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2006年12月5日火曜日

限界1 (mixi05-u459989-200612050512)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
限界1
2006年12月05日05:12
僕は、やっぱり、何でこうやってタイにいるかといえば、日本にいるとどうしても、色々とデジタルな感じになってきて、効率とは関係の無い事がドンドン削ぎ落とされて行って、人間的じゃなくなるような気がするからだとおもう。 強くなっても、いつも何か、寂しい。人の結びつきがすごく浅いので友達もなかなか出来ない、という事もある。

もちろん、直感に従がってアバウトな感じで適当に仕事をして面白いものが出来た! なんていうゆとりのあることを言うことも出来ないし、仕事的にも行き詰まり感を感じる。


タイに居ると、やっぱり、人がすごく温かい。

人々が、気持ちで生きている。

それが、世界中の人がタイが好きになる、タイの魅力なんだと思う。

(僕はタイでもラオスに程近いところにいるので、いわゆる一般的にいうタイとは違うのかもしれないですが...。)

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でも、タイにも、やっぱり、貧困問題というのがある。

別にタイに限った事ではない。 実際に僕は日本で貧困層だった。 僕は未だに中卒だ。 日本だと隠されているので見えないだけだ。

そういう、誰も助けてくれない状況に陥った時は、ひたすら、自分と向き合う必要がある。 自分に必要な能力と欠けている能力とひたすら向き合うのだ。 そうして、ひたすら修行僧のように英会話やビジネス理論・MSOffice... 世渡り術等々... 訓練する日々を送る事になる。

もっとホントの事を言えば、そういうビジネスっぽい奴をやってばかりいても駄目で、人間にとって本質的な訓練をしないと、実用に使えない。 (僕にとってそれはジャズの即興だった。) そういう本質的なスキルというものは、すぐ結果に表れる。

スキルが上がるにつれ、だんだん周りにいる人が動き始めてきて、だんだん問題が解決していく。

僕は、色々な問題があって、時間は掛かったけど、今、こうやって解決した。

でも、何かが足りないと、いつも感じている。

その何かが、タイ・ラオスにはあるように感じる。


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じゃぁタイでは、どうなのか。

タイというのは、日本と違って、頑張って働けばお金が入る国という訳ではない。 どんなに頑張って働いても、月収が30万円を超える事は無い。 30万円というのは、政府高官の給料を上回っているのだそうだ。

通常は良くて25000円。 普通で15000円。 とはいえ、300万円もあれば家が建つので、国内に居る限り、それはそれで、普通に暮らせるのだけど...。

もちろん日本のようにセイフティーネット機構は無い。生活保護も無い。 社会保険も無い。

そういう中で貧困層に落ちると、ものすごい大変な事になる。

誤解の無いようにに書いておきたいのだけど、タイは貧しい国だ、というのは、間違いだ。タイは規模が小さいだけなのだ。 一部の人は、女の子はみんな水商売系なのではないか、という風にみているけど、絶対そんなこと無い。

有名な繁華街パッポンタニヤとかで働いている人は、日本でいう歌舞伎町などで働いているような人と同じで、ちょっと特殊な感じだ。 日本人は、よくタイ人が外人好きだと勘違いしているけど、 ほとんどのタイ人は、日本の普通の女性と同様に、普通に保守的で、外人には目もくれない。

貧困層というのは、全体から見るとやはりごく一部で、少数派が普通に抱える問題──ほとんど問題点を理解されていない──がある。のだ。


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僕は、例えタイに居たとしても、そういう、誰も助けてくれない状況に陥った時は、ひたすら、自分と向き合う必要があるのではないかと思う。


ところが、タイの文化というのは、こういうシリアスな訓練をする人向け... では少なくともない。


僕は、この矛盾にどう対処すればよいのか、よくわからない。

僕は、実際、前向きに問題を解決したいと思って厳しい道を選んだ。 結果、問題は全部解決したが、結果的にあまり幸せではないと感じている。 しかしながら、そう思えるのも経済的な困難が解決したからこそである。

では、タイの人が、そういうリラックス重視な文化を捨てて、ひたすら「修行僧のように」色々なスキルを身につけ、経済的な成功を目指すのがよいのだろうか。 それも一つの方法論なのだと思う。 でも、それでは、タイのよさというのは、あるのだろうか。


タイには、そういうまばゆいばかりの経済的な成功と優雅な生活を夢見て、外国に行きたがる人も多い。 でも、その影で「修行僧の様な」絶え間ない訓練が必要であるというところまで意識のまわる人は、あまりいない。

じゃぁ、そういう人たちも、すべからく、タイのよさを切り捨てて、変えてしまうのがいいのだろうか。 それはそれで、間違っているように感じる。

しかし、そうしないという事は、ずるずると、問題を先送りし続けていることとさほど変らない。 どこかで、何かをあきらめて、何かを捨てて、戦わないといけないのではないか。

そのあたりに、何かの限界の閾があるのではないか、と思った。

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出展 2006年12月05日05:12 『限界1』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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