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2007年10月27日土曜日

間違ってるのはお前だ! (mixi05-u459989-200710270102)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
間違ってるのはお前だ!
2007年10月27日01:02
mixi断食をして3~4日経ったけど、その間、色々な事を思った。
言葉で説明しても何の意味もないんだよね。



こないだ新聞で全国学力試験の県別成績が公表されたことが話題になってた。「成績は高いが記述・応用が苦手な現代の若者」っていうようなことが書いてあった。 おいおいって思った。 だって、それは若者に限らないじゃん。 それはそのまま日本人の国民性そのままじゃねーか、と思った。

だいたい応用というものには、ただ一つだけの答えというものはない。 大人が「答えはxxxです。」って考えてそれと違う答えを出したものを減点する試験をやっている限り、1万年以上続けても、応用力なんかつきっこないのではないだろうか。

記述だってそうだ。 みんなが同じことを考えている、違うことを考えると非常識だといって取り合わない社会のなかでは、記述する必要はない。 みんなが違うことを違うように考えているからこそ記述する必要があるわけなのに。 でも違うことを考えると減点されてしまうわけだから、普通の感覚の持ち主なら、何故記述しなければいけないのか考え込んでしまうだろう。


世界中どこにいったって日本人の成績はトップクラスだ。 前、こういうことがあった。以前、アメリカで英語の集中講座を受けた時のこと、クラス分けの文法テストをうけた。そこには僕以外にも日本人がいっぱいいたが、日本人軍団はいつも成績トップなので、一番難しいクラスにめでたく編入する。 ここで、文法テストの結果がボロボロのドイツ人やイタリア人と教室を共にする。 しかし、へたくそな英語とはうらはらに、高度に研ぎ澄まされた彼らのコミュニケーション力には全く歯が立たず、当然、翻弄されまくる。 こうして好成績の日本人軍団は、幼稚園児の様なレベルのクラスに自ら落としてもらうのだ。

日本人というのは、機械的な処理能力に関しては、ずば抜けて高い場合が多い。ところが、そこに何かが足りないのだ。



僕は、こうやって日本人を見ていて思う欠点・問題点の全ては、コミュニケーション能力が低いことが原因なんじゃないかって最近思うようになってきた。

MIXIを見ていても思う。 WIKIを読んでいても思う。 ブログを読んでいても思う。 ニュースを見ていても思う。 ボクシングの亀田の騒ぎの話を見ていても思う。 何を見ていても思う。 特にこうやってマスコミュニケーションが一般庶民のレベルまで広がってきた現代ニッポンでは特にその傾向が強く目立つようになって来た気がする。

日本人の欠点って何か。 端的に言うと、ディベート・ディスカッションが出来ないことだ。

いや、ちょっと待って欲しい。単純にディベート・ディスカッションが出来ないということを言っているのではないのだ。 もちろん、人付き合いが苦手とか、声が小さいとか、話ベタとか、引っ込み思案とか、説明が下手でとかそういう話とは全く違う。 そういう意味で行くと、ディベート・ディスカッションが出来ない人は、僕のマイミクにはいない。 ではどういうことだろうか。



僕がいつも討論をしていて「グッ」と詰まってしまう言葉の一つに次のものがある。

「あなたが ○○って言っていたのは、これこれこういう理由でおかしいでしょ?」といった時の
「いや、おかしいのはキミだろ。」 という言葉。

僕は、論理的にみてこの「むしろおかしいのはキミだ」 という反論は正当だと思う。なぜなら、誰もが自分自身が正しい事を証明できないからだ。 自分が自分の考え方で自分を判断した時、自分が間違っている事は自分自身では証明できない。 これは絶対に避けようがない。

だから、この返答の仕方は色々と応用が利く。

「あなたが、○○って言っていたのは、わかっていない証拠でしょ?」
「そうやって言っている時点でキミは僕の言っていることがわかっていない。」

そういえば、前 こういう記事をコミュに書いた事があった。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=18209313&comm_id=987254

これは、冗談みたいだけど、本当にある。

だからこそ「間違っているのはお前だ」と言い返すと、何も言い返せない。 いや、ちゃんと言い返せるんだけど、矛盾なくきちんと説明するのは難しく、どうしても長くなる。 この返答に短く言い返すことは案外難しい。 「いや、間違っているのはお前の方だ!」と言い返す以外には。

だからこそ「間違っているのはお前だ」というのは、話し合いをする時の反則技なのだと思う。 会話が成り立たなくなるからだ。



では、何故反則技を使ってはいけないのだろうか。ここで、はたと気がつく。 これを説明するのは容易じゃない。

僕は日本以外を知っていて「間違っているのはお前だ」をいってしまうとコミュニケーションが成り立たなくなってしまうのを経験的に知っているからこそ、言ってはいけないということを知っている。 それを言ってしまうと、話が始まらなくなるという事を知っている。 何故それがいけないのかを理解しているわけではない。

しかし、仮に僕がそれを理解していたところで、相手に説明する事は不可能なのだ。

「これこれしかじか・・・・・・こういうわけで、『間違っているのはお前だ』っていうのは、すごく良くない事なんだよ」
「いや、おかしいのはキミだろ。」

「これこれしかじか・・・・・・こういうわけで、『間違っているのはお前だ』っていうのは、すごく良くない事なんだよ」
「いや、そういう風に言っている時点で俺が言っていることが理解できてない」

他人に「外部」があるという事を説明するのは論理的に無理なのだ。 だからこそ、人間にとって、全く違う考え方の人と出会うということは、極めて重要な事なのだと僕は思う。

日本はこの点、極めて特殊じゃないだろうか。 みんなが同じ公立の学校へ通い、同じテレビを見て、同じような家族がいて、同じ教科書を読み、ほぼ同じ民族で、ほぼ同じ文化背景を持っているからだ。 テレビを見ていると、まるで赤ん坊をあやすようだな... って思う事がある。 それは、なぜかというと、見ている人の見たいという欲求を極めて細かい点まで予想して先取りして見せてしまうからだ。 こうやって、何も言わなくても、何も要求しなくても、黙っていても、確実に見たいものを見せてくれる文化のなかで、日本人のコミュニケーション力はどんどん落ちていくんじゃないかと思う。

だから、自分に関する情報を説明する事に慣れない。 また、人から説明されても聞けない。

日本人の欠点をディベート・ディスカッションが出来ない、と最初書いた。 それはつまり、自分以外にも考え方があるという事実を知っているか知らないかという事なのかもしれない。 それは話術・人付き合いのうまさ・その他とはほとんど関係がない。



日本人って何故勝ち負けにこだわるんだろう。殊に芸術とか学問とか知的なことに関しては、勝ち負けにこだわるのは、よくない。

僕は勝ち負けにほとんど拘らない。 それをより深く知りより深く考える事が目的なわけで、他の人よりも優れているか劣っているかは重要じゃない。 だから知らなければ素直に知らないといえばいいし、知っていれば素直に教えてあげればよいと思う。

何故その問題についてだけ考えてはいけないんだろうか。

「1+1は2なんです」
「ちげーよ、お前、マジで何もわかってないな。話にならねーよ。」

「1+1は2だよ」
「それはキミの考えで、僕には僕の考え方がある。何故自分の考えを押し付けるの?」

「1+1は2だよ」
「何故そうやって指図するわけ?」

「1+1は2だよ」
「あんた、何様のつもり?別に知りたくないっていってるでしょ?」

「1+1は2だよ」
「あーあー俺は何も知りませんよ。悪かったね。」

「1+1は2だよ」
「お前は自己主張が強すぎる。」

「1+1は2だよ」
「わかってるよ。もっと大人になれよ。」

...

「1+1は2だよ」
「へー!知らなかった! じゃぁ2+2は?」

って素直にいいたいのだ。 僕は。

◇  ◇  ◇

僕も人のことは全然いえる立場じゃないけど、シロウトの文章というものがきっとあるんだなと最近思う。 文章力とか説明力とか... も確かにあるけど、そういうものじゃないと思う。それ以前の問題として、その文章の視点があるかないか、じゃないかと思う。

プロが書いた文章というのは、文がうまいとかそういう技術的なもの以前の問題として、何かの新しい直感というか発想というか... 視点というか... が感じられることが多い。 ちまたで文章を書いている人は、そこまで踏み込んでない人が多い。もちろんきちんとした文章を書くのはものすごく大変なことでもあるが、そんな視点というのは乱雑な文章でもにじみ出るものだ。

視点に欠いた文章を読むととても疲れる。 読んでいるうちに違和感が募っていくからだ。 ネットで文章を読んだり書いたりしていると、質の低い情報と出会う機会は極めて多い。 そういう文章とであうとその違和感を解消するため、思わず反論を書いてしまう。 こうしてどんどん時間と体力を消耗していく。 前述の理由により反論も通じないことが多い。 それでいいのだろうか。


でも、本当に正しい事は自分の中にあるはずなのだ。
あくまでも、それを表現する事が本当に必要な事じゃないだろうか。

多分、ネットで見かける全ての変な文章に反論を書く時間を総合すると、本当に自分が書く必要がある大切な文章を書く為の時間を大幅に上回っていると思う。 そういう中では、効率よく情報を選別する方法がとても大切だ。 しかしそれが技術的に難しいインターネット黎明期の現代では、思い切って情報を全部遮断してしまうのも、一つの方法なのではないだろうか。

.........

こうして ネット断食最高...って書いてしまったけど、でも、とはいえ、英語のホームページを見ると、すごくすっきりすることが多い。

http://blogs.sun.com/jag/entry/javame_is_not_dead

これは、コンピューター言語 JAVAの父にして、SUN MICROSYSTEMS の社長 James Gosling のブログで、今回 携帯JAVAについて記事を書いていたのについたコメントが炎上気味だ。 でもみんなすごく辛辣で批判的だけど、批判の的はきちっと得ていて読んでいて面白い。

WIKIも日本語版で (゜Д゜)ハ? とかなった時は、英語版で読むとすごく腑に落ちてすっきりする場合が多い。

日本語版は... なんというか視点がないことが多い。 知っているだけで考えてない。 考えている人は何も言えない=無意味な「お前はわかってない、い~や、わかってないのはお前だ」論争に巻き込まれる危険があるからだ。

それって まさに「成績は高いが記述・応用が苦手な現代の若者」と言っている日本の大人そのものじゃないか。



僕はあまり文章がうまくない。まぁ、こうやってだらだら書いているだけでは、いい文章なんか書けるわけない ... という説もあるけど、じゃぁ僕が文章がうまくなってmixiでビシっと文章を書いたら、何か問題が解決するのかといえば、多分何も解決しないということにもうすうす気がついてきた。 結局、行動するしかないわけで、結局僕は、今やらないといけないことをひたすらコツコツとやるしかないんだなと思う。

要するにプログラミングだ...。(-_-;

ようやく作業がHTTP上の実装部に入ってきた。 ここが出来上がれば、多少人に見せられるようになるとは思う ... だけどセキュリティー機能をつけなければいけないので、まだまだ先のことになりそうだ。

これを作るためには 小型のHTTPサーバーが必要なのだけど、これがなかなかいいのが見つからない。でも僕は持っているのだ。 2年前に全くのゼロから自分で書き上げた自作のコンポーネントがあるからだ。 小型で汎用性が高いが全く無名なこのコンポーネント。 それもそのはず、誰にも公開せずに自分ひとりで使ってるから。ね。

ずいぶん長い事歩いてきた。 こうしてひさしぶりに2年前の自分の作業を見ると、やって来た作業量の多さにびっくりする。 だけど、まだ終わらないので、頑張る。



mixi を止めてから ギターを弾く時間が増えた。 あまり上達しないけど、いつか落ち着いたらまたライブとか開きたいなといつも思ってる。 最近はウェスモンゴメリーばかり聞いていて、ウェスモンゴメリーのフレーズばかり練習している。 シンプルで奥が深い。 古くて新しい。

最近、どうやるとジャズっぽく聞こえるのかがはっきりと見えるようになってきた。 どうせ僕は所詮お座敷ギタリストで、たまに家で友達に演奏を聞かせる程度だけど、そんななかで、この「どうやるとジャズっぽく聞こえるのか」をうまくネタにする方法を思いついた。 それはどういうものかというと、誰かに手をたたいてもらって、その手をたたいた瞬間をそのジャズのキーとなるタイミングにあわせてアドリブを取るのだ。 それと間違ったタイミングにあわせて弾くのと比べて、その違いをまさに体感してもらう、というアイデアだ。 うまく行くかわからないけど、楽器が弾けなくても体感できるので面白そうだ。

ラオス語も勉強したい。 英語も勉強したい。 タイ語も磨きをかけないといけない。 あともう一ヶ国語ヨーロッパ系の言語を勉強したい。 あとロシア語も。

やりたいことが多すぎて収集がつかない。

とにかくこのシステムを書き上げる事が先決だ...。





... つか、たとえ4日mixi断食しても、1日でこれだけ長い日記書けば、おなじだっつーの。

コメント一覧
ジャコビ   2007年10月27日 01:54
日本の学校制度は、もともと兵隊を養成する為の制度として作られた、という話を聞いた事があります。本当かどうかは知りませんが、妙に納得してしまいました。

記述問題の答えがあらかじめ用意されている、というのは、経験として知っています。中学生の頃「~について、自分の考えを述べなさい」というのに、自分の考えを率直に述べたら、原点されたのです。腑に落ちず、先生に何故減点されたのか聞いた所、原点の理由は文章の下手さや理論の進め方ではなく、私の考え方が正しくないという事でした。

アメリカの記述試験では、「~について、自分の考えを述べなさい」という出題の仕方はせず「~の正当性を説明しなさい」という質問の仕方をしていたと思います。最初の頃は自分の本当に正しいと思っていない事の正当性は説明でない、と不満でしたが、よく考えてみると正しい出題の仕方です。

もう一つ、アメリカで学生の頃日本との違いとしてショックを受けたのは、算数の教え方に日本とアメリカではとても大きな差があるという事です。日本では、9x9などを丸暗記させるやり方を取りますが、アメリカではそれを全くやらず、何故3x4が12になるのか図や言葉で理論的に延々と小学生に教えて行くのです。結果的に、アメリカ人の学生は計算が遅くなるのですが、理論的にものを考えるというやり方は培われて行きます。


最近、近所にあるタイレストランの一つがイサーン料理のレストランだと発見しました。未だに行った事はないのですが、今度試してみますね。
なか   2007年10月27日 04:52
心に染み入ります。

何だか、お酒を飲みながら読みたくなる文ですよね。

おかあつさんが、mixi断食している間、おかあつさんの日記の更新がみれない禁断症状に陥ってましたが、暇な時でも更新があれば嬉しいなと思っております。くれくればかりで申し訳ないのですが。

でも、再びエネルギッシュな日記が読めて、ホッとしております。

さい   2007年10月27日 07:02
>... つか、たとえ4日mixi断食しても、1日でこれだけ長い日記書けば、おなじだっつーの。

超ウケタ!
退会したユーザー   2007年10月27日 13:56
おかあっちゃんのペースでゴーゴー★
bobcat   2007年10月28日 00:07
リアルでもネット上でも議論は苦手です。理由? 勝てへんからですσ(^◇^;)
「それはちゃうで!」ってことはあっても…絶対的に正しいなんてことないと思うの,日本は一神教の国とちゃうから。
とはゆーものの,自分が正しいと思うことは,最後の一人になっても曲げません(小学校の頃からそーだった)。
ただ,それを人に押しつけるようなことはしません。
自分が正しいと思てることでも,それが他人にあてはまることではないと思うから。
以前 ダンナに言われたことがあります。
「おまえがAやと思てゆーてることでも,聞いてる方はBやと思てることがある。Aやと聞いてくれるのは,アタマのやわらかいヤツか(おまえとしゃべるのに)慣れてるヤツや」
まわりの人間の反応を考えてみると…思い当たること多数だったりします。
幼稚園の頃から,やることなすことまわりから浮いてたので
「人並み」なことはやらないようにしています,そのほうがなんでもうまくいくので。



風我   2007年10月28日 01:32
ジャコビさんのおっしゃる「誰も自分の考えを聞いちゃいない」という国語の試験は私も「出題者は何を答えてほしいのか」について考えるようになってからずいぶん成績が上がりましたw。当時は自分の意見を通すよりも内申書の評価を上げるためとか受験に合格するためだと自分に納得させるように先の目的を考えてとった行動ですが、一歩間違えると常に自分に嘘をついて生きることにもつながるので未だに腑に落ちません。

軍人が盲目的に命令を実行するように教育しないと「なんでこの人を殺さなきゃいけないの」とまともに考えたりして軍は機能しないのは論理的に納得できますが、ここでも国民を「機械」として考えてる国家の実像がうかがえますよね。統治するにはその方が反乱も起きずに便利でしょうが、「臨機応変」をいつまでも身につけずに放っておくといつか必ず取り返しのつかない状況に追い込まれるような気がします。
 
出展 2007年10月27日01:02 『間違ってるのはお前だ!』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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