無題
2007年10月31日15:36
昨日何か夢を見た。 暗い夕方の海で、海の上に巨大な地球儀が浮かんでいる。 僕はその上を歩いていた。 歩いていると地球儀には見たことも無いような大陸があった。 半球を占めるほど巨大な弧を書くような形の湾の中央に孤島が浮かんでいる地域があった。 また、見たことも無いような巨大な半島があった。 それは何か寒い地域の様なところらしかったけど、よく見ていたらそれは北極の地図らしかった。 僕は何故かその上に立っているのが嫌だったけど、それでいながら魅せられているようにそこから離れられなかった。
僕は地球儀から滑り落ちて海に落ちてしまった。 海は暗くて深かった。 同じように何故かそこに居たくなかった。 深い海のそこから何が出てくるのかを考えると怖かったけど、それでいながら、それがたまらなく好きであるように魅せられている様な状態だった。
何だか変な夢だった。
朝起きたら、保険料の督促状が来ていた。 見てみたら1996年の未払い分で月5万円も請求されていた。 見たら僕は何か一気に動揺してしまった。
1996年というのは、僕が2年間の新聞配達の勤めを終えて、アメリカの大学へ留学する準備として奨学金を使って三ヶ月語学研修に行った年だなのだ。 入学許可を取得したが、直後に身辺のトラブルが深刻化し経済的な限界を思い知って断念した。 そんななか仕事を探している時期だった。
職探しは難航した。 当時中卒で23歳だった僕に社会は甘くなく、10件以上会社を回った事を覚えてる。 中には「6年間もブラブラ何やってたんだ!」と罵られて帰ってきたこともあった。 今となっては、そんな三流ソフトハウスの就職なんかこちらからお断りだが、当時はそういう扱いをされることが非常に屈辱的で、今でも忘れられない強い屈辱感があった。
今であればそういうことは無いだろうと思う。 英語もある程度話せるようになっているし、タイ語はかなり問題が無いレベルまで磨けた。 ラオス語やロシア語もちょっと知っている。 これは、これが僕にとってどういう価値を持っているかとは無関係に、人に、えばれるという効能がある。 バカみたいなことだけど、これは案外大切だ。
当時は英語も(今考えれば結構話せていたのだけど)上手じゃなかったし、そのほかの特技も無かった。 ただ単に小学校の時からプログラミングをやっていたので仕事として出来る事だけは知っていた。 その時、僕は、初めて、日本社会で一般的に使われている「僕はプログラミングが出来ます」という言葉の意味を知った。 そんなことをいっていても、みんなド初心者なのだ。 当時、僕がいう「プログラミングが苦手です」という言葉の意味は「コンパイラが無いとドライバは書けません」とかそういう感じのことを本気で思っていた。(=コンパイラなしでドライバを書くのはかなり一般的には高等な技術だが、僕がプログラミングの修行をしていた80年代、世のプログラマは非常にレベルが高くこれをよくこなしていた。) 僕の中ではそれは出来て当たり前だった。それが出来ない事に引け目を感じてすらいた。
しかしこの感覚が世の中の一般とは随分かけ離れていたことを知らなかった。一般的には「プログラムが組めます」といっても「ピッ」と音を出すだけの超お手軽プログラムであることは珍しくなかった。 そんななか、僕が「プログラミングできます」と言っても、誰も信用するはずが無い。 しかも経験が無かったので、僕自身その能力に自身が持てない状態だった。 知識で押されると脆かった。
学歴も中卒だし経験も無い。 これが武器が無いという状態なのだと思う。 僕はこういう状態で何の身よりも無く社会に放り出されてしまった状態だった。 でもまぁ苦労というのは、努力次第で、どうにでもなるものだ。 でも、努力でどうにもならないものがある。他人との差だ。 無神経に比較されることで屈辱的な思いをすることは少なくなかった。 大変な努力をこなしているのに「怠け者」とか「無能」とかいわれる屈辱というのは、簡単に忘れられるものではない。 そういう状態で次々に義務(仕事だけじゃなくて他にも色々ある)ばかりが課せられていく不条理というのは、筆舌に尽くしがたいものが合った。
原因ははっきりしていて詳しい説明は省くけど両親の問題だった。 それについて両親は言い逃れ出来ないはずなのだけど、それを両親に話しても両親はその事実を直視出来ない。 もちろん他人に話しても理解されず、僕はとても孤独だった。
話が長くなったけど、1996年という数字を見てそういう心の奥底で渦巻いていたものが一気に爆発してしまった。 久しぶりに激怒してしまった。 フラッシュバックっていう言葉があるけど、それみたいだった。 もうとっくの昔に解決済みの問題で現状まっったく何にも困って無いのに、今まさにその問題の真っ只中で問題が起こっているような錯覚をしてしまったのだ。
それで、無意味に母親に当たってしまった。 後悔しているのだけど、ほとんどトラウマの様になっていて、自分でもこういう衝動を抑えられない。 ま、確かに、もともとの熱くなり易い性格も重なっているのはあるけど、これはこれでひとつの事実なのだ。 でも母親はやっぱり今でもそういう現実を直視できないのでそれが態度に出てしまう。 そういう態度は僕の苛立ちをエスカレートさせてしまうのだった。
ちなみに区役所に行って聞いたら、96というのは年号でなくただ単に通し番号だったようで、僕は単に読み間違えただけだったみたいだった。 それはともかく、タイに行ってノンキに「いやーもうそんなことも忘れたなー。 でも忘れないようにしないとなー」とか思っていたのだけど、とんでもなくて、僕はそういう悔しさを全然忘れてなかった。
そういう衝動が僕の行動力の元になっているから、それは大切なことでもあるとは思っている。 だけど、そのパワーが身の回りに居る人や、自分自身に向かってしまうと、大変なことになってしまう。
そんなことを思っていたら今日も何か変な夢を見た。
◇
何か昭和50年代の夜の街の様なところにいる。 木造の民家がたくさん立ち並んでいる。 その中を細い路地が縫うように通っている。 路地は舗装されてなくて砂砂利や小石が転がっている。 そんな中を民家すれすれに都電が走っていて、僕は都電に乗って移動していた。
今日は月食の日だった。 月がどんどん色が変わっていく。 月は何故かものすごく巨大に見えた。空の半分を占めるほど大きな月は、どんどん色が変わり欠けていった。 僕はガススタンド前の横断歩道の前に立って、電柱や木造家屋の立ち並ぶ向こうに浮かぶ月食の月を、回りにいた昭和50年代風の古い服装をした人たちと一緒に眺めていた。
何か不思議な夢だった。
◇
このところ、僕が作ったシステム内で基盤として使う予定の検索用コマンド演算子の設計をしているところで、これが、ダイクストラの変換アルゴリズムとか 結合法則・優先順位とかそういう難しい理論を睨みつつ、新しいアイデアの創出がすごく必要なことで、結構辛い。
ドラえもんに出てくる漫画家「フニャコフニャオ※」の様な状態になってくる。 つまり、いったん頭の中のアイデア箱の出口が詰まってしまうと、非常に苦しい思いをする。 苦しいのでゲームとか散歩とかしていると、人からは遊んでいると思われてしまう。 とかそんな感じで、そもそも好きで始めたことではあるけれど、結構ストレスがたまる。
※フニャコフニャオ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411652094
母親からは「すこし気分転換が必要なんじゃないか」と言われた。 そうかもしれないな、と思ってきた。 気分転換に外国に行こうか... どこか外国に行こうと思えば行ける... のだけど、僕が作ったシステムがせめて個人用のブログシステムぐらいにはなってくれないと、気持ちが落ち着かない。 せめてそれまでは...。
◇
でもこの二~三日ずっと悩んでいた事に、答えらしいものを見つけることが出来た。今日の朝型のことだ。 これで今まで持っていた問題を解決するだけでなく、これからの機能追加も楽になりそうだった。 ちょっと気が楽になった。
... だけど、この後には、ふたたび、まだ知らない、まだ見たことが無い、新しい問題が山積しているのは間違いが無く、結果的だけをみちゃうと、結局いつもいつも、書いていることは「頑張ろう」になるんだろうなと思う。
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========== お た よ り コ ー ナ ー ============
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前回の日記にたくさんコメントを頂き、ありがとうございます!
いつもコメントの返事書かなくてすみません。
でも、いつも読んで励まされてます!
ホントありがとうございます!
今回は趣向を変えて、コメントに直接返事を書かずに
以下の様に別途コーナーを設けてみました!
前回の日記:間違ってるのはお前だ!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=604538367&owner_id=459989
では始めます!
コメント:
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ジャコビさん 2007年10月27日 01:54
日本の学校制度は、もともと兵隊を養成する為の制度として作られた、という話を聞いた事があります。本当かどうかは知りませんが、妙に納得してしまいました。
記述問題の答えがあらかじめ用意されている、というのは、経験として知っています。中学生の頃「~について、自分の考えを述べなさい」というのに、自分の考えを率直に述べたら、原点されたのです。腑に落ちず、先生に何故減点されたのか聞いた所、原点の理由は文章の下手さや理論の進め方ではなく、私の考え方が正しくないという事でした。
アメリカの記述試験では、「~について、自分の考えを述べなさい」という出題の仕方はせず「~の正当性を説明しなさい」という質問の仕方をしていたと思います。最初の頃は自分の本当に正しいと思っていない事の正当性は説明でない、と不満でしたが、よく考えてみると正しい出題の仕方です。
もう一つ、アメリカで学生の頃日本との違いとしてショックを受けたのは、算数の教え方に日本とアメリカではとても大きな差があるという事です。日本では、9x9などを丸暗記させるやり方を取りますが、アメリカではそれを全くやらず、何故3x4が12になるのか図や言葉で理論的に延々と小学生に教えて行くのです。結果的に、アメリカ人の学生は計算が遅くなるのですが、理論的にものを考えるというやり方は培われて行きます。
最近、近所にあるタイレストランの一つがイサーン料理のレストランだと発見しました。未だに行った事はないのですが、今度試してみますね。
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お返事:
> アメリカの記述試験では、「~について、自分の考えを述べなさい」という出題の仕方はせず「~の正当性を説明しなさい」という質問の仕方をしていたと思います。
ここのところがすごくショックでした。 そういえば、ディベートも自分の意見とは無関係に賛成反対に分かれて正当性を説明する練習でした。 つまり論理力の訓練なんですよね...。 そこに自分の意見というプライドを賭けるからこそエキサイトできるっていうことはあると思うのですが、それとは無関係に単に論理力をつける一つの方法なんですよね。
ところで、僕は「ご冗談でしょうファインマンさん」 という本がものすごく好きなんです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4006030053/
http://www.amazon.co.jp/dp/4006030290/
http://www.amazon.com/dp/0393316041
この本には、考える事の大切さというエッセンスがぎっしり詰まっているように思うからです。
ジャコビさんの話を読んで、この本に出てくる話で、ソロバンの達人と暗算対決する話が出てきたのことを思い出しました。 どんな計算も暗算で高速に計算してみせると豪語しているファインマンに、日本人のソロバンの達人が挑むという話でした。
ここでファインマンは快勝したのですが、このときファインマンが「彼はうかつにも、問題が難しくなればなるほど僕が有利になる事に気がついてなかった」って言っていたのが印象的でした。 ソロバンの達人は算術で計算していたけども、ファインマンは 知っている限りの数の性質を駆使して、出来るだけ楽に計算する方法を考えて計算していたんだそうです。
最後にソロバンの達人が出した超難問は、偶然ファインマンの知っている数に関係した数字で、勝てたのは偶然だったのだそうです。 ところが勝負の後、その数がファインマンにとっていかに幸運だったのか、ソロバンの達人に説明しても全く理解できなかったという話でした。
考えれば時間がかかるはずなのです。 答えを教えてもらえばすぐにわかるはずなのです。 でもそこをあえて自分で考える。 そうしてれいば、答えが無いときや、問題が極端に難しい時、そちらの方が絶対に有利なはずなのだと思うのです。
◇
イサーン料理はおいしいですよ! タイは南部・東部・北部・東北部と分かれていて、タイの中で東北部が一番大きいのです。 でも東北地方は差別されている地域で東北人はいつもバカにされてます。 ですがタイ料理って言われているものの半数以上は東北料理でもあるんですよね...。
こないだ横浜でタイフェスティバルっていうのをやっているのを見つけました。
「東北料理」って書いてある店がいっぱいあったので、へーと思ってあちこち探して回ったんですが見てみたら「お前、明らかに東北人じゃねーだろ!」っていう感じの人が「お前! 明らかに、いままで作ったことねーだろ!」っていう感じの東北料理を出していたことに気がついてしまいました。東北人を求めてあちこち探して歩いたんですがいませんでした。 貧困の多いといわれている東北の人がこうして外国にいることは非常に珍しいことでもあるので、仕方が無いことなのですが、どこもそんな「いんちき東北料理」でちょっとがっかりでした。
でもそういう中にも稀にリアルイサーン料理が出てくる店もあると聞くので、まだあきらめてません。
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なかさん、 2007年10月27日 04:52
心に染み入ります。
何だか、お酒を飲みながら読みたくなる文ですよね。
おかあつさんが、mixi断食している間、おかあつさんの日記の更新がみれない禁断症状に陥ってましたが、暇な時でも更新があれば嬉しいなと思っております。くれくればかりで申し訳ないのですが。
でも、再びエネルギッシュな日記が読めて、ホッとしております。
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お返事:
何かすみません... そういっていただけて嬉しく思いました。(^-^)
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さいさん 2007年10月27日 07:02
>... つか、たとえ4日mixi断食しても、1日でこれだけ長い日記書けば、おなじだっつーの。
超ウケタ!
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お返事:
はいそこ! うるさいよ! (^-^)
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彩智さん 2007年10月27日 13:56
おかあっちゃんのペースでゴーゴー★
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お返事:
おけー(^-^)/
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bobcatさん 2007年10月28日 00:07
リアルでもネット上でも議論は苦手です。理由? 勝てへんからですσ(^◇^;)
「それはちゃうで!」ってことはあっても…絶対的に正しいなんてことないと思うの,日本は一神教の国とちゃうから。
とはゆーものの,自分が正しいと思うことは,最後の一人になっても曲げません(小学校の頃からそーだった)。
ただ,それを人に押しつけるようなことはしません。
自分が正しいと思てることでも,それが他人にあてはまることではないと思うから。
以前 ダンナに言われたことがあります。
「おまえがAやと思てゆーてることでも,聞いてる方はBやと思てることがある。Aやと聞いてくれるのは,アタマのやわらかいヤツか(おまえとしゃべるのに)慣れてるヤツや」
まわりの人間の反応を考えてみると…思い当たること多数だったりします。
幼稚園の頃から,やることなすことまわりから浮いてたので
「人並み」なことはやらないようにしています,そのほうがなんでもうまくいくので。
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お返事:
誰かが1+1は3だ。って言ったとき、 それを「なるほど。そういう考え方もある」って言い返すときと「それは間違っている」っていうときとあると思うんです。
それは間違っているって言う場合、そもそも、その人が1と思っているもののひとつは本当は自分にとって2かもしれないし、そもそも+と言っているものの意味がそもそも自分と違うかもしれない。 そういうことを話し合って考えてから、なるほど!と合意するっていうのが来ると思うんです。
慣れてくると討論するまでも無くほとんどの場合で「なるほどそういう考え方もある」に該当できるようになってくるんだと思います。
ところが、逆の立場で、自分が1+1=4だって言っているとき、「なるほどそういう考え方もある」に該当させる能力をまだ持たない人が相手の時、問題となってくるんだと思います。 自分が言っている1が実は2なのだということを説明しても聞いてくれない人、そもそもわかろうともしてない人が相手の時、困るわけなんですよね。
自分がそういう理解の手順を踏むのは当然として、相手が、この手順を知っている人じゃないと、ふたたび「お前はわかっとらん!」「わかっとらんのはおまえじゃー」の渦に巻き込まれてしまう危険があるのだと思います。ここがとても難しいところなのだと思いました。
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fugaさん 2007年10月28日 01:32
ジャコビさんのおっしゃる「誰も自分の考えを聞いちゃいない」という国語の試験は私も「出題者は何を答えてほしいのか」について考えるようになってからずいぶん成績が上がりましたw。当時は自分の意見を通すよりも内申書の評価を上げるためとか受験に合格するためだと自分に納得させるように先の目的を考えてとった行動ですが、一歩間違えると常に自分に嘘をついて生きることにもつながるので未だに腑に落ちません。
軍人が盲目的に命令を実行するように教育しないと「なんでこの人を殺さなきゃいけないの」とまともに考えたりして軍は機能しないのは論理的に納得できますが、ここでも国民を「機械」として考えてる国家の実像がうかがえますよね。統治するにはその方が反乱も起きずに便利でしょうが、「臨機応変」をいつまでも身につけずに放っておくといつか必ず取り返しのつかない状況に追い込まれるような気がします。
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お返事:
(なんか反応の仕方がずれててすみません)
日本人ってみんな違っているって思っているかな...。 僕はそうは思っていないと思うなぁ...。逆にみんな同じだと思っているんじゃないかなぁ....。みんなホントはひとりひとり違うのに。 同じだと思っているから自分の言った事がみんなに通じるのが当たり前だと思って文章を書いてる。でもそれは幻想だし、だから誰が読んでも意味がわからない。
でも何かを感じて何かを伝えようとしている。
日本人って何かが変わらなければ日本人自身が辛いと思う。 どうすればいいのかとよく考える。 でもそれはきっと「こうしよう」って変えられて変わるんじゃなくて、何か大きな環境の変化が起こって自然に変わるんだろうなと思う。
日本って鏡が無い小部屋みたいなものじゃないかとよく思う。 日本人はみんなその小さな部屋に住んでいる。 鏡が無いからみな自分自身がどういう容姿をしているのか知らない。 自分を見たことが無いからみんな自分だけはおかしくないと思っている。 そのくせ、他人のことはすごくおかしいと思っている。 でも、みんなそうは思っても何もいえない。いえるわけはない。 ケンカになるから。
そんななかに、鏡さえ置いてあればみんなが自分で自分自身の姿を見て、おかしく無いように気をつけるようになるんじゃないだろうか...。
そんなことをたまに思っています。
そういえば、
http://d.hatena.ne.jp/lovecall/20060509/p1
ちょっとまえ、これがすごく話題になってました この人自身、みんな同じだと思っているから、それが文章に出ちゃっているけど。 例えば、僕はこの文章で言われるようなmixi利用者とは違うし。 でも、実体験に基づいているので書いてあることに間違いがないと思うのです。 鹿島茂が書いたことよりはずっと鋭い点を突いていると思うのです。 鹿島茂の話は、僕の実感と異なるし、あまり実体験に裏付けられた感じがしなかったからです。
考えてみれば、鹿島茂自身、みんな同じという事を前提に文章を書いていないだろうか。 それなのにそのことに気がつきもせず、みんな違うと思っていると書いている。 なんだかとっても、なんというか日本人の深い矛盾を感じてしまいました。
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今回の日記はこれで終わりです。 長い。長いです。 最大の長さを更新した前回の日記を上回ってます。 書く時間も3倍ぐらいかかってしまいました。 何か mixi断食を始めてから 日記が巨大化の一途をたどっていますが、どうなっちゃうんでしょうか。 僕もよくわかりません。
僕は地球儀から滑り落ちて海に落ちてしまった。 海は暗くて深かった。 同じように何故かそこに居たくなかった。 深い海のそこから何が出てくるのかを考えると怖かったけど、それでいながら、それがたまらなく好きであるように魅せられている様な状態だった。
何だか変な夢だった。
朝起きたら、保険料の督促状が来ていた。 見てみたら1996年の未払い分で月5万円も請求されていた。 見たら僕は何か一気に動揺してしまった。
1996年というのは、僕が2年間の新聞配達の勤めを終えて、アメリカの大学へ留学する準備として奨学金を使って三ヶ月語学研修に行った年だなのだ。 入学許可を取得したが、直後に身辺のトラブルが深刻化し経済的な限界を思い知って断念した。 そんななか仕事を探している時期だった。
職探しは難航した。 当時中卒で23歳だった僕に社会は甘くなく、10件以上会社を回った事を覚えてる。 中には「6年間もブラブラ何やってたんだ!」と罵られて帰ってきたこともあった。 今となっては、そんな三流ソフトハウスの就職なんかこちらからお断りだが、当時はそういう扱いをされることが非常に屈辱的で、今でも忘れられない強い屈辱感があった。
今であればそういうことは無いだろうと思う。 英語もある程度話せるようになっているし、タイ語はかなり問題が無いレベルまで磨けた。 ラオス語やロシア語もちょっと知っている。 これは、これが僕にとってどういう価値を持っているかとは無関係に、人に、えばれるという効能がある。 バカみたいなことだけど、これは案外大切だ。
当時は英語も(今考えれば結構話せていたのだけど)上手じゃなかったし、そのほかの特技も無かった。 ただ単に小学校の時からプログラミングをやっていたので仕事として出来る事だけは知っていた。 その時、僕は、初めて、日本社会で一般的に使われている「僕はプログラミングが出来ます」という言葉の意味を知った。 そんなことをいっていても、みんなド初心者なのだ。 当時、僕がいう「プログラミングが苦手です」という言葉の意味は「コンパイラが無いとドライバは書けません」とかそういう感じのことを本気で思っていた。(=コンパイラなしでドライバを書くのはかなり一般的には高等な技術だが、僕がプログラミングの修行をしていた80年代、世のプログラマは非常にレベルが高くこれをよくこなしていた。) 僕の中ではそれは出来て当たり前だった。それが出来ない事に引け目を感じてすらいた。
しかしこの感覚が世の中の一般とは随分かけ離れていたことを知らなかった。一般的には「プログラムが組めます」といっても「ピッ」と音を出すだけの超お手軽プログラムであることは珍しくなかった。 そんななか、僕が「プログラミングできます」と言っても、誰も信用するはずが無い。 しかも経験が無かったので、僕自身その能力に自身が持てない状態だった。 知識で押されると脆かった。
学歴も中卒だし経験も無い。 これが武器が無いという状態なのだと思う。 僕はこういう状態で何の身よりも無く社会に放り出されてしまった状態だった。 でもまぁ苦労というのは、努力次第で、どうにでもなるものだ。 でも、努力でどうにもならないものがある。他人との差だ。 無神経に比較されることで屈辱的な思いをすることは少なくなかった。 大変な努力をこなしているのに「怠け者」とか「無能」とかいわれる屈辱というのは、簡単に忘れられるものではない。 そういう状態で次々に義務(仕事だけじゃなくて他にも色々ある)ばかりが課せられていく不条理というのは、筆舌に尽くしがたいものが合った。
原因ははっきりしていて詳しい説明は省くけど両親の問題だった。 それについて両親は言い逃れ出来ないはずなのだけど、それを両親に話しても両親はその事実を直視出来ない。 もちろん他人に話しても理解されず、僕はとても孤独だった。
話が長くなったけど、1996年という数字を見てそういう心の奥底で渦巻いていたものが一気に爆発してしまった。 久しぶりに激怒してしまった。 フラッシュバックっていう言葉があるけど、それみたいだった。 もうとっくの昔に解決済みの問題で現状まっったく何にも困って無いのに、今まさにその問題の真っ只中で問題が起こっているような錯覚をしてしまったのだ。
それで、無意味に母親に当たってしまった。 後悔しているのだけど、ほとんどトラウマの様になっていて、自分でもこういう衝動を抑えられない。 ま、確かに、もともとの熱くなり易い性格も重なっているのはあるけど、これはこれでひとつの事実なのだ。 でも母親はやっぱり今でもそういう現実を直視できないのでそれが態度に出てしまう。 そういう態度は僕の苛立ちをエスカレートさせてしまうのだった。
ちなみに区役所に行って聞いたら、96というのは年号でなくただ単に通し番号だったようで、僕は単に読み間違えただけだったみたいだった。 それはともかく、タイに行ってノンキに「いやーもうそんなことも忘れたなー。 でも忘れないようにしないとなー」とか思っていたのだけど、とんでもなくて、僕はそういう悔しさを全然忘れてなかった。
そういう衝動が僕の行動力の元になっているから、それは大切なことでもあるとは思っている。 だけど、そのパワーが身の回りに居る人や、自分自身に向かってしまうと、大変なことになってしまう。
そんなことを思っていたら今日も何か変な夢を見た。
◇
何か昭和50年代の夜の街の様なところにいる。 木造の民家がたくさん立ち並んでいる。 その中を細い路地が縫うように通っている。 路地は舗装されてなくて砂砂利や小石が転がっている。 そんな中を民家すれすれに都電が走っていて、僕は都電に乗って移動していた。
今日は月食の日だった。 月がどんどん色が変わっていく。 月は何故かものすごく巨大に見えた。空の半分を占めるほど大きな月は、どんどん色が変わり欠けていった。 僕はガススタンド前の横断歩道の前に立って、電柱や木造家屋の立ち並ぶ向こうに浮かぶ月食の月を、回りにいた昭和50年代風の古い服装をした人たちと一緒に眺めていた。
何か不思議な夢だった。
◇
このところ、僕が作ったシステム内で基盤として使う予定の検索用コマンド演算子の設計をしているところで、これが、ダイクストラの変換アルゴリズムとか 結合法則・優先順位とかそういう難しい理論を睨みつつ、新しいアイデアの創出がすごく必要なことで、結構辛い。
ドラえもんに出てくる漫画家「フニャコフニャオ※」の様な状態になってくる。 つまり、いったん頭の中のアイデア箱の出口が詰まってしまうと、非常に苦しい思いをする。 苦しいのでゲームとか散歩とかしていると、人からは遊んでいると思われてしまう。 とかそんな感じで、そもそも好きで始めたことではあるけれど、結構ストレスがたまる。
※フニャコフニャオ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411652094
母親からは「すこし気分転換が必要なんじゃないか」と言われた。 そうかもしれないな、と思ってきた。 気分転換に外国に行こうか... どこか外国に行こうと思えば行ける... のだけど、僕が作ったシステムがせめて個人用のブログシステムぐらいにはなってくれないと、気持ちが落ち着かない。 せめてそれまでは...。
◇
でもこの二~三日ずっと悩んでいた事に、答えらしいものを見つけることが出来た。今日の朝型のことだ。 これで今まで持っていた問題を解決するだけでなく、これからの機能追加も楽になりそうだった。 ちょっと気が楽になった。
... だけど、この後には、ふたたび、まだ知らない、まだ見たことが無い、新しい問題が山積しているのは間違いが無く、結果的だけをみちゃうと、結局いつもいつも、書いていることは「頑張ろう」になるんだろうなと思う。
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========== お た よ り コ ー ナ ー ============
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前回の日記にたくさんコメントを頂き、ありがとうございます!
いつもコメントの返事書かなくてすみません。
でも、いつも読んで励まされてます!
ホントありがとうございます!
今回は趣向を変えて、コメントに直接返事を書かずに
以下の様に別途コーナーを設けてみました!
前回の日記:間違ってるのはお前だ!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=604538367&owner_id=459989
では始めます!
コメント:
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ジャコビさん 2007年10月27日 01:54
日本の学校制度は、もともと兵隊を養成する為の制度として作られた、という話を聞いた事があります。本当かどうかは知りませんが、妙に納得してしまいました。
記述問題の答えがあらかじめ用意されている、というのは、経験として知っています。中学生の頃「~について、自分の考えを述べなさい」というのに、自分の考えを率直に述べたら、原点されたのです。腑に落ちず、先生に何故減点されたのか聞いた所、原点の理由は文章の下手さや理論の進め方ではなく、私の考え方が正しくないという事でした。
アメリカの記述試験では、「~について、自分の考えを述べなさい」という出題の仕方はせず「~の正当性を説明しなさい」という質問の仕方をしていたと思います。最初の頃は自分の本当に正しいと思っていない事の正当性は説明でない、と不満でしたが、よく考えてみると正しい出題の仕方です。
もう一つ、アメリカで学生の頃日本との違いとしてショックを受けたのは、算数の教え方に日本とアメリカではとても大きな差があるという事です。日本では、9x9などを丸暗記させるやり方を取りますが、アメリカではそれを全くやらず、何故3x4が12になるのか図や言葉で理論的に延々と小学生に教えて行くのです。結果的に、アメリカ人の学生は計算が遅くなるのですが、理論的にものを考えるというやり方は培われて行きます。
最近、近所にあるタイレストランの一つがイサーン料理のレストランだと発見しました。未だに行った事はないのですが、今度試してみますね。
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お返事:
> アメリカの記述試験では、「~について、自分の考えを述べなさい」という出題の仕方はせず「~の正当性を説明しなさい」という質問の仕方をしていたと思います。
ここのところがすごくショックでした。 そういえば、ディベートも自分の意見とは無関係に賛成反対に分かれて正当性を説明する練習でした。 つまり論理力の訓練なんですよね...。 そこに自分の意見というプライドを賭けるからこそエキサイトできるっていうことはあると思うのですが、それとは無関係に単に論理力をつける一つの方法なんですよね。
ところで、僕は「ご冗談でしょうファインマンさん」 という本がものすごく好きなんです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4006030053/
http://www.amazon.co.jp/dp/4006030290/
http://www.amazon.com/dp/0393316041
この本には、考える事の大切さというエッセンスがぎっしり詰まっているように思うからです。
ジャコビさんの話を読んで、この本に出てくる話で、ソロバンの達人と暗算対決する話が出てきたのことを思い出しました。 どんな計算も暗算で高速に計算してみせると豪語しているファインマンに、日本人のソロバンの達人が挑むという話でした。
ここでファインマンは快勝したのですが、このときファインマンが「彼はうかつにも、問題が難しくなればなるほど僕が有利になる事に気がついてなかった」って言っていたのが印象的でした。 ソロバンの達人は算術で計算していたけども、ファインマンは 知っている限りの数の性質を駆使して、出来るだけ楽に計算する方法を考えて計算していたんだそうです。
最後にソロバンの達人が出した超難問は、偶然ファインマンの知っている数に関係した数字で、勝てたのは偶然だったのだそうです。 ところが勝負の後、その数がファインマンにとっていかに幸運だったのか、ソロバンの達人に説明しても全く理解できなかったという話でした。
考えれば時間がかかるはずなのです。 答えを教えてもらえばすぐにわかるはずなのです。 でもそこをあえて自分で考える。 そうしてれいば、答えが無いときや、問題が極端に難しい時、そちらの方が絶対に有利なはずなのだと思うのです。
◇
イサーン料理はおいしいですよ! タイは南部・東部・北部・東北部と分かれていて、タイの中で東北部が一番大きいのです。 でも東北地方は差別されている地域で東北人はいつもバカにされてます。 ですがタイ料理って言われているものの半数以上は東北料理でもあるんですよね...。
こないだ横浜でタイフェスティバルっていうのをやっているのを見つけました。
「東北料理」って書いてある店がいっぱいあったので、へーと思ってあちこち探して回ったんですが見てみたら「お前、明らかに東北人じゃねーだろ!」っていう感じの人が「お前! 明らかに、いままで作ったことねーだろ!」っていう感じの東北料理を出していたことに気がついてしまいました。東北人を求めてあちこち探して歩いたんですがいませんでした。 貧困の多いといわれている東北の人がこうして外国にいることは非常に珍しいことでもあるので、仕方が無いことなのですが、どこもそんな「いんちき東北料理」でちょっとがっかりでした。
でもそういう中にも稀にリアルイサーン料理が出てくる店もあると聞くので、まだあきらめてません。
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なかさん、 2007年10月27日 04:52
心に染み入ります。
何だか、お酒を飲みながら読みたくなる文ですよね。
おかあつさんが、mixi断食している間、おかあつさんの日記の更新がみれない禁断症状に陥ってましたが、暇な時でも更新があれば嬉しいなと思っております。くれくればかりで申し訳ないのですが。
でも、再びエネルギッシュな日記が読めて、ホッとしております。
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お返事:
何かすみません... そういっていただけて嬉しく思いました。(^-^)
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さいさん 2007年10月27日 07:02
>... つか、たとえ4日mixi断食しても、1日でこれだけ長い日記書けば、おなじだっつーの。
超ウケタ!
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お返事:
はいそこ! うるさいよ! (^-^)
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彩智さん 2007年10月27日 13:56
おかあっちゃんのペースでゴーゴー★
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お返事:
おけー(^-^)/
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bobcatさん 2007年10月28日 00:07
リアルでもネット上でも議論は苦手です。理由? 勝てへんからですσ(^◇^;)
「それはちゃうで!」ってことはあっても…絶対的に正しいなんてことないと思うの,日本は一神教の国とちゃうから。
とはゆーものの,自分が正しいと思うことは,最後の一人になっても曲げません(小学校の頃からそーだった)。
ただ,それを人に押しつけるようなことはしません。
自分が正しいと思てることでも,それが他人にあてはまることではないと思うから。
以前 ダンナに言われたことがあります。
「おまえがAやと思てゆーてることでも,聞いてる方はBやと思てることがある。Aやと聞いてくれるのは,アタマのやわらかいヤツか(おまえとしゃべるのに)慣れてるヤツや」
まわりの人間の反応を考えてみると…思い当たること多数だったりします。
幼稚園の頃から,やることなすことまわりから浮いてたので
「人並み」なことはやらないようにしています,そのほうがなんでもうまくいくので。
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お返事:
誰かが1+1は3だ。って言ったとき、 それを「なるほど。そういう考え方もある」って言い返すときと「それは間違っている」っていうときとあると思うんです。
それは間違っているって言う場合、そもそも、その人が1と思っているもののひとつは本当は自分にとって2かもしれないし、そもそも+と言っているものの意味がそもそも自分と違うかもしれない。 そういうことを話し合って考えてから、なるほど!と合意するっていうのが来ると思うんです。
慣れてくると討論するまでも無くほとんどの場合で「なるほどそういう考え方もある」に該当できるようになってくるんだと思います。
ところが、逆の立場で、自分が1+1=4だって言っているとき、「なるほどそういう考え方もある」に該当させる能力をまだ持たない人が相手の時、問題となってくるんだと思います。 自分が言っている1が実は2なのだということを説明しても聞いてくれない人、そもそもわかろうともしてない人が相手の時、困るわけなんですよね。
自分がそういう理解の手順を踏むのは当然として、相手が、この手順を知っている人じゃないと、ふたたび「お前はわかっとらん!」「わかっとらんのはおまえじゃー」の渦に巻き込まれてしまう危険があるのだと思います。ここがとても難しいところなのだと思いました。
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fugaさん 2007年10月28日 01:32
ジャコビさんのおっしゃる「誰も自分の考えを聞いちゃいない」という国語の試験は私も「出題者は何を答えてほしいのか」について考えるようになってからずいぶん成績が上がりましたw。当時は自分の意見を通すよりも内申書の評価を上げるためとか受験に合格するためだと自分に納得させるように先の目的を考えてとった行動ですが、一歩間違えると常に自分に嘘をついて生きることにもつながるので未だに腑に落ちません。
軍人が盲目的に命令を実行するように教育しないと「なんでこの人を殺さなきゃいけないの」とまともに考えたりして軍は機能しないのは論理的に納得できますが、ここでも国民を「機械」として考えてる国家の実像がうかがえますよね。統治するにはその方が反乱も起きずに便利でしょうが、「臨機応変」をいつまでも身につけずに放っておくといつか必ず取り返しのつかない状況に追い込まれるような気がします。
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お返事:
(なんか反応の仕方がずれててすみません)
日本人ってみんな違っているって思っているかな...。 僕はそうは思っていないと思うなぁ...。逆にみんな同じだと思っているんじゃないかなぁ....。みんなホントはひとりひとり違うのに。 同じだと思っているから自分の言った事がみんなに通じるのが当たり前だと思って文章を書いてる。でもそれは幻想だし、だから誰が読んでも意味がわからない。
でも何かを感じて何かを伝えようとしている。
日本人って何かが変わらなければ日本人自身が辛いと思う。 どうすればいいのかとよく考える。 でもそれはきっと「こうしよう」って変えられて変わるんじゃなくて、何か大きな環境の変化が起こって自然に変わるんだろうなと思う。
日本って鏡が無い小部屋みたいなものじゃないかとよく思う。 日本人はみんなその小さな部屋に住んでいる。 鏡が無いからみな自分自身がどういう容姿をしているのか知らない。 自分を見たことが無いからみんな自分だけはおかしくないと思っている。 そのくせ、他人のことはすごくおかしいと思っている。 でも、みんなそうは思っても何もいえない。いえるわけはない。 ケンカになるから。
そんななかに、鏡さえ置いてあればみんなが自分で自分自身の姿を見て、おかしく無いように気をつけるようになるんじゃないだろうか...。
そんなことをたまに思っています。
そういえば、
http://d.hatena.ne.jp/lovecall/20060509/p1
ちょっとまえ、これがすごく話題になってました この人自身、みんな同じだと思っているから、それが文章に出ちゃっているけど。 例えば、僕はこの文章で言われるようなmixi利用者とは違うし。 でも、実体験に基づいているので書いてあることに間違いがないと思うのです。 鹿島茂が書いたことよりはずっと鋭い点を突いていると思うのです。 鹿島茂の話は、僕の実感と異なるし、あまり実体験に裏付けられた感じがしなかったからです。
考えてみれば、鹿島茂自身、みんな同じという事を前提に文章を書いていないだろうか。 それなのにそのことに気がつきもせず、みんな違うと思っていると書いている。 なんだかとっても、なんというか日本人の深い矛盾を感じてしまいました。
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今回の日記はこれで終わりです。 長い。長いです。 最大の長さを更新した前回の日記を上回ってます。 書く時間も3倍ぐらいかかってしまいました。 何か mixi断食を始めてから 日記が巨大化の一途をたどっていますが、どうなっちゃうんでしょうか。 僕もよくわかりません。
コメント一覧
退会したユーザー 2007年10月31日 18:45
そうやって自分の中で何かの糸口を探したり、考える時期なのでしょう。
たぶんね。
たぶんね。
さい 2007年10月31日 20:48
でも今日のは長さを感じなかった。
リズムがあった。
リズムがあった。
けめ 2007年10月31日 22:40
多分、ずっとおかあつさんが考えていらっしゃる部分で
おたよりコーナーで触れられてる「日本人」についてですが
どうやってこの国が成り立ち、こうして日本人が出来上がって行ったかを少し調べると
目から鱗でポロポロと見えてくる部分があります。
また、日本は、本当の歴史を国家包みで隠したまま、例えば今の歴史の教科書などが出来てるので、実際に私がお伝えしたいような歴史の本質というものは「ほんとうかうそか」も分からないんですが、まぁ・・・少し底の部分を知ることで現状なぜこうなったかの考察に役立つと思いますよ。
私は、ご先祖様が苦労して作ったこの国を大切にしたい一人です。
「ご先祖様リスペクト」ってゆってます(笑
だから、おかあつさんが仰ってる今を非常に歯がゆく思っています。
真実に触れる努力を、日本人が日本人でよかった、と思っていない限りは、今の国民性からの脱却は出来ません。
とても、抽象的なコメントになってしまってますが、
ご興味あれば、お話します^^
おたよりコーナーで触れられてる「日本人」についてですが
どうやってこの国が成り立ち、こうして日本人が出来上がって行ったかを少し調べると
目から鱗でポロポロと見えてくる部分があります。
また、日本は、本当の歴史を国家包みで隠したまま、例えば今の歴史の教科書などが出来てるので、実際に私がお伝えしたいような歴史の本質というものは「ほんとうかうそか」も分からないんですが、まぁ・・・少し底の部分を知ることで現状なぜこうなったかの考察に役立つと思いますよ。
私は、ご先祖様が苦労して作ったこの国を大切にしたい一人です。
「ご先祖様リスペクト」ってゆってます(笑
だから、おかあつさんが仰ってる今を非常に歯がゆく思っています。
真実に触れる努力を、日本人が日本人でよかった、と思っていない限りは、今の国民性からの脱却は出来ません。
とても、抽象的なコメントになってしまってますが、
ご興味あれば、お話します^^
ジャコビ 2007年10月31日 23:17
なんだかんだ言って、おかあつさんは自分が何をしたいのかを知っている、またはやりたい事ができている数少ない一人ですね。様々な理由から、本当にやりたかった事を断念したり、自分が何がやりたいのかさえ分からない人も大勢いると思います。
そういう生活には高いリスクがつきまとうけれど、それができる人は幸せ者だと思います。
そういう生活には高いリスクがつきまとうけれど、それができる人は幸せ者だと思います。