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2008年3月14日金曜日

死の商人の話 (isaan05-c987254-200803142212)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
死の商人の話 (おかあつ)
2008年03月14日 22:12
個人的な話なのですが、下記のニュースをみて ... どういういきさつだったのか興味を持ちました。

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死の商人、バンコクで逮捕
http://www.newsclip.be/news/2008306_018038.html

人の大物武器商人、ビクトル・ボウト容疑者(41)をバンコクで逮捕したと発表した。テロ組織に武器を密売した疑いで米政府が逮捕を要請したもよう。タイ国営テレビ局チャンネル9などが報じた。

 ボウト容疑者は元ロシア軍士官で、1990年代から、ウクライナなどで調達した大量の兵器を、国連決議で武器輸出が禁止されているアフリカの紛争地帯や中央アジア、中東などに売りさばいたとされる。輸送機数十機を所有し、戦車やミサイルまで扱うという。武器商人を描いた2005年公開のアメリカ映画「ロード・オブ・ウォー」(主演、ニコラス・ケージ)の主人公のモデルの1人ともいわれる。

 タイには1月に入国し、頻繁にホテルを移っていたもよう。逮捕当時はソフィテル・シーロム・バンコク・ホテルに滞在していた。

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興味を持ったものの... 正直、なんだかよくわかりませんでした。
そうしたら、今日 JMMで、春 具氏の とても興味深い記事が出ていました。

  JMM
  http://www.jmm.co.jp/

転載するのは、多分、ルール違反なんですが ... どうせ150人、そこそこの弱小コミュなので、まぁ... いいですよね。 問題があれば即座に削除いたします。 JMMは村上龍氏が主催しているメーリングリストです。 極めて情報の質が高く、無料です。 登録する事をお勧めします。

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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具               第187回
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「死の商人」

 武器商人として「世界のお尋ね者」になっていたヴィクター・ボーツが捕まった。先週、タイのバンコックでのできごとでした。ボーツ氏はアフリカの独裁者たちや反政府軍、さらにはタリバンやアルカイダ、南米のゲリラたちにも兵器を供給していたと言われ、世界中の官憲が追いかけていた人物でありました。

 ボーツ氏は、ソビエト崩壊の落し子であります。

 ソビエト政権が崩壊したとき、ボーツ氏はソ連軍の士官としてアフリカのアンゴラに駐留していた。そして所属していた空軍部隊の解体により、仕事を失ったのであります。仕事を失った人材、あるいはその混乱に乗じて一旗揚げようと思う人物は、地下へ潜りますね。彼の手元には、数機のイリューシン戦闘機、アントロフ輸送機と、大量のカラシニコフ銃が残された。ボーツ氏はこれらの武器と部隊の部下を引き連れて、シエラレオネへ向かうのであります。

 シエラレオネではすでに部族紛争が勃発していて、ボーツ氏は政府軍に持っていったソ連製の武器を売りつけて商売を始める。

 彼はその後、アフガニスタンへ赴き、タリバンとアルカイダへ武器を供給して、人脈とビジネスのネットワークを広げ、バルカン半島、東欧、中東、そして南米と、火の粉の舞い上がっているところにはほとんど必ず現れてビジネスをまとめ、手を広げていったのであります。

 彼のビジネスの端緒となったシエラレオネ内戦は、起きる必然のまるでなかった内戦だといわれます。ルワンダ、アンゴラ、ダルフールなどは、部族同士の憎しみあいと対立が、たまたま旧植民地宗主国の引いた国境線の中でおきた紛争です。争い自体は不幸なことであるが、多くの国家独立のスローガンとなった「非植民地化」「民族自決」の原則からすれば、わからないでもない。ですが、シエラレオネはそうではない。資源の利権を横領する政治家や政府の役人たちに対して、野党側・反政府側がおれたちにも分け前をよこせと言って、争いが始まったのであります。つまり、民族解放とか民族自立などの大義名分がまるでない(民族の大義があれば戦争を吹っかけていいということでは,もちろんないですけど)。そうした指導者同士のむき出しの欲望が、ボーツ氏のビジネスの基礎を固めたと言えるのであります。

 ボーツ氏は、アンゴラから武器を売りにいき、ぼろく儲けたが、帰りも手ぶらだったわけではない。シエラレオネには隣国リベリアとの国境付近にダイアモンド鉱山があり、リベリアのチャールス・テイラー大統領がこの資源を狙ってシエラレオネ反政府軍を支援し始めるのであります。ボーツ氏は、テイラー大統領に武器を売ったそのオカネでダイアモンド原石を買い取り、これをヨーロッパ(ベルギーのアントワープとかオランダのアムステルダムですね)へ流して巨富を得る。行きと帰りで二回稼ぐ。一粒で二度美味しい、まるでアーモンドグリコであります。こうして「武器とダイアの密売」という構造ができたのでした。

 ダイアモンドの密輸と武器取引との関連、さらにどんどんエスカレートする地域紛争を危惧した安全保障理事会はこの問題をとりあげ、1999年に専門家(密貿易、武器取引のエキスパートや開発経済の学者たち)を派遣して調査をおこなった。

 安保理はその調査団の報告書を踏まえて、2000年に安保理決議を出す(決議1343)。報告書には「ダイアと武器の密貿易」をおこなっている54人ほどが、名指しでリストアップされていて、ボーツ氏はテイラー大統領とならんでそのリストに名を連ねているのですが、安保理決議は、国連加盟国(つまり世界中の国家ということでありますが)および私企業が彼らとビジネスをすることを禁じ、ヴィザ発行を禁じたのでした。つまり、世界がこの決議を遵守するならば、ボーツ氏は一歩も家を出られないことになる。

 だが、実際のボーツ氏は神出鬼没、世界中を走り回って武器取引を続けておりました。ボーツ氏の兵器ネットワークは旧ソ連にはじまって、東欧諸国、中東諸国、アフリカ、北米、南米にわたっている。つまり、リベリアだけでなく国連の「通商禁制」指定をうけて身動きが取れず、紛争を続けるにあたってまともに武器調達できない国々が、ボーツ・ネットワークの主なる顧客となっているのであります。アフガニスタン、アンゴラ、コンゴ(旧ザイール)、ルワンダ、そしてもちろんスーダン。さらには、タリバンやアルカイダのようなプライベートな組織(アルカイダを私的組織というのはおかしいか。公的国家機関に対して、NGOというほうが正確かな)も彼の顧客リストに入っているということです。

 安保理決議でブラックリストの筆頭に載っていながら、なぜ、彼は密貿易を続けることができてきたのか。

 まず、ボーツ氏の扱う武器が、カラシニコフが主だったということがあるようです。カラシニコフ銃はじつに簡単な構造をしていて、整備が簡単なのであります。先進国の武器は構造が複雑で、整備や修理がめんどうくさい。我が国の自衛隊が使っている鉄砲は、射撃のあと、掃除と点検に1時間くらいはかかるんだそうですね。カラシニコフは解体し、掃除し、組み立て終わるのに15分ですむのだといいます。そしてうっかり手入れを怠っても、きちんと発砲できるのだという。

 このあたりについては、ジャーナリストである松本仁一さんの『カラシニコフ』という書籍に詳しいが、簡単で便利だから子供でも扱える、というわけで、12、3歳の少年兵少女兵たちを拉致して兵隊につかっているアフリカの紛争当事者たちにとって、ボーツ氏はいなくてはならないカラシニコフ供給源なのであります。

 さらに、国連のブラックリストに載ったことで、ボーツ氏は皮肉にもゲリラ戦に頭を痛める独裁者たちの信用を勝ち取ることになったという。安保理のリストが、こいつは一筋縄ではいかない本格な武器業者だ、どんなことがあっても武器を持ってきてくれそうだ、という信頼を与えてしまったという説であります。

 もっとさらに、じつは欧米の大国も、陰に日向にボーツ氏のロジスティックを利用してきたらしいのですね。たとえば、イラクでは、駐在していたアメリカの軍事関連の企業(だから例のブラックウォーター社なんぞでしょうね)が、ボーツ氏の飛行機を使って、秘密裏に武器や人員の輸送をしていたとされる。

 冷戦終了による軍縮の機運は、ボーツ氏のような軍事関連の高い技術を持つ失業者を大量に生み出してしまい、彼らの処遇をどうするかということが、当時米ロ政権が抱えたおおきな問題でありました。弊化学兵器禁止機関は、化学兵器を破棄しようという世界の情熱によって1998年に設立された組織ですが、ロシアやアメリカにとっては、失業した化学者、化学兵器専門家、兵器関係者たちの再就職の場と理解された部分があります。弊機関はキャリア組織ではなく、国際職員は7年以上いられないという(奇妙な)ルールがあるのですが、それは東欧諸国が導入を強硬に主張したルールで、このメカニズムによって失業者を回転させようという意図だったのであります。

(さらにいうならば、なぜ7年なのか。7年でなくてはならない(科学的な)根拠は、じつはなく、機関設立の交渉の際、「ノンキャリアならば10年くらいだろうな」という声と、「それでは長過ぎるよ、5年でいいだろう」という声がぶつかり、妥協案として両者のあいだをとり、「じゃあ、7年」という実にいい加減な決め方をしたのであります)

 武器密売というのは、リスクは高いものの(この場合のリスクとは生命の安全も意味するのですが)リターンも高く、うまく回転させている間は相当にぼろい利潤を出せる商いであります。

 ボーツ氏はモスクワの国防省外国語学校の出身で、6カ国語に精通しているということです。この学校は世界中の言語を教育している名門学校で、外交官だけでなく、国際機関の翻訳官や通訳官もここにはいって研修を受ける。ロシアのスパイが現地人と同じようにコミュニケーションがはかれるのは、こういう徹底した訓練をしているからであります。武器商人で成功するにも、結局は外国語をあやつり、口八丁で腹黒い独裁者たちを煙に巻けるほどのスキルが不可欠なのでしょうな。

 だが彼の逮捕は、彼のビジネススキルの遠くおよばないところでおこってしまった。昨年だったと思いますが、コロンビアの軍隊が反政府革命軍を追いかけて隣国エクアドルへ侵入したことがあったですね。「国境侵犯」ということでエクアドル政府が抗議をした事件ですが、あのとき、コロンビア軍に射殺されたゲリラのパソコンに、ボーツ氏の連絡先が入っていたのだという。なにがどう案配して、人生が変わるのかわかったものではありませんが、ゲリラのラップトップで連絡先が割れるという不運も、リスクのひとつといえますな。

 ボーツ氏は、この世界に足を踏み入れたときから長生きはできないだろうと言われておりました。紛争の片一方に武器を売れば、反対側から恨まれるのは成り行きであります。さらに、武器密貿易の業界は、仲間うちの裏切りとか造反があたりまえという世界でしょう。逮捕された今年、彼は41歳になるが、あまりに多くの武器を、あまりに多くの顧客(政府軍、反政府軍、テロリストたち)を相手に、あまりに多くの闇市場でビジネスをしてきたのである、いつ裏切られて殺されてもおかしくはなかったのであります。

 バンコックで逮捕され、これから裁判になるならば(どこの国で裁かれるかはまだ決まっていない。アメリカやロシアなど多くの国が、それぞれの思惑から、ウチでやりたいと手を挙げています)、逆説的ではあるが、彼の命は司法制度によって保証されることになるのであります。近年は、死刑制度をもつ国もどんどん少なくなってきておりますから、終身刑にでもなるならば、牢獄という制約はありましょうが、余生を穏やかに過ごしていけるかもしれないのであります。

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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical Weapons Convention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)がある。<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22>
コメント一覧
[1]   まはヴぃーら   2008年03月16日 23:18
先日ある方(日本人)から聞いた話です。
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15年位前、バンハーン元首相の弟が仕事の話を持ちかけてきた。
だが、私はあまり興味を持てず、その申し入れを断った。
するとバンハーン氏の弟は面子を潰されたと思ったのか激怒して、
「お前はスパンブリー(バンハーン氏の地盤)に入るな!」
と言い放った。
だから未だに私はスパンブリー県には行けないのです。
行ったらやられますから。
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逆に考えると、ボーツ氏がバンコクに入れたのは政治家やマフィアと
仲が良かったからで、逮捕されたのは新政権が誕生して状況が変わった
からではないかと推測してみます。
あるいは新政権がアメリカに恩を売ったとか。

タイの政治家ですが、裏社会と繋がりの無い人は皆無だと思います。
民主党顧問のチュワン氏は「ミスター・クリーン」と言われていますが、
その弟のラルック・リークパイ氏はタイ商業銀行(だったはず)の金を
頭取という立場を利用して横領し、現在行方不明。
チュワン氏クラスの大物の弟が行方不明になるわけがない。

ブリラムのネーウィン氏なんてみたまんまですね。
 
出展 2008年03月14日 22:12 『死の商人の話』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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