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2007年12月23日日曜日

実体 (mixi05-u459989-200712231602)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
実体
2007年12月23日16:02
ふと思ったんだけど、きっと世の中には実体を持たないからこそ価値を増すものがあると思う。 だからこそ実体を得る事で価値を落としていく。堕落する。 だから、努力するっていうのは、実は堕落へ向かって歩く行動そのものなのかもしれない。



この間 ガク村田のところで 香港に居る tomokoさん から facebookの話題が出た。 facebook には やはりどうように 香港に居る miy から招待状が届いて既に登録していたのだが、あまり興味を持てなくて使っていなかった。 この際だからと思いもう一度使い始めた。 何だか香港で流行り始めたからなのか、何故か程なくして他の香港の友達=ドスコイ・イザベルからも招待状が届いた。 そういうわけでまたいじり始めた。

システムの技術的な考察は mixi なんか 比較にならないほど良くできている。 だからといって、facebookの方が mixi より優れているとは思わない。 mixi の方が人とのコミュニケーションをとるという点において、視点が優れている。 facebook は、利のないプログラマ用オモチャのようだ。 そこに人に対する洞察力があまり感じられない。 かといって mixi は今の状況からこれ以上システム的なドラスティックな変化をする力を失っているだろうから、結局どれも デファクトスタンダードを握るシステムとしては失格と言わざるを得ない。 もちろん Blog も myspace も どちらも一方的に話し続けるだけで満足なアメリカ人向けで、これ以上普及はしないだろう。



ボクには、実体を持たない頭の中だけにある存在を持っている。 これが実体化すると、そのものは価値を失って、一気に堕落するだろう。 僕はこの存在と現実の状況を比較している限り、常に失望し続けるだろう。 この事実はボクにある価値のある存在を与えている。

これが実体化した瞬間、僕は持っている価値を失い、僕は更に失望するだろう。 そうならないように、ボクは歩かないといけない。



インターネットを使って実現できる物事の全てのパターンは、実はさほど多くない。 全部が違うものの様に見えるのは、その背後にある関係が見えていないからだ。 実は本質的に同じ処理を行っているものを別なものとしてプログラムを組もうとすると、そこにあらゆる混乱が生まれる。 こうして今のインターネットはとても混乱している。 プログラマは実に無能だ。 世の中にあるあらゆるプログラムは実は本質的に同じ処理をしているのに、人間にとって違う価値を持っているからというだけの理由で、彼らは全く違うものとして実装しようとする。 そうして処理と処理の間に互換性が失われ、どこまでも混乱していく。

背景にある本質をつかみ、それを最小限のプログラムの組み合わせで実現すれば、システム構造のシンプルさを失わずに、どこまでも複雑な構造を表現できる。 こうして出来上がったシステムは、あらゆる可能性を持つ。



昔は、パソコンは今ほど高性能ではなかったけど、有能なプログラマっていっぱい居たように思う。 パソコンが普及して高性能になりプログラマもたくさん増えた今、その有能なプログラマはどこへ行ってしまったのか。 消えていなくなってしまったようだ。 でも多分、きっと有能なプログラマの数というのは、実際には変わっていないだけなのだろうと思う。 この対比的に極めて少ない有能なプログラマが、対比的に極めて多いプログラマで無い人のためにプログラムを作っているわけで、当然プログラマは足りなくなるのだろうと思う。

いつもどこにも「プログラマ募集」って書いてある。 だけど、プログラマというのは、実に「ネコの手はいらない」仕事で、ネコでも出来るような作業は、プログラマがプログラムでネコを作ってやらせればいいだけの話なので、ネコは職を失う。 だから、プログラマというのは、常に足りないんだと思う。



最近、もう本を読んだりとかしてない。 本には知りたい事が書いてない。

最近 VT100 という 今のインターネットの基幹をなすプロトコルについて研究している。 だけど、これに関する文献って、ほとんど無い。 あるのはリファレンスと実物だけで。VT100というのはもう30年以上前に発明されて改良され続けた、世界最古のプロトコルと言っても良い存在だ。 それなのに今でも主流を失っていない極めて堅牢なプロトコルといえる。 ... だけど、 これが成立した歴史について研究していると、今起こっている混乱と、まったく同じ事が、この時代にも起きていたことが手に取るようにわかる。 そういう混乱の名残がプロトコルの中に残っている。 ソフトウェア技術って、進歩しているようで、実はあまり進歩していないような気がしてくる。



じゃぁ、こうやって気がついたことを、どうやって 頭の中からだすのか。 それが問題だ。

でも、実はこの頭の中にあることは、じつに当たり前のことで、現実化してしまえば、極めて自然、当たり前、もうそれ以外には考えられないような常識的なことだ。 そんな常識的なことが今は守られていないだけなのだ。


なんというか、もう上だけをみて歩こうかと思う。 下を見始めるとキリがない。 ひとつひとつ批判に反論し、相手の間違いを指摘していると、その数があまりにも多すぎて日が暮れてしまう。 だけど上は簡単だ。 ひとつだけしかない。


コメント一覧
退会したユーザー   2007年12月23日 20:08
うん。わたしも前に進んで歩くよ。
トミィ   2007年12月24日 11:29
同感だよ…実体を持たないものが沢山あった方が希望がある気がするよ下を見がちな私も上をもっと良い意味で見て行きたい
 
出展 2007年12月23日16:02 『実体』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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