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2008年1月11日金曜日

田町のプール (mixi05-u459989-200801111958)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
田町のプール
2008年01月11日19:58
この3日ぐらい、ずっと仕事の進みが悪く苦しかった。 ちょっと前にとても大きな問題を一個クリアできたところだった。 その大きな問題を随分長く作業していた. .. 2日以上徹夜した結果終わって、プログラムは再び快調に走りはじめたところだった。 だけど、その次のステップは、非常に大きな課題だった。構想自体はもう2~3ヶ月前に終わっているのだけど、いざやろうとすると、何をどうすればいいのかわからなくなった。 そんなこんなしているうちに3日ぐらい経ってしまった。

僕は今、あせっている。 プログラムを組み始めてそろそろ2年経つ。 もう30台も後半に差し掛かる。 というか、こんな事はさっさと終わらせて僕は、外国に帰りたい。 今、僕はニューヨーク・シリコンバレー・ハバロフスク・エカテリンブルグに行きたいのだ。ウズベキスタンも行きたい。 また語学を勉強しまくりたい。 でも日本人である僕は、ケジメとしてどうしてもこのプログラムだけは終わらせたいのだった。

だから根をつめて頑張ってコーディングしていたが、進まないものは進まなかった。 そんな今日この頃だが、何だか昨日から目の調子が悪かった。 というのも、何故か知らないけど上のまぶたがピクピク痙攣する。 しばらくするととまるし、見えないわけでもないし、何も問題がないのだけど、とにかくピクピクする。 ちょっとググって見たらこれは、眼の疲れやストレスから来るのだそうだ。

僕はプログラムを組む事にストレスを感じたことはあまりない。 何か夢でも見ているような気分で過ごしていると、いつの間にか動くプログラムが出来ているという感じで、じっと座っているだけなのに結構忙しく楽しく過ごしている。 だけど、これは頭だけの話で、体にとってはとてもストレスなのだなと思った。 実際からだのあちこちがいたかった。 特に座りっぱなしでヒザが痛いのはいかんともしがたかった。 そうこうしていると、だんだん頭がボーっとしてくるということで、だんだんと悪循環に陥りつつあるのも感じていた。

今日も朝方からプログラムを組んでいた。 昨日もそんな感じでプログラムを組んでいたがはっきりした成果も出ずに夜中が来た。 今日も昨日と同じところで引っかかった。 3時間ぐらい立ったところで「もう、今日はヤメ!」と思った。 かねてからやろうと思っていた水泳に行く事にした。

何か不思議なもので、内向的な状態と外交的な状態というのは、切り替えられるものだと思う。 「僕って内向的で...」とか「僕は外交的で...」とかよくいうけど、これはその時の状態であって、性格じゃないのではないだろうか。

僕は結構服に気を使うほうだった。 横浜に住んでいた時は特にそうだった。 こういうときは色々な友達とあって話をしたり友達づきあいがよい。 ところが最近はどうだろう。 服は気にしない。(常時フリースのパジャマにドテラ) 頭はボサボサ、目も当てられない。

でもこういう人目を気にしない時期というのはとても集中力が上がるように思う。 人のことなんか全く心配していないで、思いつく事、考えた事だけをひたすら実現していく。 心の中から湧き上がるものをすくい取るのは、集中力が居る... というともっともらしいけど、集中力っつーよりは、雑音がない場所が必要じゃないかと思う。 というのも、折角何か面白い事を思いついても、電話がチリリリーンと鳴れば一発で吹き飛んでしまう。 忘れてしまうのだ。 折角考えていた構造がようやく頭の中で像を結びはじめても、軽トラの「毎度、おなじみ廃品の回収です」という声が聞こえると、頭の中はいつの間にかそのことを考えており、折角像を結んだのが、一体何の像だったのか忘れてしまうのだ。

で、横浜に住んでいた時期のことを考えると、何でそんな表面的なことばかりやっていたのかなぁと、そんな印象を持つ。 本質的なことは後回しで、人からどう思われるか、人にどういう印象を与えるか... なんてくだらない。 本質を鋭くつかんで実現する事以外に何が意味があるのか、とか思ってしまう。

でも、一度、頭を切り替えて、気持ちを外に向けると、何か自然と友達に電話したくなってくる。 用も無いのに電話をしたりする。 何か飲みに行こうよ、とかそういうことが楽しいと感じられるようになってくる。 おいおい、こんな格好じゃそとも歩けないぞ、というような事を考え始めるようになる。 自分の外見に注意を払うようになる。 そして、最後に、「おい、俺、よくこんな難しいプログラム組んでたな、すげーな」と自分で思ってしまうようになる。 自分の行動なのに、他人の行動のような気がしてくる。 そういう気分のときにプログラムを組もうとすると実際組めないのだ。 何か日常で起こったことばかり考えてしまう。

僕はどちらかといえば、内向的な自分の方が自分らしく感じる。 だけどそれはただ単に好みの問題で、実際にはその心の傾向を切り替えるという事は可能だと思う。

実は、心の傾向を時間によって切り替えられる人を僕はあまり見たことが無い。 僕が見た感じだけど、今までみたことがある 「ものすごく頭のいい人」達は、切り替えられる人が多い様な気がする。 でも極わずかだ。 多くの人は、内向的なままか外交的なだけではないだろうか。

いやでも、よくかんがえると そうじゃないかもしれない。 これはなんというか頭の良さとかかわらず、ある。 この心からふつふつと湧き出るものをすくい取ることを愛し、そのために静寂を好む人、というのはあまり見かけない。 自分の内面に対する誠意を持っている人というか...なんというか...。



まぁとにかく、水泳に行こうと決心したという事は、いったんちょっと気持ちを外に向けようと決めたという事だった。 外国に行くにしても、体をもう一度鍛えなおさなければいけないし、鍛えたからいきなり体が丈夫になるわけじゃない。 毎日少しずつ変えていかなければいけない。 だから、とにかく始めようかと思った。

色々考えたんだけど、田町のプールに行く事にした。 プールはあちこちにあるのだけど、どれも駅の便が悪かったり、1月だけ休館だったりしたからだ。 すると...。

...... だめだ、もう眠くて我慢できない。 おやすみなさい。


コメント一覧
トミィ   2008年01月11日 20:59
どうも言う事バラバラだと思ったら…途中で止まったな( ̄▽ ̄)起きたら続き書いてねてかグクらなくても目のピクピクは疲れだと気付きなよ!フツー気付くって
這いよる謎の犬ピース   2008年01月11日 22:37
心が外に切り替わった後に、自分のプログラムを見て「よくこんな難しいプログラム組んでたな、すげーな」って思う・・・そこになぜか感動しました。
なんか元気出ます。
がんばろう~
zannin   2008年01月12日 03:33
ある種の儀式(自分の中でのなにか・・・)でスパンとチューニングが変わってしまう人が羨ましく感じます。どちらかに偏るのは、やはり心も体も頭も楽チンだからなのかな、と考えてしまいました。

悪い意味じゃなくて、無理がないってのは幸せじゃないかなーと。子供の頃は吸収する一方なのに、大人になるとある程度なにかを捨てなければ思うままにならないような。(ウィザードリィの忍者のACみたいな。余計なものを付けると能力が制限される、の意で)

読んでいて思ったのですが、優先順位付けがはっきりとしているのなら、現場を一旦他人に任せて、おかあつさんは望む場所に行くとかどうでしょう。

もちろんサポートは全力でする方向で。たぶん、気になってしょうがないから、むしろやらせてください状態になるんでしょうけど。
(^-^;;;

でも、体のストレスから本調子じゃないようなのでおすすめするのも微妙かな。。。


>だから、とにかく始めようかと思った。

この一文がすべての心情を表していていますよね。プログラムを自分のスケジュール内で完成させて、望むことをしている おかあつ さんの日記を近い将来に読んでいるような気がします(笑)
おかあつ   2008年01月12日 06:37
Tommy,
>どうも言う事バラバラだと思ったら…
いやいや~! 先生のレベルにはとても及びません!

のぶさん、
>心が外に切り替わった後に、自分のプログラムを見て「よくこんな難しいプログラム組んでたな、すげーな」って思う・・・そこになぜか感動しました。

(^-^) ... そういえばその言葉をみて思い出したんですが、キースジャレットという天才ピアニストの書いた本に「インナービューズ」というのがあるんです。 その本に、「何かをする」ことが大切なのではなくて、「その状態」になることが重要なのだ、っていうことが書いてあるんですが、僕、その言葉好きです。

zannninさん、
>読んでいて思ったのですが、優先順位付けがはっきりとしているのなら、現場を一旦他人に任せて、おかあつさんは望む場所に行くとかどうでしょう。

大人の職業プログラマとして... それは最初にメチャメチャ考えていました。 自分だけで出来る事は少ないっていつもおもっていましたし...。それで実際色々な人にあって、色々と説明していた事があるんです。 でも、何かこうやって自分で言うのは、とてもおこがましいのですが、僕が楽しく説明していると、僕の意図に反して、いろいろな人の顔が非常に辛そうになるのを見てから、人に自分と同じことを期待するのは残酷な事だと思って、止めるようにしたん です。

僕はプログラミングのキャリアだけは異様に長くて、もうそろそろ30年経ちます。 だからといって何もいい事ないですが、自分が当然と思っていることを期待すると、いろんな人を辛くさせてしまうんですよね...。

形が出来てしまえば、それを研究するっていう形で引き継げるので、最初だけは...と思うのです。 ジェームスゴスリング(JAVAの作者)は今では現場からきっぱり足を洗っているみたいですが、きっと最初のコンパイラだけは自分で書いたんじゃないかな...と思うのです。 どうなんでしょうか。 java.lang.System とかは結構 Golingって書いてあるソースがたくさんあるけど...。

 
出展 2008年01月11日19:58 『田町のプール』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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