世界人口、65億に――地球は何億人暮らせるのか?
2006年02月25日00:48
世界人口、65億に――地球は何億人暮らせるのか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=6787&media_id=18
この文章を読んでみると、貧困に苦しんでいるという言葉が何度も出てくる。 この人達が言う、「貧困に苦しんでいる」というのはどういう意味なのだろうか。
文明国といわれている国はほとんど寒い国に集まっているのに対し、貧困にあえいでいると言われている国のほとんどは暑い国に集まっている。 このことを良く観察して考えてみるとなんとなく、次のようなことが思われてきた。
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実際、「暑い国の人」と「寒い国の人」では、かなり感覚が違う。 例えば、タイで貧困に苦しんでいる人を見ていると、日本で貧困に苦しんでいる人や、アメリカで貧困に苦しんでいる人達と比べると、随分と楽観的だ。
それは、暖かい国では、家がなくても生きていられるという、大きな違いがあるからなのだ。 寒い国ではそうは行かない。 家がなかったら死んでしまう。
そういえば、この間、冬の寒い日にタイにいる日本人の友達に電話した。「日本は今寒いよ。帰ってくる時は着る服に気をつけてね。」 と僕は言った。 すると、友達は、「そうか。やっぱり長袖とか持っていったほうがいいな。」と言った。
長袖か。ちょっと待ってほしい。そういうレベルの話をしているわけではない。 こっちは雪が降っているのである。長袖などでは到底間に合わない。 コート・帽子・手袋のフル装備でなければ外には出られないのである。 日本人だろう。 何故そんなのんきなことをいっているのか。
だが、そういう話をした後であるにもかかわらず、タイに行ってしまうとあっさりと日本がどんに寒かったのか忘れてしまう僕だった。
1月になると30度前半まで温度が下がるが依然として暑い。 その程度でも、涼しくなったなと言われる程の暑い国なのだ。冬でも半そでを着てクーラー全開にしなければ、とてもいられない。 タイでは、1月はビヤガーデンの季節だといわれている。 これはどういうことかというと、日本と逆で、1月になり涼しくなったので外でビールでも飲もうということなのだ。 これは、8月になると暑くて外でビールなど飲むどころの騒ぎではないということを、意味している。
そういう中にいると、日本が寒いと言われても全然イメージがわかない。 NHK国際放送を見て品川は最低気温10℃です。とか言われても、それがどのくらい寒いことなのか、想像出来ない。
タイに行ったことがない人に、タイの話をするとき「タイって温水が出る風呂がなくてみんな水風呂なんだよ」ということがよく話題になる。すると、タイって貧しい国なんだね、大変なんだ、と結論付けられてしまうことが多いのだが、これは実は、ただ単に、暑いので水風呂のほうが快適だからなのだ。
そういう暑い国では、貧しくて家がなくても、そのあたりで寝て構わない。 夜になっても寒くなって風邪をひいたりしないからだ。 多少服装が粗末でも凍死したりはしない。 そして、暖かいシャワーもいらない。 体を洗うにしても川で水を浴びればよい。 それは、実際、寒い国の人が思うほど辛い暮らしではない。
例えば、シャワーもない原始的な生活といっても、鳥がさえずるのどかな田園の美しい夕暮れで水浴びをするわけで、それはむしろ優雅な暮らしなのである。
こうして働かないで優雅に暮らす。 それは、タイではサバーイといって一つの理想形ですらある。
ほとんどの文明国は寒い地方に集まっており、援助も大抵は寒い国が暑い国に施す場合が多い。 だが、そんな暑い国の現状をイメージできない寒い国の人達が、のんきな暑い国にやってきて、貧しいので助けてあげよう、といった時、そこには大きな問題認識の食い違いが起こり得る。
実は、そこには、れっきとした文明国の驕りが存在するのだ。寒い国の人達は、寒い国の価値観で暑い国を評価することが失礼な事であるという事実が理解できない。
そもそも、貧困に苦しんだことがない人は、貧困に苦しむという事実の意味を理解できないことが多い。 貧困に苦しんだことがないわれわれは、その事実を冷静かつ謙虚に受け止めて考えるべきではないだろうか。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=6787&media_id=18
この文章を読んでみると、貧困に苦しんでいるという言葉が何度も出てくる。 この人達が言う、「貧困に苦しんでいる」というのはどういう意味なのだろうか。
文明国といわれている国はほとんど寒い国に集まっているのに対し、貧困にあえいでいると言われている国のほとんどは暑い国に集まっている。 このことを良く観察して考えてみるとなんとなく、次のようなことが思われてきた。
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実際、「暑い国の人」と「寒い国の人」では、かなり感覚が違う。 例えば、タイで貧困に苦しんでいる人を見ていると、日本で貧困に苦しんでいる人や、アメリカで貧困に苦しんでいる人達と比べると、随分と楽観的だ。
それは、暖かい国では、家がなくても生きていられるという、大きな違いがあるからなのだ。 寒い国ではそうは行かない。 家がなかったら死んでしまう。
そういえば、この間、冬の寒い日にタイにいる日本人の友達に電話した。「日本は今寒いよ。帰ってくる時は着る服に気をつけてね。」 と僕は言った。 すると、友達は、「そうか。やっぱり長袖とか持っていったほうがいいな。」と言った。
長袖か。ちょっと待ってほしい。そういうレベルの話をしているわけではない。 こっちは雪が降っているのである。長袖などでは到底間に合わない。 コート・帽子・手袋のフル装備でなければ外には出られないのである。 日本人だろう。 何故そんなのんきなことをいっているのか。
だが、そういう話をした後であるにもかかわらず、タイに行ってしまうとあっさりと日本がどんに寒かったのか忘れてしまう僕だった。
1月になると30度前半まで温度が下がるが依然として暑い。 その程度でも、涼しくなったなと言われる程の暑い国なのだ。冬でも半そでを着てクーラー全開にしなければ、とてもいられない。 タイでは、1月はビヤガーデンの季節だといわれている。 これはどういうことかというと、日本と逆で、1月になり涼しくなったので外でビールでも飲もうということなのだ。 これは、8月になると暑くて外でビールなど飲むどころの騒ぎではないということを、意味している。
そういう中にいると、日本が寒いと言われても全然イメージがわかない。 NHK国際放送を見て品川は最低気温10℃です。とか言われても、それがどのくらい寒いことなのか、想像出来ない。
タイに行ったことがない人に、タイの話をするとき「タイって温水が出る風呂がなくてみんな水風呂なんだよ」ということがよく話題になる。すると、タイって貧しい国なんだね、大変なんだ、と結論付けられてしまうことが多いのだが、これは実は、ただ単に、暑いので水風呂のほうが快適だからなのだ。
そういう暑い国では、貧しくて家がなくても、そのあたりで寝て構わない。 夜になっても寒くなって風邪をひいたりしないからだ。 多少服装が粗末でも凍死したりはしない。 そして、暖かいシャワーもいらない。 体を洗うにしても川で水を浴びればよい。 それは、実際、寒い国の人が思うほど辛い暮らしではない。
例えば、シャワーもない原始的な生活といっても、鳥がさえずるのどかな田園の美しい夕暮れで水浴びをするわけで、それはむしろ優雅な暮らしなのである。
こうして働かないで優雅に暮らす。 それは、タイではサバーイといって一つの理想形ですらある。
ほとんどの文明国は寒い地方に集まっており、援助も大抵は寒い国が暑い国に施す場合が多い。 だが、そんな暑い国の現状をイメージできない寒い国の人達が、のんきな暑い国にやってきて、貧しいので助けてあげよう、といった時、そこには大きな問題認識の食い違いが起こり得る。
実は、そこには、れっきとした文明国の驕りが存在するのだ。寒い国の人達は、寒い国の価値観で暑い国を評価することが失礼な事であるという事実が理解できない。
そもそも、貧困に苦しんだことがない人は、貧困に苦しむという事実の意味を理解できないことが多い。 貧困に苦しんだことがないわれわれは、その事実を冷静かつ謙虚に受け止めて考えるべきではないだろうか。
コメント一覧
禅 2006年02月27日 12:05
ふむふむ、一気に読んでしまった
確かに感じ方が国よっての違いってあるんだね
貧困も国よっての違いが理解できた!
勉強になります。
っていつ日本に帰るの~??
確かに感じ方が国よっての違いってあるんだね
貧困も国よっての違いが理解できた!
勉強になります。
っていつ日本に帰るの~??