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2008年4月14日月曜日

シューマッハーのタクシー (mixi05-u459989-200804142036)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
シューマッハーのタクシー
2008年04月14日20:36
おとといまでの日記


4:15 2008/04/11 シューマッハーのタクシー

シューマッハーはドイツ人だということを聞いた。 いつだったか、ニュースでこういうニュースを聞いた。 シューマッハーは何かの大切な用事があり、飛行機に乗ろうと空港に向かっていた。だけど、その日は寝坊したか何かで家をでるのが遅くなってしまったらしい。これでは絶対に間に合わない。 飛行機を逃すと絶対に用事に間に合わなくなってしまう。 というわけで、急いでタクシーを走らせたのだけど、どうも運転手の要領がよくない。 そこで、シューマッハーは「オレに運転させろ」とばかり運転手に頼み込んで、自分で運転し、200kmで高速道路を吹っ飛ばして見事空港に時間内に到着したとのこと...。 一番驚いたのは運転手だったろう。 あの世界のシューマッハーの運転する助手席に座れたのだから。 シューマッハーはかなり大目のチップを払って立ち去ったのだそうだ。



空港に着いたのは22:00ぐらいでもうあたりは真っ暗だった。 デュッセルドルフ行きの飛行機で寝てしまって、ドンと着陸する音で目が覚めた。 飛行機はプロペラ機で、小さかった。 機内持ち込み対応の小さいかばんだけでここまで来たのだけど、そのかばんがこの飛行機の頭上トランクに入らなかった。 それで、かばんを別な場所に預けてもらおうと思ってドイツ人のスッチーに話しかけたら、これが何を言っているかさっぱり聞こえない。

そういえば、昔、僕はMITがあるボストンで英語の特訓教室に通っていたのだけど、ひょんなことから、ドイツ人が4人いる上級者クラスにまぎれてしまったことがあった。 このとき、このドイツ人4人が言っていることがチンプンカンプンで全く聞き取れず、ショックでトラウマっぽくなったことがあった。 しかも彼らは理屈っぽく、政治から科学、哲学と、とりとめも無く難解な話をし始めた。 そんな悪夢のような出来事がふつふつと思い出された。

今思えば、ドイツ人の話す英語は、独特なクセがあるようだ。 でも英語とドイツ語は割りと文法に互換性があるので、話す速度はドイツ語並みで話す。 英語ネイティブの人であれば、頭の中で修正しながら聞くという芸当も出来るだろうが、外人には無理だ。 これは、慣れがないと絶対聞き取れないと僕は思う。 今思えば、こういう風に国それぞれに独自の事情がある事を考慮せずにゴッチャに勉強させるこの学校もあまりいい学校とはいえなかったのだな、と思うが、でもまぁいい経験にはなったと思う。

で、寝てしまって気が付いたら到着していた。 かばんも無事返してもらえた。 空港にはインターネットで知り合ったドイツ人の女の子が迎えに来てくれているはずだった。 ゲートを出たら、写真でしか見たことが無かった人がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。 身長が160以上あるって聞いていたので、よほどでかい人が来るのかと思ったら、案外小柄だった。 しかし、それは周りにいる人が170とか180とかあるので、比較的小柄にみえるだけで、日本にいたらやはり背が高く見えるのかもしれない。

空港からデュッセルドルフの予約したホテルまでタクシーで行く以外方法はないので、タクシーを拾った。 しかし、このタクシーは、(セガのアーケードゲーム)クレージータクシー並みの超高速運転で、素晴らしいすり抜けとダッシュを駆使してあっという間にホテルに到着したのだった。 普通のタクシーですらこれなので、シューマッハーの運転っていうのは、いったいどんなだったのだろうかと思った。



タイになれた僕には、ドイツのホテルは衝撃的だった。 全てが白で統一されておりムチャムチャ清潔で、特にトイレの鏡や洗面器・便器は「これなら舐めてもいい!」と思えるほど清潔だった。 しかも部屋の何気ないスイッチや鏡がとても機能的に洗練されたデザインで、やっぱりドイツなんだなぁと思った。

タクシーがみんなベンツなのは、意外だったが考えてみれば当たり前なのだなとも思った。その他、街中にベンツ・ポルシェ・BMWが走り回っている。 こちらでは一般車なんだなと思った。 あと、重機がカッコイイ! シャベルカーとかがあちらこちらで働いているのだけど、日本みたいにまっ黄色でなく、重厚なデザインになっていて、カッコイイと思った。

思えば、外国狙いの企業って色々ある。 例えば、日本だと「いすゞ」がそうじゃないだろうか。 いすゞなんて、日本国内じゃヘボい軽自動車のイメージしかないけど、外国だとすごい高級車のメーカーとして君臨している。 タイで見たD-MAXの印象はすごく強烈だった。 何百万もする高級オフロード車で、超人気だった。 日本では全く有名じゃないが、元々外国狙いだったのだと思う。 そういう企業って結構ある。

そういえば、日本でUSBメモリといえば、バッファローかアイオーデータしかない。 だけど、見ていたら、マクセルのUSBメモリが結構売っていた。 これも外国狙いの企業じゃないかと思った。

で、ドイツの話だけど、僕が大好きな「スタインバーガー」のギター。 これも考えてみればドイツ製だった。 チューブアンプで有名な「コッホ」。 これも ドイツ製だ。 僕の大好きなニューエイジ系(っていうのか?)ジャズのレーベル。 ECMレコード。 これもドイツだ。 ところが、これらっていうのは、ドイツ国内では見ることも出来ないぐらい、超マイナーらしい。 これはきっと、ドイツの外国狙い企業の一つなんだろうと思う。

見ていると、色々思う。 だって、ドイツなわけだから、ドイツ語を話すわけで、いくら英語が得意って言ったって、ドイツ人なわけだ。 でも、電気屋さんをめぐってCDコーナーとか見ると、売られているのは、アメリカ・イギリスの音楽だけだ。 そういえばギリシャのナナムスクーリのCDが売られているのも見つけた。 これだって、ギリシャ人のナナムスクーリがあるきっかけからアメリカにわたってアメリカで成功したからこそがこうやって逆輸入されてこうしてドイツで入手できるというわけで、考えてみればおかしな話だ。

僕も極端な見方をするかもしれないけど、英米っていうのは、結局世界の勝者であり、帝国ということなんだなぁ、と思った。 その背後にはたくさんの負けた国=支えている国があるわけで、色々考えてしまう。



判らないけど、昔、ボストンに行った時ほどのショックは感じなかった。 年をとって感受性が鈍ったのか、それとも慣れたからなのか ... 何か、すごく現実的に「住みたいな」とは思うのだけど、憧れとかロマンとかそういうものはあまり感じなかった。

僕はタイに2年住んでいたけど、なんと言うか、日本の街のつくりの世界からくると結構違和感があった。 何でかって言うと、日本の街のつくりは必ずブロック単位で全てが四角く並べられている。 だけど、タイは道が基準に街が作られていて、道は必ず3差路とか5差路とかになっている。 あまり四つ角の交差点がない。 日本なら4回右に曲がればほとんどの場合もとの場所に戻ることが出来るけど、タイだとそうは行かない。 これに慣れが必要だった。 ところが、これって、タイに限らず、ドイツもそうだった。 多分そういう国は多いのだろう。 この点はすごくなじみやすかった。



わかんないけど、ひょっとしたらデュッセルドルフだけかもしれないけど、音楽があまり盛んじゃないなぁという印象を持った。 僕は音楽がメチャメチャ好きなので、それはちょっと寂しかった。 もちろんクラシック音楽はあちらこちらにたくさんホールがあって盛んなのだなと思ったけど、ロックやジャズの質が高くない。正直言って。 何か結構有名なラップグループに「ブシドー」っていうのがあるらしいけど、聞いたら結構ダサかった。 ぜんぜんスウィングしてないタテノリでつまらないラップだった。 これならぜったいアルヤンコビックのほうがスイングしてる。 ドイツは音楽が面白くない。 でもECMレコードは素晴らしいレコードレーベルだと思う。 でもこういうレーベルは国内向けではないんだよな...。

ひょっとしたら、こういうことっていうのは、ドイツが敗戦国だということとも関連しているのだろうか、と思った。 英米っていうのは、正義にかこつけてあちこちでちゃっかり色々なものを自分たちの都合のいいように変えてしまっているように思う。 ひょっとしたら、戦災で色々なものが破壊されてしまった影響なのかもしれないなと思った。 全ては全く判らないけど。



話は変わるけど、歩いていて面白いなと思ったことがある。 何かチャットしていて、何かにつけて「あそう!」「あそう!」って言われるので、僕はこの女の子が日本好きということで日本語を話しているんだと思っていた。 でも、ドイツに着てみたら、これが実はドイツ語だということでびっくりした。 何かわかったとき、ドイツ人はみんな「あそう!」っていう。 これがほんとに日本語みたいに聞こえる。 すごく面白いと思った。

あと思ったのは、さよならの挨拶だ。何故かしらねど「ちーっす」って言う。 それも、あの体育会系の人がやるように平たく発音する、あの「あ、先輩!ちーっす」っていう感じの抑揚の平たさだ。 しかもそれだけにとどまらず、あの上下関係バリバリの学校の、新入生風に口を尖らせ「ちゅーっす」みたいな発音になる。 これをお店から出るときなどに言う。 これが、バンカラの大学に忍び込んでいたことがある僕には、とても面白い響きに聞こえた。 ドイツのバリバリにヨーロッパ風味が満載のお店に入っているのに、でるときは突如極東バンカラ風の「ちーっす」という挨拶で終わるのが、とても面白く感じた。



今日はその女の子が風邪をひいてしまい、ダウンしてしまった。 だから、一人であちらこちらを歩いて回った。

気が付いたんだけど、デュッセルドルフという街は、外人が異様に多い。 3~4人に1人はドイツ人以外の人みたいだ。 僕にはわからなかったのだけど、ドイツ語かな...と思っていると、実はオランダ語だったりすることもおおいらしい。 デュッセルドルフには有名な日本人街もある。 そこに行くと三越デパートがあってたくさんの日本料理店がある。 日本関連グッズ屋もある。

何でだろうか。 理由は色々有ると思う。 まず、巨大なバス停があった。 バス停の表を見たらありとあらゆる国へのバスが出ていた。 ロシア・ポーランド・バクダッド・イラン・スペイン... ユーロ圏だけでなくあらゆる国へのバスが行きかっているらしかった。というわけで、デュッセルドルフには外人が多いようだ。

なんともいえないけど、デュッセルドルフは微妙に寂れた地方都市の風情も持っているように思った。 結構あちこちで、店がつぶれているのを見かけた。 あまり経済がうまく行っていないような印象を持った。

とはいえ、クーって呼ばれるショッピング街に行くと、すごく栄えていてきれいなお店がいっぱい出て人がごった返していた。 ライン川がそばを流れていて、川沿いにはドイツ式ビヤバーが立ち並んでいてとてもきれいだった。 特にライン川の美しさは特筆に価するものがある。 とても川幅が長くて意外と流れが速い。 そんな中を色鮮やかなカモが忙しく足をばたつかせながら泳いでいるのが見えた。 遠くには尖塔が見え、大きなつり橋の上を路面電車が行きかっているのが見えた。 川の向こう岸は草原でたくさんの羊がゆっくり草を食んでいるのが見えた。 僕がライン川についた時間は夕方だった。緯度が高いので日はとても高かった。 太陽の光が水面に反射してまぶしくて直視できないほど光があふれていた。



なんというか、僕はヨーロッパに対する憧れみたいなものもあるにはあるのだけど、なんと言うかさめてしまったところがあって、ある意味つまらなかった。 一つだけあるとしたら、ロールプレイングゲームの世界にあるようなヨーロッパの深い森をさまよってみたいな、という気持ちはあるけど... どうなんだろう。 そういう世界は本当にあるのかな。

昨日の話だけど、歩いていたら、あ、日本人だな、と思う感じの人とすれ違った。 ベビーカーを押していたので、多分駐在の同伴家族なんだろう。 で、丁度携帯で電話していたのが聞こえた。 「もしもし~?」 という声が聞こえたので日本人だと判ると同時に、その発音の響きから独特ないやらしいスノッブさが聞いて取れた。 これが「もしもし」と普通に下がり調子で発音されたならば、普通の人だなと思ったろうが、独特な「もしもし~?」と若干語尾が上がり調子で発音されていた。 その上がり調子から、なんとも言いがたい独特なつんけんした雰囲気を感じさせており、正直不愉快だった。

デュッセルドルフっていうのは、ある意味微妙に田舎町なんだと思う。 なんというかケルンとハンブルクという有名な街に挟まれて微妙に名古屋チックというか...。 まだ他を見ていないからなんともいえないけど...。 要は、少なくともんなツンケンするほどスノッブな街じゃないということだ。 だのに、何であんなツンケンするだろうか。

僕は日本人が外国にいて日本人同士仲良くするのが難しいことに良く気がつく。とてもよくないことだと思う。 特に、こういう風な微妙にずれたツンケンしている人とはすごく仲良くしづらい。

日本人って知的なことがらに関して協力作業を行うのがものすごく苦手だと思う。 すぐに罵り合いになってしまう。このことはもっと良く考えていきたいと思っているのだけど、知的な人が二人以上集まるとすぐに「あんたこんなことも知らないの?戦争」が起こってしまう。これは、どうにかならないものだろうか、と良く思う。



「考える」ということは知ることより大切だ。 なぜかというと、世の中の80%以上のことは体験することなく考えることで知ることが出来るからだ。つまり考える力さえあれば、世の中の全てのことを知る必要がなくなる。

だけど、日本人は考えることなく全てを知ろうとする。 世の中の全てのことを知ることなんて無理だ。 だから、自分の知っている範囲の知識をフル活用してイマジネーションを使って考えることにより知ることが大切なのだ。それなのに、日本人は、ひたすら全てを知ろうとする。 だから知らないことを恥じるし、知らないことを罵る。 でも、これはとても合理的でない考え方だ。 知らないことを隠さず、知っていることを明らかにし、材料をそろえた上で考える。これが大切なはずなのだ。

それをふまえたうえで、多くの知識を身につけることは、確かにとても大切なのだけど、それ以前の問題として、知らないことを恥じず真正面から考えることを身につけていないと、せっかくの知識が生きてこない。 でも、考える力を軽視する人ってとても多い。

これが、日本人の種族として考える力が小さい人の確立が多いのだろうか...と思ってしまう。 だけど、これはきっと文化的な構造問題なんだろうと思う。

こないだ、電車の中で日能研の広告が出ていた。「『彼は忙しいので○○○なく動いている』この○を埋めよ」という問題だった。 僕はこれを見たとき、この問題の答えは一つに定まらないよな、と思った。だって「間断なく動いている」でもいい。 「休み無く動く」でも間違っていない。 考えてみればもっと面白い答えが見つかりそうだ。 最適な回答は状況や文脈にもよるはずだ。 でもこういう問題にたった一つだけの答えを作ってそれを暗記させるのが日本の教育だ。 それって正しいのだろうか。 正しいわけはないと僕は思う。

僕などは、そういう教育を受けるのがどうしても堪え難く、学校を辞めてしまったわけだけど、学校を辞めてしまうと人生設計に大きな障害を残すことになる。 中退という学歴は、それ以降の就職や結婚などに重大な障害となる。 つまり考える人は生きていけないように日本の社会が出来ているわけで、これは、日本の社会の大きな欠点の一つだと僕は思う。

今、世界が大きく変わりつつある時期だ。 そういう中で、日本は今の経済状況を維持するために、もっと量的にではなく、質的に発展する必要があるのだと思う。 答えを一個だけに決めて、片っ端から暗記している場合ではないはずなのだ。 もっと多様に考えてそれを人に説明し、更に孤独の中で熟考する必要がある。 そういう風に考えてみると、日本は、まだこういうドイツなどのヨーロッパから見習う点がたくさんあるはずだ。

でも、今の日本は、何かがストップしてしまっているように感じる。どうすればいいのだろうか。



その女の子と街を歩いていたらその外国行きバスターミナルに差し掛かった。 そうしたら、ロシア人が何人か見えたので、僕はロシア語を習っていたことがあるんだよ、と言ったら、突然「ロシア人は嫌いだ!」といい始めたのでおかしくなってしまった。 というのも、こういうことがあったからだ。 彼女は、元々日本カルチャーが好きなのだけど、同時に結構韓国モノ・中国モノも好きだった。 それでいつも僕に、何故そんなに日本人は韓国を嫌うのか、中国を嫌うのか、と言っていたからだ。 僕は韓国・中国が嫌いではないけど、微妙に恥ずかしい奴らだ、という気持ちぐらいは持っている。 僕は人種差別はもちろん嫌いなのだが、常識感覚として、同じアジア人が空港に集団でやってきてデカい声でワーワーギャーギャー騒いでいたりするのを見ると、同じアジア人として恥ずかしいなとは思う。 彼女にそのことを色々説明したものの... でもそんなことわかるわけない。 理解できないのもしかたないよな ... とか思っていたら、彼女だって同じ事をしているじゃないか。

前タイで、イギリスのコックさんと話していたら、タイのラオス、イギリスのアイルランドを引き合いに出して、そういう差別っていうのはどこにでもあるんだよ、っていう話をしたことがあった。 イギリスはアイルランドの人に対して独特の差別意識を持っているのだそうだけど、それと同じ様にタイはラオス人に対して独特の差別意識を持っている。それで、日本にもあるんじゃないの?って言うはなしになって、日本人と中国と韓国の話をしたら、「ほらみろ!どこにだってあるんだよ、そういうのって。」っていう話になったことがあった。

そういえば、ドイツ人のその子にはオランダ語が面白く聞こえるのだそうだ。 ドイツ語とオランダ語はかなり似ているのだそうだけど、微妙にちがうのが面白いんだそうだ。 僕が話せるタイ語にもそういう関係の言葉がある。ラオス語だ。 タイ語を話す人にとってラオス語というのは、微妙に意味がわかるのだけど非常に田舎くさく聞こえる。

考えてみれば、日本というのは、海に囲まれた国で、ある意味、隣国が無い国だ。もちろん韓国やロシアや中国が事実上の隣国だけど、海の向こうだという点ですごく特殊なんだと思う。 そういう特殊な状況は、そういう文化の摩擦を日本人にあまり感じさせないものだと思う。

とはいえ、日本中国韓国の仲の悪さの原因は、実は、もっと色々な要素があるように思う。 それに関してはまた別な機会に考えてみたいなと思う。


コメント一覧
クレ   2008年04月14日 23:31
読みやすくておもしろかったです。
ネット知り合いのオフも海外まで広がると楽しいですねえ。
退会したユーザー   2008年04月15日 00:00
スケールの闊さにぶったまげました!
字数?でなく内容のことです。
 
出展 2008年04月14日20:36 『シューマッハーのタクシー』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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