バグと飛行機事故
2008年04月01日13:20
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A7%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9C%E6%A9%9F%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85
日本航空123便墜落事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
航空事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E7%A9%BA%E4%BA%8B%E6%95%85
最近、航空機事故の情報が広く公開されるようになって、良く見かける機会がある。 たまたまみつけて読んでみたけど、ものすごく面白い。
上のテネリフェ空港の事故のいきさつなんかは、ミスの展覧会ともいえるような内容で興味深い。 プログラムの開発現場における、バグとかプロジェクトの失敗する原因と深く通ずる内容で、まったく人事と思えなかった。
また、ここにあげられているミスの展覧会に対して、その教訓を生かした対策もとても展覧会的で、発生した問題に対する模範的な解決策の展覧会となっている。
ここに書いてある「日本の原因追求が 『はじめに罪ありき』的である」というのは、僕も深くうなづきたくなる。
~~~~引用はじめ~~~~
そもそもアメリカでは、「故意の破壊行為」またはそれに近い「認識ある過失」がない限り、事故機の操縦や整備に関わっていた個人に対しては刑事責任や民事責任を問わないことが原則となっており(やはり当事者からの証言を得やすくするため[10])、原因究明と再発防止こそが至上課題という姿勢が明確に現れている。
一方、日本では国土交通省の審議会のひとつ、航空・鉄道事故調査委員会(事故調) が、事故原因の究明や事故防止に必要な研究を行っている。しかしその目的はあくまで事故の再発防止、安全性の向上、そして関係機関に勧告や建議を行なうことであり、実際に事故調査を主導するのは警察と検察、そして調査対象は事故機の操縦や整備に関わっていた個人が業務上過失致死罪、業務上過失傷害罪、重過失致死傷罪などによる処罰の対象になるか否かという点となっている。
~~~引用終わり~~~
日本の原因追求というのは、あくまでも罰するために調べるものであることが多い。多くは、科学的に研究したうえで、いかにして再発を防ぐのか、という論理的な思考がほとんどかけている。 これは、現場の人たちが問題に出会った時、問題を防ぐ事を考えずまず責任から逃れる手段を考えさせてしまうため、極めて有害な考え方だ。 この性質は航空業界に限らず、ソフトウェア業界も持っている。 他にもたくさんあると思う。 これは日本が内在している深い問題だと思う。
今、医療がそういう 「はじめに罪ありき」 で考える人たちの手によって破壊されようとしているけど、ソフトウェア業界も近いうちに 「はじめに罪ありき」 と考えるクライアントの手によって破壊されるのかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A7%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9C%E6%A9%9F%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85
日本航空123便墜落事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
航空事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E7%A9%BA%E4%BA%8B%E6%95%85
最近、航空機事故の情報が広く公開されるようになって、良く見かける機会がある。 たまたまみつけて読んでみたけど、ものすごく面白い。
上のテネリフェ空港の事故のいきさつなんかは、ミスの展覧会ともいえるような内容で興味深い。 プログラムの開発現場における、バグとかプロジェクトの失敗する原因と深く通ずる内容で、まったく人事と思えなかった。
また、ここにあげられているミスの展覧会に対して、その教訓を生かした対策もとても展覧会的で、発生した問題に対する模範的な解決策の展覧会となっている。
ここに書いてある「日本の原因追求が 『はじめに罪ありき』的である」というのは、僕も深くうなづきたくなる。
~~~~引用はじめ~~~~
そもそもアメリカでは、「故意の破壊行為」またはそれに近い「認識ある過失」がない限り、事故機の操縦や整備に関わっていた個人に対しては刑事責任や民事責任を問わないことが原則となっており(やはり当事者からの証言を得やすくするため[10])、原因究明と再発防止こそが至上課題という姿勢が明確に現れている。
一方、日本では国土交通省の審議会のひとつ、航空・鉄道事故調査委員会(事故調) が、事故原因の究明や事故防止に必要な研究を行っている。しかしその目的はあくまで事故の再発防止、安全性の向上、そして関係機関に勧告や建議を行なうことであり、実際に事故調査を主導するのは警察と検察、そして調査対象は事故機の操縦や整備に関わっていた個人が業務上過失致死罪、業務上過失傷害罪、重過失致死傷罪などによる処罰の対象になるか否かという点となっている。
~~~引用終わり~~~
日本の原因追求というのは、あくまでも罰するために調べるものであることが多い。多くは、科学的に研究したうえで、いかにして再発を防ぐのか、という論理的な思考がほとんどかけている。 これは、現場の人たちが問題に出会った時、問題を防ぐ事を考えずまず責任から逃れる手段を考えさせてしまうため、極めて有害な考え方だ。 この性質は航空業界に限らず、ソフトウェア業界も持っている。 他にもたくさんあると思う。 これは日本が内在している深い問題だと思う。
今、医療がそういう 「はじめに罪ありき」 で考える人たちの手によって破壊されようとしているけど、ソフトウェア業界も近いうちに 「はじめに罪ありき」 と考えるクライアントの手によって破壊されるのかもしれない。
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