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2007年2月19日月曜日

聞いてどうする (mixi05-u459989-200702190226)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
聞いてどうする
2007年02月19日02:26
ケンカしている時、言い分を聞いていると、「聞いてどうする」ということを言われることがある。

「なんで、そんなに怒るのか。そんな怒らなくてもいいだろう。」という。 僕が怒るのは、キミが非常に間違ったことをしているからだ。

「何故間違っていると決め付けるのか。」
「それは、そのまま続ければ大問題になるからだ。」
「問題になるのは、こっちの勝手だ。」
「そうではない。 問題になれば、僕も大変なのだ。」
「じゃぁ助けてくれないでいい。」

そうしてくれ、といいたくなるが、そういう問題ではないのだ。 そうすれば、大変になるのはキミ独りじゃない。

「もう助けられるのなんか、ゴメンだ。」
「そうれもそうかもしれない。 だが、キミが間違っているということに気が付いてもいいのではないか。」
「そういう怒り方をするから聞けないのだ」
「だが、僕も、このことは何度も指摘した。一度や二度ではない。 僕も飽きてるし、我慢も限界に達してる。」


こういうことがあるたびに、丸一日つぶれる。

僕も暇人じゃない。 仕事をしなければいけないし、勉強しなければならない。 課題が沢山ある。 こんな事をして月に4日5日もつぶす時間もお金も無いのである。

相手は、タイ東北のイサーン人である以前に、子供だから仕方が無いのかもしれないが、僕も正直大分疲れてきた。

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聞いてあげたいが「聞いてどうする」と思う。 聞いたところで、問題は依然としてそのままだし、問題があれば、遅かれ早かれ、いずれ困るのだ。

困った時にどうするのかって。 今だって色々困ってるのに。

困らないように、色々助けてるのに、なんで、わざわざ問題を作るんだよ、っていいたくなる。


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タイ東北、イサーン人...か。

僕は、日本が嫌いだった。

何でかといえば、論理が通じないからだ。 「このまま行くとマズい」 とか「このやりかたはよくない」とか 「こっちのほうが遥かにいい方法だ」とか そういうことを、きちんと論理立て手説明しても、日本人の頭には、右の耳から入って、左の耳から出て行くのが常である。

とにかく、周りにいる人の顔を立てることを最優先に物事を運ぶ。 結果的に全体が大失敗の方向に進んでいるけども、それでいいのだ。 顔が立ったから。

間違ってるのに、みんながそうだから、直さない。僕は、そういう矛盾がだいっきらいなので、やりきれない。

僕は、これは、「中途半端なアジア」だと思っている。

ここでいうアジアというのは、人への心遣いを忘れない国という意味だ。 そういう意味で、タイは、「完全なアジア」だと思う。

タテマエもホンネもない。 問題を解決することが目的ではないのだ。 みんながサバイチャイ(気持ちがゆとりがあってのびのびしている事)である事が最優先なのだ。 だから、日本みたいな、ウラオモテが無い。 もとより、全部嘘なのである。

問題は、基本的に放置して、人を大切にする。

(この意味で、アジアでないというのは、気持ちよりも、合理論理を重んずる西洋的な事だと思う。)


---


なんとなく、暖かい国であればあるほど、そういう傾向が強い様な気がする。 食べ物が豊富で、問題を放置しても、抜き差しならないきわどい状況にはならないからではないかと思う。

タイでは、衣食住に困るという事は100%ない。 食べ物は、基本的にその辺にある。 台風も地震も無い。 服が無くても、裸で構わない。 暖かいから。 家が無くても、あたりで寝ればいい。

寒い国ではそうは行かない。 タイ流「サバイサバーイ」で行けば、そこに待っているのは確実な死である。 問題を放置する事は許されないのである。


タイ東北は、なんとなく、日本の東北と似ているところがあると良く思う。 東北弁も語尾が「だっちゃー」で終わる地域があるけど、タイ東北弁では、語尾が「なちゃー」で終わる。

でも、タイ東北は、暖かいが、日本の東北は、雪国である。 そこが大きく違う様な気がする。 だって、日本東北人は、タイ東北人のように、問題を放置したりはしない。


僕は、日本人である。 それに、今までも色々な問題を抱えて生きてきた。 だから、問題は、放置しない。

だけど、タイ人は、にもかかわらず、放置しようとする。 だが、放置すれば、後で困る。 だから、僕は放置したくないのだ。

ここが、タイ流の「気持ち」と「合理」の接点だと思う。


---


サイバイチャイ・マイペンラーイで、いけばいいけど、そうじゃないだろうって。 だって。 問題が起これば面倒見るの、僕なんだよ! ものすごいフラストレーションが溜まる。

しかも、一度や二度言っても、絶対覚えてないし...。

僕は、今までも、色々な問題を理解してきた。

しかし...。これは、理解できるんだろうか...。

僕も今まで色々な国際文化摩擦にあってきたけど「自滅」するのだけは、理解できない。

お金が無いのに、豪快に使っちゃう文化とか、問題があるのに放置する文化とか...。

勝手に自滅してくれるのは構わないのだが、巻き添えにするのは止めてくれ...。


---


もっとも、タイで、ポイントとなるのは、「言い方」であるらしい。 よくわからないが。 日本だと、問題があれば「ガツンと言ってやれ」となる。

だが、タイだと「ガツンという」と 100% 悪い結果を生む。 らしい。

僕は、これまで「気持ちを大切に、やさしくネ」 なんて、あまい状況で生きてなかったので、どんなに不利でも、どんなに不条理でも、どんなにむかついても、状況を受け入れるしかなかった。 その条件の中で問題を解決するべくベストを尽くすしかなかった。 だから、僕は、単刀直入。 甘やかさない。

というか、やさしく出来ないのだ。 優しく言ってグズられると、ハリ倒したくなってしまうのだ。 これは「死にたいなら死んでくれ式」である。 「僕の言うこと、別に聞かなくてもいいよ。 でも、あとで死ぬからね。」 ということだ。

僕にとって、怒る、というのは、生きる力なのだ。

もっとも、日本でも、このやり方は受け入れられてなかったが。

ところが、タイだと、更に輪をかけて、うまく行かない。


--------


タイの仏教では、修行をする、というのは、怒りを納めることなのだそうだ。 そういう国で、激怒するというのは、最大の 倫理違反なのである。

だが、僕は、よくわからない。

問題が起こってるのに、怒ってはいけないのだろうか。

いけないのだ。

僕は、前、こういうことを見たことがある。

仲良しのAさんとBさんがいた。 AさんはBさんに1000バーツ貸した。 ところが、その後Aさんは入用になってその1000バーツを返してほしくなった。 だが、Bさんは、いつも買い物ばかりして、Aさんにお金を返すそぶりが無かった。

Aさんは怒っただろうか。

怒らないのだ。

Aさんは、こういった。

「いや...実は、会社のお金を使い込んじゃって...。 xx日までに返さないと大問題になって会社を首になっちゃう...」

「ええっ! それは大変、じゃぁこの間貸したお金を返しましょう。」

と、Bさんに何の取り立てもすることなく、問題は解決した。


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僕には出来ない。

ましてや、根気が要る作業であり、ゆとりも必要である。

どうすればいいのか。

コメント一覧
おかあつ   2007年02月19日 02:41
考えてみれば、前は、そんなに、すぐ、ぶちきれたりはしてなかったよな。

やっぱり、僕も、何気に、ストレスが溜まってるんだな。

実際、普段から、いろいろがまんしてるしな。

こっちだって色々我慢してるのに、何で、そんな勝手なこと言うんだよって思うしな。


僕にも譲れない事が色々あるのだ。
おかあつ   2007年02月19日 06:00
そういえば、日本でも、昔は、包丁を机の上につきたてた上で「実はよ、俺の2番目の姉貴がよ、肺病にかかってな...、どうしても入用なんで」 というような、アメとムチで 借金を取り立てるというヤツがあった様な気がする。

そういう情に訴えかける『ウェット』なうたい文句って、昔は日本にもあったよな...。 ひょっとしたら、今も形を変えて存在するのかもしれないけど...。

僕は、日本でそういうのが、ものすごく嫌いだったので、そういう物は極力回避していた。

この場合、その感覚を呼び起こして、磨いていけばいいのだろうか。 (この例はちょっと極端だけど。)



しかし、タイの人って、本当に、ホンネを言わないな、と思う。ちょっとでも感覚がずれている事があると、絶対本音を言わない。 表面的に取り繕ってやり過ごそうとする。

特に、こっちが怒っちゃうと、本音を聞ける可能性は0になる。

最初のうちはあわせてもらっていて、それでいいんだけど、いい加減長くなってくると、段々向こうもボロが出てくるし、だんだん困ってくる。 だからちゃんとわかってないといけない。



僕は、両極端なのかもしれないけど...。

とにかく、タイの人は、「これでは、わが社は損益がx%を超えてしまうので、気持ちは理解しますが、困ります」というようなロジックを好まない。

日本と間逆で、そういう風に損が出て困るときでも「そういうことをするのは悲しいので止めてください」とか「僕らは助け合いの間柄です。 だから、ここは、こういう風にお願いします。」とか そういう気持ちに訴える言葉に置き換わってる。

論理で説明するのと、情に訴えて説明するのと、両方できるようになりたい。

でも、論理で説明して、「なるほど。わかった。」って言う人って僕は数人しか知らない。 そんな彼らも、ある『特定の分野』というものがあって、その分野では、あまり論理的でなくなる。

人ってあまり、論理的でないものなのだよな...。



でも、タイの人の、「もう終わっちゃったことだから、もういいよね。マイペンライ。」っていう論理は、どうだろう...。 確かに、それは、そうなんだけど...。 とにかく、お金に関する失敗は、それじゃ、マズイ。 それじゃ、いつか破産するて。 いつもいつも、「終わったことだから...」 って言うのでは、いつまでたっても変らないだろうて。



だから、前もって、根回しが必要なんだろうな...。 これも、日本でよくあるか。 前もって、ちゃんときちんとコミュニケーションをとって、そういう致命的な問題が起こりそうなところはあらかじめカバーしておく。 気持ちよくサバイチャイ原理を守りながら、論理的にも筋が通っている、っていうのが、理想だよな...。

なかなかそううまく行かないものだけど...。

でなければ、破産してしまうて。
おかあつ   2007年02月19日 12:22
しかし... 何も気がつかないというのは、気が楽な物だよな。

タイ人は、根は親切なので、多少見えないところで裏切っていたり、見えないところで悪い事をしていたりしても、総合的には相手の「気持ちの快適さ」を最優先して、気持ちよく過ごさせてくれる。

それがタイのいいところだと思う。

でも、タイ語がわかるようになって、ラオス語もわかるようになって、色々見えてくると、だんだん、嫌になってくる。 ウソをついているのもいい加減見えてくるし。

タイにないのはお金だけだ。 他の物は全てある。 土地。資源。食料。衣類。温暖な気候。医療。 タイは豊かな貧乏人なのだ。

そこで、「お金」がないかわいそうな国だと他の国の人に思わせ、人に親切にして、外国にお金を出してもらう。 後で、色々とウソのほころびが出てくるのだが、ごまかしきる。 最終的には、居直ったり、どんでん返しをかけたり、結構荒業に出たりもする。 結局最終的に、どんなに色々な変遷を転々とたどっても、最終的にタイ人がお金を取って得してるんだよな...。


ラオスとタイの歴史とかを見ると、ことさらそういう「したたかさ」が、はっきり見えてくる。 タイのニュースがどういうタテマエとホンネを前提に出来ているのかが、だんだんわかってくる。

このしたたかさに翻弄されないためには、更に2~3枚上手を行かなければならない。

なんというか、タイ人というのは、マイナス→0 の方向にしか動かないような気がする。 0→プラスの方向は、面倒くさいので努力しない。 のではないか、という気がする。

つまり、なにか深刻な問題があると、死ぬ気で頑張る。 歌手・タイオラタイ、よろしく、いじましい努力をする。 ところが、問題がなくなると、とたんに、コロッと何も努力しなくなる。ような気がする。 嫌な言い方だが、だから、タイ人には、適度な問題を与えておいたほうがいいのだと思う。

なくなると、逆に問題を作りはじめる。(これをタイ語でサンパンハーというらしい。)

苦しい時期を絶対に忘れず、豊になっても努力を怠らない、という事が出来ない。ような気がする。少なくとも、日本には、こういうタイプは、いる。

おかあつ   2007年02月19日 12:37
僕も、日本では、比較的ウェットな方だったのかも知れない。

プログラム関連の仕事を探すときも、どちらかといえば、会社の意気込み、開発に対する熱意のような物を優先して、もちろん給与も重要だけど、もし給与を最優先にしていたのなら、携帯アプリ屋とか、データベースエンジニアとか金になる仕事だけを目指していただろう。


でも、これは違うような気がするのだ。 お金優先、という価値の基準をお金に置いた考え方の中でも、これでは、すごく表面的過ぎると感じる。 長期的に見れば、ゆくゆくはお金にならないだろう、という感じがする。


「見えない本当の価値」というのがどこかにちゃんとあって、それが「お金で数える価値」を引っ張っているような気がする。 だから、価値があっても値段がつかない物もあるし、値段がついても価値がないものもある。

そう短期的な価値のズレを狙ってお金儲けをしようとしている人は、たくさんいるようなきが、ぼくはする。

でも、そういう、本来の価値とお金の価値が一致していない状態って、長い目で見れば、あまり長く続かないような気がするのだ。

だから、ちゃんと真の価値をみて、長期的なビジョンを持って、短期的な成功・失敗に惑わされず、長い目で見て努力しないといけない。

まえ、仕事のスカウトマンに、おかあつは、情で仕事を選んでいるといわれたことがあったのだけど、それは違うと思う。

矢本   2007年02月19日 14:28
>根は親切なので、多少見えないところで裏切っていたり、見
>えないところで悪い事をしていたりしても、総合的には相手
>の「気持ちの快適さ」を最優先して、気持ちよく過ごさせて
>くれる。

これってそのまま私の恋人にも当てはまる………。
でも、私も問題を放置しておくのが嫌。
徹底的に話し合いたい。

このジレンマ、どうすればいいの!?

おかあつ   2007年02月19日 18:32
正直、僕もわからない。

でも、タイの友達がいろいろなことを教えてくれた。

タイの人は、そういう時、とにかく時間をあけるらしい。

徹底的に話し合うことで問題を解決するんじゃなくて、問題はともかく、時間をかけて気持ちが落ち着くのを待つのだそうだ。 二~三日、何にも連絡しないでから、ふと連絡するんだそうだ。

問題が人間を怒らせるんじゃない、怒った人が問題を起こすのだ、というすごく大人な視点が感じられた。 だから、時間をあけようということなんだとおもう。


実際、論理的に説得されて納得する人って、いるだろうか、とも思うんだよね。

実際、僕も、非常に感情的な人間で冷静でないし。 ただ、でも、僕は、とにかく多少辛くても本当の事を聞きたいという気持ちが強い人間で、逆にごまかされてモンモンとしているほうが辛い。 ということもある。

でも、結局、人間はコンピューターでないので、気持ちが落ち着くのを優先したほうがいいのかもしれない。

矢本   2007年02月19日 18:57
うん。うん。わかった。
このコメントはためになった。

ちょっと距離をおくとか、
そういうことができないと
だめなのかもしれない。

>でも、僕は、とにかく多少辛くても本当の事を聞きたいとい
>う気持ちが強い人間で、逆にごまかされてモンモンとしてい
>るほうが辛い。

でも、ほんとうは私もそう。
つらくても本当のことが知りたい。
でも、恋人はまったく逆みたい。

私にとっては、距離をおくなんて、すごく難しい。
それに、距離を空けている間に、
余計離れていっちゃったら……。

「それは、その程度の間柄だった」なんて
思わなくちゃならないんだろうか。

でもとにかくこれを読んで多少落ち着いた。



しかし、なんかものすごく個人的な話ばかり書いてしまって
本来の内容にふさわしいレスじゃなかったら、
ごめんなさいねえ。。。

みにまゆ   2007年02月20日 00:23
どうもおじゃまします・・・。
何やらただならぬ雰囲気ですねー。
とっても感情移入しちゃいまいた。
おかあつさんにお世話になってるいもともうします。

>>根は親切なので、多少見えないところで裏切っていたり、見
>>えないところで悪い事をしていたりしても、総合的には相手
>>の「気持ちの快適さ」を最優先して、気持ちよく過ごさせて
>>くれる。

>これってそのまま私の恋人にも当てはまる………。
>でも、私も問題を放置しておくのが嫌。
>徹底的に話し合いたい。

と言うことは、答えを早く出したいということでしょうか?
とってもわかりますがねぇ。

本当のこととはなんだと思いますか?
私は、時系列の事実ではなく、その状況で楽しいとかむかつくと、愛してるとか、しっくりくるこないってゆう感情、気持ちだと思います。
1分先のことだってわからないんだから、大げさな話「なんで言ってたことと違う?」とか例えば一日のスケジュールを全部把握したいって言われたらいやですね~。

嘘ついた、つかないより、愛してる、愛してないのほうが重要であって焦って答えを求めなくってもいいと思いますよ~。
問題ってみんなあるし、お互い許して進んでったほうが楽しいと思います。
許せない問題だったらさよならするしかありませんが・・・。
不安に溺れそうになって自分を見失うのも悲しいから、怒ってケンカして泣いてわめいてみてもいいとは思いますが、人間って何でも忘れるようにできてるんですって☆
だって、人生の嫌なこと全部を覚えていたらしんじゃうから!
ですって!たしかにそうですよね~。
だからいやなことは時間を置くと忘れるんです。
大丈夫でーす。
楽しいほうがいいですよ~♪
なんだか出すぎた発言、おせっかい者なんです~。失礼いたしました。応援してます☆
おかあつ   2007年02月21日 23:11
今回いろいろな事件があって、なぜか今、チェンマイにいるのだけど
(^-^;

>>でも、僕は、とにかく多少辛くても本当の事を聞きたいとい
>>う気持ちが強い人間で、逆にごまかされてモンモンとしてい
>>るほうが辛い。

>でも、ほんとうは私もそう。
>つらくても本当のことが知りたい。

ひとつだけ思ったのは、特に相手がタイ人だから、よりそういう傾向があるのかもしれないけど、問題の原因を論理的に話す、そうやって問題を具体的に解決しようとするという、それは日本人的な行動だと思うんだけど、それをがんばればがんばるほど、問題は先鋭化していくような気がした。

でも、解決しないといけない問題っていうのは、世の中にやっぱりあって、それは、感情に惑わされないでちゃくちゃくとやっていかないといけない。

そこのバランスが難しいと思った。


ヤモト氏は、普通の女の子よりもずっと理論的で知的な孤独を好む人なので、きっと普通の女の子よりずっとバランスのとり方が難しいんではないかなと思った。

矢本   2007年02月22日 13:21
いもさん、おかあつさん、ありがとうございます。

昨日恋人と話し合ったのですが、
いもさんもおっしゃる通り、

>嘘ついた、つかないより、愛してる、愛してないのほうが
>重要であって焦って答えを求めなくってもいいと
>思いますよ~。

その通りだなあと思うような結論が出ました。

しかし、問題の根が深いと、なかなか、時間の
かかることなのかな、と思います。

まあ、悪い思い出が後になってどうでもよくなったり、
むしろいい思い出にかわることがある、っていうのも、
経験的にはわかっているのですが、
渦中にいると、感情的にはなかなか。。。

しかし、文章にしていただいたことで
かなり身に染みることができました。
「応援」ほんとにありがとうございます。
嬉しくて泣いちゃいます。

私は理論的で知的な孤独を好むタイプ……
だったかな? と思いますが(照れます。。。)
いざ、自分が感情の波に飲まれてしまうと、
どうにもこうにも。

いい加減さもかなり身についてきたとは思いますが、
根が真面目なのかもしれないです。
まあ、「酒でも呑んで寝て忘れちゃえ~!」ということが
苦手なのは事実です。
オール オア ナッシングなところは真面目というより
子どもなのかもしれませんが。。。

いろいろな方のお話を読んでほんとうにためになります。
ありがとう!



みにまゆ   2007年02月22日 22:57
矢本さん
こんばんは☆
恋人とお話できてよかったですね☆
元気を取り戻しておられるようで安心しましたよ~

いざ、自分が感情の波に飲まれてしまうと、
どうにもこうにも。

わかりますっ!ほんと飲み込まれてるつもりないのに飲み込まれちゃってるから、気がついた時にゃどうしたらいいかわからんのですよね(><)

まあ、「酒でも呑んで寝て忘れちゃえ~!」ということが
苦手なのは事実です
いももお酒のめないのでその手は使えないだけに
逆に諦めもついたり・・・ですね♪

オール オア ナッシングなところは真面目というより
子どもなのかもしれませんが。。。
それって私は好きです!だって心がキレイってことですよっ☆
ビバ!純粋です!
おかあつ   2007年02月23日 19:20
なんか、僕はあまりお役に立てなかったのですが、こうやって出会いの場が出来て嬉しく思います!

from 何故か、チェンマイの喫茶店@ニマンヘミン通り
 
出展 2007年02月19日02:26 『聞いてどうする』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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