を話す人ばかりだ。中でも英語が一番シンプルな言語なので、ボキャブラリの多い少ないというような問題はあっても、基本的に誰でも話せるのだ。

僕は日本人だ。 こういう中では圧倒的に不利だ。日本語はこういうヨーロッパ言語とは掠りもしない全く無関係な言語なうえ、日本は海に囲まれて全く海外と交流が無い外国の人とコミュニケーションをとる経験を得るのがとても難しい国なのだ。 これはもう、メチャメチャ不利だと思う。 そういう中で、ヘタクソなりに何とか打ち解けられているのは、かなり善戦している方なのだと思う。 しかも、ここでは、英語を話すのが失礼なことでもあるのだ。

そういえば、今日、入学手続きのときにドイツ語で話しかけてたらとても親切にしてくれた例の人を見かけたのだけど、とっさのことで英語で話しかけてしまった。 そうしたら、おもいっきりムッとして他の人に引き渡されてしまった。 要するにそれだけのことだ。 英語で話しかけるのは失礼なのだ。 先週さんざんなやんだものだが、慣れてしまえばそれだけのことだった。

で、テストを受けたのだが、一問もわからなかった。 これで僕は完全初心者以外の何者でもないことが明らかになった。 提出する必要は無かった。

授業は、とても本格的な授業だった。 文字の説明もなし。 エスツェットとか ウムラウトとか 基本的なことなど全てすっ飛ばして、いきなりナマのドイツ語の文章を見せて、意味を考えさせる。 説明は絶対しないで、ひたすらドイツ語で話してドイツ語で考えさせる。 それが終わると、言葉を入れ替えてひとりひとり応用して変形した文章をしゃべらせる。

考えてみれば、実に当たり前で言語の勉強ってこの方法しかありえない。 その言語で考えさせる。 それだけのはずだ。 語学の勉強ってこういう経験に基づいた練習でしかありえないと思う。 僕は当然のようにそう思う。くどいようだけど、これは、ノーディスカッション、そこには討論の余地は無く、この方法がいいということは自明のことだ。 しかし、日本にいると、これを当然と思わない頭のいい先生がたくさんいらっしゃる。 これはとても疲れることだ。 これを納得してもらわないと困るのだけど、頭でっかちの先生は、クドクドクドクド理屈を考える。 こういう先生は、死んでいい。 つか、早く死んでくれ。 出来るだけ早く死んだほうが日本のためだ。

この授業方法はすごく頭を使う。 でも僕はこの頭の使い方をするのが楽しくて楽しくてたまらない。 集中力を消費するのですごくしんどいのだけど、しんどいと同時に鳥肌が立つように楽しくなってくる。 本当は一週間だけの予定なのだけど異様な楽しさで、もっと居ようかなと思い始めている。

授業はスタンダードコースが2時間(3時間)で、僕は集中講座をとっているので特別講習がさらに1時間(1時間半)つく。 この間みっちりこの状態が続く。

本当はかきたいことがもっとあるのだけど、時間が無さ過ぎる。 もう夜中の一時で、既に寝る時間になってしまっている。 こういう風に集中した面白い経験をしているときに限って、忙しすぎてこうやって落ち着いて文章を書く時間が全く取れない。



授業が終わったらクタクタで、部屋に帰って寝た。 でも目がさえてしまって寝れない。今日はパーティーがあるということで、どうしようかすごく迷った。 もう疲れてどうにもならないと思ったからだ。 だんだん不機嫌になってきているのも感じており迷ったのだけど、取り敢えず出ることにした。

本当は、サブウェイに行って面白いことがあったのだけど...書く時間が無い。

パーティーに来ている人は意外と少なかった。 新しく入った10人ぐらいしか来ていなかったのだけど、すごく面白かった。 最初、スイスから来ている人と話した。 この人がまた英語もドイツ語もメチャメチャ上手く舌を巻いた。 イギリスから来ている人もいた。 タイに居たときに散々聞いたので耳になじみのある、あのアクセントが聞こえてきた。 それに、受付の金髪のかわいい女の子と、もう一人やはり受付の黒髪のお姉さんタイプの女の子がいた。

最初、絶対話なんか合わないだろうなと思ったのだけど、この金髪の女の子が実は大森にいたという話を聞いたときは、これ以上ないほど驚いた。 何故、このきれいで上品な女の子が、大森にいたのか非常に不思議だった。 日本研修ではその宿泊する場所は選べなかったのだそうで、たまたま大森になったのだそうだ。 しかも、この子はチェンマイにも居たことがあるということで、二度びっくりした。 すごい若そうに見えて、下手したら10代じゃないかと思うぐらいだったのだけど、27歳だと聞いて三度びっくりした。

彼女の日本滞在の話は面白かった。 特に大森というのは、僕の家の近所であり、東京の中でも最もファンキーでアーシーな香りのする郷土中の郷土である大森に、この自由で近代的なベルリン出身の金髪の女の子が居たという落差が面白すぎた。

この二人と色々な話をしたけど、政治の話は特に面白いかった。 こんな女の子でも、政治の話が出来るし、それはすごく身近な話で、特にベルリンというのは冷戦の最前線でもあったわけで、耳にする話一つ一つとても生々しく面白かった。(面白いといったら失礼だけど...)



考えたこと・経験したいこと・書きたいことがありすぎて到底書きつくせない....。


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出展 2008年04月29日08:05 『ベルリンで3』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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